やまにきた
全てが嫌になって山にきた。
気を抜くと指の先が凍りそうで、息を吹きかける。せめて手袋を持ってくればよかった。
夜の山は、怖くて寒い。
ずっと、山に囲まれたこの町から出ようと思いながら生きてきた。それなのに、私が全てを投げ出して逃げてきた場所は、ずっと憎んできた山の中だった。
渓流がごうごうとうなっている。川辺の少し開けた場所で、大きい岩に腰をおろした。
道なき道をかなり登ったつもりだったけど、電波はまだ届いているらしい。携帯は、誰かからの連絡を告げる点滅を続けている。
川に投げすててやろうか。そう思って手を振り上げて、ゆっくりとそのまま手をおろした。
こんなに嫌になっても、携帯を投げ捨てることさえ私はできない。
どうせ家に帰るしかないのだ。そんなことは分かっている。
高校生が一人で山にきて、そのまま生きていけるわけがない。
親は多分、警察に連絡をしていない。
伝統と格式を何よりも重んじるあの家が、そんな恥を晒すわけがない。
母親が警察に連絡しようといって、祖母に叱られている姿が目に浮かぶ。
結局のところ、そうなのだ。まだ警察に連絡がいっていない。まだ携帯を持っている。
すべてが嫌になって逃げだしたといいながら、大事にならずに家に帰ることのできるボーダーラインを、私は頭の片隅で把握しているのだ。
大人になったら、こういうときにお酒を飲むのかな。少しそんなことを考える。
高校生が嫌になることなんていくらでもある。
家のことだって、受験のことだって、友達のことだって、なんだって少しのことで悩みの種になる。
とはいえ、それなりにやり過ごしながら18年間を生きてきたのだ。あと数か月でこの町を出られるこのタイミングで、自分がこんな風に崩れるとは思っていなかった。
今頃、真由はクリスマスの色をしたイオンで食事でもしてるのだろう。
彼氏ができたと嬉しそうに言ってきた真由の顔を見たとき、悔しかった。
幼稚園で出会ってから15年、ずっと一緒にいた。
私が一番、真由のことを知っている。それなのに、私はいま真由と一緒にいない。
一番大事な人ととして一緒にいる権利も、クリスマスに時間を過ごす権利も、私はなにも持ってはいない。
きっと私の知らない顔を、知らない誰かに見せるんだろう。
携帯から真由の連絡を告げる音楽が流れる。
母親が真由に、私の居場所を聞いてくれたのかもしれない。
デート中なのに、心配して電話をかけてくれているのかもしれない。
そんなことを考えて安心してしまう自分が嫌になる。
それでも、私はボーダーラインがみえている。
ボーダーラインの内側にいるうちに家に帰り、ボーダーラインのこちら側から、きっと真由に笑顔を送り続ける。
空を見上げると、澄んだ空に星がちかちかとまたたいていた。