新緑騎士団のデイム
でもって次の日。
フロルはウィンクラー夫婦と一緒に馬車で王宮へ向かった。正直言って。フロル一人で王宮に行くのなら、馬車など乗らずとも徒歩で充分である。なにせ王宮は、グリューネバルト邸の隣の隣にあるのだ。しかし館が大きいので隣の隣とはいえ、まあまあの距離がある。若いフロルには苦にはならないが、同行してくれる年長者に無理はさせられない。
王宮内の庭の途中まで馬車で行き、そこからは徒歩となった。川の水を各所に利用した庭はこのうえもなく美しく、つい足を止めて見とれてしまうが、グリューネバルト家の館の例から考えると、王宮の中には一万点くらい動物の剥製やグロい絵やエロい絵があるかもしれない。この美しい庭に騙されていては絶対にいけない。
未来の王太子妃様とやらが住んでいるのは、東の離宮のそのまた離宮という所だった。『東の離宮』と言っても、グリューネバルト家の館くらいの大きさがある。その離宮の離宮というのも、なかなか立派な物だった。
王太子の結婚式は来年の夏という事だが、ジゼル様とやらはすでにここに住んでいて、お妃教育をずっと受けているのだそうだ。
「どうせ、お妃教育なんてちょっと受けているだけで、ブライダルエステをしまくってるんですよ。」
と、ウィンクラー夫人は毒づいた。
「年は何歳なんでしょうか?」
フロルがそう聞くと、ウィンクラー氏が答えてくれた。
「たぶん20歳でしょう。新緑騎士団の貴女は20歳で定年ですから。」
「デイム?」
「騎士団のシンボルとなる女性で、独身の美しく賢く気高い女性がなると決まっております。騎士団の皆で、女神のように崇め奉るのです。他の騎士団のデイムと比べて、より美しく、より聡明な方なら騎士団の自慢にもなるわけで。」
「いい剣や、いい馬を持ってたら威張れるのと同じですわ。ようするにキャンギャルですよ。」
「マレーネ、毒づくんじゃない。しかし、ジゼル様の美しさ賢さお優しさは、都随一のものだと聞くぞ。まさに女神の如きお方とか。」
「だから、王太子妃に選ばれたんですね。」
そう言いながらフロルは、離宮の離宮の門をくぐった。
離宮の離宮というのはまた、実に美しい所だった。
壁にかけられたタペストリーや小物に至るまで、実に趣味がいい。怪しげな絵や剥製が無い事にはほっとした。
「さすがジゼル様は一流の趣味人だ。」
ウィンクラー氏は、ひっきりなしに感心しているが、フロルは逆に落ち着かなかった。フロルは趣味人ではない。宝石とガラスの見分けもつかない人間である。とてもとても、こーゆー意識高そうな人と話が合うと思えない。
そのまま美しい廊下を歩く事数百歩。先導する女官に案内されて連れて行かれた部屋がまた美しかった。何というか。童話に出てくる、レースとフリルとリボンの世界なのである。そんな部屋の中央にある、真っ白いテーブルの側に、この部屋の主が座っていた。
「よく来てくれました。伯爵夫人。」
そう言って歩み寄り、フロルの手を優しくとる。
フロルはのけぞった。
これがまあ、見た事もないような、そりゃもう美しい女性だったのだ。
純金をすいたような金色の髪。新雪のように輝く肌。長い睫毛に縁どられた青い青い瞳。
フロル如きの表現力ではその美しさが表現できない!
ただ、もう『すごい美人でした』としか言いようのない、とにかくものすごい美人なのだ。
フロルの幼なじみの、ローザとリーリアの姉妹も美しかったが、レベルが全く違いすぎる。
フロルが普通のスッポンだとしたら、ローザとリーリアはちょっと可愛い小綺麗なスッポン。そして、目の前のこの女性は、天空に輝く美しい満月だ。
「・・・ですわ。」
ジゼルのあまりの美しさにくらくらしていたフロルは、ジゼルが何か言っているのを聞き逃してしまった。ひじょーにまずい!何と言われたのかわからないから答えようがない。
もう一回聞くわけにもいかないし。
フロルの手をとりながら、涙ぐんでいるところを見ると、言ったのは『お悔やみの言葉』か『婚約者の愚痴』のどちらかだろうな。二つに一つの可能性をかけて、適当な返事ができる度胸の良さはフロルには無い。それにしても、美人というものは泣いていても美しいという事にフロルは感心した。フロルの場合、泣いたら水死体のような顔になるというのに。だいたいどうして鼻水が出てこないのだろうか?
先程、フロル達を案内してくれた女官が、ティーセットを持って部屋の中へ入って来た。
ジゼルが「どうぞ。」と言って椅子に座るよう勧めてくれる。
雰囲気が変わった事は嬉しかったが、どうやらティーポットからたちのぼるこの香り。ハーブティーの予感がする。
フロルは『健康茶』の類があまり好きではない。
一度、大学の友人に
「実家から送ってきたお手製のお茶よ。美容と健康にいいの。飲んで。飲んで。」
と、無理矢理飲まされたお茶に激しくあたり、とんでもなくお腹を壊した事があるのである。
普段全くといっていいほどお腹を壊さない人間は、ごく稀にお腹を壊すと、壊しなれている人と違って死ぬ寸前くらいのダメージを受ける。さりげなーく、他のそのお茶を飲んだ友人達に感想を聞いてみたところ、お腹を壊したのはフロル一人だけだったようなので、よっぽどフロルの体質にだけ合わなかったのだろう。あの時の事を思うと、例え王太子妃様が愛飲しているハーブティーでも、この場で飲むのはためらわれる。
だいたいなあ。人に物を出す時は、「何をお飲みになりますか?」と一言聞いてほしいよなあ。自分が好きな物は他人も好き。自分の体に良い物は他の人にも良い。なんて事絶対あるわけないんだから。
「私の手作りのハーブティーです。ぜひ、どうぞ。」
そう言ってジゼル様はお微笑みになる。比べようがなく美しく、限りなく清らかな微笑みだ。「いりません。」と答えた者を、世界最悪の極悪人だと周囲に思わせる微笑みだった。
そしてもちろん。胆力低めの小市民であるフロルに「いりません。」などというセリフが言えるわけがなかった。
フロルは用心しながら、カップに口をつけた。きっとお高いティーカップなんだろうなぁ。そして、どうして。ハーブティーというやつは大体において馬糞の味がするのだろう。いや、馬糞を食べた事なんかないけれど・・・。
鼻をつまんで飲みたいという衝動を、理性の力を総動員して押さえつけ、心の中で涙目になりながらフロルはハーブティーを飲み込んだ。これだけ心の中で葛藤して減った量は一口分だけ。先は長い。
そしたら。
「伯爵夫人、そろそろおいとま致しませんと。ジゼル様はお忙しい身なのですから。」
と、ウィンクラー夫人が声をかけてくれた。これ幸い、とフロルはカップをソーサーに戻し立ち上がった。
「ぜひ、またお越しくださいませ。」
ジゼルがドアの側までフロルを見送ってくれる。
フロルは部屋の外へ出て廊下を歩き出した。だいぶ経って、思わずため息をつきそうになった時。
「ふん。」
と、突然ウィンクラー夫人が鼻で笑った。
「ケツの穴のかゆくなるような女ですこと。」
「おまえはー!」
ウィンクラー氏が顔をしかめる。
「品の無いセリフをフロル様の前で言うんじゃない!」
「はは。」とフロルは乾いた笑いをこぼした。確かにウィンクラー夫人のセリフには品が無い。
しかし、フロルもほぼ同じ気持ちだった。なんか、こう居心地の悪い。落ち着かない気持ちにさせる人だった。まあ、ようするにアレだ。不細工な貧乏人の単なるひがみってやつだ。
悪い人じゃないんだろうけどね。むしろいい人なのだろうけどね。
でも、住む世界が違いすぎて・・・。
「友達にはなれそうにない人でした。」
「なる必要などありませんよ。」
フロルのつぶやきに、ウィンクラー夫人が答えた。
「好きになれない人間を、無理に好きになる必要はありませんわ。私達がフロル様をお支えしたいと思うのは、フロル様の事が好きだからです。権力を持っているというだけの理由で人を好きになるのは、逆に失礼な事ですわ。」
フロルは胸が熱くなった。
この人は、フロルの事をわかってくれる。全てをわかってくれているわけではないだろうけど、フロルの事を理解しようとしてくれる。さっきだってきっと、フロルのハーブティーを飲みたくないオーラに気がついたから、助け船を出してくれたのだ。
「では、次はローゼンリール夫人の所へ参りましょうか」
「はい。」
と返事をしつつ、一瞬フロルは未来の王太子妃の顔を思い出した。
あの人。
新緑騎士団の金髪の人と少し感じが似てたな。
性格の良い人は皆同じ様な人間だが、性格の悪い奴は千差万別だ。と、聞いた事がある。
それと同じで顔面偏差値の低い顔は千差万別だが、美しい人というものはどこか似るものなのかもしれない。
あの男の人、今何をしているのかな?と、ふと思う。
この王都のどこか。もっとはっきり言うなら、新緑騎士団の中に私の兄弟がいる。
早く会いたい。その気持ちが胸の中で強くなった。
きっと会える。きっと大丈夫。頼りになる人達が側にいてくれるから。




