伯爵夫人への追想(1)
9話の『葬式』と13話の『霊園にて』の、ユーリ視点のエピソードになります。
夜になった。
団舎の中は昼間の一件の影響で、まだ奇妙な熱気に包まれている。
「信じられない幸運」とか「羨ましい」とか、皆にいろいろ言われるが、正直一番信じられないのはこの私だ。と、ユリウスは馬のたてがみにブラシを当ててやりながら考えていた。
ここは団員用の厩舎である。もらった馬を入れているこの場所には、つい数日前までユーリの愛馬のローエンがいた。
グリューネバルト伯爵夫人か。
彼女と会ったのはもう二ヶ月も前の事。それでも、その時の事をユリウスは、はっきりと思い出せる。
彼女に対するユリウスの印象は、はっきり言って『最悪』だった。
命の恩人であり、誰より敬愛していたグリューネバルト伯爵。
彼が死んだと聞かされた時、ユリウスは衝撃のあまり倒れそうになった。信じられなかったし、信じたくなかった。
それを信じなければならなかった時、一番最初に感じた感情は怒りだった。
伯爵を殺した犯人に対する怒り。それを阻止できなかった伯爵の側近達への怒り。そして何より、何の力にもなって差し上げる事のできなかった自分自身への怒り。
伯爵は私の命を助けてくださったのに。なのに、自分は伯爵様が殺されるのを助ける事ができなかった!
そう考えると、まるで心臓が焼かれるように苦しかった。
その感情が引いていくと、悲しみと絶望感が襲って来た。
その感情と闘う為に、グリューネバルト領へ向かったのだ。
伯爵は死んでなんかいない。重傷を負ったのかもしれないが、それでもきっと生きておられる。そう信じたかった。
グリューネバルト領へ行く事は周囲に大反対された。
黒蝶団事件で忙しく、猫の手も借りたい状況で、何日も王都を離れるとは何事か!というわけだ。
フリードリヒも反対こそしなかったが、良い顔はしなかった。
それでも、その反対を押し切りユリウスは、ヴェル、マクス、アレク達とグリューネバルト領へ向かったのである。
悲しみに沈む街を見た時、伯爵はもうこの世にはいないのだという現実を認めざるを得なかった。でも、その頃には違う感情も心中に湧き上がって来ていた。
一人、後に残された未亡人。何か、彼女の助けになって差し上げたい。
自分と同じ。いや、それ以上の悲しみに打ちのめされているであろう彼女の力になって差し上げたかった。
ところがだ。
対面した伯爵夫人は、何の感情も感じとる事のできない人形のような人だった。
何も、ハンカチをふり絞りながら泣き崩れろとは言わないが、それにしても目の前のこの女性は、ぼーっと座っているだけで『悲しい』とか『辛い』とか『淋しい』などの感情を微塵も感じないのである。
ユリウスが悔やみの言葉を言っても、返って来たのは「はあ」という言葉のみだった。
何なのだ、この女は!
ユリウスは怒りに燃えた。仮にも愛し愛された、最愛の夫が死んだのにこの反応は何なのだ⁉︎コレが、あの伯爵様が選んだ女性なのか!
用意された部屋へ移動した時。
ユリウスは怒り狂って叫び声をあげる。なんて真似はしなかった。それより早く、アレクが叫び出したからである。
「いったい、何だ、あの女はーーっ!アレが夫を亡くしたばかりの妻の態度か!他に言う事はないのかっ⁉︎何が『はあ』だ。礼儀というものを知らんのか⁉︎何で涙の一滴も流していないんだ!何が・・・。」
「やめろ、アレク。外に聞こえる。」
「聞こえるように言っとんじゃーーーっ!」
アレクは口から火を吹かんばかりの勢いで、マクスを怒鳴りつけた。それを見てヴェルが鼻で笑う。
「別に悲しいと思っていないんだろう。もらえるはずの遺産の事で頭がいっぱいなんじゃないの。」
フェミニストのヴェルがこれだけ女性に辛辣な事を言うのは珍しい。ははは、と笑いながら更に言葉を続ける。
「アレが、グリューネバルト伯爵の選んだ女ね。偉大な領主にも女を見る目はなかったって事か。」
「グリューネバルト伯爵の悪口はやめろ。」
マクスがヴェルを睨みつける。しかし「伯爵夫人の悪口はやめろ」とは、さすがのマクスも言わなかった。
四人は翌日にはさっさと王都へ帰る事にした。
アレクの金切り声が聞こえていたからだろう。グリューネバルト領の人達も誰も四人を引き留めなかった。
来るのではなかった!
という怒りを胸に、ユーリはベッドに横になったが、いつまで経っても眠る事ができなかった。
何度も何度も、寝返りを打っているうちにユーリは思った。伯爵の墓参りがしたい。と。
昼間も墓の前まで行ったのだが、あまりの人の多さに墓石を見る事さえできなかった。
しかしこの時間なら、墓場へ行く物好きなど他にいないだろう。ゆっくりと亡き伯爵を悼む事ができるはず。
ユーリは服を着替え、霊園へ向かう事にした。起き上がってごそごそしていたら、他の三人に声をかけられた。四人で同じ部屋を使っていたからだ。他の三人も眠る事ができずにいたらしい。結局、四人全員で霊園へ行く事になった。
四人で行くという事になった時。実はユーリは心の中で少しほっとしていた。
自分で行くと決めたのだが、それでもやはり真夜中の霊園は不気味だなあ、と思っていたのである。
雨もあがった月明かり。不気味さに耐えて霊園を歩いていると、何やら女性の泣き声が聞こえてきた。
四人は顔を見合わせた。
これが、声を押し殺した女性のすすり泣きだったなら、あまりの不気味さにUターンして館へ戻っただろう。
しかし、その泣き声は「うっうっ」とか「しくしく」という擬音よりも、「うっぎゃーっ!」という擬音がよく似合う、すごい勢いの泣き方だったのである。
幽霊というものを見た事が無いのでよくわからないが、たぶん幽霊というものは、こんな色気とか情緒とかの無い泣き方はしないものだろう。少なくとも、昔話に出てくる幽霊はそうである。
四人は泣き声の方に歩き出した。その方向が目的地でもあったからだ。
そして。
四人は、亡き伯爵の墓に突っ伏して泣く、喪服姿の少女を発見した。
「あれって、まさか・・・。」
マクスがつぶやいた。だがヴェルが首を横に振る。
「いや、違うだろう。伯爵夫人などという高貴な方は、普通一人で出歩いたりしないし、普通夜中に墓場に来ないし、普通もうちょっと可愛らしい泣き方を・・・。」
マクスは一言も、伯爵夫人なのではないか?とは言っていないだろうが!と、ユーリは心の中で突っ込んだ。
「・・わ・私、また一人ぼっちになってしまった・・・。」
少女は泣きながら叫んでいた。
「・・・伯爵夫人だな。」
とアレクがつぶやいた。
フロルが『お父さん』と呼んでいた辺りは、ユーリ達は聞いていません。
聞いたのは『一人ぼっちになってしまった』の辺りからです。




