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フロレンティーナの夢と現実

フロル、ことフロレンティーナ・ミゼルは、海に面した美しく豊かな街、グリューネバルト方伯領で生まれ育った。

街を治める領主様の名前は、グリューネバルト伯爵。

王家から独立した司法形態を有する事を許された、数少ない方伯家の当主である。フロルのような貧乏人にしてみれば王様にも等しい、雲の上の人だった。少なくとも自分の人生に関わりあってくる日がくると思った事もなかった。


フロルの父は、図書館勤務の写字生だった。一応、下級騎士の家系の出だったのだが、性格的に騎士には向かず、写字生になる道を選んだそうである。

と、言っても写字生という職は決して社会的地位の低い職ではない。紀元前の時代から、高い教育を受けた者しかなる事ができない、人気の花形職業なのだ。というわけで、子供の頃のフロルの家は、けっこう裕福な方だったと思う。領主様の館で侍女をしていたという母親は、かなり婚期が遅れて結婚したので、子供もフロル一人だった。なので、生活にはかなりのゆとりがあった。


フロルの母親は優しい人だったが、独身時代領主様の館で働いていただけあって、礼儀作法や言葉使いには、厳しかった。父親の方がおおらかな性格で、叱られる事もほとんどなかったが、ただ字を美しく書くという事については厳しく教え込まれた。


字には人間性が出る。


それが父の持論だった。図書館付きの写字生だった父らしい持論だった。

そんな二人のおかげで、中の下くらいの身分の割にフロルは高い教育を受ける事ができたと思う。女性の文盲率が限りなく高かった時代に、普通以上の教育を受ける事ができたのだ。


そんな両親を二人同時に亡くしたのは、フロルが12歳の秋だった。領地中で流行った伝染病にかかり、二人一緒に死んでしまったのである。


悲しかった。そして、フロルは途方にくれた。両親は共に親戚との付き合いがなかったし、伝染病のせいで孤児院はパンク状態だ。親を亡くした子供一人。いったいどうやって生きていけば良いのか。不安を感じつつ両親の遺品を整理していたフロルは、驚きの物を発見した。金貨百枚に相当する銀行手形である。


グリューネバルトは、交易の街だ。遠くから商人達がやってきて、物やお金を取り引きする。流通の流れの中で銀行業が盛んになり、グリューネバルトにはたくさんの銀行があった。そんな銀行の一つに両親は、金貨百枚の預金をしていたのである。

中流と言われる階級の年収が金貨20枚から40枚くらいの時代である。実際、金貨10枚稼げれば、かなりゆとりのある生活をおくる事ができた。それなのに、金貨百枚である。そんな大金どうしたのだろう?こつこつこつこつ貯めていたのだろうか?両親亡き今となっては、どれだけ首をひねってももうわからなかった。


だが、その事実はフロルの後の人生に一つの方向性をつけるものになった。


フロルが大金を持っている事を知った、宿屋兼食堂を営む夫婦が、フロルを引きとってもいいと言ってくれたのである。

夫婦の苗字はフェリックス。ローザとリーリアという名前の二人の娘がいて、ローザはフロルより一歳上、リーリアはフロルより一歳年下だった。二人共街で評判の美人姉妹だったのだが、妹のリーリアとフロルは大の仲良しだった。


そうしてフェリックス家に迎えられたフロルだったが、その日からフロルにとって受難の日々が始まった。


当初は、母屋に部屋をもらっていたフロルだったが、大学進学を目指すローザが妹と同じ部屋では勉強が捗らない。二人の部屋を分けたいと言われ、家畜小屋の屋根裏に住まわさせられた。ただで居候するのは心苦しかろうと言われ、朝早くから食堂の手伝いをさせられ、水汲みや料理運びの他、宿屋のシーツ等の洗濯をさせられた。当初はシーツやテーブルクロスの洗濯だけだったのだが、いつの間にかフェリックス家の家族の服まで洗わされるようになった。


恐妻家のフェリックス氏は、夫人に全く逆らえず、常に妻の言いなりだった。リーリアは横暴な母親に幾度となく抗議し、フロルの仕事を手伝おうとしてくれたが、そうすると夫人はリーリアの学校の成績が悪い事をもちだし、家の手伝いをする暇があったら勉強しろ、おまえと違ってフロルは頭が良いからいいのだと怒鳴りつけた。

そしてリーリアが反抗的で手に負えないのは、おまえが唆しているからだ。とフロルを責めた。引き取られた当初は、フェリックス家の人々と一緒に食事をしていたフロルだったが、そのうち仕事が終わってから一人で食べさせられるようになった。最初は、キッチンのテーブルの上にボソボソの黒パンが一切れ置いてあったが、いつしかそれも無くなった。


引きとられた時に没収された金貨はどうなったのだろう?とフロルは思ったが恐ろしくて聞く事はできなかった。ある時リーリアが聞いてくれたのだが、それに対する返答は、

「あの程度のお金で足りるわけがないでしょ!子供を育てるというのはとっても、お金がかかるのよ。だいたい子供がお金の事に口を出すなんてあさましい事をするんじゃありません!」

との事だった。


いったい自分の何に、そんなにお金がかかっているのだろう?とフロルは思った。

食べ物も与えられないし、着る物も買ってもらえないから、いつも死んだ母の古着を縫い直して着ている。病気で医者にかかった事もないし、親を亡くした子供の教育費は無料である。


そんな毎日でもフロルが我慢できたのは、成人するまでの辛抱だと思っていたからである。保護者のいない子供が一人で生きていけるほど世の中は甘くない。だが成人し、手に職さえ持っていれば一人でも生きていける。フロルは忙しい中でも勉強にいそしみせっせと努力した。受験者数中30位以内に入れたら奨学金を貰って大学に行けるのだ。


もう一つ我慢できた理由は、グリューネバルト領では孤児に対する福祉が潤っていたからである。父親のいない子供は無料で学校に通う事ができたし、教科書もプレゼントされた。そればかりか、どこの学校でも弁当を持ってこられない子供達の為に、廉価で食事を提供する食堂が併設されているのだが、父親のいない子供はそこで無料で食事を食べさせてもらう事ができたのである。


これは、領内で伝染病が流行ってたくさんの死者が出た後、親のいない子供達が増えたので、そんな子供達が生活に困らないよう、教育の機会が奪われる事がないよう、伯爵様が急遽作った制度なのだが、フロルはその恩恵をどっぷりと受ける事ができたのである。

学校へ行かなければ食事にありつけないので、フロルは毎日喜んで学校に通った。鬼のようなフェリックス夫人も、フロルに学校に行くなとは言わなかった。学校へ通わせるのをやめさせたら、フロルをいじめている事が教師や役人にばれるからである。


辛かったのは、学校が休みの日曜日だ。その日は食事にありつけないので、食堂のお客さんにもらったチップをこつこつ貯めていた中から食べ物を買ってのりきった。


15歳になった時、フロルは学校を卒業し、グリューネバルト大学外国語学科を受験した。図書館付きの写字生になる為には、三ヶ国語以上の読み書きができないといけないからである。


結果、受験者数内27位という好成績で合格した。


あの時はフェリックス夫人にずいぶんと嫌味を言われたものだ。学校を卒業し、これからもっと店の仕事を手伝ってもらえると思っていたのに、さらに学校に行くなんて情け無い恩知らずだ。大学になど行く必要は無い。女に教育など必要無い。大学に行くなど許さない。

フェリックス夫人がそこまで反対したのには訳がある。長女のローザが同じ年に大学を受験したのだが落ちたのである。


だが、どれだけ反対されてもフロルの意志は固かった。そして今回ばかりは、フェリックス氏が大学へ行くようにと応援してくれたのである。


なぜ、フェリックス夫人と結婚したのか、いまいち理解できない善良なフェリックス氏は、前から夫人の見えない所でフロルに親切にしてくれていた。そして今回、フロルに大学に行く事、フロルのしていた仕事を半分にして学校を卒業したローザにさせるよう夫人に言ってくれた。

夫人は大ヒステリーを起こして、ローザが可哀想だ、ローザに対して思いやりが無さすぎる、それでも父親か!と泣き叫んだが、フェリックス氏もリーリアもフロルもあまりローザに同情していなかった。勉強する為に部屋に閉じこもっているふりをして、こっそり窓から抜け出し夜遊びしていたのを、フェリックス夫人以外みんな知っていたからである。


そうして、フロルの大学ライフが始まった。30位以内に入れたので無事奨学金ももらえる事になり、教科書や辞書も無料で贈られた。それ以外にも、奨学生は学業を主とした生活をしなくてはならないので、生活費を稼ぐ為に学業がおろそかになってはならないと、週に銀貨1枚支給される事になった。銀貨10枚で金貨1枚分に相当するわけだから、これは相当高額であると言える。


そんな教育福祉の潤沢な国で、フロルは辛いながらものんきに生きていた。本当はかなり悲惨な境遇なのかもしれないが、小さな頃からあまり物事を気にしないタチだったので、それなりに毎日楽しく過ごしていた。大学を卒業した後写字生になるという夢もある。

自分は孤児だし、美人でもないし、大貴族と結婚して玉の輿に乗るとか、勇敢で美貌な騎士と物語のような大恋愛をするなんて事はないだろう。自分に似合った、平凡な顔で平凡な人生の、平凡な男性とそのうち結婚して子供を産むんだろう。


それでいい・・・。


両親を早くに亡くし兄弟もいないフロルにとって、家族は憧れだった。自分が幼い頃過ごしたような、あんな平凡でも温かい家庭をもう一度持つのが夢だった。

のだが・・・。

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