石細工工房(1)
フロルが王宮でマリーンシェルド伯爵と話をしていた頃。
フロルの親友リーリアは、第三地区西岸にある『石屋さん』へ来ていた。
『石屋さん』とはつまり、石を売る店である。
宝石や貴石ではない。
白大理石、赤大理石、花崗岩、玄武岩、石灰岩。そして普通の石。そういう石を売るのである。
王都の建築物は、そのほとんどが石造りである。道路は石畳で、城壁だって石である。よって、石を扱う商売は、けっこう固い商売なのだ。石だけに。
石屋では通常『石細工工房』を併設していた。
その工房では、未来の大芸術家を目指す職人達が、日々彫刻や絵画の製作に勤しんでいる。彼らが製作した彫刻や絵画は、中庭や中庭に面した回廊に飾られ、一般に公開されていた。
その中庭は王都の市民にとって社交場であり、優秀な芸術家を探す者が青田買いをする場所であり、モデルを目指す者がスカウトを待つ場所なのである。
リーリアがこの場へやって来たのは、ウィンクラー夫人の指示だった。この工房に所属する芸術家の腕を確かめて来い。と言われたのである。
一人の神経質そうな目元をした男が、リーリアの方に歩み寄って来た。
「美しいお嬢さん。どうか、私の絵のモデルになって頂けませんか?」
「嫌。」
リーリアの返答はにべもなかった。
男は意外そうな顔をした。
ここへやって来る若い娘達のほとんどは、普通モデル志望なのだ。
モデルになって街の話題になり、人気者になって玉の輿に乗りたい。という少女がほとんどのはずなのに、この娘はいったい何をしにここへ来たのだろう?
「絵がお好きなのですか?」
「ま、普通かな。」
とリーリアは答えた。
「人に頼まれたのよね。絵や彫刻を買いたいから、この工房のデキを見て来てくれって。」
「それはそれは、是非ごゆっくりご覧ください。よろしければ、私が作品の解説をさせて頂きましょう。」
「別にいい。」
解説されなければ理解できないような絵は、リーリアは嫌いだった。
絵という物は美しくて、何が描いてあるのか一目見てわかれば十分である。『人間の真実に迫る』とか『世界の深淵の外縁を模索する』とか、そういう意味不明な何かをくっちゃべって、美しさや正確さを排除した絵は虫が好かない。
それでいいのよ。と、ウィンクラー夫人も言ってくれた。
何が描いてあるのかわからないけれど、何が描いてあるのかわからないと言ったら、頭悪いと思われそうな絵しか飾ってなかったら帰って来なさい。とも言ってくれた。
その点、ここにある絵は実に良い絵だと思う。
解説をしてもらわなくても、何が描いてあるのか一応わかるし、それにとても美しかった。
元々、ここの石屋はそれほど評判の悪い店ではないのだ。
王都内にある15軒の石屋の中で、売り上げは下から数えた方が早いと言われているが、それはここの店主に悪い意味での政治力が足らないからなのだそうである。
ここの店主の貴族嫌いは、王都の人々の間では有名だった。
何でも20年とちょっと前に知人の紹介で、没落貴族の娘と結婚して、その家の借金まで全部肩代わりしてあげたのに、その嫁は散々散財をして店を傾けさせた挙句に、夫と娘を捨てて幼馴染の貴族の男と駆け落ちをしたとか。
その為、年頃になった一人娘が「この人と結婚したい」と言って貴族の男を連れて来た時、父親と恋人の間で大バトルがあったそうなのである。
「ここの若旦那さんって、新緑騎士団の元団員なんですってね。」
「そうです。あの、第一隊の隊長だったんです。」
男が何故か胸をはった。
ウィンクラー夫人情報によると『あの事件』が起きた時の隊長、オトフリート・フォン・リューベルマインはこの石屋の一人娘と恋仲で、結婚を認めてくれるなら貴族の身分を捨てて婿養子になるとまで言っていたそうな。
それでも父親は、娘の夫となる男は商家の男に限ると、絶対結婚を許さなかったらしい。
何度話し合っても平行線のまま日々は流れ、そして『あの事件』が起こった。
新緑騎士団が大いに名を上げ、その後父親も結婚を許す気になったそうだ。貴族に対する偏見が解けたわけではなく、有罪にされて処刑命令が出た恋人の後を追って自殺しようとした娘の姿に、これ以上反対しても無駄だと父親は気づいたらしい。
オトフリート卿は宣言通り、貴族の身分を捨て、騎士団も退団して石屋の婿養子になった。
「どんな人なのか会ってみたいな。」
とリーリアが言うと
「・・うーん。」
と男は唸りながら、リーリアの顔をチラッと見た。
「エルナお嬢さんがいい顔をしないかも・・。」
そう言いつつも、男は中庭の真ん中辺りを指差した。
何人かの男達が、彫刻を運んで来て置いている。
「一番背が高い人がオトフリートさんです。」
『あの事件』について詳しくは、2話と3話の『新緑騎士団事件』で紹介しています。
いつも読んでくださり、感謝です。とても嬉しいです。




