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悪役令嬢は転生して悪役令嬢になった

作者: まさき

明確なざまあはありません。

最後に見たのはゆっくりと遠ざかっていく婚約者であった殿下の顔だった。


まさか自分の乳兄弟の男が感情のままに力加減もせず私を突き飛ばすとは思わなかったのだろう。だからあんな単細胞、重用するのはやめるように言っていたのに。殿下はその顔を驚愕に染めて、それでもその両手はあの平民の女を抱き締めたままこちらを見ていた。


二階分の高さはある学園の中央階段の踊り場から落ちていきながら、私はさっきまでのことを思い出していた。私があの女を小突いて、この階段の踊り場まで数段落としただけで人が集まるほどの大騒ぎを起こしていたのだ。この高さから落とされる私に、突き落としたあの男に、手も伸ばさない薄情な婚約者に、集まっていた野次馬たちはそれは大騒ぎをしてくれるだろうなと悪足掻きのようにほくそ笑んでやった。


これで溜飲が下がるものではないが、何もないよりはマシだと思っておこう。

ああ、でも痛みがなく一瞬で終わればいいけれども。

私が最後に思ったのはそんなことであったはずだった。






目を開けると見知らぬベッドの天井が見えた。

天蓋には趣味ではない淡いピンクのレースが掛けられていて、窓から差し込む昼の光を少しだけ和らげてくれていた。

顔を横に向けると、柔らかなシーツと共にまたしても趣味ではない細かな花柄が描かれた壁紙とカーテンが見えた。


重たく感じる体を起こし、うちの屋敷にこんな少女趣味の部屋があっただろうかと見渡しているとドアをノックする音が聞こえてきた。返事をしようと思ったが喉が貼り付いたようになっていてうまく声が出なかった。落下の後遺症かと考えているとこちらの返事も待たずにドアが開き、女が一人部屋に入ってきた。

見たことのない女であったが格好からして侍女のようだった。何て躾のなっていない侍女なのかと思い軽く睨んでやった。するとその瞬間に目があったその女はこちらは睨んでいるにも関わらず、満面の笑みで、何なら涙まで浮かべながら私に駆け寄ってきた。


「ああ、クリスティーナ様、お気づきになられたのですね」



クリスティーナ。

クリスティーナ・ノーツグランド。


名前を呼ばれたその瞬間に、頭の中に『クリスティーナ』の記憶が一気に流れ込んできた。彼女の半生、聞いたこともない国名や家名、沢山の情報が頭の中に入ってきた。それはまるで良くできた小説を一気に読んだようでありながら、他人事だと言いきるには生々しい感触や感情を伴うものであった。一人の少女の記憶を流し込まれ静かに混乱しながらも、私はあることに気付いていた。



『私』はクリスティーナ・ノーツグランドではない。

しかし今の私は恐らくクリスティーナ・ノーツグランドなのだろう。



理由は全く分からなかった。根拠もなかった。だけど、私はそうであると何故か理解をしていた。


それを裏付けるかのように少し顔を伏せると柔らかな緩くウェーブしたハニーブロンドの髪が肩を滑り、顔の横に落ちてきた。それは『私』の艶やかな真っ直ぐの濃いブルネットの髪とは似ても似つかぬものだった。恐らくだが今鏡を見れば、クリスティーナの顔が私を見つめ返してくるのだろう。



自分が置かれている状況を認識してから改めて目の前の不躾な侍女もとい、クリスティーナの長年の侍女であるエマを見た。ついさっきは見たことのない女と思っていたが、今は彼女のことがよく分かっていた。エマ、ノーツグランド家の遠縁の家の二女。家族の前では真面目な侍女の顔をしているが、二人きりになるとときに姉のように私を甘やかしてくれる人。私の好物の一つは彼女の淹れるミルクティー。

知らないはずなのにつらつらと浮かんでくる情報を不思議に思いながら、涙を浮かべたまま甲斐甲斐しく世話をしてくれているエマを見つめていた。エマの準備した水を受け取り喉を潤していると、彼女は恐る恐る窺うように私に声をかけてきた。


「……お嬢様、お体はいかがですか?ご気分は大丈夫ですか?」


そういえば私はどうしてこんな日も高い時間にベッドにいるのかと思った瞬間に、『クリスティーナ』が彼女だけのものであったときの最後の記憶が頭に浮かんできた。


エマが腫れ物に触るかのように接してくるのも仕方のないことだった。


あの日、クリスティーナは眠り薬を大量に服薬し、自殺を試みたのだった。



その理由まで思い出したとき、思わず乾いた笑いが溢れそうになった。私たちは別の世界の人間であるはずなのに、クリスティーナも私と同じく婚約者である自国の王子を平民の女に奪い取られていたのだった。


クリスティーナの記憶によると平民の女、レイラは珍しい光属性の魔法が使える聖女ということで、教会の伝で私や殿下など貴族が通う学園に編入してきた。私から見れば馴れ馴れしい態度、マナーも知らないような振る舞いに見えていたが、人の懐に入るのが上手かったらしく、気付けばサニアス殿下を始め彼の側近たちまでもが彼女を信頼し、好意を向けるようになっていた。


「サニアス様ってすごーい!」なんて白々しい台詞を言いながらご自慢の豊かな胸を殿下の腕に押し付けているのも何度か目撃した。貞淑な淑女たれと育てられたクリスティーナからすると信じられないような振る舞いであったが、安易に与えられる称賛、好意から来る自己肯定感や優越感、青年の欲を刺激するような柔らかな女性を感じさせる接触、それらにサニアス殿下たちはすっかり魅せられてしまっていた。


レイラがただの平民であれば彼らの関係も学生時代の火遊びで済んだかもしれなかった。しかし彼女は聖女となる身であった。そんな彼女と殿下の仲が深まっていく中で、次第に教会の人間が欲を持つようになった。

聖女が王家に嫁げば教会の権力も増す。そのため彼らの仲を後押しする勢力が教会内に生まれていった。


それを歓迎したのが徐々にレイラに心を傾けていたサニアス殿下だった。元々殿下とクリスティーナの婚約は完全に政略に基づくものだった。中立派であったノーツグランド侯爵家を取り込みたいという王家側と、より強い権力を求めるノーツグランド家の利害が一致したため結ばれた婚約であった。そのためサニアス殿下はノーツグランド侯爵、クリスティーナの父にある交換条件を持ち掛けた。


その交換条件とはクリスティーナを王子妃にするのを諦める代わりに、クリスティーナの兄を宰相補佐という要職に就け、妹を王弟の息子に嫁がせるというものだった。

これであれば王家の思惑も、ノーツグランド家の思惑も達成される。何より娘一人の犠牲で王家に大きな恩を売ることができる、そう考えたクリスティーナの父はサニアス殿下の条件を呑んだ。


そこまでならただの婚約解消で済むはずであったが、事態はそう運ばなかった。婚約解消の話が進む中で、あるときからレイラがクリスティーナに虐められていると訴えだしたのだ。



全く身に覚えのないことであったが、失くしたはずの私物が物証として目の前に突き出され、知人が有りもしないことを証言し始めた。必死に否定をしたが聞き入れてもらえず、殿下や彼の側近という地位の高い令息たちは口を揃えてクリスティーナが虐めを行っていると言った。


そうなると侯爵家の人間といえど、令嬢が一人いくら声を張り上げたところで聞き入れてもらえることはなかった。実際にどうであるかではない。社交界ではそれが事実となってしまった。


来る日も来る日も身に覚えのないことで衆人の前で叱責された。父にも訴えたが聞き入れてはもらえなかった。

そうした絶望の中で、クリスティーナは不眠症となった。どうせ切り捨てるつもりの娘に大した手当てをするつもりもなかったのか、家が手配した医師はおざなりにクリスティーナを問診した後、眠れないならこれを出しておきますと多めの眠り薬を置いていった。薬を多く置いていったのはクリスティーナのために頻繁に医師を呼ぶ気はないと家の者から聞かされていたからだろう。


そうして手にした大量の眠り薬をクリスティーナは一気に服用し、結果未遂となったが死を選んだのだった。



そんなことを思い出しながら、私は悲しみと心配を隠しきれない表情でこちらを見つめてくるエマを見た。彼女は間違いなくクリスティーナの味方だけど、別人が今クリスティーナの中にいますと言ってもデメリットしかないだろう。服薬のことも含め、今は誤魔化す方が楽かと考え、私はこう言うことにした。


「あら、私どうしてこんな時間までベッドにいるのかしら?体が重いし、風邪でも引いてしまったのかしら?」


聞き慣れているようで違和感のある声が自分の口から出た。そんな私の言葉を受けて、エマは驚きながらもあからさまにホッとした表情をした。


「え、ええクリスティーナ様、お休みになられる前に少しお加減がよろしくないとおっしゃっていらっしゃいましたから、お風邪を召したのかもしれませんね」


「そうだったの?いやだわ、眠りすぎたのかしら。寝る前のことがはっきり思い出せないの」


「……そうなのですか。ああ、きっとそれだけ体調がよろしくないということですよ。今日はこのままお休みになっていてください」


「そうね。そうさせてもらうわ」


私はもう一度水を飲んでから、エマに促されるままに再びベッドで横になった。眠気はなかったが目を閉じて横になり、エマが退室するまで寝た振りを続けた。



パタンとドアが静かに閉まる音がして、しばらく物音がしないことを確認してから目を開けた。改めてクリスティーナの置かれた状況を思い返してみた。恐らくだが、この冤罪は殿下、ノーツグランド家、教会すべての利益のために作り出されたものなのだろうと思った。


仮にクリスティーナが殿下の婚約者を降りたとしても、平民であるレイラはどこかの養子に入ったとしても血筋を問題視されるだろう。侯爵令嬢としての血筋と教養を持つクリスティーナがいるのに、なぜその娘を選ぶのかと周囲に問われるはずだ。

そう考えた彼らはクリスティーナの価値を下げ、レイラを選ぶ理由をこの偽りの虐めで作り出そうとしたのだろう。悪辣に聖女を害したという瑕疵をクリスティーナに付け、そんな環境にも健気に耐えるレイラを王子が守り、やがてそれが愛になったという話にする。三文芝居もいいところだが、ただ婚約解消をするよりはぐっとレイラはサニアス殿下の婚約者に収まりやすくなる。

馬鹿げた話だけどその筋書きを書いたのはこの国でも有数の権力を持つ者たちだ。クリスティーナが自ら死を選んだのはせめてもの抵抗であったようだ。


確かに演目の途中で悪役であるクリスティーナが舞台から降りれば、筋書きは狂うだろう。しかしここまで話が進んでいるとその死すら利用されるのではないかと思った。何せ死人に口はないのだから。


そこまで考えたとき、私の胸中を占めていたのはとてつもない怒りだった。どいつもこいつも私たちの努力を、我慢を何だと思っているのだろうか。可愛げがない?素直ではない?そんなものペットの犬猫に求めればいい。それは高位の貴族の伴侶に求めるものではない。


沸々とこみ上げる怒りを抱えたまま、私はクリスティーナと『私』の復讐をここでしてやると心に決めた。



その準備のため、しばらくは体調が優れない振りをして学園を休んだ。本来長く休むのは誉められたことではないが、学園でのクリスティーナの扱いを聞いているのかエマを始め周りの使用人たちは何も言わず甲斐甲斐しく仮病の私の世話をしてくれた。


そうして各所に手紙を書き、全ての手筈を整えた私は三週間ぶりに学園へと登校した。



学園に足を踏み入れると、確かに好意的ではない視線をチクチクと感じた。クリスティーナはこのことにも気を揉んでいたが、私にとっては他人事だ。令嬢らしい笑顔を絶やさぬまま、真っ直ぐ教室へと向かった。教室にはサニアス殿下や彼の取り巻き、そしてレイラの姿もあった。睨み付けるようにこちらを見てきた男どもに綺麗な笑みを返して、私は自分の席に着いた。


そして昼休み、私は早速この休み中に温めていた計画の一つを実行することにした。サニアス殿下たちとレイラは食堂の奥の個室で昼食を取る。いつものようにレイラはサニアス殿下の隣を歩きながら食堂に入ってきた。わざわざ私に見せつけるため近くを通り、声をかけてくるのもいつも通りだった。


「クリスティーナさん、体調はもう大丈夫なんですか?レイラも殿下と一緒に心配してたんですよぉ」


「それは有難うございます」


そう答えるまではいつものクリスティーナのように振る舞った。けれども次の瞬間に私は立ち上がり、湯気の立っていたスープを彼女の頭からかけてやった。


その瞬間、誰もが信じられない光景に言葉を失っていた。そうだろう、気の優しいクリスティーナはこんなことはしなかっただろう。しかし今の『クリスティーナ』は、かつてあちらの平民の女にこうしてお灸を据えてやっていた私だ。この女にスープをかけることに躊躇などなかった。


「でも汚い泥棒猫の顔を見たら気分が悪いのがぶり返してきてしまったわ。食欲も失せてしまったからスープも処分しないとね」


スープを被ったまま、呆然と立ち尽くすレイラにそう告げて私はその場を立ち去ろうとした。すると我に返ったサニアス殿下が、動揺をしつつも私に食いかかってきた。


「クリスティーナ!!いきなりレイラに何をするのだ!!なぜこんな酷いことをする!!」


そんな彼に私はゆったりと微笑みながらこう返してあげた。


「殿下たちがよくおっしゃっていたではありませんか。『悪辣なクリスティーナは可哀想なレイラに熱いスープをかけてきた』と。私は殿下たちの言うとおりに振る舞っただけですわ。なぜと聞かれましても、おっしゃっていたのは殿下たちですので、私は理由は存じておりませんわ」


「なっ」


「理由が分かりましたらまた教えてくださいませ。では私これで失礼いたします」


向こうで殿下やレイラがまだぎゃあぎゃあと言っていたが無視をして食堂を出た。中庭の隅でエマに持たせてもらった軽食をつまんだ後、私は足早に教室に戻った。


教室に着くと、真っ直ぐレイラの机に向かい、彼女の私物を机の上に並べた。教室にいたクラスメートに見られながら筆記用具類をゴミ箱へ捨て、教科書に手を掛けたところでちょうど殿下たちが帰って来た。

サニアス殿下と目があったが、そのままにこりと微笑みながらレイラの教科書を破ってやった。次々と破っていく私にまたしても殿下が声を掛けてきた。


「クリスティーナ!お前はまたレイラにそんな酷いことを!何故そんなことをするんだ!?」


「あらまたおかしなことをおっしゃいますのね。これも殿下たちがおっしゃっていたことですわ。私はお言葉に忠実に従っておりますのよ。『醜い嫉妬にかられたクリスティーナはレイラの教科書を破り、私物を捨てた』でしたっけ?ね、そのまま再現できていますでしょう?」


「お前、気が触れたのか?」


「あら、私は『今まで殿下たちがおっしゃっていた』通りのことをしておりますのよ。いつもと同じでしょう?

それとも今の状態はいつもと違う『気が触れた』状態なのでしょうか。そうなると殿下のおっしゃっていたことに偽りがあったことになりますが」


「そ、そんな訳がない!!私の言葉に嘘はない!!」


「なら私は今まで通りですわよね?気が触れたなんて言いがかりおよしになってくださいませ。私はいつも通り嫉妬にかられて私の婚約者に近付く泥棒猫にお灸を据えているだけですよ。

そんなことより殿下たちはいい加減、婚約者がいる身なのですからそのような女に近付くのはお止めください。不貞ですわよ」


「不貞だと?お前がこんなひどいことをするから彼女を守っているだけだ。婚約者の有無など関係ない。人としての当然の行為だ」


「まぁそうですの。婚約者がいても、害される女性を守るために肩を抱くのも、手を取るのも正しいことなのですね」


「黙れ!当然だろう!!」


「そうですね、『当然』ですわよね」


未だ息を荒くしているサニアス殿下を見つめながら私は笑いを堪えるのに必死になっていた。ああ、こんなにすんなり私が欲しかった言葉をくださるなんて。私は微笑みを浮かべたまま、騒ぎ続けている殿下の言葉を聞き流していた。



殿下の言質も取れたため、翌日から私は二つ目の計画を実行することとした。協力者の準備も終えていることを確認した私は、サニアス殿下の側近の一人、宰相の息子の婚約者であるミッシェルの元に向かった。


彼女は学園のテラス席で友人とお茶を楽しんでいた。協力者と宰相の息子が近くにいることを確認した私は、彼女に近付くとイスを引き倒し、わざと机の上の紅茶をひっくり返して彼女の制服を汚した。


「クリスティーナ様!?」と驚くミッシェルに向かって、私は伯爵家の娘ごときがテラス席で大きな顔をしてお茶をしていないでと冷たく言い放った。

その勢いのまま二杯目の紅茶を彼女にかけようとしたとき、彼女の元に近くにいた一人の令息がやってきて彼女を守るように肩を抱いた。

そのまま言い合いをしていると、彼女の婚約者である宰相の息子がやってきた。


そのときミッシェルは令息に肩を抱かれたままであった。余程私の剣幕が怖かったのか、少し震えながら彼に庇われていた。


そんな彼女を見て、宰相の令息は怒りもあらわに声を掛けてきた。


「クリスティーナ様、これは一体何事ですか?ミッシェルが何をしたというのですか!?あとお前、助けてくれたことには感謝するが、人の婚約者に馴れ馴れしく触れるのは止めてもらおうか!不愉快だぞ!」


確かに婚約者ではないご令嬢の肩を抱くなど本来はご法度だ。けれども私は彼にこう返してあげた。


「貴方もおっしゃっていたではないですか。『クリスティーナは身分をかさに、下の者を虐める女』だと。私はその通りにしているだけですよ。

あとミッシェル様の状況、何が問題ですの?害された人を肩を抱いて守るのは当然だと、つい昨日殿下もおっしゃっていて、貴方も同意していたではありませんか。まさか自分たちがレイラ様の肩を抱くのはいいけど、ミッシェル様がされるのは不愉快だとはおっしゃいませんわよね?」


「そ、そんなことは……」


「ですわよね。では親切な彼にお礼を言って差し上げてはどうですか?『ミッシェルの肩を抱いて守ってくれてありがとう』と」


「は?何を言う!?」


「あらいやだ。『人として当然のこと』なんでしょう?婚約者であるとかは関係のない話なのでしょう?そのことにお礼を言うことに何の問題がありまして?もしかしてお礼の言えないことなんですの?」


「いや、それは……」


「ほら、ならおっしゃってくださいませ。言えないということは殿下たちがレイラ様の肩を抱くことも問題であると認めるということですわよ。言えない訳がないですよね?」


顔は笑いながら、でも目は冷え冷えとしたまま目の前の男を見つめてやった。しばらくそうして睨みあったが、やがて彼が折れ、蚊の鳴くような声で「ありがとう」と言った。


しかしながらその程度で逃してやる気はさらさらなかった。「『ミッシェルの肩を抱きながら守ってくれて』が抜けておりますわよ」と微笑みながら言ってやった。


「当然のことなんですよね?」と笑顔でだめ押しをしてやれば、宰相の息子はつっかえながらも私の台詞を復唱した。


そんな彼に、「レイラ様に同じことをされている貴方もきっと誰かに感謝されますわよ」と追い討ちのように言ってやった。


他人の男に「自分の婚約者の肩を抱いて助けてくれてありがとう」と言った婚約者を、ミッシェルは冷めた目で見ていた。クリスティーナと同じく、彼女たちもレイラにはいい感情を持っていなかったはずだった。私の目的は彼女たちの気持ちを刺激することだったが、あの目を見るに計画は成功したようだった。


そこから側近たちの婚約者に次々と同じことをしてやった。誰一人として自分の婚約者の肩を抱く他の男にお礼を言わなかった者はいなかった。それも当然だろう、そうしなければ彼らは自己矛盾を起こしてしまうのだから。悔しげな側近たちの顔と、冷めた目をした婚約者の顔を私は満足げに見てやった。



そうしてレイラへの虐めを噂通り実行しつつ、側近たちへの報復も続けてやった。すると家で父から叱責をされることも増えた。エマたちもいる前で父は私の所業を語り、ひどくなじった。しかし父が『本当のこと』で叱れば叱るほど、エマたちは私の味方となっていった。


なぜなら彼らは最初に有りもしない虐めのことでクリスティーナを叱責していたのだ。今は本当のことだけど、エマたちは学園での私の行動を知ることはない。「お父様にももう信じていただけないのよ」と力なく私が笑えば、エマたちはそれを全て初めの頃と同じ冤罪であると思ってくれていた。

ときに一人の部屋でこっそりと泣く演技もした。そうすることでエマたちは家ではなく私の味方となってくれた。



そうして足場を固めつつも、レイラへの嫌がらせも続けていた。水をかける、私物を捨てる、何とも下らないことばかりであったが、彼らの言うとおりに実行してやった。

そうしていると、レイラは私を見ると怯えたような表情をするようになった。バカな女、あの頃はサニアス殿下に泣きつく演技をしながらも優越感を見せながらクリスティーナに話しかけてきていたのに。今さらそんな対応をすると、前は嘘をついていましたと公言しているようなものなのに、あの頭の出来ではそんなことも思い及ばないのだろう。


しかし私の目的はあの女の化けの皮を剥がすことではなかった。私のことを警戒させ、怯えさせることこそが私の目的だった。

レイラや殿下たちの反応を見て、その下準備が十分に終わったことを確信した私は、次の計画を実行に移した。



いつも通り、教室で殿下たちが談笑しているところへ向かい、私は殿下たちにこう声をかけた。


「すみません殿下、私に関する噂で『人を雇ってレイラを襲わせようとした』というものも耳にしているのですが、詳しくはどのような状況だったかお聞かせいただいてもいいですか?

それも再現したいのですが、詳細が分からず手を付けられずにいるのです」


「クリスティーナ!ふざけたことを言うな!」


「私は大真面目ですわ。教えてはいただけませんの?」


「何が教えるだ。お前のしたことなのだ、自分の胸に聞けばいいだろう!」


「なるほど、私の考えで行えばいいのですね。ありがとうございます殿下。レイラ様、準備が終わりましたらすぐ実行しますから、しばしお待ちくださいね」


「は?何言ってんの?本当に意味が分からないんだけど」


「レイラ様が外に出られるのはこの王都の教会に顔を出されるときか、お買い物に出られるときですよね。ぜひ気をつけてくださいませ。『人を雇って』とのことでしたので、男性以外を雇うことも視野に入れておりますので」


「や、やだサニアス様助けて」


「心配するな、レイラには十分な護衛を付ける」


そんな茶番のようなやりとりをする二人を無視して、私は言いたいことだけを言って立ち去った。



そこからレイラはどこに行くにも大勢の護衛を付けて移動するようになった。教会は平民から出た聖女ということで人々に浸透させようとしていたのに、今の彼女は高位貴族にも引けを取らないような厳重な扱いを要求していた。さらに街で知らない人と接するのを嫌がり、高位の神官がいる場では祈るが、市井の人々の前で祈ることは決してしないようになった。


そうしていると、『今の聖女はお高くとまっている』と人々は噂をするようになった。教会に属する聖女は市民にも等しく祈りを分け与えるべき存在だ。それが有象無象のいるところには出たくないと本人が言うのだ。人々がそう捉えるのも当然の流れだった。


さらに頭の悪いあの女は買い物も今まではお忍びの殿下と街中で行っていたが、今では商会を教会に呼ぶようになっていた。殿下に何を買ってもらっているかは知らないが、貴族の娘でもないのに商会を呼びつけて買い物をする聖女。市井の人々の中の聖女のイメージは低下の一途をたどっていった。



こうして一つずつ着実に駒を進めていった私は、最後の仕上げをすることとした。

その日、私は就寝前の髪の手入れをしてくれているエマの前でポロポロと涙を流して見せた。ここ最近、それだけのことをしているので当然なのだが、父の叱責はより強いものとなっていた。涙の原因はそれだと思っているエマが優しく私に声をかけてくれた。


「クリスティーナ様、お嬢様の身の潔白を我々は信じています。けれども私たちにできることが本当になくて……申し訳ありません」


「ありがとうエマ。貴女たちがこうして温かく私に接してくれるから何とか今までやってこれたわ。でも最近……本当に、生きているのが辛くて……」


そう言って涙を流した私を、エマが必死な顔をしながら抱き締めてくれた。エマが焦るのは当然だろう。何せクリスティーナは一度死のうとしているのだ。エマの頭にはあのときのことが浮かんでいるはずだった。


「……ここからいなくなりたい」


そう呟いた私に、エマは意を決したようにこう声をかけてきた。


「お嬢様、隣国へ行きませんか?メイドのなかに隣国出身の者がおります。彼女の伝があれば隣国へ移動することができます。

もちろん今のような生活はできなくなります。しかし私は、これは私のワガママですが、お嬢様には笑顔で生きていて欲しいのです。どうかお辛い選択をされる前にこのことも考慮に入れてはいただけないでしょうか」


「ありがとう、エマ。隣国……そうね、それもいいかもしれないわね」


儚く見えるよう微笑みながら、私はそう答えた。エマがそのメイドに声をかけ、隣国へ逃げることが可能かどうか調べてくれていることには気付いていた。どうやら隣国への伝が付いたようだったので、今日こうして声をかけてみたのだった。

少しずつ個人資産を隣国に動かし始めていたのだけど、無駄な努力にならずに済んだようだった。


こうしてエマたちの協力を得ながら隣国へ移る手段を確定させた。その間に資産も移動させ、隣国での生活基盤も整えておいた。


そこまで準備した後、私は隣国へ脱出するためエマたちと一芝居を打つことにした。王都でも有数の劇団から女優を一人雇い、私の振りをさせて周囲の目をそちらに向けさせるうちに私が脱出することとした。


その日、エマたち何人かの侍女を連れて外出した私はとあるカフェでその女優とこっそりと落ち合い、私と同じ髪色のカツラを被り、私と似た目鼻立ちになるよう化粧をした彼女と入れ替わった。そこから彼女には図書館やバラ園を回ってもらった。もちろん知人に会えば一発でバレる替え玉だけど、私と面識のない人間を欺くには十分な出来であった。その間に私は隣国出身のメイドと質素な馬車に乗り王都を後にした。

そこから隣国までは長い移動ではあったが、特に追っ手などに捕まることもなく移動することができた。殿下たちも父も、私が自発的にレイラの虐めをしていると思っているから、まさか逃げ出すとは思っていなかっただろう。


こうして私は行方を眩ますことに成功し、クリスティーナ・ノーツグランドは忽然と失踪したこととなった。



隣国に渡って数ヶ月、慣れないこともあったがクリスティーナの語学力を活かし、私は翻訳家の仕事を得て静かに日々を過ごしていた。

私は貴族階級ではなくなったが、翻訳を頼んでくるのはある程度の権力のある者なので、祖国の噂は少ないながらも聞こえてきていた。


噂によると、どうやら私の置き土産はうまく作用をしてくれているようだった。



その置き土産というのは、あの日、私が失踪した日に仕掛けたものだった。


あの日、私の替え玉になった女優には私が彼らの主張する虐めを実施したとこを除いて、全てを話しておいた。その上でエマには彼女は全て知っているから何を話しても大丈夫よと伝えておいた。


女優には貴族のパトロンが付く。彼女たちも貴族のパワーバランスに関する情報は常に欲しているはずだった。その上でこんなゴシップ、彼女が食いつかないはずはなかった。しかし彼女は私本人から聞かされる話だけを鵜呑みにはしないはずで、エマにさりげなく探りを入れるだろうと思った。

普段は主人の話などエマは絶対しないが、その女優には何を話しても大丈夫だと前もって伝えておいた。エマだって自分の主人に起こっている悲劇を誰かに訴えたいとどこかで思っていたはずだ。そこに全てを知っていて、他人に同調して話を聞き出すのがうまい女優が側にいる。おあつらえ向きに彼女たちは馬車という密室で移動する。エマはきっと今までのことを涙ながらに語っただろう。エマの信じるクリスティーナのことを、聖女に婚約者を奪われ、偽りの虐めで悪女に仕立て上げられた哀れな主人のことを。

今の聖女はいいイメージを持たれていない。きっとその女優はエマの話を真実に近しいものとして捉えるだろう。そうして市井に私という悲劇のヒロインの話が広まるように仕向けたのだ。


そんなことも知らないサニアス殿下は、私を罪の意識に耐えきれず失踪したという話にしたそうだ。そうした上で、あの女との不貞を苛烈な悪女の虐めに耐えた健気な聖女と王子のラブストーリーを美談として市井に広めようとしたそうだ。しかし市井には既に私の話が女優たちにより広められていた。

同じ平民が語る話とお上から広められる話。そして評判のよくない聖女。どちらに軍配が上がるかは明らかだった。


そしてもう一つ、私はあの日女優に聖女のいる教会でエマたちと別れ、聖女に会いに行くよう依頼をしていた。建前としては聖女のところを尋ねた痕跡があればそのときまで私は失踪していなかったということにできるからと伝えておいた。私は彼女には嫌われているからきっと会えないけど痕跡さえ残ればいい、そこで密かに変装を解き、帰ってくれて構わないと伝えておいた。


私の予想した通り急に訪ねてきた『クリスティーナ』にレイラは会おうとしなかったらしい。取り乱し大袈裟に追い返すよう教会の人間に伝えたらしい。そこで女優は言われた通り密かに変装を解き、仕事を終えたとばかりに帰ったようだ。


クリスティーナが消えた日、エマたち侍女がお嬢様の姿が教会で見えなくなったと父に訴えたのはその日の夜のことだった。「静かに祈りたいから貴女たちはここで待っていて」という言葉を残してクリスティーナが教会に入る姿は門番が目撃していたそうだ。教会内でも彼女のような女性を見かけた人がちらほらいた。しかし聖女を訪ねた後の彼女の痕跡は忽然と消えていたのだった。


もちろん護衛をたっぷり引き連れたレイラには完璧なアリバイがあった。けれどもクリスティーナとレイラの間に確執があることは貴族なら誰もが知るところであった。それに教会は彼女のテリトリーだ、手足となり動く人間はいくらでもいた。


そうした状況が貴族間にじわじわと広まると、レイラがクリスティーナを失踪させたのでは、クリスティーナは殺されてしまったのではないかという噂が流れるようになった。何せ彼女はクリスティーナがいなくなったことにより王子の婚約者になったのだ。誰よりも彼女がいなくなったことで利益を得ていた。


表面上は皆、新しい婚約者となったレイラを祝っていたが、そこには常に疑念の目が向けられることとなった。貴族にも訝しげに見られ、平民にも思うほど祝福されない婚約であったが、長らく婚約者であった侯爵令嬢から変更してまでの婚約であったため、今さらレイラからさらに婚約者を変えることなどできないようで、二人は微妙な扱いをされているらしい。



結局私が色々したけれどもクリスティーナはサニアス殿下の婚約者でも侯爵令嬢でもなくなった。殿下とレイラは婚約し、殿下の側近たちも婚約解消をしたとは聞いていない。これだけを見れば彼らの一方的な勝利のようだが、彼らは周囲から、婚約者からの信頼を大きく失っていた。今はまだ見逃せる小さな綻びなのかもしれない。しかしそれは時が過ぎれば過ぎるほど、大きな歪みになっていくだろう。


令嬢一人の悪あがきとしては上々の戦果ではないかと私は考えていた。



あの日からずっと『クリスティーナ』は不在のままだ。この国で何人かクリスティーナに想いを寄せてくれる男性には出会ったが、私は彼らに応えはしなかった。


悪趣味なことだが、クリスティーナも私も過去の優しい思い出を捨てきれず、せいせいしたと思いながらもチクリとする胸の痛みを抱えていた。


クリスティーナが戻ってきたら、彼女と話すことができたら、この悪趣味な失恋のことを彼女と話してみたいと私は思っていた。


そんなことを考えながら、私は新たな生活に慣れるため日々の生活に没頭していった。

最後までお読みいただきありがとうございました。


感想を含め、何かございましたらお手数ですが下に設置しているWeb拍手か、マイページのメッセージよりお願いいたします。

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