特撮青春録・夢枕に立った昆虫怪獣
皆さんの大好きな特撮映画や特撮ヒーロー番組に登場する怪獣達のスーツは、映画やテレビの撮影が終わった後は何処へ行くと思いますか?
この丸川プロダクションの片隅に設けられた衣装倉庫には、テレビや映画で活躍した怪獣達のスーツが沢山保管されています。
スタッフの誰かが言い始めたのでしょう。
何時しか衣装倉庫は、「怪獣倉庫」と呼ばれるようになったのです。
この怪獣倉庫に送られた怪獣達は、新しい役目を貰うまで静かに眠りについているのです。
新しい役目と一口に言っても、その内容は本当に様々です。
映画や特番の敵役である怪獣軍団として再びカメラの前に立つ場合もあれば、全国各地のデパートや遊園地で開催されるヒーローショーや展示会の為に地方巡業をする場合もあるでしょう。
そして時と場合によっては、美術スタッフさん達によって補修改造され、全く新しい怪獣に生まれ変わって再び私達の前に現れる事もあるでしょうね。
ある日の事、この怪獣倉庫に二人の人間が足を踏み入れたのです。
一人は映画青年の面影を色濃く残した細身の男性で、もう一人は芸術家気質のガッチリした壮年の男性。
彼等は丸川プロダクションの誇る優秀な特撮スタッフで、今までに様々な映画やテレビ番組でその優れた力を発揮してきたのでした。
「すみません、有田さん…有田さんの造形して下さった怪獣を、改造する事になってしまって…オマケに、『アルティメットエリア』の造形でお忙しいというのに…」
倉庫に入った二人のうち、年若くて細身の方の男性が恐縮した面持ちで頭を下げたのでした。
彼の名は成相寺真雄監督と言って、丸川プロダクションの制作する怪獣映画や特撮ヒーロー番組の特撮シーンや本編の監督やシナリオ執筆等を手掛けているのです。
年若いながらもメキメキと頭角を現してきていて、彼に憧れてアマチュア映画の撮影に手を染める高校生や大学生のお兄さんも少なくないんだとか。
「そう御自分を責めないで下さい、成相寺さん。怪獣スーツの改造なんて現場判断でやって頂いても構わないのに、『造型して下さった有田さんに、無断で改造なんて出来無い!』って私にお声を掛けて下さったんですから。造形家冥利に尽きるって物で、むしろ感謝しているんですよ。それに改造される怪獣だって、きっと喜んでいるはずです。『また一暴れ出来る!』ってね。私の造形と成相寺さんの脚本で、新しい生命を吹き込んでやりましょうや!」
一緒に倉庫へ入った男性が、柔らかい口調で成相寺監督を元気づけました。
この芸術家気質のガッチリした壮年の男性は有田得生と言って、丸川プロダクションで造形やデザイン等を担当する美術スタッフのリーダーです。
前衛的なデザインセンスと温厚な人柄もあり、新米の美術スタッフ達からはお兄さんのように慕われています。
皆さんの大好きな怪獣達も有田さんのデザインがあったからこそ存在する訳で、言わば有田さんは怪獣達のお父さんですね。
そんな丸川プロダクションの怪獣ワールドを背負って立つ二人が怪獣倉庫へ足を踏み入れたのには、深い事情があったのでした。
実は現在放送している特撮ヒーロー番組「アルティメゼクス」の放送スケジュールが急遽延長されてしまい、急いで二話分撮り下ろさなくてはいけなくなったのです。
スタッフや俳優さん達には事情を話して契約を伸ばして貰い、シナリオは以前のコンペでお蔵入りになった物を再利用する事で何とかなりました。
だけど本当に大変なのは、番組のもう一人の主人公とも言うべき怪獣のスーツです。
造形や塗装などで手間暇がかかる怪獣のスーツを、今から新たに二体も作っていては撮影に間に合いません。
そこで成相寺監督と有田さんの二人は、以前に作った怪獣のスーツを再利用する事に決めたのでした。
「コイツなんてどうです、成相寺さん?なかなか良い造形だから、改造しても良い感じになると思うんですよね…」
「これは確か、『アルティメマン』に登場させたバグビトム…」
二人が目を付けた甲虫獣バグビトムは、「アルティメゼクス」の前番組として放送された「アルティメマン」に登場した怪獣でした。
カブトムシやクワガタを始めとする甲虫をベースにしつつ、カミキリムシの大きな顎とトンボのキラキラ光る複眼を備えた、言わば昆虫の王様みたいな怪獣です。
「コイツなら、表面を金属板っぽい質感にして色をメタリックに塗り直せば、ロボット怪獣として立派に通用しますよ!甲虫をイメージした外観のバグビトムならね!後は、ブリキの玩具みたいに角張った頭をつけてやれば、ロボットらしく仕上がるんじゃないですかね。」
どうやら有田さんは、光沢があって無機質なバグビトムの胴体をロボット怪獣の外装に見立てるつもりのようです。
そんな有田さんに刺激されたのか、成相寺監督にも良いアイデアが浮かんできました。
彼はバグビトムのマスクを頭から被り、スタッフ仲間に向き直ったのです。
「どうですか、有田さん!顔だけ昆虫に似ているヒューマノイドタイプの宇宙人が、地球人に擬態しているようには見えませんか?」
このアイデアは有田さんにも好評で、バグビトム一体のスーツからロボット怪獣と昆虫型宇宙人の合計二体の新しいキャラクターを作り出す方向で話が纏まったのです。
ところが話は纏まったものの、成相寺監督には心の中に引っ掛かる物があったのです。
「侵略兵器カイザーJに、宇宙策士ベムテラー星人。新しい怪獣達のデザインと名前は決まった。しかし、この怪獣達に作り直すという事はバグビトムのスーツが失われるという事だ…」
新しい怪獣のデザイン画を見つめる成相寺監督は、難しそうな顔をしていました。
どうやら成相寺監督は、バグビトムのスーツを改造するのが忍びなかったのでしょう。
有田さん達を始めとする美術スタッフが心血を注いで作ってくれたから。
それもあるでしょう。
しかし彼の決心がつかないのには、他にも理由があるようでした。
やがて心の整理がつかないまま、成相寺監督は書斎の机にかけたまま眠ってしまったのです…
夢の中の成相寺監督は、丸川プロダクションの撮影スタジオに立っていました。
不思議な事に、カメラマンや記録係といった撮影スタッフは誰もいません。
「監督…監督…」
そんな無人の撮影スタジオで、成相寺監督を呼ぶ声がします。
「えっ?」
振り返った成相寺監督は目を丸くして驚きました。
そこに立っていたのは、何と甲虫獣バグビトムだったのです。
東京のビル街を再現した撮影セットの中に、カブトムシのフォルムを再現した昆虫怪獣が静かに佇立している。
それだけを見れば、児童雑誌の撮影会の一コマみたいでした。
しかし、ここには成相寺監督とバグビトムの二人しかいないのです。
「中之島さん?中之島さんなんでしょう、中に入っているのは?それとも、川西さんか新谷さん?」
顔見知りのスーツアクター達の名前で呼び掛けてみるものの、バグビトムは首を横に振るばかりでした。
「ま…まさかと思うが、もしや君はバグビトム本人なのか?」
「その通りだ、成相寺監督。やっとその名前で呼んでくれたな。」
満足そうに深々と頷くと、バグビトムはトンボみたいな複眼をチカチカと発光させたのです。
「そう驚かなくても良い、成相寺監督。俺はただ、監督の夢の中に現れているだけなのだから。」
この不思議な状況を夢と理解した成相寺監督は、徐々に落ち着きを取り戻していきました。
そして落ち着きを取り戻した成相寺監督の胸中に湧き上がってきたのは、バグビトムへの懺悔の思いだったのです。
「済まない、バグビトム!お前のスーツを、別の怪獣に作り変える事になってしまって。シナリオの都合上、どうしても新しい怪獣が必要だったんだ。しかしスーツを改造してしまえば、お前はバグビトムでなくなってしまう…」
涙を流しながら座り込んでしまった成相寺監督に、バグビトムは静かに寄り添ったのでした。
「それは違うぞ、成相寺監督。たとえスーツが改造されたとしても、俺という存在が失われる訳じゃないんだからな。そうだ、良い物を見せてやる。」
バグビトムが軽く頷いた次の瞬間、涙で歪んだ成相寺監督の視界に様々な品物が現れたのです。
ブロマイドに怪獣カード、ソフビ人形に怪獣消しゴム。
それらは全て、甲虫獣バグビトムのグッズでした。
「たとえスーツが改造されたとしても、俺の存在した証拠はこんなにある。だけど一番の証は、俺の存在を覚えていてくれる人々の記憶だ。成相寺監督を始めとする丸川プロのスタッフに、俺達の活躍をテレビで見てくれている沢山の子供達。そうした人々が俺の事を覚えていてくれる限り、いつかまた俺は実体を伴って蘇る事が出来るだろう。完全新規造形のスーツになるのか、それともコイツ達のスーツを再改造する形で再現するのか。それだけは俺にも分からないがな。」
そしてバグビトムの独白が終わるのを待っていたかのように、新たな二体の怪獣が現れたのです。
古めかしいロボットを思わせるメカニカルな頭部と重量感に満ちた銀色の装甲を纏った巨大ロボットと、背広を着た人間ソックリの身体と大きな顎と紫色の複眼を備えた頭部の組み合わせが何とも不気味な昆虫型宇宙人。
姿は始めて見ますが、成相寺監督にとっては馴染み深い怪獣達でした。
「侵略兵器カイザーJ!それに、宇宙策士ベムテラー星人!」
「そうだ、成相寺監督。俺のスーツを元にして誕生する、謂わば俺の兄弟達だ。俺にそうしてくれたように、コイツ達にも心血を注いでくれよな。」
そう言うとバグビトムは、二体の怪獣達を抱き寄せて愛おしそうに頬擦りを始めたのです。
抱き寄せられたカイザーJとベムテラー星人も、満足そうに頻りに頷いていました。
その姿はあたかも、仲の良い人間の三兄弟のようでした。
「さよならは言わないぞ、成相寺監督。何時の日か、また会おう。」
そのバグビトムの一言がキッカケになったのか、成相寺監督はガバっと目を覚ましたのです。
目を覚ました成相寺監督は、砂糖もミルクも入れない苦いコーヒーを飲み干して眠気を完全に振り払ったのです。
そうして書斎の机に広げたデザイン画を改めて見つめながら、深々と溜め息をついたのでした。
「たとえスーツが改造されたとしても、怪獣達の存在は消えない…確かに、そうなのかもな。」
やがて成相寺監督は椅子を軋ませて立ち上がり、本棚の最上段に手を伸ばしたのでした。
「お前の言った通り、カイザーJとベムテラー星人に心血を注ぐよ。そして必ず、視聴者の子供達を存分に楽しませてみせる。だから私達の事を見守ってくれよな、バグビトム。」
昨夜とは打って変わった力強い口調で、决意を新たにする成相寺監督。
その手には、甲虫獣バグビトムのソフビ人形がしっかりと握られていたのでした。