表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
<R15>15歳未満の方は移動してください。

キスしたのは、その場の勢いでした。

作者: 細波

主人公2人の口が悪いです。苦手な方はご注意ください。

「どうせお前はキスの一つもしたことねえんだろ?」


 ことの発端は、そんな何気ない一言だった。


「っ……」


 言葉に詰まった私を見て、ルーファスがにやにやと意地の悪い笑いを浮かべる。

 彼は私と同じ時期に騎士団に入った同期であり、ライバルでもある。だが私たちは、入団したての頃からとかく仲が悪かった。


「そりゃそーだろ、むさ苦しい男だらけの騎士団に所属してんだからな、キスしたくなるような色気があるとも思えねえし」

「それくらいあるから! キスでしょ、そりゃ何回も? あんたと違って、私はそこそこ人気あんのよ!」


 ……しまった。

 勝ち誇るようなルーファスの顔に腹が立って、売り言葉に買い言葉で反射的に言い返してしまったが、当然のことながらそんな経験はない。こちとら女の身でありながら騎士一筋で生きてきたのだ。色恋沙汰に時間を使う暇などあるわけはない。女というだけで、そもそものスタートラインが違うのだから。


「あーそうですか、それはおめでとうございます」

「そういうあんたはどうなのよ、さぞかし御令嬢たちに騒がれているんでしょうねえ。なんせ天下の白翼騎士団の一員ですし?」

「あったりまえだろ、街出たら声かけられないことなんてねえからな」


 私たちは酔っている。その自覚はうっすらとだが、あった。

 面倒な先輩に目をつけられて、ここ最近はめちゃくちゃな任務ばかりやらされては怒られている。こんなのでも同期だから、2人で組まされることも多く、最近は常に一緒にいるような状態だった。

 そしてここ最近のイライラを発散しようと勢いで酒場に入って、お互いに酒が回った頃での、この話題である。


「人気があるのはルーファス? それとも白翼騎士団?」

「俺に決まってるだろうが、バカか」

「いきなりバカ呼ばわり? ほんっと相変わらず腹の立つ」

「お前こそ可愛げのかけらもねえ。お前にキスするような男なんているのか?」

「逆にあんたみたいなバカに唇を許す女がいるのか甚だ疑問ね」


 睨みつけてくるルーファスを、不敵な笑みを浮かべて睨み返す。


「あんたのキス、噛まれそうで心配。野蛮さはキスにも出るんじゃないの?」

「はあ? 何度もしたことあるし喜ばれてますが?」

「ちょっと信じられない」


 突然、ルーファスが椅子を蹴倒すようにして立ち上がった。そのままぐいっと顔を近づけられ、悔しいことに整っていると言わざるを得ない顔立ちが視界に広がる。さぞかし人気があるのだろうなぁ、と他人事のように思った。


「だったら試してみればいいんじゃねえの? 腰砕けても責任取らねえけど」

「はっ、やってみればいいんじゃない? あんたごときのキスで私が満足できるとも思えないけど」


 反射的に言い返して、しまった、と思った時にはもう唇に柔らかいものが触れていた。

 そこからは怒涛だった。何が何だかわからない。なんとも言えない感覚と、背筋が泡立つような気持ち悪さと、少しだけ、ほんの少しだけの気持ちよさ。お互いに酒臭くて、苦しいはずなのに苦しくない。邪魔にならないように短く切った髪の隙間に差し込まれた手が、ぐっと私の頭を捉えて離さない。

 しばらくして、ようやく唇が離れた。


「……息も切らしてねえとか、腹立つんだけど」

「鍛え方が違うのよ。そこらの女と一緒にしないで」

「そーでした、白翼騎士団の貴重な女性隊員様」


 ぐしゃりと髪をかき回したルーファスが、席に戻った。そのままグラスに残っていた酒を一気に煽る。それを見て、私も自分のグラスを傾けた。


「おい顔赤いぞ。照れてんのか?」

「そんなわけないでしょうが、お酒のせい! ちょっと自意識過剰なんじゃない?」

「気持ちよさそうにしてたくせに」

「だからそういうとこが自意識過剰って言ってんの」

「いい加減素直に認めたらどうだ? 良かったって」


 断じて、絶対に認めてやらない。

 こんな会話、飲まないとやってられない。追加の酒をルーファスの分もまとめてオーダーして、私は攻撃に転じる。木目が浮き上がる、いかにも年代物といった風情のテーブルに肘をついて、私は唇の端だけを持ち上げて微笑んで見せた。


「そっちこそ、顔赤い自覚ある? 可愛げのかけらもない女にキスしといて顔赤くするとは、初心ですねぇ」

「だから酒のせいだってお前も言ってただろうが! むしろ今は意地になって良かったのを認めようとしないバカのせいでイライラして赤くなってる自覚あるわ」

「逆に私は対して上手くもない癖に上手いことをアピールしてくる男に苛立ってるわ」


 お互いに睨み合い、挑発的に笑ってみせる。

 口を開きかけたところで、すっと私の前に影がさした。


「ちょっとお客さん!」


 恐る恐る顔をあげると、近所でも敵うものはいないと有名なこの酒場の主人がこちらを睨みつけている。その形相を見て、昔文献か何かで見た極東の地獄にいるとかいう神様を思い出した。

 これは……やらかした。


「痴話喧嘩なら外でやってくれんかね? こちとら店ん中で生々しい話されて迷惑してんだよ! このまま続けんなら出てっとくれ!」


 その鋭い眼光と、わざとらしく後ろに回された手の迫力に負けて、すごすごと酒場を後にする。あの人には手を出さない方がいい。本当に。後ろ手に何を持っていたかは、考えないでおこう。


「あーもうひどい目にあった」

「誰のせいだと思ってんのよ」


 夜道を2人で宿舎に向かって歩きながら、私たちは挑発し合う。いつもの光景だ。

 痴話喧嘩だバカップルだ言ってくるやつに、見せてやりたい。この会話のどこを聞いたら、私とルーファスが付き合っているという発想になるのだ。


「二日酔いで仕事に出てくんじゃねえぞ」

「あの程度でなるわけないでしょうが」

「明日が楽しみだな」

「本当にね」


 吐き捨てるように言って、私たちは二手に分かれた。女子宿舎は人数が少ないこともあり、男子宿舎と少し離れたところに位置している。歩き慣れた道を、未だ違和感の残る唇を指でなぞりながら歩いた。

 初めてのキス。あんなやつに捧げたにしては、不思議と嫌悪感はなかった。



 ◇



 …………やらかした。


 何がやってみればいいんじゃないだ。酒の勢いにも程がある。目を閉じたらあの時のルーファスの顔が浮かんできそうで、私は冷水をかぶってルーファスの顔を頭から追い出す。

 おかげで、少しだけ頭がすっきりした。


 あれは事故みたいなものだ。鍛錬中にうっかり転んで彼の唇に突っ込んだとか、そういう感じの事故。気にするようなことでもない。

 微妙に頭が痛いが、それはあれだけ飲んだのだ、仕方がない。とはいえ、仕事に支障が出るほどではなかった。


 壁にかけてある制服を手に取り、それを纏う。

 白と黒を基調としたデザイン。所々に縫い取られた白い羽。国民の憧れである、白翼騎士団の制服。

 これを纏うために、血の滲むような努力をしてきた。私に才能があった、それは事実だ。けれど、才能だけで入れるほど、この世界は甘くない。

 勘当同然で家を飛び出し、私の才能を気に入ってくれた剣の師の家に転がり込み、自らを鍛え上げ続けた日々。白翼騎士団に入れたことで一つの目標は達したけれど、それはまだ途中に過ぎない。白翼騎士団に入って満足しているようでは、師に死ぬほど痛い拳骨を喰らわされることだろう。


 籠に買いだめしてあるパンを手に取り、棚から取り出した食材を適当に挟む。籠に入れれば、昼食の完成だ。騎士団には料理が全くと言って良いほどできない人が多く、専用の食堂もあるのだが、総じてその価格は高い。そしてみなよく食べる。騎士団員が貧困に喘いでいる理由のほとんどが、食事代だったりする。

 騎士団員は胃袋から掴め、なんていう名言も誕生したほどだ。おかげで、今下町では料理教室が大人気らしい。

 とはいえ私は、例に漏れず料理が壊滅的、いや下手くそ、いえあまりお上手ではない師に料理を作らされ、いや鍛え上げていただいたため、ある程度のものは作れる。とは言え昼食は面倒で、今日みたいに簡単に済ませてしまうことも多いのだが。


 出来立ての昼食を持って、私は騎士団の演習場に向かった。


 騎士団と一口に言っても、その業務は多岐に渡る。そのため仕事内容も忙しさも人によって全く違うのだが、私はといえば、ぶっちゃけると雑用係だった。

 仕方がない。一番の新入りなのだ。


 面倒なクレーマーの相手にお偉いさんたちの暇潰し相手に、心が躍るとは言い難い仕事ばかりだが、空いた時間はこうして演習場での鍛錬に使うことができる。その時間だけが救いだった。


 だが、演習場に着いた瞬間、私はぴたりと足を止めた。真ん中で剣を振っている人影。嫌になる程見慣れたその太刀筋は、間違いなくルーファスのものだった。

 とたん、脳内に生々しい映像が蘇りそうになり、私は無理やりそれをねじ伏せる。本当に何をやっているのだ、昨日の私。叶うことなら、一度と言わずぶん殴ってやりたい。


 場所を変えることももちろんできたのだが、ここで場所を変えるのはなんだかルーファスに負けたようで悔しく、私はぐいぐいと歩を進める。だから、あれは事故だと今朝結論づけたはずだ。


「おはよ、ルーファス」

「……おう」


 挨拶をするものいつも通り。返事が適当なのもいつも通り。私も鍛錬を始めようと、身体をほぐし始めたその瞬間、ぐいと腕を引っ張られ、私は振り返った。私の腕を掴んでいたのは、ルーファスだった。不機嫌そうに眉間に皺を寄せ、私を見つめてくる。


「何」


 無理矢理中断されて微妙に腹が立ち、そっけなく問いかける。それでも、ルーファスは何も言わずに私を見つめていた。


「だから何って言ってるんだけど」

「……やっぱ可愛くないわ」


 は?

 人を散々邪魔しておいて、最初に口にすることがそれですか?

 呆気に取られて言葉も出ない。ルーファスは得心がいった様子で、1人うんうんと頷いている。何を1人で納得しているのだ。


「ちょっと邪魔しといて言うことがそれ? あんたに可愛いと思われてもなんとも思わないけど、失礼にも程があるんじゃない?」

「あー悪い。一瞬でもお前が可愛く見えるとかやっぱなかったわ」

「……は?」


 同僚には怖がられる低い声も、ルーファス相手では全く響かない。

 だが、今ルーファスはなんと言ったか。一瞬でもお前が可愛く見えるとか? そんなの、まるで、一瞬だけ私が可愛く見えたとか――。


「や、なんでもねえ、忘れろ」


 いつものようにそっけなく言うルーファスだが、視線を背けたその耳がじんわりと赤い。間違いなく赤い。

 内心でほくそ笑み、私はルーファスに問いかける。


「一瞬でもお前が可愛く見えるとか? まるで、一瞬だけ『可愛げのかけらもない』女が可愛く見えたかのような口ぶりねぇ」

「……っ」


 何も答えないルーファス。これは、良いネタを見つけたかもしれない。

 次はなんと言ってやろうかと、人の悪い笑みを浮かべながら思案していると、ルーファスがばっと振り返った。


「事故だ事故! 昨日のは酔ってただけのただの事故! それでどうこう思うわけないだろ、お前相手に!」

「逆に事故じゃないと考えてたら頭お花畑認定してるところよ」

「じゃあただの事故として流すぞ! 俺たちの間には何もなかった、いいか?!」

「もちろん」


 中ば叫ぶようにして宣言し、剣を振りまわし始めるルーファス。その手元が微妙に狂っているのを、私に隠し通せるとでも思っているのだろうか。

 あの反応。人気があると勝ち誇っていたが、あれは嘘なのではないだろうか。私相手に見栄を張っただけで、ルーファスもキスが初めてだったとしたら、あの挙動不審さも頷ける。

 これで、しばらくルーファスを攻撃するネタには困らないだろう。知らず知らずのうちに、私は微笑んでいた。


 ――一瞬でもお前が可愛く見えるとか。


 少しだけ頭の中に残る声に、耳を傾けたりはしない。


 ◇


「……模擬戦闘訓練?」


 先輩に告げられた次の任務の内容を聞いて、私は気が付かれないようにそっとため息をつく。

 ちらりと横目でルーファスを見れば、真面目そうな顔をしているが、そのこめかみがぴくりと動いたのが分かった。


 模擬戦闘訓練といえば聞こえは良いが、実際はお偉いさんたちの暇つぶしだ。前にも時折あったことだが、陰謀が渦巻く宮廷にいるお偉いさんたちは、騎士同士の熱い戦いが見たくなるものらしい。お偉いさんたちが共同で私兵を出し合い、私たち騎士団と戦わせて見物するのだ。流石に命まで取るわけにはいかないので、胸当ての中心に取り付けられたガラスの半球上の飾りを叩き割ることでその人を倒したとみなす。倒された騎士は場外に出て、見物することになる。


 天下の白翼騎士団とはいえ、上からの意向を完全に無視することはできない。正直私兵など相手にもならないような相手なのだが、それでは面白くないと言うことで手加減しなければならない。

 こうした面倒な仕事に駆り出されるのが、私たち新入りというわけだ。今回は、私とルーファスの他にも同期数人が参加する。それでもあちらより圧倒的に人数は少ないが、まさか負けるわけがない。手加減する方が難しいのだ。


 面倒臭い。そんな時間があったら鍛錬をしたい。


 そんな気持ちを無理矢理飲み下し、私は先輩に向かって精一杯愛想良く笑ってみせた。


 ◇


 その日は晴天だった。


 誰かの所有地だとかいう、王都から少し離れたところにある競技場。大きめの長方形に区切られた戦闘場所の周りに、階段のようになって観戦席が設けられている。すでにほとんどの席が埋まっていた。


 あと少しで競技が始まる。胸元にきらりと光るのは、このためだけに取り付けられたガラスの飾りだ。

 待機場所である競技場への入り口の隙間からちらりと周りを見渡せば、丁度真ん中、特等席に、一際煌びやかな集団があった。あの集団が今回一番身分が高い客だろう。派手なことをやるときには、あの前を選ぼう。

 ざっと足音がして、隣を見れば、ルーファスも同じ場所を見つめていた。彼も気が付いたらしい。軽く頷いて見せれば、ルーファスが口の端だけを持ち上げて笑った。


「足ひっぱんじゃねえぞ」

「私を誰だと思ってんの?」


 案の定飛び出したのは皮肉たっぷりの言葉で、でもその方がルーファスらしい。というか、嫌味以外のことを言うルーファスなど想像もできない。

 挑戦的な言葉で返せば、ルーファスもにやりと笑った。


「せいぜい楽しませてやろうじゃねえか」

「……そうね」


 ため息を無理矢理押し込めて、私は腰から剣を抜く。

 真剣は使わない。模擬戦闘用に刃が潰された剣だ。これがある程度手に馴染むようになってしまったのが、悔しかった。


 ピー、とけたたましい音が響き渡る。試合開始の合図だ。

 手に持った剣を軽く振ると、私は競技場へと歩み出た。


 兜をつけているとやや視界は狭くなるが、それでもかなりの数の兵がこちらに迫ってくるのが分かる。私たちは軽く目線で合図すると、競技場のあちこちへ散らばった。

 本当の戦闘では自殺行為だが、これは見せ物だ。派手に見せるためには、あちこちで戦闘を起こす必要がある。


 迫ってきた兵。その太刀筋は緩慢で、避けるのは容易だがあえて跳ね返して見せる。その方が派手だからだ。鈍い金属音が響き、手加減したはずなのに彼はバランスを崩してよろめいた。

 その隙に胸の飾りを軽く突き、破壊しながら迫ってきた次の刃をかわす。


 彼らも個々の実力では敵わないことは分かっているのか、数で攻めてこようとしている。とはいえ弱いものは弱いのだ、大して苦労はしない。ちらりと横目で見れば、中心の煌びやかな集団の中で一際偉そうにしている男が目に飛び込んできた。多分あの男が貴族だろう。彼は、退屈そうな顔をしていた。

 仕方がない。こんな相手の剣を受けてやるのは不本意だが、これではつまらないのも確かだ。


 連続で襲ってきた刃の、三つ目。私はそれを、あえて受けた。


 兜に鈍い衝撃が走る。直撃しただけあってやはり痛いが、騎士団相手ではこの程度では済まなかっただろう。向こうから支給されたおそらく安物であろう兜が歪んだのか、斜めに傾いて視界を遮った。

 装備くらいまともなものを支給してくれと思うが、仕方がない。邪魔なそれを押し上げるが、また落ちてくる。もう、これは使い物にならないだろう。

 刃をすっと避け、反対から飛んできた刃を打ち返しながら、反対の手で兜を脱ぎ捨てる。その瞬間、ざわりと周りがどよめいた。


「……女!?」


 押し殺した驚きの声がいくつも聞こえてくる。

 騎士団には普通に受け入れられるようになってから、久しく聞いていなかった声だ。

 どうして、女などが騎士をやっているのか、という驚き。そして、


 女なら余裕だろう、という侮り。


 兵の攻撃が勢いを増した。きっと私なら倒せるだろうと調子に乗っているのだ。

 ガラスの飾りを破壊された兵の驚愕に歪む瞳を見つめながら、背後から襲ってくるいくつもの刃を避けた、その時。


 ピー、と耳をつんざくような高い音が響いた。兵たちの動きが一瞬乱れる。

 何かの合図であることは確かだが、これは何の合図だ。相手の意図が掴めず、戸惑いに一瞬身を強張らせた兵たちの隙間を縫って囲みから飛び出し、再び広い競技場の姿を目にした。

 そして、先程の合図の意味を理解した。


 ほとんど全ての兵が、一気にこちらに向かって迫ってくる。ルーファスや他の同僚たちを無視して。


 あれは、誰か1人を一斉攻撃するための合図だったのだ。

 彼らも、今までの戦闘で私たちには敵わないことを学んでいたのだろう。そして、せめてもの抵抗として、全員で1人を攻撃するという暴挙に出た。

 実際の戦闘ではありえない行為だ。例え数人であろうと、敵を放置すれば守るべき人たちが危うい。だからこそ、ルーファスたちも一瞬対処が遅れた。


 数え切れないほどの兵が一気に迫ってくる。

 流石に、手加減する余裕はなかった。一気に敵が何倍にも膨れ上がったのだ。外側からルーファスたちも援護してくれているだろうが、中心にいる私には届きはしない。


「……ふざけんな」


 なぜ、私が狙われたか?

 そんなの、一つしかない。私が、女だからだ。


 目の前のガラスの飾りを最小限の動きで破壊する。かがんだ勢いを利用し、もう一つ。降ってきた破片が、頬の皮膚を薄く切り裂いた。痛みは感じない。

 何人倒したか、数えられなくなった。次から次へと途切れなく襲ってくる敵をかわして、破壊して。


 目の前にいた兵の飾りを破壊し、他の兵が間合いにはいないことを確認して横に目をやった。複数の飾りを一気に破壊した、その刹那。


 胸に、衝撃が走った。


 まさか、そんなはずはない。近くに敵がいないことは確認したはずだ。

 前に視線を戻せば、空中をきらきらと舞い上がるガラスの破片が目に入った。間違いなく、私の胸元から噴き上がったものだ。

 心臓を捉えて真っ直ぐに向けられた剣の持ち主。その男の胸元には、飾りはなかった。


 反則だ。


 こんなことが許されるわけはない。速攻審判に申し出るべく顔を上げれば、その男の周りを他の兵たちが覆い隠していた。その男も上半身をかがめている。

 そのための一斉攻撃か。人混みと混戦の中で、飾りが壊れていることを悟られないための。

 つまり、この男の飾りが壊れていることは、現時点では誰も気が付いていない。そして、大方、私を倒したと名乗り出るのは別の男なのだろう。私が騒ぎ立てたところで、周りはみな口を揃えて壊れていなかったと主張するのだ。私が倒されたことをなかったことにしようと騒ぎ立てていると、そういうことになるのだ。


 怒りで目の前が赤く染まった。

 卑怯だ。ふざけるな。


 そして何よりも、悔しかった。

 倒した後も、無力化した後も、決して油断するなと教えられた。死の淵に立たされた人間は、時折こちらが想像もつかないような力を発するからと。

 それなのに、油断した。倒したと調子に乗って、意識から切り捨てた。何が見せ物だ。平和ボケしていたのは、私の方だ。


 審判の指示に従って競技場の外に出て、ルーファスたちの戦いを見つめる。

 初めて外から見たこの競技場は、とてつもなく広く感じた。


 ◇


「……お先に失礼します」


 そう早口で告げ、私は控え室から出て帰路についた。

 同僚から向けられる気遣わしげな視線。あれだけの人数に囲まれたのだから仕方がないという言葉。それら全てが苦しくて、半ば逃げ出すようにして飛び出てきてしまった。


 あれは反則だ。

 だが、私の怠慢でもあった。


 堪えきれず、目の前が滲んだ。

 あんな大勢の前で、醜態を晒した。師に顔向けできない。ルーファスになんと言われるか。

 居た堪れなくて、消えてしまいたくて、流れ落ちそうな液体を必死で抑える。


 こんな状態で、白翼騎士団の制服を着て、街を通るわけにはいかない。私は街には入らず道を外れ、森の中に入った。しばらく進んで、誰もいないと確信した瞬間に、嗚咽が漏れた。


 悔しい。悔しい。


 女の身で白翼騎士団に入れたと調子に乗って、見せ物だからと適当にこなして。自業自得だ。

 恥ずかしい。そう思った瞬間、すぐそばに人の気配があることに気がついた。


 ぐっと全身に力を入れ、すぐにでも回避できる状態にする。動揺していたとはいえ、こんなに近づかれるまで気がつかなかった。後悔の念が押し寄せるが、今はそれどころではない。


「……サラ」


 そう、私の名前を呼んだ声が、ルーファスのものであると気がつくのに、少しだけ時間がかかった。

 ぐったりと体の力が抜け、私は俯く。足元でさらさらと揺れる緑色の草が、黒いブーツを撫でては離れていく。


「……何」


 どこから見られていたのか。今の状態を一番見られたくない相手の登場に、私は間違いなく動揺していた。


「反則か?」

「……っ!?」


 飛び出した言葉に衝撃を受けて、思わず驚愕の吐息が漏れる。ルーファスはそれを、聞き逃してはくれなかった。


「やっぱりな。お前が、まともに勝負してあんな雑魚に負けるわけねえと思ったよ」

「でも」

「だが、負けたのは反則のせいじゃねえ」


 容赦のない言葉。

 慰めでも同情でもなく、淡々と事実だけを紡ぐルーファスの表情が、見られなかった。


「実戦にはルールもくそもねえ。倒したら終わり? そんなわけねえだろうが。お前らしくもない怠慢だったな」

「……」


 いつものような馬鹿にするような雰囲気はない。淡々と真剣に話すルーファスは、認めたくはないが騎士らしかった。無闇な同情はしない。無駄な慰めはしない。

 今回は仕方なかったと私を慰めて、私が変わらなければ、次に待つのは死だと彼は知っているから。


「だが」


 その言葉に、初めて感情が乗った。明確な怒りを宿したその声に、少し驚く。


「俺の怠慢でもある。1人への集中攻撃はありえない? そんなこと誰が決めた。ろくな対応もできず、仲間を倒された。これが怠慢でなくてなんだ」


 吐き捨てるように告げるルーファス。後悔の念を色濃く浮かび上がらせるその声。


「……私は、強くなる」


 俯いていた顔をあげて、空に浮かび上がる美しい満月を見つめながら独り言のように呟いたその言葉は、夜の闇を抜けて凛とした音を響かせた。


「ああ」


 短いルーファスの返事は、認めるのは癪だけれど、どこまでも心強かった。


 ばさり、と頭の上から布がかけられる。手に取ったそれは、大きなフードのついた外套だった。このフードをすっぽりと被れば、私の顔は誰にも見られることはない。

 ルーファスが離れていく足音が聞こえた。私が今顔を見られたくないことを察して、離れていったのだろう。その心遣いに、思いもかけない優しさに、ぐっと胸が締め付けられるような心地がした。


 目を閉じる。

 先ほどまで荒れ狂っていた後悔の念は少し和らいでいた。代わりに、不思議な熱が胸の中にあった。


  ――サラ。


 初めて私の名前を呼んだその声。

 いつもいつも腹が立つことばかり言ってきて、私が怒る姿を見て楽しんで。可愛げがないだ色気がないだほざいて、あんなやつ、ただの腐れ縁で腹のたつ同僚なはずなのに。


 唇に触れていた熱。

 私の口内を好き勝手に荒らして勝手に出て行って、髪の毛まで乱れさせて、そんなことをしておきながらにやにやと笑って酒を飲んで。

 そのくせ、こうやって人が弱っているときは腹が立つくらい繊細な優しさを寄せてきて、こんなの。


「……惚れるに、決まってるじゃない」


 見ないふりをして、気のせいだということにしていた小さな火は、今やごまかしようがないほどに燃え盛っていた。


「ルーファスのくせに……」


 あえて吐き捨てるように呟いたその言葉が、もはや意地に過ぎないことは、よく分かっていた。


 ◇


 翌日も、相変わらず清々しい快晴だった。


 だが、一歩私が演習場に踏み込んだ瞬間に、私はひどく焦った様子の先輩に腕を掴まれた。そのまま一切の説明がなく、ずるずると引きずられていく。小走りになって先輩を追いかける私に、好奇の目が向けられているのが分かったが、私も何が何だか分からないのだ。

 視界の隅に、ルーファスが剣を振っている姿が映った。その瞬間、どくりと大きな音を立てる心臓を殴りたくなる。

 なんなのだ。自覚した瞬間にこれだ。あらぬ映像が浮かび上がりかけ、じわじわと熱くなってくる頬を叩いて正気に戻らせる。私の視線に気がついたのかルーファスが顔を上げた。

 その瞬間、ルーファスが首が外れそうな勢いで視線を逸らす。剣を握っていない方の手で顔を覆ってしまったルーファスが気になるけれど、イライラした様子で先輩に強く腕をひかれ、私は本格的に走り始めた。


「とりあえず、失礼のないようにしろ」


 そう告げられ、やや乱れた息を整える時間も与えられず、私は客用の応接間に放り込まれる。なぜ私が。接客など、したこともないというのに。

 中にいたのは、華やかな装いをした男だった。よく手入れされているのがわかる艶のある金髪に、細められた目と甘い微笑みを浮かべる口元。かなりの美形だ。


 よく見れば、その造形に覚えがあった。あの時、演習場の一際目立つ場所にいた男だ。最初は、退屈そうにしていた。

 まさか、苦情か。私は気を引き締め、背筋を伸ばして礼をする。


「そんな堅苦しくしなくていいよ。僕はレイク。……名前を、教えてくれるかい?」


 呆気に取られて、一瞬返答が遅れた。


「サラ、と申します」

「サラ、か。素敵な名前だね」


 甘く微笑む目の前の彼……レイク様の行動の意味が分からない。戸惑いが現れてしまったのか、レイク様がすっと立ち上がって私の手を取った。


「場所を変えないか?」

「はい」


 逆らうわけにもいかない。真意はわからないけれど、私は精一杯の愛想笑いを浮かべて微笑んで見せた。

 良い場所を知っているか、と聞かれ、私は宿舎裏の森に案内した。2人きりになりたいから、と言って彼が護衛を追い払ってしまったからだ。

 ここならば、大声を出せば非番の誰かしらが気がついてくれる。最悪私1人で守りきれない事態が起こったとしても、どうにかなるだろう。自らの弱さは、自覚したばかりだ。


 正直綺麗な場所とは言い難いが、彼は喜んでいる様子だった。私の腕を取るその優しい手つきに、なんともいえないむず痒さが押し寄せる。先程の先輩に跡がつくほど強く握られた後なので、尚更その差が際立つようだった。


「急に驚いただろう。ごめんね。サラに、伝えたいことがあったんだ」


 真剣な様子の彼を前に、すっと心の準備をする。何を言われるかわからない。苦情だとしたら、私1人で対処しなければならない。


「サラ。……君が、好きだ」

「…………え?」


 間抜けな声が、こぼれ落ちた。

 は?と問い返さなかっただけ褒めて欲しい。言葉を交わしたのは今日が初めてのはずだ。というか、この前ちらりと姿を見た以外の面識は一切ないはずだ。


「この前の君の姿に、僕は心を奪われたんだ。負けてもなお、真っ直ぐに競技場を見つめて仲間の戦いを見守っていた君は、美しかった」

「……」


 なんと答えればいいのか、全くわからない。

 けれど幸いなことに、彼は私の返事を求めているようではなさそうだった。その整った唇から、するすると甘い言葉が流れてくる。


「結婚しろだなんて言わない。君は僕のことなんて、何も知らないんだから。だから、たまに会って食事をするくらいで良い。君に会えるだけで、僕は幸せなんだから」


 なんだかむず痒い。

 私は一切そういうことに対して耐性がないのだ。今まで色恋沙汰はほとんど切り捨てて生きてきたのだから。ルーファスへの恋心を自覚したばかりの私に、いきなりこれはきつすぎると文句を言いたい。


 正直、彼のことはなんとも思わないが、彼を怒らせても面倒なだけだ。先輩も失礼のないようにと言っていた。食事はやや面倒だが、仕事の一環と思えば我慢はできる。

 はい、と頷こうとした、その瞬間。

 気配を感じた。


 正面だ。目の前に立つレイク様に気がつかれないように、そろそろと目線をあげれば、気配の正体と目があった。

 ……ルーファスだ。


 後をつけてきたらしい。何をやっているのかと呆れる思いとともに、自覚したばかりの恋心が暴れ出す。かぁ、と頬が熱くなってきた。言い訳させて欲しい。私は恋愛経験が無に等しいのだ。

 好きな人を前に、どうすれば良いかなど知るはずがない。


「あぁサラ!」


 目の前のレイク様が歓喜の声をあげて、私は慌てて目線を彼に戻した。

 どうやら彼は私が頬を染めた理由を勘違いしたらしい。蕩けそうに甘い光を、その目に浮かべている。


「僕なら、君を幸せにしてあげられる。騎士なんてやめて、僕のところにおいで」


 ルーファスの登場に浮き立っていた心が、すっと冷めた。

 この人はない。


 騎士なんて。


 その一言だけで、何もかもが冷め切ってしまった。

 この人は、何も分かってない。私がどのような思いでこの仕事をしてるのかも、私が大切にしてるものが何なのかも。

 それについて彼を責めるつもりはない。もともと、住む世界が違う人なのだ。


「ねえ、サ……」


 その言葉が、不自然なところで途切れた。いきなりぐっと後ろに向かって肩を引かれ、私は軽くよろめく。とはいえ、ここで倒れたりはしない。これでも騎士だ。

 そして、私を掴んだ人の正体にも、検討はついていた。


「ルーファス」


 いつの間にか私の後ろに回り込んでいたらしい彼が、ふっと鼻で笑う気配がした。

 肩を掴む手の力は痛いほどで、レイク様の優しい手つきに比べればずっと野蛮で、それなのに不思議と落ち着く。


「すんません。こいつ、俺の女なんで」


 空気が凍った。

 レイク様は驚愕に目を見開いたまま、動こうとしない。

 何をほざいているのだ、こいつは。私が失礼にならないように断ろうと散々考えていたのに、全てぶち壊しにしていった。

 腹が立って、諌める意味も込めて後ろ足でルーファスの足を蹴り上げる。だが、気がついていたらしいルーファスは軽々とそれをかわした。


「……それは、君たちは両思いだという意味?」


 ようやく状況を理解したらしいレイク様が、恐る恐ると言った風に問うてくる。当然の疑問だ。だって私は、ルーファスの足を蹴り上げようと足をばたつかせているのだから。


「はい」


 はいじゃねえよバカ!

 思わず口をついて出そうになった悪態をなんとか飲み込み、なんと答えたものかと考える。すると、掴まれたままの肩にぐっとさらなる力がこもった。

 はいと言っとけ、と言いたいのだろう。それは分かるが、レイク様を怒らせたらどうするのだ。


「……そうか」


 だが、私の心配に反して、レイク様に怒る様子はなかった。散々失礼なまねを繰り返すルーファスに、苛立っている様子はない。


「この人といるのが君の幸せなの、サラ?」


 真っ直ぐに私の目を見て、レイク様が問う。その目に浮かぶ痛いほどの光に、流石に申し訳なくなってくるが、彼と住む世界が違いすぎることは理解している。きっと私はレイク様の期待に応えられないだろう。


「……はい」


 そう告げれば、レイク様は笑った。そうして、私からふらふらと離れていく。


「いつでもおいで。僕はいつまでも、君を待ってる」


 そんな言葉を残して。

 レイク様が森から出た瞬間に、複数の人影が建物の影から飛び出して彼に寄り添った。護衛だろう。これで、ひとまずは安心だ。

 傷つけてしまった申し訳なさはあるが、彼と結婚して幸せになれるとは思えなかった。私も、レイク様も。


「……そんなに、あいつが気になるのかよ」


 空気が震えたように感じるほど低いルーファスの声が聞こえてきて、私は慌てて振り返った。


「さぞかし嬉しかったんだろうな? 可愛げのないお前のことだから、今まで男に口説かれたことなんかねえだろ? どうよ、初めての甘い言葉の味は」


 私を馬鹿にするような言葉はいつもと同じ。いつものような掛け合いのはずなのに、ルーファスの顔は、どこまでも苦しげだった。


「俺とキスまでしといて、いざ他の男に口説かれたらあっさり頬染めて。そんな顔、ほいほい晒してんじゃねえよ」

「キスっ……て。あれは事故だって、あんたが言ったんじゃ」


 言った瞬間に、私は選んだ言葉が間違いだったと気がついた。ルーファスがさらに苦しそうな顔をしたからだ。


「だったら、事故じゃなくしてやるよ」


 その一言とともに、無理矢理唇を塞がれた。

 こんな状況なのに、頬が一気に熱くなる。あの時はなんとも思わなかったはずなのに、ぞわりとした震えが全身に走った。

 知らない。好きな人に贈られるキスが、こんなにも気持ちいいものだなんて。


「ほら、またそんな顔して。あいつに頬染めといて、今度は俺にそんな顔晒して。男だったら誰でもいいのかよ」


 その言葉に、あまりにも私を馬鹿にしたその言葉に、ぷつりと理性が切れる音がした。


「そんなわけないじゃない!」


 私の剣幕に驚いたように、ルーファスが目を見開いた。


「男だったら誰でもいい? ふざけないで! 私を馬鹿にしすぎ! ルーファスだからなのに!」

「……は?」

「何度もあいつに頬染めたとか言うけど、あれは論外だから! 騎士である私を否定した時点でありえない! そんなことも分からないなんて、バカじゃないの?」

「ちょっ……と待て」


 焦ったように私にぐいと顔を近づけるルーファスに、至近距離から叫ぶ。


「待てるわけないでしょ! あんなのに頬染めたとかふざけた誤解されてほっとけるかっつーの!」

「ちょっと待てって!」

「何よ!」


 今更ながら、ルーファスと息がかかりそうな至近距離にいることに気がついて、ひとまず距離を取ろうと押しのけようとする。だが、鍛えられた身体は私の力ではぴくりとも動かなかった。力の差を嫌と言うほど感じさせられ、せめてもの抵抗として顔を逸らす。

 けれど、すぐに頬を挟まれて無理矢理正面を向かせられた。


「……今の言い方だと、お前は俺だから頬染めたみたいに聞こえんだけど」

「そうじゃなかったらなんなのよ!」


 ここまで来たら意地だ。もうどうにでもなれ、と私は叫ぶ。


「……つまり、お前は俺が好きってこと?」

「そうだけど何!?」


 なんだこの雰囲気のかけらもない告白の仕方は。

 初めて好きになった人に告白する言葉がこれだなんて。けれど、その方が私とルーファスらしいといえば、らしいのだろう。


「待っ……て」


 私を離してよろよろと数歩下がったルーファスは、ぶつぶつと何か呟いている。こんな風に動揺しているルーファスは初めて見る。迷惑しているのか。つきん、と胸が痛んだ。


「……悪い。ほんっとうに悪い」


 いきなり飛び出した謝罪の言葉。その後に続く言葉に見当がついてしまった。ぐっと唇を噛んで、溢れそうになる感情を押さえつける。


「柄にもなく嫉妬した」

「……は?」

「お前があいつに頬染めてんのかと思って、お前はあいつが好きなのかと思ったら理性が飛んだ。無理矢理あんなことして、あんなこと言って、最低だ、本当に悪い」


 そんな。そんな言葉、まるで。


「つまり、あんたは私が好きってこと?」

「そうだ、悪いか!?」


 なんだか既視感のあるやりとり。

 私たちは顔を見合わせて、同時に思いっきり吹き出した。


 確かに嫌なことは言われたが、それが嫉妬からだと分かるとむしろ嬉しいくらいだ。単純な自分に呆れてしまう。

 両思い。そう思った瞬間に、上がりそうになった口角を必死で抑えた、その時。


 気配を感じて、私は勢いよく後ろを振り返った。ルーファスも同じだったようで、ぴたりと同じ方向を注視している。

 ひゅう、と乾いた口笛の音が響いた。


 木の影からすっと歩み出たのは、先輩だ。私たちが見ていた草むらの中から立ち上がったのは、同期。


「え、あ」


 当然といえば当然の話で。

 ここは宿舎裏で、今まであんな大声を上げて言い合っていたわけで。恐る恐る建物を見上げれば、窓のところでさっといくつもの影が動いた。


 ……誰か、嘘だと言ってくれ。

 穴があったら入りたい。いや、今すぐここに穴を掘って入りたい。


「いやあ、血相を変えて飛び出てくルーファスの姿見て、ついつい……」


 決まりが悪そうに笑う先輩。


「我が白翼騎士団のバカップルの一大事かと思うと、ついつい……」


 申し訳なさそうな顔をしながらも、悪びれない光を目に浮かべる同期。


「ちょっとルーファス! 何してんのよ!」

「いや俺のせい!? 先に大声上げたのお前だろ?」


 照れ隠しに噛み付けば、いつものように喧嘩腰の返事が返ってくる。


「あんたのせいでなくてなんなのよ!? 私は帰るから!」


 恥ずかしくて逃げ出したくて、小走りで森から出ようとする。先輩も同期も、窓から見てたやつも、後でぶん殴る。あとルーファスも。

 とりあえずは、この頬の熱を冷ましたい。だが、ぐっとルーファスに肩を掴まれて、私は渋々足を止めた。こいつに肩を掴まれるのは、一体何回目だ。

 耳元に、ルーファスが顔を寄せた。そのまま、誰にも聞こえないように囁かれる。


「後でやり直させて」


 そのまま、とん、と唇にルーファスの指が触れる。


「なっ……」


 言葉が出ない私を前に、ルーファスはしてやったりといった風情で、人の悪い笑みを浮かべる。

 腹が立つ。腹が立つけれど、


 一発殴ってからなら、やり直させてあげてもいい。


 そう囁き返してやれば、ルーファスはにやりと笑った。

面白かったと思っていただけましたら、ブクマ、評価いただけると励みになります。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] ケンカップルって良いですよね… 良きケンカップルでした…
[一言] 頑張ってる女の子と憎まれ口を叩きながら見守るメンズって王道の良さがありますね…♡
[良い点] こちらもすごく良かったです!
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ