9 【魔法族の少年】
俺の名前はロベルト。ロベルト・ハードスタッフ。現在十二歳。
両親のことは、顔も名前も知らない。物心つく前に今いるところとは別の孤児院の前に捨てられていた。たもとに入れられていた手紙には俺の名前だけが記されていたそうだ。苗字は記されてなかったから、捨てられていた街の名前から付けられた。だから俺は『ロベルト・ハードスタッフ』。だけど、この名前を呼んでくれる人もほとんどいない。
初めに所属していた孤児院を追い出されたのは俺が三つになるかならないかの時だった。それから次には四つの時、六つの時。七つの時と、十歳の時。俺は預けられていた孤児院を追い出されて他の施設へと移されている。そうやって孤児院を転々としてきて、今のこのエメラルダの院に預けられることになった。
孤児院を追い出されるきっかけはいつだってボヤ騒ぎだった。全く見に覚えのない不審火の理由を押し付けられて折檻されて追い出されるなんてことがこれまでにこれまでの五回も続いている。移転先の大人たちからは散々な扱いを受けて、それが子どもにも伝播するせいで、どこにいっても俺は一人だった。無意味な暴力、叱責、そんなものは当たり前で、それが日常の中で俺は生きてきた。
俺が現在暮らしているこの街の周辺には魔導師ギルドってものがたくさんあるらしく、この辺りは国の中でも魔法族って呼ばれる人種の人間が大勢住んでいる区画にあたるそうだ。だからか、たまにでっかい爆発騒ぎなんかが起きていて、孤児院の大人たちは良く「野蛮人共が」と文句を言っているのを耳にした。まあ、手から炎だの水だの放出する連中のことなんてオレには良く分かんないし、関係ないことなんだけど。オレにとっては無関係なビックリ人間たちのことよりも、その日食っていく飯の心配の方が大きい。本来ならば飯の供給は院からキチンと行われるんだけど、俺は大人からも子どもからも嫌われているからまともに飯なんて貰えた試しがなかった。
「ロベルトくん」
オレはずっと一人ぼっちだった。孤児院をたらい回しにされて親しい人間なんて出来ずにずっと嫌われ者として生きてきた。だけど、オレはこのエメラルダの孤児院まで流されてきて良かったと心から思っている。
「向こうで食べられる木の実を見つけたの。まだ誰にも知られてない穴場だよ」
「でかしたメリッサ。一緒に行こうぜ」
オレはきっと、コイツに会うために今まで色んなところを転々とさせられてきたのだろうとそう思っている。
メリッサもオレと同じ、いじめられっ子で居場所がない子だった。
孤児院の前に捨てられていて親の顔も知らないオレとは違って、メリッサは親の顔を知っている子どもだった。だけどそれはけして良いことなんかじゃない。彼女の母親は当時三歳だったメリッサが泣いているのがうるさいからと、顔に熱湯を浴びせて殺しかけたそうだ。衰弱した彼女を置いて母親はそのまま蒸発してしまったらしく、そんな経緯で彼女は孤児院にやってきた。メリッサの顔は今でも右半分がひしゃげていて、右目はわずかに光をとらえることくらいしかできない。前髪を伸ばして顔を隠しているものの、それでも爛れた肌を完全に隠すことなんて出来なくて、メリッサは子どもたちから『化け物』だと罵られて一人ぼっちで生きてきた。
オレもメリッサも、ずっとずっと一人ぼっちだった。一人ぼっちが二人になって、オレたちはようやく笑うことができるようになったのだ。
「あたしみたいな『化け物』と一緒にいたら、あなたも化け物って言われちゃうよ」
初めて出会った時に彼女はオレにそう言った。
「大丈夫。オレなんて『ボヤ』だから」
誰もオレの名前を呼んではくれない。ボヤ騒ぎを起こしたからか、オレはずっと『ボヤ』と呼ばれていた。
誰も名前なんて呼んでくれなかったから、オレたちは互いの名前を呼び合うようになったんだ。メリッサと一緒にいる時だけはオレは『ボヤ』じゃなくて『ロベルト』に慣れているような気がして嬉しかった。
「メリッサ見ろよ。良いもん見つけだぞ」
「わぁ山菜だ。やったねロベルトくん」
「ああ! 後で古鍋拝借して一緒に湯がいて食おうぜ」
「うん!」
メリッサがいてくれればオレはしあわせだった。他には何も要らなかった。メリッサが渡っていると胸の中がぽかぽかとあったかくなるのだ。彼女は傷の残った自分の顔を嫌っているけれど、笑った顔は誰よりも可愛いと思う。そういうと必ず顔を真っ赤にして怒るところもとても可愛かった。
「おいおい、何やってんだよてめぇら!」
幸福だった時間に水をさすように聞こえてきたその声に、オレはとっさにメリッサを背中に隠した。
「ドーグ……!」
「探したぜー、ボヤ。オレと一緒に遊ぼうぜ」
現れたのは割腹の良い男を中心とした三人組。オレの一つ年上のガキ大将のドーグと、その取り巻きのキム、モイセスだ。オレとメリッサに目をつけてなにかと嫌がらせをしてくる。
「サンドバックタイムだぜー、ボヤ」
「分かった。そのかわり約束だからな。オレが耐え切ったらメリッサには手を出すんじゃねぇぞ」
「カッコいいねぇ。化物を守る勇者様だ!」
ゲラゲラとドーグたちが楽しげに笑い声を上げる。
「ロベルトくん……!」
「大丈夫だメリッサ。いつものことだから」
「でも……ッ」
ガキ大将のドーグは本当に手のつけられない悪ガキだった。体格が良くて何があったも暴力で解決しようとするから誰も逆らうことができない。おまけに相手が女子だろうと平気で手をあげる最低なやつだった。メリッサは小さくてヒョロヒョロで弱っちいから、ドーグの格好の的にされる。大人たちも相手が疎まれっ子のメリッサであれば強く止めたりしないことをコイツは理解していた。
だからオレからドーグに提案したのがこの『サンドバックタイム』だった。五分間、オレはドーグからどんだけ殴られようとも絶対に地面に膝をつかない。ただじ道具の使用は禁止。それが達成できたら、先三日はメリッサに手を出さないという約束だった。ドーグから声をかけられる度にオレは一方的に振るわれる暴力に耐えてきた。今のところは全勝。このルールを定めてからメリッサは一度もドーグに殴られずに済んでいる。
「ここじゃなんだからもっと広いところに移動しようぜ」
「分かった。良いだろう」
「ロベルトくん!」
服の裾を掴む小さな手。大人たちに洗濯や掃除を押し付けられてばかりだから、荒れた白い掌。オレにとっては、この手が希望の手なんだ。
「もうこんなのやめてよ。あたしのせいでロベルトくんが酷い目に合わされるの、やっぱり嫌だよ」
「大丈夫だってメリッサ。ここで山菜採り続けていてよ。すぐに五分耐えて戻ってくるから」
「でも……」
優しいメリッサは今にも泣きそうな顔をしていた。自分を守るためにオレが殴られるなんてことを、彼女が良しとしていないことくらい分かっていた。だけどやっぱりこの小さくて壊れてしまいそうな女の子があのデカいドーグに殴られていると考えると正直吐き気がしてくる。彼女がオレのために心を痛めることよりもずっと、その方が嫌だった。
「行ってくるね」
唇を噛むメリッサを残してドーグたちの後ろをついて行った。
しかしなんだ。今日はやけに機嫌が良いな。いつもドーグがオレをサンドバックにするのは、施設の大人や年上の子どもに叱られたりしたなど、決まって嫌なことがあった時で、奴はいつも腹の中に溜まった鬱憤を拳に乗せていたはずなんだけど。
ドーグは院倉庫裏にある小さな作業場までオレを連れてきた。
「元の場所から随分離れたところまで来させるんだな」
「お前のためだよ。無様に泣く声があの化物ちゃんに聞こえちまったら可哀想だろ」
「……早く始めようぜ」
ここまでの移動で既に時間を使ってしまった。あんまり待たせるとメリッサが過剰に心配するだろう。
ドーグは取り巻きの二人に時計のセットをさせる。開始の合図とともに、重たい拳が顔面目掛けて飛んできた。
図体ばかりデカいだけあって、ドーグの拳はそれなりに重たい。それでもオレが倒れなければメリッサが殴られる心配もないという気持ちだけがオレの体を支えてくれていた。頬を力任せにぶん殴られて鼻や口の中が切れようと、腹を消し上げられて一瞬呼吸が止まろうとも、オレは絶対に倒れなかった。倒れちゃいけないから。倒れたらメリッサを守ることができないから。その思いだけでオレは立っていられた。いなすこともできずに衝撃を全部受け止めなくちゃならないのは正直しんどいけれど、だからなんだ。
「あと一分」
取り巻きの一人、どっちだったかな。多分キムの方がカウントを始める。もうすぐだ。いつもと何にも変わらない。あとちょっと耐えればメリッサのところに戻れる。
「おい、もう良いだろう」
そう言ってドーグがオレを殴るのをやめた。何が起きているのか理解できずに目を丸くしていると、奴がニッと白い歯を見せてきた。
「オレたちも早く向こうに行こうぜ。やっちまえ。モイセス」
なんのことだ。次の瞬間、後頭部に思い切り何かを振り落とされた。
ガツンと、大きな音が聞こえた。視界に火花が飛び散って、脳が揺れるほどの衝撃を受けるとオレの体はぐらりと重力に従って倒れていく。薄れていく意識の中、ドーグたち三人の笑い声が聞こえた。
何が起きているのかは分からなかったけれど、メリッサに逃げろと伝えなくてはならない。それだけは直感的に理解させられていた。
◯◯◯
「ん、うぅ……」
ゆっくりを意識が浮上していく。日が傾き始めている。外にいるのか……なんでオレ、外で眠ってるんだろう。ていうか、ここどこだ……?
「い、で……ッ」
体を起こそうとすると、ズキンと頭が鈍く痛んだ。咄嗟に額に手を当てると、ヌルッとした嫌な感触が指先にまとわりついてくる。どうやら頭部から出血をしていたらしい。掌には乾き始めた鮮血がべっとりとこびり付いていた。幸いにも頭だから出血量が多いだけで傷口自体はさして深くないようだけれど、後頭部を触ると、大きなコブができていた。
「オレ、何が……」
自分が置かれている状況を思い出そうとして記憶を探る最中、答えにたどり着くと同時にサッと全身の血の気が引いた。自分の怪我のことも忘れてオレは立ち上がると、一目散に地面を蹴る。目的地は彼女と分かれた院の外れの森だった。
「メリッサ……!」
あいつらは今日、どんな手を使ってでもオレを負かすつもりだったのだろう。その目的は間違いなくメリッサだ。連中が抵抗することもできない非力な彼女に何をするのかなんて想像もつかない。きっとどうしようもなくおぞましくて、ゾッとするようなことだってドーグは容赦なくこなしてみせるのだろう。
クソッ、どんだけ眠っていたんだ。なんでもっと早く目を覚まさなかったんだ。頼むメリッサ、今助けに行くからどうか無事でいてくれ……!
血を流したからか目の前がクラクラしたけれど、それでも構わずにオレは地面を蹴り続けた。
メリッサ……メリッサ、メリッサ!
自分にはもう彼女しかいないから。彼女以外にはもう何もないから。だからどうか無事でいてくれ。そう思いながら院の敷地を抜けて森の中を突き進んでいった。
人の声が聞こえてくる。話し声を笑い声だ。
「メリッサ!」
そこには泣きじゃくって泣きじゃくって、きっともう声を出すこともできなくなってしまった彼女と、ドーグたち三人組と、彼らよりも年上の子どもが二人いた。五人の男に取り囲まれていたメリッサと目が合う。すがるような視線を向けられた。
「ロベルトくん……ッ」
引きつった彼女を見た瞬間に腹の奥がカッと熱くなった。
その熱が体全体を包み込む。広がった熱が、弾けて。爆発して。頭の中がカンっと真っ赤に染まった。
「あああぁぁぁッ!!」
許さない、許さない。許さない!!
途方もない怒りに飲み込まれると同時に体を炎が包み込んだ。




