8 好漢ですわね
ニコラスのお目当のお店はエメラルダの外れにこじんまりと建てられていた。緑のつたの張ったレンガ造りの赤い壁が『如何にも』な雰囲気を醸し出している。
いいなぁ、こういうところ。原作終わって隠居するなら、こういうお家に住んでみたい気もするよね。十九歳で隠居っていうのもなんだけどわたしの人生設計そこまでしかないからな……。
なんてことを考えながら彼の後ろについてお店に入ろうとしたところで、ニコラスに止められた。
「すまない。お前はここで待っててくれないか」
「あら、入れませんか」
「ちょっと厄介な取引がある。貴族の娘さんに見られるのはちょっと問題なんでな」
「なるほど」
要するに【黒の霧】関連の取引もあるのだろう。確かにいくら【黒の霧】のメンバーの娘とは言っても、何も知らないことになっているわたしに見せてしまうのはまずいはずだ。
「分かりましたわ。この辺で待っていますね」
「出来るだけすぐに戻る。この辺を散策していても構わないがそう遠くには行くなよ」
「はい。でもそんなに心配しないでくださいませ。何かあったとしても、わたしはもうか弱いお嬢様ではありません。いざとなったら先生に伝授してもらった魔法でお灸を据えて差し上げますわ」
「ギルドの魔導師らしくてとてもよろしいが、面倒ごとを起こさないでもらいたいですな」
「いざとなったらです。『いざ』がこなかったら、ちゃんと良い子にしていますから」
「……はあ。待っていろ。すぐに終わらせてくる」
「はい。いってらっしゃいませ」
ニコラスが扉の向こうに消えていくのを確認して、グッと大きく伸びをした。扉の隙間から見えた店内は仄暗くて、流れてきた空気には独特な香りがしてとても興味をそそられた。中に一緒に入っていくことが出来なかったのは残念だけれど、今回は我慢だ。ニコラスを困らせたくはない。
それにしても、良い天気だなぁ……。
薬草屋の周辺は森になっているため風が吹くと木々がさわさわと小さな声で囁くのが聞こえてくる。森の中はなんとなく落ち着くことができる。前世において生まれ育った場所は確かに田舎ではあるのだけれど、絵に描いたような田園地帯というわけでもなく一応街として成り立つものだった。木々の音にノスタルジーを感じるのは、今世においての幼少期を過ごしてきたロージィ邸が森の中にあるからだろうか。
二度目の幼少期でも懐古心って育つものなんだな。
ニコラスが戻ってくるまでここでボーッとしながら妄想に耽っているのも悪くはないんだけど、せっかく許可をもらっているのだから少しだけ歩いてみようか。エメラルダには何度も来たことがあるけれど大体の用事は表の通りで事足りてしまったため、こういった奥まったところまで来たのはこれが初めてだった。この辺りは特に何があるわけでもないけれど、元日本人のわたしからしてみれば、この欧州的な雰囲気を楽しむだけでも暇は潰せそうだ。
もう十五年近くこの世界で生きているのに根っこのところは日本人のままなんだよね。深層心理って言うのかな。いや、それはなんか違うか。
緑色の囁きの中で長閑だなぁとか、あの鳥はなんて言うんだろうかなんてどうでも良いことに思考を奪われていると、世界の時間が止まったような気がしてくる。世界と時間から切り離されて、わたしはここに一人でいるような気がしてくる。こんな時間がずっと続けば良いのに。そんなふうに考えてしまった。時間が止まったような気がしても、時計の針は刻々と前に進んでいく。誰に対しても平等で、ひどく理不尽に足を進めていってしまう。
今日、グレイアムの姿を見てすこしだけわたしは怖くなった。ニコラスが何気なくいったことだけど、怖気付いてしまったんだろう。
このまま時計の針が進んでいけば、わたしにとって望まない未来は必ずやってくる。それが分かっているから、始まりの鐘を鳴らしにきた彼のことが怖くなった。どうやらわたしと言う人間は自分が思っていたよりも臆病らしい。命の危険と言うものに無頓着だった前世を生きているうちは考えもしなかった。
原作を変えるなんて口では簡単に言えたし、この途方もない大きな決心は今日の晩ご飯を決めるよりも簡単にすることが出来たはずなのに。今になってその重さを思い知らされる。ううん、本当の意味はまだ理解していないのかもしれない。今はまだ、ただその重さを予見して、及び腰になっている段階なのかもしれないけれど。
原作なんて始まらなくて良いのに。このままニコラスのことを先生って呼んで慕って、魔法を教えてもらうだけの日々がずっと続いていけば良いのに。
変化の前というものは決まって心が落ち着かなくなってしまう。ソワソワして、なんだか怖くて。
「はぁ……」
「身なりの良い嬢ちゃんがこんなところで一人で何をしてるんだい?」
「ひゃっ!」
突然背後から聞こえてきた声に悲鳴を上げる。慌てて振り返ると、さらさらと揺れる尻尾のような赤い髪が目についた。
「見たところ貴族の娘さんだろ。こんなところに一人でいるなんて襲ってくれって言っているようなものだぜ」
「あ、貴方は……」
「おう。俺はグレイアム・アンダーソン。【紫の夜明け (パープル・オルトゥス)】の魔導師だ」
ええ、存じておりますわ。なんて言えるはずがないので素知らぬ顔をして「アンダーソンさん」と微笑んだ。
「ご心配なさらずとも、人を待っているだけですわ。すぐに迎えが来ますし、何があっても魔法で追い返しますから」
「驚いた。アンタ、ギルドに所属しているのか」
「いえ。まだ十四ですので所属はしておりません」
「それでもギルドに入るつもりで入るってことか。珍しいな。どこの娘さんだよ。トレイバルあたりか?」
グレイアムが出したのは下級貴族の名前だった。貴族家であっても下級貴族の娘であればギルドに所属することも珍しくはない。
「マリアですわ。エルマー・ロージィの長女です」
「はぁ!? ロージィの娘だァ?」
あんぐりと口を開けるグレイアム。きっとこれが『ロージィ家』の娘がギルドに所属することへの一般的な反応なのだろう。特にグレイアムは次男でずっとギルドに所属しているけれど、実家は貴族家だ。彼のお兄さんであるレオポルト・アンダーソンや、そのご子息たちには社交界で何度か会ったことがある。
「もしかしてアンダーソン様はレオポルト様のご親族にあられますか?」
「ああ、あれは兄貴だよ」
「そうだったのですね。お名前を聞いてもそのご容貌でしたので、よもや貴族の方の親族だとは思いませんでしたわ」
「悪かったな。貴族に見えなくて! 俺は良いんだよ。貴族出身である以前にギルドの魔導師なんだから」
「あらあら」
「ったく、品の良さそうなお嬢ちゃんだと思ったら口の方はずいぶん達者だな。流石はあのエルマーの娘だよ」
「ふふふ。父をご存知でして?」
「知ってんに決まってんだろ。同世代でどっちも貴族なんだから」
「それもそうですわね」
ちょっと可愛いなグレイアム。好きだったけど推しってほどではなかったキャラだからかそこまで緊張しないで話せるし、でも『ロベ剣』キャラと話せているのは嬉しいしでニヨニヨしてしまうな。
「そう言えば、アンダーソン様は【白の黄昏 (ホワイト・ダスク)】に所属されているわけではないのですね」
「あー……まあちょっと色々あってな」
そのいろいろについても知ってはいるんだけど。貴族の人間は基本的に【白の黄昏】に所属する中でわざわざライバルである【紫の夜明け】に所属しているといったのだから問いかけておいた方が自然だろう。
「そういうお前は【白の黄昏】か」
「ええ、もちろん」
「ってことはお前がギルドに所属したら商売敵になるわけだな」
「ええ。どうぞ手加減をしてくださいませ。アンダーソン様」
「よく言うぜ……つーか。そのアンダーソン様ってのやめろ。ファーストネームで良いよ」
「ではグレイアム様」
「様もやめろ。呼び捨てで良いよ。貴族ったって、俺はギルドでの暮らしの方が長いんだ。調子狂う」
「ではグレイアム」
「おう、マリア」
ううん。漫画読んでても分かったけど話してみると余計に実感する。本当に好漢って感じだな。放浪癖があるせいでちょっとみすぼらしい格好しているけどイケメンだし。そりゃ一話以降しばらく出番ないのに人気投票で七位から一五位くらいの地帯には必ず食い込んでくるのも頷けるよ。グッズ展開も多かったしね。
まあ、ニコラスの魅力には負けるけど。
ていうか、グレイアムめっちゃ良い人で結構普通に話し込んじゃったんだけど、この人ってなんでここにいるんだっけ? 今日って何が起きるんだっけ。
はたと我に帰ったその瞬間、地面を震わせるほどの爆音が鼓膜を激しく揺さぶったのだった。




