第14話 闇夜の逢瀬
紗良は庭園にきていた。
夜空、いやもう夜明けに近い東雲色――の空を遠くに見渡す。
葵が張った結界は、今も強固に空を築いている。
きっとこれからも、ここのみんなを助け続けるだろう。
誰もいない、静まり返った庭園をじっくりと見て回る。落ちてきた落石で荒れた庭園は未だ修復の作業中だ。落ちている石で散った花と植物を寂しく見つめた。
吹き込む冷たい風は心地よく、ほんのりと城下へ続く薄い桃色に光る道をじっと眺めるら、
――それは、いつか家族でみた光景だ。
父親に釣りに連れて行ってもらったこと、母親が肩にブランケットをかけてくれたこと、弟が寒い、といって肩を寄せ合って笑ったこと。
鼻の奥をつんざくものが通っていく。
孤独の檻へ放り込まれ、このまま闇雲に時が過ぎ去ってしまう事の恐怖が紗良を襲う。
こちらへきてから、さんざんな目にあった。
もちろん、反するようにいいこともあったが――
ただ、純粋に思う。
――本当に、もう戻れないのだろうか。
遠くに聞こえる朝もやと野鳥の鳴き声は、紗良の心を苦くかき乱した。
その中でひとつ、年頃の男の子の声が聞こえてくる。
ああ、あの声は、とても似ている。まるで、まるで――
「祐樹……」
賑やかでうるさかった、一番身近な弟のことを思い出す。
ねえちゃん、といつも絡んできた弟。
笑った顔がよく似ているね、と笑われたこともあるっけ。
今、私がいなくて、何をどう思っているのだろうか。
心配、してくれているだろうか。
元気、だろうか――――。
あたたかなリビング、テレビを見て笑いあう両親の姿。
いつもの食事、学校、街並み。
いつか、戻れる時がくるのだろうか。
魔力がたまる数十年後という長い時を、自分は待てるのだろうか。
そして時が満ちたら、本当に帰してくれるのだろうか。
――いつか戻った時、そこに、自分の居場所はあるのだろうか。
「ユウキ、って何」
背後からの低い声に紗良は驚いた。
振り返ると、レオが紗良の後ろに立っていた。いつの間にいたのか、気づかなかった。
「ユウキって?人なのか」
静かなのに昏く重く張り詰めた声。紗良はさらに数歩の距離を詰め寄られた。
不穏な雰囲気に紗良は慌てて答えた。
「そうよ、ユウキは弟の名前なの。家族のことを少しだけ思い出しちゃって」
ケンカをした日、お互いにケーキを分け合った日、一緒にゲームをクリアした日……。
ああ、だめだ。湧き上がってくる思い出。
涙と共にたくさん溢れかえってくる。
そう、こんなことでいちいち泣いていたらダメだ。
今後、ずっとこの気持ちが続くのだから。
「二つ下でね、とっても元気な子なの。……まあ、たまに生意気なこともいうけど」
笑いたい、けれども笑えない。
暖かな声と家族が待つ、あの場所がまだ恋しい。
二度と、会えないのだろうか。
――本当に?
自分は望まれていないのに引き込まれ、なぜずっとここに留まっているのだろうか。
疑問の回答は――いまだない。
「ところで、レオ。どうしていつも会うのかしら?」
話題を変えようとして、笑顔がぎこちなっているのが自分でもわかる。
「朝に訓練をしようと思っていたら、偶然姿がみえてな。ついでに」
「ついでに?」
「……いや、ただ……紗良に会いたくて」
そういわれるとは全く思わず、紗良はレオを見つめた。
なんで、と問いたい気持ちもあった。
けれど、理由を知るのが怖くて質問を回避する。
どういった意味での回答でも、今は知りたくないし、聞きたくなかった。
胸中や脳内で、様々な感情が黒く暴れだす。
「泣いていた理由は家族か?帰りたくて?」
「……そんなところ」
見られたくなくて顔を伏せたが、顎に指を添えられ、上を向かされる。
レオの指は紗良の頬に手を当て、涙を拭う。
その深紅の瞳のその奥に、何かが燃えるような感覚が走り、紗良は一瞬目を奪われた。
「……帰りたい?」
再度問われる。
声音は優しい、というよりもどこか悲痛なものを帯びているように聞こえる。
そのまま指が首元に滑り落ち、紗良の心の奥の気持ちが再び揺れ動く。
戻りたい、と思う反面。
戻りたくない、と思う気持ちが湧き上がる。
でも何も、いえない。
「帰りたい、と思うのは仕方ないと……俺も思う。だが――」
一瞬、息が止まったのち、紗良は我に返った。
肩に手を置かれ、その手に視線を落とす。
「帰りたくなくなるよう、力を尽くそう。だから、泣くな」
引き込まれて優しく抱きしめられた。
「……ありがとう、やっぱりレオって優しいね」
そう返すと冷たい風に、背中や頬に暖かな感触が伝う。
「俺のエゴが優しいというなら、お前こそ優しいんだがな」
包む腕に力がこめられる。
「…………」
こうも優しいと、勘違いをしそうになってしまう。
そのまま伝わる熱は、胸の鼓動をかき乱すには十分だ。
少し前から、なんとなく気づいてはいたが、抑えていた。
知っていたが、見て見ぬふりをしていた。
気づかぬふりをしていた。
――この人を好きにならないように、と。
自分で距離を保っていたのは、想いが募らないようにするための、いわば自分へのけん制。
――私じゃ、絶対に釣り合わない。
これ以上好きになったら自分が辛いだけだ。
そう考えるとただただ苦しい。
紗良は目覚めかけた気持ちを奥深く深くに、静かに沈めた。