「最終列車のあとに」(夏のホラー2020投稿作品)
これは僕がある駅係員のアルバイトをした時の話です。泊まり勤務にも随分と慣れて、その日もホームの掃除をしながら終電を待ち、寝ている人を起こして無事見送って、と先輩の指示を受けながらも自分の中では(そろそろ一人前に仕事ができているんじゃないか?)なんて浮かれ始めてくる、そんなある夏の日の夜のことでした。
「おい、今日は終電が出たらすぐに引っ込むぞ。」
それは8月15日、色々な意味で私達日本人にとっては大切で曰くありげなこの日、更衣室でネクタイを締め直しながら先輩は僕にそう言いました。
先輩にしてはキツイ言い方なので、違和感を覚えたのをよく覚えています。先輩は僕より2コ上でバイトの大先輩です。背が高く、僕よりも優しい顔つきをしています。物腰も柔らかくてお客様対応も評判が良く、普段ならこんな高圧的な物言いはしないはずの人でした。
「え?点検は?」
僕はその違和感に思わず聞き返していました。終電後はホームの最終点検と報告があるはずです。
先輩は少し面倒くさそうに、そして言いづらそうに「はあ〜」と、ため息を吐くと、
「今日はやらなくていいよ。今夜だけは終電過ぎたらホームに居ちゃいけない日なんだよ。」
と、教えてくれました。それだけでは納得・・・というか何もわからなかったので、さらに突っ込んで何故ですか?と聞くと先輩は口にするのも嫌そうにこう言いました。
「終電が終わった後に、もう一両、電車が入ってくるからだよ。」
「保線用のアレですか?」
このバイトを始める前から、深夜に黄色い点検用車両がゆっくり走っているのを見た事は何度かあります。アレの事なのだろうと思っていたのですが、どうやら違う様子でした。
「それなら別にホームに居ても問題ないんだけどな。」
先輩は実に言いづらそうでした。奥歯に物が挟まったような言い方とはまさにこの事を指すんだろうなあ、などと僕は思い、そしてこれ以上聞いても無駄かな?とも考えていました。
「まあ、知らなくていいよ。とにかく今夜だけは終電後に下りホームに居ちゃダメなんだ。よく覚えておけよ。」
それ以上の追求を避けるように、先輩は一足先に着替えを済ませてロッカールームを出て行きました。
…
都心のターミナルから真っ直ぐ一本、郊外の少し大きな乗り換え駅は仕事帰りのサラリーマン達が一斉に降りてゆきます。今ではタチの悪い酔っ払いにも、ほとんど名物のように扱われているお喋り好きなおじいちゃんにもすっかり慣れて、今夜も何事も無く時間が過ぎていきます。
僕達は夕勤のメンバーから引き継ぎを受け、ホーム清掃をしたりゴミ袋の交換をしたり、本来ならばもっと遅い時間にやる仕事も、今日だけは早めに済ませて終電が無事到着するのを待ちました。
僕の中では先輩の言葉がずっと引っかかってました。
終電後にくる列車なんて、保線用車両か回送電車くらいのはず。それ以外に、しかも立ち会っちゃダメ(もしかしたら見ちゃダメ)な列車が来るなんて聞いたこともありません。
正直、僕はワクワクしていました。
その列車をひと目見たい。
元々、鉄道が好きで応募したバイトです。そんなレアな列車が見られるチャンスなんてそうそうある物ではありません。
終電の時刻が近づいてきます。
あと二時間
あと一時間
僕の中で、その謎の列車を見たいという願望がどんどん膨らんでいきました。先輩だって悪いんですよ。鉄オタにこんな思わせぶりな事を言って興味を引かないわけ無いじゃないですか。
でも今では後悔しています。
あの時、先輩の言う事を素直に聞いてさえいれば、アレを見なくて済んだのに。
あれほど恐ろしい思いをせずに済んだのに。
でも、その時の僕は好奇心にすっかり支配されていました。
深夜に走る謎の列車が気になって気になって、仕事が手につかないほどでした。
だから、
あれは仕方なかったんです。
僕は知恵を絞り、何とかその列車を見るために、最後のホーム掃除をした時に、下りホームの先端に、こっそりホウキとちりとりを置いてきてしまったのでした。
…
日付が変わって8月16日、午前1時17分。
その日の終電はいつもより人が少なくて、降りてくる人もまばらでした。
ホームの灯も、走り出した電車の窓も、いつもよりほんの少し暗いような気がして、
生温い風の中に、ほんの少しだけ生臭いような潮の香りを感じたような気がして、
蒸し暑い夜がほんの少しだけすーっ、と涼しくなったような気がして、
周囲の音が遠くなってゆきます。
その中を、最終列車はくねりながら終点へと向かい遠ざかってゆきました。
もう、これで一日が終わるんだな、と少しノスタルジーも感じるようなこの最終列車の立ち去った時間が僕は好きで、これで仕事が終わったわけではないけれど、いつもここでひと段落つけて、ホームの最終点検をゆっくり回るのが日課でした。
「何やってんだ、早くしろよ。」
けれどもこの日だけはやる事ももう残ってなく、僕は先輩に追い立てられるようにホームの点検を済ませて、駅舎へ戻るために階段を登り始めました。
その時です。
低い地鳴りのような音が聞こえてきました。聞き間違えるはずはありません。間違いなく電車がホームに入ってきた音です。
ふと、腕時計を見ると深夜2時でした。
あれ?と思ったのを覚えています。
最終列車は1時17分に発車したはずです。そのあと先輩に急かされて仕事を終わらせたはずなので、あれから2、3分しか経ってないはずなのに、時計の針は2時きっかりを指しています。
まるで記憶が飛んでしまったような、
まるで時間の流れが変わってしまったような、
おかしな世界に迷い込んでしまったような違和感がありました。
グニャリ、と足元が歪みます。
しかしその時はその事に対して恐怖はなく、ただの(あれ?)という疑問だけでした。
それよりも僕には気になっていることがあるからです。
階段横から迫ってくる列車の音がどんどん近づいて・・・
もう、いてもたってもいられず、僕は走り出しました。
「先輩!掃除用具忘れてきました!取ってきます!」
僕はとりあえず用意しておいた言い訳を口にしながらくるりと背を向けて階段を降りました。
「おい!バカ!やめろ!」
先輩の罵声を振り切るように階段を駆け下ります。
列車の音はすぐ横まで迫っていました。
階段を降りれば確実にその列車を見られるはずです。
僕はワクワクを止められなくて、残り数段の階段を一気に飛び降りてホームに飛び出しました。
ワクワクしながら同時にホームへ入ってきた電車を見上げ、僕は目を見開きました。
いえ、ただの電車だったんですよ。
そこに飛び込んできたものは、いたって普通の車両でした。
何の変哲もないいつもの客様車両。ただ、一両編成という点を除けば、その姿は別に何もおかしなところのないものでした。
姿だけは
『観自在菩薩行深般若波羅蜜多時照見五蘊皆空度一切苦厄舎利子色不異空空不異色色即・・・』
その車両は、なんと大音量でお経を流しながら入ってきたのです。
僕はその異様さに思わず固まってしましました。
電車が通り過ぎる短い時間の出来事なのに、客車の中には四隅に青白い顔をしたお坊さんが立っているのがはっきりと見えました。
まるで骸骨の様に痩せ細ったお坊さんが四人、車両の中でお経を唱えているのです。その声がまるでスピーカーを通したようにホーム中に響き渡っていました。
あまりの光景と恐怖に僕はガクガクと震えながらその場に立ち竦みました。
全身の毛が逆立つ様な、鳥肌が立つその何倍もの怖気が肌を突き破っていきます。
大音量のお経が耳元でガンガンと鳴り響き、目の前が真っ白になる様な感覚を味わいました。
気を失ったのかと思っていましたが、
「馬鹿野郎!早くこっちに来い!」
僕は先輩に腕を掴まれて階段の影に引き摺り込まれました。
影に隠れるとお経の音量も急激に下がり、目の前がチカチカしていたあの感覚も治りました。
嫌な汗が額から吹き上げていましたが、それを拭うのも忘れて僕は呆然としていました。
そのまま、ぼうっと、
その不思議な電車がゆっくりと走り去るのを眺めていました。
「危なかったな。」
先輩は電車が立ち去った後、白い歯を見せてニッコリと笑いました。ギリギリだった、と先輩は心底心配した顔で僕に説明してくれました。
「一年に一度だけ、この路線はああやって特別列車を走らせているんだよ。
前もって情報が入るからな、だから今日はさっさと上がるぞって言ったんだ。
あれを見るとろくなことがない。
ん?
ああ、あれを見るとな
連れていかれるんだよ。
どこかなんて知らないよ。
今までも随分といろんな奴が連れて行かれたんだ。
お前は見込みがあるからな。出来ればずっとここにいて欲しいくらいだ。だから助けたんだ。
驚いたか?
大丈夫か?
頼むぜ
居なくならないでくれよ。
俺を一人ぼっちにしないでくれよ。
これからも本当にアレには気を付けろよ。」
そう言って白い歯を見せて笑う先輩に、僕はまだ夢から醒めないぼうっとした頭で「はい」と、答えたのでした。
……………
2020年8月15日、O線特別調査。
一年に一度の特別車両による、路線浄化の取り組みについて。
18番駅、27番駅において各一体の地縛霊を確認。18番駅の霊は浄化されたものと思われるが、27番駅はさらに高位の悪霊に守られており、浄化に失敗。
27番駅地縛霊は過去に事故で命を落とした駅員と思われ、駅係員の制服を着用しているが詳細は不明。
更なる調査と浄化を希望する。
その他路線浄化は全て完了。
以上。