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神の箱庭  作者: 兵藤 ちはや
4/7

今回はアシュリーパパのお話。

 今でも鮮やかに。

 出会った時の風の匂いも。

 思考も心も奪われる感覚を。

 この世で彼女ほど尊いものはないのに───。






【4】






 ウォルツタント帝国の建国時から【剣】として王家を支え来たとされるアインホルン公爵家・【盾】として守護を担ってきたジーメンス公爵家が主に国、ひいては王室を支えてきた筆頭貴族だ。

 その【剣】を担う家の嫡子として生まれたのがアルドだ。脈々と受け継がれてきた血は誇り高く父であるベアテルは子供にひどく厳しく、侯爵家から嫁いできたアマーリエ・シュナイツも貴族令嬢の鑑と言われるほどの気品に満ち溢れた夫人だった。


 政略的な結婚はよくある話だ。


 故に、アルドは冷えた家族関係の中で育った。物心つく前後から厳しい教師に教育を施され、心休まる時間すらない。母であるアマーリエは社交に忙しく、子供に微笑みすら向けることはなく。父であるベアテルも仕事で邸に帰ってくることはほとんどなく、二つ下の弟であるチャールズと肩寄せ合うように生きてきた。

 アルドはチャールズをこよなく愛した。

 アッシュブラウンの髪に深い空のような澄んだ眸で縋ってくる、血を分けた命を。

 それは自らの人恋しさを埋めるためだったのかもしれない。それでも、この冷たい家の中で情を、笑顔を、温もりをあげられるのは自分しかないと思っていたのだが。

 チャールズが十二歳の冬、流行病に罹った弟はあっという間に儚くなった。

 あまりの寂しさに、絶望に、まともに彼を見送ることができなかった。

 『兄さま』とまだ声変わり前の高い声で甘えてくる温もりはもうない。公爵家の次男の葬儀としてはあまりにも簡素で静かなものだった。この時でさえ父も母も嘆くことはなく、淡々と大きくはない棺が埋められていくのを茫洋と眺めることしかできず。


 ───もう、何もかもが嫌だった。

 冷たい両親も、何もしてやれなかった自分も。

 まだ大人になりきれない拳をきつく握り締め、心から誓った。

 血を吐くような、祈りにも似た。

 それは少年が抱くにはあまりにもささやかで、あまりにも剣呑としたものだった。



 

 それからアルドは食事や身の回り以外の時間を勉学に費やした。

 十五からアカデミーに入学し、十八で卒業するまで学業に次いで剣術や公爵家の領地についてひたすらと詰め込んでいく。

 そうでもしないと、気が狂いそうだった。

 仲のいい学友や王族ですら、自分には与えられなかった家族愛を見せられて。

 

 身を削るような日々の中、三年に上がったとある冬の日のこと。亡き弟の墓参の後にふらりと街の中を彷徨った。風は冷たくとも暖かな日差しの中、石畳の道を挟んで並び建つ店や出店には活気があり、誰もが幸せそうに見える人波をよけながら目的もなく歩いていく。

 連なった家々が着れた左先に広がる公園があった。


 ───この季節では花も咲いていないだろうが…。


 見えるだけでも木々は立ち枯れていて寒々しく見えるが、所々に配置された灌木には赤い花が柔らかな陽に眩しく見えた。そこで初めて、ここ数年花の色など気にかけたこともなかったことに気づく。

 仕立てのいい厚地の上着の前を合わせながら、引かれるように枯れた芝生の上を歩いていく。

 その時だった。


「きゃっ…!」


 ぶわりと吹き抜けた風と共に聞こえた、細く高い短い悲鳴。

 はっと目を向ければ、すぐ目の先にまで飛ばされた帽子を咄嗟に掴んだ。


「帽子を取ってくださってありがとうございます」


 柔しく儚い声音が耳に心地よい。目を向けて、アルドは一瞬息を呑んだ。

 うっすらと健康的な桃色の頬、陶磁のように白い肌、形の良いふっくらとしたその輪郭。

 腰まで長い白に近いプラチナブロンドには癖はなく、さらさらと遊ばれていて。

 澄んだ翡翠を思わせる双眸が柔らかく、友や亡き弟以外に初めて向けられた暖かさで───。


 アルドは、一目で恋に落ちた。







 彼女は、エヴェリン・マイヤーと名乗った。

 マイヤー伯爵家の次女で、その時まだ十四歳だった。彼女に近づきたくて時間を見繕っては花を、手紙を送っては少しずつ距離を縮めていった。

 彼女の人となりを知っていけばいくほど、その人柄に惹かれた。愛されて育ってきたのだろう、おおらかで優しく、よく笑う彼女の笑顔に、心に巣くう闇が払拭されていく。

 生まれて初めて、欲しい、と思った。そしてかつて身に刻むように誓い通りに彼女を幸せにしようと。

 それから慌ただしく婚約し、アカデミーの卒業を迎えて二年後に結婚式を挙げた。

 それと同時に爵位を継ぎ、この日の為に計画しつくされた根回しを使い両親を追い出すように領地へと送り出した。

 アカデミーを首席で卒業したおかげで第一王子の側近にと取り立てられ、仕事にも家庭にも恵まれた日々が続いた。


「おはよう、エヴィ」


 甘く微笑んで、腕の中の彼女の額に口づければ、恥ずかしそうに胸元に顔を埋めてくる存在が何よりも可愛くてこれが幸せなのだ、と万感の思いで嚙み締めた。

 そしてとんとん拍子で長男を授かり、産まれたインガルはアルドの蜜色の金のくせ毛で翡翠の眸を持つ可愛い赤子だった。

 アルドは彼女を労り、なるべく書類仕事は邸でおこなうようにした。暇さえあればインガルを抱き、今まで以上にエヴェリンに愛を注いだ。


 これが幸せの頂点だったのかもしれない。

 夢に見るほど憧れた、温かな家庭。

 自分が守るべき家族が幸せそうに笑い、邸全体が柔らかい空気に包まれていて。

 この先、インガルの兄弟ができても、アルドの中では変わらないはずだった。

 宿った新しい命も愛しもうと思っていたのに。



 唯一の勘違いは、その幸せは彼女失くしてあり得なかったということだった───。







 ───何故、忘れていたのだろう。

 妻によく似た髪色、面差し。けれど眸の色だけはどちらにも似ることのなかった彼女の忘れ形見を見たのはあの子が産まれて初めてだったかもしれない。そもそも、名前すら知らない。

 何よりも愛していた彼女の忘れ形見だったのに、どうしてあの子を遠ざけて存在すら忘れていたのだろう。先ほど見たあの子の表情はまるで、昔の自分を見ているかのようで胸が軋んだ。

 だが、それと同時に薄れることのない深い悲しみが憤りのような熱を以て体の奥深くに滾っているのも事実だ。どうしていいのか、わからない。あの子の、扱いが。

 少なくとも、幼い少女の声での誰何に動揺しているのも事実で。


 結局。

 自分はあの誓いを守れたのは一時的なものだった。

 それほど、甘い覚悟であった。

 妻を亡くした後、アルドは邸に残る妻の面影を見るのが辛くて家に帰る頻度が減った。理由は違えども、インガルも自分と同じ思いをさせ、笑顔を見せることのなくなったインガルは十五になった今年にアカデミーへ入学し、帰ってくることはない。

 

 今からでも償うべきなのだろうか。

 あの子は愛しい妻から生まれた、紛れもない自分の子なのに。

 

 ゆるゆると、張り詰めた溜息を吐く。

 きつく瞑目した後、王宮へ向かうために踵を返した。






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