過去の氷
「暑いなぁ」
「夏はこれからだよ紳助」
美術館の静寂から解放された途端に忙しなく鳴く蝉たちの声が僕らを襲った。陽はとうに西に傾き始めており、僕らに時間の経過を伝える。それに気づいたようにお腹が空腹を知らせる。そういえばかれこれずっと昼飯を食べていなかったな。
美術館て案外時間を忘れるほどに夢中になれる場所なんだと実感した。そういえばみんなは佐野先生のあのことについて何か知っているのだろうか。
「ねえ、みんなで何処かファミレスでも寄りましょうか」
水宮さんの発言により近くのファミレスで遅めの昼食を取ることになった。先の質問はそこでするか。
無防備な僕らの肌をジリジリと焦がすように太陽はこれでもかというほどの光を放ち、僕らの影を繋いでいた。
◻︎ ◻︎ ◻︎
水宮さんの案内で到達したファミレスに入ると先ほどとは打って変わって冷房の風があたり、溶け出していた体が引き締まるような感覚を覚えた。
「みんな何にする?」
テーブルで大きめのメニューを開き、それぞれで頼みたいものを考えている。
店員さんの案内で4人用のテーブル席へと案内された。僕が紳助の隣で月の隣が水宮さんとなっている。目の前には月がいる形だ。
「俺は唐揚げ定食だな」
「私はオムライス!」
「僕は日替わりランチ」
「私も涼原くんと同じよ」
みんな注文が決まったようで店員さんを呼び、注文を伝えた。
「んじゃ俺らで水取ってくるわ」
「はいよ」
紳助に呼ばれ席を立ち、少し遠めのウォーターサーバーのところへと足を運ぶ。
「なあ地遥、最後に見てた絵すんごい長く見てたけどそんなによかったの?」
「芸術とかはわかんないけど見たことあるような景色だったんだ。デジャヴってやつかな?」
「へー俺はてっきり入江さんと隣にいたいからだと思ったけど?」
急な発言に思わず紳助の方を見ると口角を上げてニヤニヤとした顔があった。僕は無造作に紳助の腹部目掛けて肘打ちをかます。
「イッッ何すんだよぉ」
「腹立つ顔してたから、しゃあない」
痛そうに腹を押さえる紳助だが実のところ痛くはないはずだ。
僕が手加減したというのもあるだろうが、僕が腹部に肘打ちをした時に、部活などで鍛えられたのであろう腹筋が僕の肘から伝わるほどに硬かったためだ。
やはり帰宅部とは比べ物にならないな。
「紳助、佐野先生って実は画家だったりする?」
水を注いでいる紳助にふと先程聞こうと思っていた質問を思い出し、そのまま紳助に問うた。
「はあ?佐野先生は国語教師だろ?んなことするかよ。あいつの性格上、副業?とかしないのは予想つくだろ」
案外知っていたりするのかなと考えていたため、少し驚く。じゃああれはなんだったんだ?僕の顔から何か察したのか紳助が言葉を付け加える。
「そういや女子とかは先生の話とか聞いてるイメージあるし、知ってるんじゃないか?」
そう言って注ぎ終わった2つの水を僕にわたし、席へと戻って行った。
確かに女子2人なら何か知ってるのかも。
一応ダメ元で聞いてみるか。
そう結論づけ紳助の影を追う。
──カラン
氷がテーブルに置いた衝撃で廻り小さく音を響かせた。
「ありがとう2人とも」
「右に同じくー」
感謝を伝えてくれる2人を横目に席に座る。
2人はさっき見た美術館の展示物のことで盛り上がっていたようだ。月に至っては水を注ぐときに低い仕切りの上からでも手が見えるほどにダイナミックに表現していた。
よし、聞くか。
「ねえ2人とも」
2人とも、ん?何?とこちらに視線をよこす。
紳助はメニュー裏の間違い探しをしているようだ。気にしないでおこう。
「佐野先生って芸術関係のことしてたりする?」
唐突な質問にへ?とポカンと口を開けているような顔をする2人を見て自然と笑みが浮かぶ。やはり知らないのだろうか。
「あーどうだったかなー」
「んー、、、私が一時期来ないときがあったじゃない?つい最近だけど。そのときに先生がお見舞いに来てくれてそのときに話してくれた話なら知ってる」
月は記憶を手繰り寄せようとしているが、水宮さんはそのことについて何か知っているようだ。
水宮さんは結露で水が少し滴っているガラス製のコップを手に取り、中の水と氷を廻しながら話し始めた。その視線は氷へと向いている。
「熱で記憶が曖昧でさ。もしかしたらあやふやになってるかも」
水宮さん曰く先生は寝ている水宮さんに椅子に座りながらこう語ったらしい。
佐野先生は中学3年に進級したばかりに兄をなくしたらしい。兄はその1ヶ月前に病気で大きな病院に入院し、そして亡くなったらしい。その兄は先生よりも成績が良く、特に異常なほどの絵の才能があったそうだ。寝たきりの状態でも絵は趣味として描いていたらしい。それまで、良く遊びに出かけたり、相談を受けてくれたり勉強を教えてくれたりととても大好きだったそうだ。しかし、急にいなくなったことで喪失感や何故自分ではなく優秀な兄がなくなったのかという罪悪感に苛まれたらしい。
兄がなくなってからのある日、美術の授業中に風景画を描くことになり、兄の好きだったある地元の河をその題材にしたそうだ。そして、今まではそこそこだった絵の上手さが異常なほどに上手になっていたらしい、それも兄ほどに。そしてまた先生は俺が兄さんの才能を奪ってしまったのかと葛藤の日々にあったらしい。
しかし、そんなときに親友の一人がこう言ってくれたそうだ。
「お前が才能を奪ったって考えるんじゃなくてお前の兄さんの置き土産だと思って誇りを持て。なんなら有効活用しろ。そうじゃないと残していったお前の兄ちゃんが不憫で仕方がない。お前に兄の分まで生きろとは言わん。それでもお前の兄ちゃんが残してくれたもので悩むな。お前は今、兄ちゃんのお守りを携えてんだよ」と。
それで立ち直った先生は夢であった教師の片手間として画家として自分の好きなように活動しているらしい。
それらを言い終わった頃には水宮さんの手の中にある水の氷は心なしか少し小さくなっていた。
「なんでこんな話を私にしたんだろうね。しかも病気のときに」
「んー先生なりの励まし、、とか、?」
確かに何故先生はそんな話を水宮さんにしたのだろう。というか紳助は未だに間違い探しをしている。そんなに難しいのだろうか。
まあ何はともあれ疑問は消え去ったことには変わりないし、解決ってことでいいかな。
「ま、いつか話してくれると思うよ」
随分と話し込んだようにも感じたが、実際には10分も話していない。まだ料理は運ばれていないがもうそろそろくるだろう。
夏休み開始0日目夏の人工的な涼しさを浴びながら他愛もない話をみんなでテーブルを囲み話す。いつしかの氷はもう既に溶けていた。




