助けてください
翌日。
雨のあがった空は眩いほどに青かった。空気も澄んでいて、言葉にできないほどのさわやかさだ。
「さわやかだなー。」
「あんたの顔とは大違いね。」
「う・・うるさい。」
フロルは顔を押さえた。リーリアの発言は全面的に正しい。昨日の夜、何時間も泣き続けたせいで、今フロルの顔は水死体のようになっているのである。
さすがに、あまりにもみっともない顔をしているので、ものすごく目の細かいレースを三枚重ねにしたヴェールを顔の前に垂らしている。そのおかげで、フロルの顔は周囲から一切見えないが、フロル自身も周囲の様子が見えやしない。ぎゃっ!
「ちょっと・・フロル、何、柱にぶつかってるの⁉︎」
「えっ!こんな所に柱が⁉︎」
二人がいるのは、食糧庫のすぐ外の中庭である。王都へ帰るリーリアを送る為、フロルはリーリアと一緒に秘密の通路を通って食糧庫へ行き、そこから外へ出たのだった。
「確か、こっちの道に厩舎があって、その横の扉から外に出られたはず・・・。」
この城の女主人であるフロルより、リーリアの方が城の内部に詳しい。なぜだろう?
人の話し声が近づいてきて、二人は茂みに身を隠した。どうやら、城に食糧品を運んでいる商人のようである。
「・・・・というわけで、どこの関所も通行証の無い人間を厳しく取り締まっているらしい。弱ったなぁ。明後日までに残りの品をラングーンまで運ばないと、罰金を取られちまうよ。」
「通行証がありゃ、すぐ通れるんだろう?」
「それをとるのが長蛇の列なのさ。司法省の人間が厳しくチェックしているからな。いっそ、通行証を持たずに通った方が早いかも。連中が探しているのは若い女だからな。うちの船には男しか乗ってないし。」
「しかし、怖いねえ。親に男との付き合いを反対されたからって、男と駆け落ちするのに、店の金を盗んだ挙句、親の経営する宿屋に火をつけるなんて。」
「しかも、その宿屋には毛織物組合のお偉いさんや、マリーンシェルド伯爵のお使いの奴が泊まってたんだってさ。10人以上の死人を出したんだ。伯爵家のプライドにかけても、逃亡中の犯人を見つけなきゃな。まあ、すぐに見つかるだろうけど。関所中に宿屋組合の奴らもいて、犯人の小娘を探しているんだから。組合長は、グリューネバルトの観光業の根幹を揺るがす許せない事件だと鼻息を荒くしている。自分は、宿屋組合に所属している宿屋の家族の顔は皆知っている。必ず見つけてみせると言っているらしいぜ。」
・・・これはまずい。すんっごくまずい!
大変な事になってしまった。
司法省の人間が人海戦術で、放火魔の女の子を探しているとなると、その過程でリーリアまで見つかってしまいかもしれない。いや、絶対見つかる。
しかも、宿屋組合の組合長とフェリックス家の人達はちょー仲が悪かったのだ。
組合長の一人息子がローザにのぼせ上がっていて、それを良い事にローザは高価な品物をさんざん男に貢がせていたのだ。自分のお小遣いが無くなってしまうと、男は家の売上金を盗んでまでローザにプレゼントを貢いでいた。もちろん、そんな事をしていて親にバレないはずもなく、組合長はフェリックス家に怒鳴り込んできた。それに対してフェリックス夫人は
「くれるというから、ローザちゃんは貰っていただけですわ。それなのに泥棒呼ばわりするなんて、こちらこそ名誉毀損でそちらを訴えますよ!だいたいこれは、あなたとあなたの息子の間の問題でしょ‼︎」
と、逆に怒鳴り返した。というわけで、宿屋組合の組合長はフェリックス一家の事を深く、そりゃもう深く恨んでいる。ゆえにリーリアを見つけたら何のためらいもなく「犯罪者がここにもう一人。」と言って、司法省に突き出すだろう。
どうしよう・・・。ああ、本当にどうしたら。私がもう一日ここへ居ろと言ったばっかりに!
二人はそろそろとカニ歩きをしながら中庭を離れた。
茂みを抜けて厩舎の近くへ行くと、馬のいななきが聞こえてきた。
見ると馬を連れた四人の人影がある。オリーブの葉の柄を縫い込んだ純白のマント。新緑騎士団だ。昨日とはうって変わって美しいマントを着ているところを見ると、誰かが洗濯してあげたのだろうな。昨日は何色なのか全然わからなかった四人の髪の色も、金、赤、黒、そして栗色なのが見てとれる。
この人達にお願いしてみよう!
と、フロルは思った。
道理に合わぬ事は納得できぬと、最高権力にも楯突いた若者達だ。きちんと事情を話せば、リーリアを守ってくれるかもしれない。
フロルはリーリアの手を引いて茂みから飛び出した。
「お願いです。助けてください!」
四人の若者が振り返る。『伯爵夫人』が、茂みから出てきた事に明らかにびびっていた。
しかし、フロルも驚きのあまり、一瞬声を失っていた。一番手前にいた金色の髪の青年が、フロルの今までの17年の人生で、一度も見た事がないほどの美青年だったのである。
白磁のような肌に、彫刻のように深い彫り。鼻の線もあごの線もすっきりとして、完全な調和を保って美しい。透き通るような白目の奥の青い瞳は、晴れた春の海の青さを思わせるほど清涼で、こんな美しい色の瞳をフロルは一度も見た事が無かった。
さらに、光が浮かび上がるかのように艶のある髪に、男性の見本とも言えるような非の打ち所がないスタイルをしていて、もう頭のてっぺんから足の先まで、何一つとして欠点が無かった。
ああ、そういえば新緑騎士団って美形揃いだといううわさだったっけ。それにしても、これはすごい。役者なんて目じゃないほどの人気だというのも納得だ。都会って、すごいなあ。
とか、考えている場合ではない!
「お願い。リーリアを助けてください。役人や、宿屋組合の人に見つかったら死刑にされてしまうの!」
この言い方はまずかった。
四人の青年達は、明らかに引いたのである。もしかしたらリーリアの事を、例の放火魔と思ったのかもしれない。早く誤解を解かなくては。
「あれ?こんな所で何をしているんですか?」
突然、後ろから声がした。振り返ると、何と!ウィンクラー夫妻が立っていたのである。
まずい。思いっきりまずい!ウィンクラー夫人は、リーリアと面識があるのだ。絶対にばれる・・・。
リーリアは、頭に被っていたフードをさらに深く被り、フロルの後ろに身を隠した。緊張と恐怖で、フロルは足がガタガタと震えてきた。
その人は誰?と、聞かれたら一巻の終わりだ。いや、この騎士団の人達が「怪しい女がそこにいます。」と言うかもしれない。
ああ、私が昨日リーリアを引き止めたりなんかしなければ。




