新緑騎士団・団舎にて(2)
・・話はフリードリヒが想像していた通りの方向に流れて行っている。
こんな高価な馬を四人が素直に受け取るわけがない。
いや、たとえこの馬が銀貨一枚の価値しかない駄馬だったとしても、四人は受け取らなかっただろう。
御礼が欲しくて、親切にしたわけではないからだ。
見返りを期待しての行為だったと、思われるだけでも屈辱だろう。
それをわかっていながら、フリードリヒはフロルに馬を買う事を勧めた。あの四人は御礼なんか期待していないよ。とは言わなかった。
『グリューネバルト伯爵夫人が新緑騎士団に馬を贈った』という事が、フリードリヒの政敵であるローゼンリール侯爵夫人に対して強力な意味を持つ事をわかっていたからである。
この馬を叩き返せば、人は新緑騎士団とグリューネバルト家との間に亀裂が入ったとみなすだろう。そうなるとローゼンリール一派は必ず増長する。それはまずい。
強い影響力と莫大な財力を持つグリューネバルト家を敵に回すわけにはいかないのだ。
そこには政治的な打算があった。その為に今、四人には屈辱を忍んでもらわないといかんのだ。
フリードリヒが、口を出そうとするより早く、馬商人が口を開いた。
「この馬は別に高くありませんぞ。」
しらじらしい嘘をつく馬商人に、皆の白い視線が突き刺さる。
それにもかまわず、馬商人は続けた。
「伯爵夫人がそう言われました。友人の命を助けてもらえてとても嬉しかった。自分がどれだけ感謝しているか、その気持ちが伝わるのなら、命の恩人に喜んでもらえたなら、この馬がたとえ金貨一億枚したとしても、自分は高いとは思わないと。」
「・・・・。」
「そして、こうも言われました。人は死んだら決して生き返らない。世界中の富をかき集めても生き返らないのだ、と。」
「・・・・。」
「伯爵夫人のお気持ちは、こんな馬如きでは伝わらなかったですか?」
空間は静寂に包まれた。誰もが口を開けずにいる。
その静けさを破ったのは
「よしっ。」
という明るい声だった。
「その馬もらおう。」
「ヴェル!」
「だって、本当の事だろう。俺達がリーリアの命を助けたのも、都まで送り届けたのも、人違いじゃなくて俺達だ。なら、ありがたくもらっとこう。どの馬にしようかなー。」
「こら待て!」
アレクが大声を出す。
「リーリア嬢を助けると決断したのはユーリだ。ならば一番最初に選ぶ権利はユーリにある。ほら、ユーリ。選べ。」
「・・・え。」
まだ、もらうと決めていないのに、もうもらう方向にすっかり話が流れている。何か異議を申し立てたいが、口下手なので上手く言葉が出てこない。
「どの馬にする?」
と言われても、この四頭の良し悪しや違いがよくわからない。
馬を見る目に関しては、ずば抜けているはずのユーリでも悩むほど、甲乙つけ難い四頭なのだ。
と言っても、四頭がそっくりというわけではない。牡馬もいれば牝馬もいる。それぞれに長所も欠点もある。しかし、どの馬にも些細な欠点を補って余りある長所があり、実に見事な四頭なのだ。
その場にいる全員の視線がユーリに集中し、ユーリは落ち着かなかった。もう「いりません」と言える状況ではなかった。
言ったら、不敬罪扱いになるだろう。
命の価値を認識していない、強情者の烙印を押されるだろう。
四頭の馬達までユーリの事をジッと見ている。
前脚で、地面をトントンと叩いている馬。人が多いのが面白いのか、キョロキョロと周りを見回す馬。どことなく、ぼーっとした雰囲気のおとなしい馬。そして、もう一頭。その馬は、静かな瞳でユーリをじっと見つめていた。他の三頭の目が栗色なのにたいして、その一頭の目は黒かった。その目に太陽の光が当たると、青みがかった紺色に変わる。その色は、亡きグリューネバルト伯爵の瞳の色を思い起こさせた。
その馬は、他に視線を移す事なく、ずっとじっとユリウスを見ている。
ユーリはほとんど無意識のうちに、その馬の手綱をとっていた。
「その馬にするのか?」
とアレクに聞かれ、ユーリは、はっとした。
しかし「まだ、迷い中」と言える雰囲気ではない。
そして、迷っていても結論が出そうにない。
ユーリはうなずいた。
「わかった。」
とアレクは言ってヴェルギールとマクシミリアンの方を振り返った。いつの間にやら、手に三本くじを持っている。
「じゃ、誰から選ぶかくじを引いて決めよう。」
その言葉が呼び水になったかのように、その場は歓声に包まれた。
「何、何、どういう事?友達を助けたって何?」
「リーリアって誰?どういういきさつで助ける事になったんだ?」
「というか、羨まし過ぎる。どういう助け方をしたら、馬がもらえるんだよ。いったい何があったんだ⁉︎」
「だいたい、そんな話一言もしていなかったじゃないか。なんでだよ?」
「いや、それはちょっと今ここでは・・・。」
マクシミリアンが口ごもる。が、みんな引き下がらない。理由を知るまで誰一人として諦めないだろう。とにかく、すごい騒ぎである。
その騒ぎを満足そうに、そして面白そうに馬商人が見ている。ふと、馬商人は、その場に見た事がある人間がいるのに気がついた。
「あんた達は、さっき伯爵夫人と一緒にいた・・・。」
そう言って、フリードリヒとジゼルをじろじろと見た。その声を団員達は聞き逃さなかった。
「えっ⁉︎殿下方、伯爵夫人とご一緒に?」
「殿下が、伯爵夫人に馬を買えって言ったんですか?」
「伯爵夫人って、どんな人なんですか?」
『殿下』という尊称に、馬商人は「えっ!」と叫んで蒼ざめた。
騒ぎは大きくなるばかりで、どんどんと収拾がつかなくなってきた。
団舎の周辺の住人まで、何事かと集まって来だしていた。
この一件はおそらく、あっという間に都中に広がるだろう。それを聞いた時、ローゼンリール侯爵夫人がどういう顔をするか?フリードリヒは楽しみだった。




