伯爵の花嫁
金貨150万枚という額は、たとえ名門伯爵家とはいえたやすく払える額ではない。それは、伯爵の総資産額ほぼ半分という額だった。
それでも伯爵は、金を惜しもうとはしなかった。手持ちの現金だけでは足りなかったので、夏の別荘、岩塩坑、先祖伝来の骨董や美術品、宝石を売り払いお金を用立てたのだ。
金貨150万枚が支払われたので20人の若者達は無傷で放免された。王都の人々は、グリューネバルト伯爵の腹の太さに歓喜の声をあげ、伯爵を褒め称えた。
腹の虫がおさまらないのが、ローゼンリール侯爵夫人である。侯爵夫人は、伯爵を王宮に呼び出し、自分に逆らうつもりかと厳しく責めた。それに対し伯爵は、けろっとした顔でこう言ったと言う。
「何をおっしゃいます。全てあなた様の為ではありませんか。愛する弟君を亡くされたうえ、大切な館や思い出の品々を失い、どれほどお心を傷めておられるか、どうすればお悲しみを癒す事ができるのか、考えた末に身銭をきったのではありませんか。金貨150万枚支払ったら、騎士団を助けるとあなた自身が言われたのです。」
こうした一連の事件の中で、グリューネバルト伯爵が最も名を上げたのである。
グリューネバルト領の人々はこの話を伝え聞き、皆一様に自分達の領主を誇りに思った。この事件の後、税金が上がったとか、福祉がとどこおるようになったとかなると、反応も違ってくるのだろうがそんな事もなかったので、伯爵様の人気は上がる一方だった。
「私も伯爵様の事好きよ。結婚というのはともかくとして憧れるなあ。」
フロルがそう言うと、うんうんとリーリアも頷いた。
「まあ、ぎりぎりいい男の部類に入るしね。」
グリューネバルト伯爵は決して美男とは言い難いが、温和さと誠実さと品の良さが顔に出ている、白いヒゲの似合う優しげなおじ様なのだ。たぶん若い頃は、十人並の顔であったのだろうが、年齢を増すにつれて人格と精神に深みが増し加わり、それが表情に出ていて周囲の人をひきつけてやまないのである。背はあまり高くないが、見苦しく腹が出ているという事もないし、10代の少女が58の男と結婚するというのは普通ちょっとギョッとする話だが、相手があのグリューネバルト伯爵と聞くと、ま、それもありかな、と思えてしまう相手なのだ。
そのうえ、お金持ちで姑も小姑も連れ子もいないのだ。これは、かなりの玉の輿なのかもしれない。
フロルとリーリアは会場の端の方へ行き、料理を皿の上に取って食べ始めた。一生食べられる機会なんてありそうにないごちそうの山である。食べられるだけ食べて帰らねば。
「パーティーを楽しんでいますか?」
いきなり声をかけられて、フロルは料理を頬張ったまま振り返った。そして、うっ!となる。なんと、グリューネバルト伯爵が立っていたのである‼︎
「は・・はい。」
やっとの事で料理を飲み込み、フロルは必死にうなずいた。
「それは良かった。あなたは?」
今度はリーリアに声をかける。「はいっ。」とリーリアはフォークを握りしめ、元気いっぱい返事をした。
伯爵は優しく微笑んで、さらに他の娘に声をかけた。とたんに、激しい殺気を感じる。視線の方を振り返ると、魔女のような表情でリーリアの姉のローザが睨んでいた。怖っ!
「緊張したね。」
「うん。」
フロルとリーリアは伯爵様の動きを目で追った。じっくり見てみると、伯爵様は闘志むんむんの女子力高い女達ではなく、参加する事に意義があるとか思っているような地味なタイプにばかり声をかけている。どうも、本気で花嫁を物色しているという雰囲気じゃない。
こりゃ、やっぱり本命がいるんだな。ローザが人ごみをかき分けて伯爵様に近づこうとしていたが、お付きの騎士に阻まれているのが見えた。フルートやリュート、ツィター、ハープなどの演奏も始まり、綺麗な踊り子さん達が庭の中央でアラブ風の踊りを踊り出して、パーティーも佳境に入って来た。お腹もいっぱいになってきて少し眠くなってきた。
「もうそろそろ帰ろうか?」
「そうだね。」
と、その時。
音高くラッパの音が鳴り響いた。
見るとさっきまで、綺麗なお姉さん達が踊っていたあたりに伯爵様が立っていた。その横で、伯爵様と同じくらいの年齢のいかつい顔をしたおじさんが声を張り上げだした。
「みなさん。今伯爵様の妻となる女性が決定しました。」
中庭中のざわめきが大きくなる。
「いったいどの人なのか、顔だけでも見て帰る?」
「そうだね。」
フロルはうなずいた。
「伯爵様の花嫁は。」
ローザが豊かな胸の前で手を組み祈っているのが見える。次にどんな表情をするか、面白そうにそれをリーリアが見ている。
「フロレンティーナ・ミゼル嬢です。」
場内が、一瞬静かになった。
ふーん。と、フロルはうなずいて。
「よし。名前も分かったし、帰ろうか。リーリア。」
「・・・えっ?帰るって・・。
「フロレンティーナ・ミゼル嬢。こちらへお越しください。」
中央でおじさんがなおも叫んだ。
「あんたの事じゃないの?」
「へっ?」
「だから、フロレンティーナ・ミゼルってあんたじゃないの?」
フロルもやっと気がついた。そうだ。あまりにもありえない事なので聞き逃していたが、フロレンティーナ・ミゼルって私じゃないか!
「・・ど・同姓同名?」
その言葉は、数人の騎士の足音にかき消された。フロルは、騎士達に取り囲まれ、腕を引かれて中央へ連れて行かれたのである。
何が何だかわからぬフロルに向かって伯爵様はにっこりと微笑まれた。
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