面白い作家
続いてフロルは、ローゼンリール夫人の元を訪れた。
侯爵夫人は王宮のど真ん中の宮殿に住んでいた。本来、国王や王妃が暮らす宮殿である。この事からも、この愛人が宮廷内で巨大な権力を持っている事がよくわかる。
東の離宮の離宮から、中央の宮殿は遠かった。国民の血税でこんなバカでかい宮殿を造っている事に、つい数ヶ月前まで貧しい一平民であったフロルはむかついた。
そして思う。
今のこの気持ちを決して忘れまい。
これからどんな贅沢に触れる機会があっても、絶対それを当たり前だとは思わないぞ!
ただ、これだけ広いと、あの王太子妃になる女性は嬉しいだろうな。お姑さんとあんまり顔を合わせなくてすむもんな。
生まれて初めて入った中央宮殿はケバい所だった。この場合のケバいとは、美しいという意味とは全く違う意味である。
まずどこもかしこも、キラキラしていてピカピカでチカチカでギラギラなのだ。
壁も床も天井も、金やら銀やら螺鈿やら宝石やらでギラギラに装飾され、右を向けば東の方の国の焼き物があり、左を向けば丸々一本象牙があって、向こう側には不細工なおっさんの肖像画がある、という具合に統一感無く金だけは使われている。
さっきの離宮の様にまとまりすぎているのも何だが、こういうのもなあ。
フロル達は女官に案内されて、何個も椅子の置いてある部屋へとたどり着いた。そこで女官はふんぞりかえって
「こちらでおかけになって、お待ちください。侯爵夫人はたいそうお忙しい身なのです。お手がお空きになられたらお呼びしますので。」
と言った。
フロルはうなずいて、窓の側の椅子に座った。部屋の中には先客がいて、一人は30代くらいの女性、もう一人は60代くらいの男性だった。女性はイライラとした表情で、ハンカチを握りしめたり、たたんだり、額の汗を拭いたりしている。男性の方はうたた寝をしていた。この人達の後という事になるだろうから、かなり待たされそうだ。
「フロル様。本でもお読みになりませんか?」
ウィンクラー夫人が声をかけてきた。
「どーせ、待たされるに違いないと思っていましたからね。暇つぶしができるよう、本を持ってきていたのです。」
素晴らしい先見の明である。フロルは嬉しかった。
「どうぞ。とても面白い作家なのです。」
「どんなジャンルなんですか?」
「恋愛物ですわ。『愛のギャラクシー』という題でしてね。男と女が出会って、恋に落ちて、ケンカして仲直りして、もう一回ケンカして結婚するという、百万作くらい類似品がありそうな、実に王道な話です。この話を書いた作家は、腐ったリンゴの臭いを嗅ぎながら仕事をすると、ふつふつとインスピレーションがわいてきたそうで、いつも机の引き出しに腐ったリンゴを入れていたんですって。そのせいで、書斎に忍びこんできた熱狂的なファンが、あまりの悪臭に部屋の中で失神したらしいんです。面白いでしょ。」
「・・・面白いのは内容じゃあないんですね。」
すでにオチまでわかっている、手に持っているだけで腐ったリンゴの臭いが漂ってきそうな本など、正直あまり読みたくなかったが、他に時間を潰す手だてもないので仕方なくフロルは本を読みだした。
が。
意外にも本は面白かった。
成金の一人娘と没落貴族の息子が、周囲のお膳立てで結婚する事になるが、出会った日から男の方は何者かに命を狙われるようになる。
最初は、頭上から物が落ちてきたり、贈り物のワインに毒が入っていたりと、まあまとも(?)なのだが、そのうち怪しげな人形を使って呪詛をされたり、部屋に乱入してきた暴走イノシシに踏まれたりする。
そういう事が繰り返される度に、嫌々婚約していた二人の愛が深まっていくのだが、いやはやそれにしてもなんとギャラクシーな。
クライマックスは結婚式なのだが、お互いに愛を誓い合う二人の上にシャンデリアが落ちてくる。花嫁をかばってひっくり転げ、足を捻挫した花婿の背中を踏み付け、花嫁は天井裏へ駆け上る。逃げようとする犯人に「待たんかい、われぇっ!」などと叫びつつ、花嫁は後方上段開脚蹴りをくらわして、うつ伏せに倒れた犯人の首を引っつかんで上を向かせて
「あっ・・・あなたは!」
と、花嫁が叫んだところで
「グリューネバルト伯爵夫人、どうぞ中へ。」
と声をかけられた。
つ・・続きが気になる!
ローゼンリール侯爵夫人という人の事を、絶対に好きになれないとフロルは思った。人の事を1時間以上待たせておいて、何もこのタイミングで呼びに来る事はないだろう。逆恨みとわかってはいるが、人はひじょーにくだらない事で人が憎める生き物なのである。
フロルは渋々本を閉じて立ち上がり、案内されるままに侯爵夫人のいる部屋に入った。




