3 誤魔化しましたわ
彼が死んでしまったと知った時、どうしようもないくらいショックだった。どうしてと、本気で頭を抱えてその展開を呪った。わたしにとってニコラスの死は物語の一端で語れるほど軽いものではなく、もっともっとずっと重量を持ったものだったのだ。
誰に理解されなくても、身を引き裂かれるような思いは紛れもない本物だったのだ。
「だからって、いきなり泣き始めるやつがあるかー!」
逃走なう。
やばいやばいやばい! 何逃げ出しちゃってんのさ! いやでも、逃げるなっていう方が無理は話だわ!
お父様の書斎を反射的に飛び出してしまってから止まるに止まれずそのまま廊下を突き進み、その足で中庭にまで出てきてしまった。頭の中がぐちゃぐちゃだ。心音がうるさいし、指先がずっと震えている。
いやだってさ。分かるよ。ロベ剣の世界に転生したわけだから、いつか最推しのニコラスに会うことになるっていうのは覚悟してた。ていうか会わなかったらそもそも原作改変なんてできないわけだし。会うことになる、その覚悟はできてたんだ。だけどそれは原作開始……つまり主人公や同世代のサディアスが十五歳になる頃。わたしが十七歳になってからの話だとばかり思っていた。だから原作が始まる八年も前にニコラスに会うことになるなんて、そんな可能性、微塵も考慮してなかったんだ。しかも魔法の家庭教師としてなんて思うはずもないだろう。
「ぶっちゃけカテキョってシチュエーションは萌えるけど! 不意打ち、ダメ。絶対!」
ああ、もう……どうしてくれんだよ。不意打ちで心の準備なんて全くできていない状態だったから感極まって泣き出すし、涙止まんないから、いたたまれなくなって逃げ出すし。ニコラスからしてみれば意味が分からないだろう。家庭教師を請け負って、いざ教え子に会いに行ってみれば突然涙を流され逃げ出されるなんて、あまりにも不憫すぎる。わたしだったらそんなのトラウマもんだわ。
「……っ!」
うわぁぁん、ごめんニコラス! でも無理! 心の準備もなしに最推しに会うとか無理。同じ空間にいるとか、呼気交換が成り立ってしまうじゃん! オタク、同じコマに押しカプがいたらセックスとか言い出すんだよ。呼気交換が成り立ってしまったら、それはもう……もう……。
「……どぅふふ」
いかん、邪念が。
……じゃなくて。そうじゃなくて。
走っているうちに涙は止まったものの、今更戻ることもできずに中庭で頭を抱えてただ立ち尽くしてしまっていた。
「はぁ……」
生きてるんだ。時間軸を考えたら当たり前なんだけど、ニコラスが生きている。
今この時間では、彼は息をしているのだ。
「どうしよう……すごく嬉しい……」
ああ、完全に油断してたなぁ。ていうか今のニコラスって何歳? 原作開始時が三十二歳だから……今が二十四歳か。本編でも見たことないところじゃん。完全に新規じゃん。うわぁ……過去編で幼少期は見たことあるけど二十四歳ニコラスも色気がやばい。原作軸よりも若い。ぬふふ。
……ダメだ、どんどん邪念が浮かんでくる。もう目の前の現状から目を背けたくて邪念しか浮かんでこないんだけど。
「ニコラス……ニコラス・ウェインライト」
小さく、その名前を呼んでみる。
己の信念に則って、最後には命まで投げ打って、己の使命を遂行するために散っていった人。
「やばい……分かってたけど本当に会うことになるなんて……」
心臓がバクバク音を立てている。呼吸の仕方が分からなくなっていまいそうだ。心なしか胃が痛い。
「……はぁ、どうしよう」
まず逃げ出したことをどう誤魔化すべきか。前世からあなたのことを知っていたので感極まって逃げ出しましたなんて言えるはずもないし。そんなこと言ったら変人確定だ。ただでさえちょっとロージィ家の娘としての淑女の猫の皮が剥がれつつあるというのに。
「あーもう、なんで泣き出すの……」
せめて泣かなければどうにか誤魔化しがきいただろうに。
「……本当ですな」
「……なッ!?」
背後から聞こえてきたその声に慌てて振り返った。
「ニ”……ッ!?」
「お探ししましたよ、マリアお嬢様」
……『お探ししましたよ、マリアお嬢様。』
…………『お探ししましたよ、マリアお嬢様。』
………………『お探ししましたよ、マリアお嬢様。』
……………………『お探ししましたよ、マリアお嬢様。』(エコー)
お……ッ!
推しの新規ボイスが、夢女陥落必須の件について!!
いや、わたしはキャラ推しであって夢女ではないんですけど!
ここまで走ってきたのだろう。若干息が上がっており、血色の悪いはずの頬が紅潮しているのが暗がりでも分かる。
「も、申し訳ございません。ニ、ニコラス様……」
「いえ。お気になさらず。こちらこそ、何かお気に触るようなことをしてしまったようで……」
「そ、そんなことはありませんわ! ただ、わたしが、その……」
なんて言えば良いのだろうか。言葉が出てこなくて言い淀む。
「いえ……とにかく。ニコラス様は何も悪くないのです。お気を使わせてしまって申し訳ございません」
「マリアお嬢様……」
「と、とにかく……ッ、そうですわ。お、お夕飯に参りましょう。料理長から聞いたのですが、今日は海老のビスクを作ったそうなのです。ほら、ニコラス様は海老がお好きでしたでしょう?」
場の空気に耐えきれなくなって、そう言って誤魔化して屋敷の方へと歩き出した。
「お待ち下さい、マリアお嬢様」
「な、なんでしょうか。ニコラス様」
ひえ……やっぱりニコラスにお嬢様って言われる破壊力がえげつないよ……!
なんて呑気なことを考えていたわたしは、次のニコラスの言葉に凍りつかされた。
「確かに海老は私の好物ですが、どうして貴方がそれをご存知なのですかな」
「……ッ!」
やっちまったァァァァァ! 思わず口が滑ったぁぁぁぁ!!
公式ファンブックでも海老が好きって書かれていたし、コマの端っこで海老食べてほわってしてるシーンとかあったりと。ニコラスクラスタからしてみれば海老が好物というのは常識だったからうっかり口に出しちゃったけど、ニコラスと出会ったばかりの『マリア・ロージィ』がそんなことを知っているはずがないじゃない!
うわうわうわ、何やっちゃってんのわたし! こんな凡ミスしでかすなんて!
ええっと、誤魔化せ。誤魔化せ……!
「ええと、その、お父様からお聞きして……」
「エルマー様にも好物のことなどお話しした覚えはないのですがね」
「へぁッ!」
どどどどど、どうしよう……! 回避するはずが墓穴掘ったのでは!?
海老好きそうな顔してましたからとか? そんな馬鹿な。どうしよう、どどど、どうしよう……!
わたしがこの世界で起きる先々の展開を知っていることは他人にばらしてはいけないと思うのだ。だって、もし先の展開を知って人々が大きく動いてしまったら、それはもうあたしが知る未来ではなくなってしまうだろうから。そうなってしまうと来たるべきタイミングで助けたい人を助けることができなくなってしまうかもしれない。そうならないように、わたしはこの『原作知識』というある種のチート能力を隠していいかなくちゃならないんだ。
これまでは原作に登場するキャラクターとの接点は家族くらいしかなかったから完全に油断していた。
「ええ、っとそれは……これは、その……」
なんとか脳みそをフル回転させて言い訳を考える。ダメだ。どう足掻いても打開策なんて出てこない。
ええい、こうなったら最後の手段だ!
「夢で見たのです!」
そう言って顔を上げると、月明かりの中でこちらを見下ろしてくる彼の緑色の目と視線がぶつかった。
うわ……どうしよう……本当にあたし、ニコラスと喋ってるんだ……!
……じゃなーい! 消えろ雑念!
「夢、ですか?」
「信じていただけないかもしれませんが……わたしは予知夢と言えば良いのでしょうか。先の未来をごく稀に夢に見ることがあるのです。実は夢の中でニコラス様のことをお見かけしたことがありまして……だからその……驚いて逃げ出してしまったのです。先ほどは大変失礼な態度を取ってしまい、申し訳ございませんでした」
もう一度、彼に向かって頭を下げる。
……いけるか?
実際に予知夢を持った人がいるっていう話は書斎の文献にも記録が残っていた。だから原作知識持ちを誤魔化すための嘘としては、ありえない話ではないはずだ。これで誤魔化しが聞かなかったらどうしようもない。腹を切ろう。
「なるほど……」
お……!?
「予知夢、ですか……」
「信じていただけますか?」
「ええ。実際に誰にも話していないことを言い当てられたのですから、信じるしかありません」
よっし! なんとか誤魔化し作戦は成功したようだ。
「……マリアお嬢様」
「はい、なんでしょうか」
「予知夢に関してはお父上などにもお話しされているのですか?」
「あ……いえ。お父様やお母様には変な心配をおかけしたくなかったので……それに予知夢とは言っても見たいものを見たいように見れるわけではありません。ただの夢であるのか、それとも予知夢であるのかも、実際にことが起こってみるまでは区別はつきませんし。だから、ニコラス様以外には誰にもお話ししておりません。未来については知らないフリをして生きていきました」
「……そうですか。確かに、お嬢様の身の安全について考慮しても、このことは不用意に他言しない方が賢明かもしれません。悪用しようとする輩が出るかもしれない」
「それでしたら……」
「ええ。このことは私とお嬢様、二人だけの秘密になさいましょう」
そう言って彼は悪戯っぽく笑ってみせた。
……あ、そうか。彼はわたしを駒にするつもりなんだ。
一瞬どきりとしたけど、これはときめいていい笑顔ではない。元来、人嫌いであるはずの彼が一人の少女に対して、こんなふうに微笑む理由は一つしかなかった。
この時期のニコラスは、大切な人をなくして『黒の霧』にスパイとして潜り込んでいる。お父様に近付いたのも、わたしの家庭教師を請け負ってくれたのも、『黒の霧』のメンバーであるお父様に取り入るために他ならないだろう。そして彼が今わたしをどう見ているのか、想像するのは難しくない。将来的に使える駒として、未来視の力を持った少女を手中に収めておけば己の使命を全うするのに役立つだろうとか、そんな算段をしていることだろう。
……いいよ、ニコラス。それでいいよ。わたしはあなたの駒で構わない。
でもわたしのこの記憶はあなたが死ぬ未来のためになんて使わせてあげないから。
この記憶はあなたを守ために使うから。だから、それはごめんなさい。
でもいつか、懐柔のためじゃない。あなたの本物の笑顔が一度でも見ることができたら嬉しいな、なんて。それはちょっと我儘が過ぎるだろうか。
「戻りましょう、マリアお嬢様。明日から、週に二度ほどこちらのお屋敷にお邪魔する予定です。どうか、よろしくお願いしますね」
「こちらこそ、よろしくお願いいたしますニコラス様。……ああ、そうだ」
「どうなさいましたか?」
「えっと……あの、ニコラス様。わたくしのことはよろしければマリアと呼んでくださいませんか?」
これはちょっと流石に厚かましすぎたかな。
そう思ったんだけど、振り返った彼はわずかに口角をあげていた。
「……では、私のことは先生と呼んでくださいますかな、マリア」
と、言い放った。きゅーんと上昇していく体温。
「ゆ……ッ」
夢女子になってしまうやろーッ!!
その叫びを(若干漏れ出してはいるものの)、心の中に押し留めることができたわたしに賛辞の拍手を送ってほしい。
こうして、わたしは無事に魔法の家庭教師を獲得。
おまけに最推しのニコラスに、予知夢ということで知識持ちであることが微妙にバレたのだった。




