2 行き詰まりましたわ
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弟、サディアスの誕生。そしてマリアが前世の記憶を取り戻してから月日は流れて、七年もの歳月が過ぎた。
ロージィ家の長女、マリア・ロージィは今年で九つになる。品行方正、容姿端麗。彼女は絵に描いたような淑女として立派な成長を遂げていた。
最も、父であるエルマーからしてみれば少々難のある娘であることもまた事実だった。否、娘としてはマリアはなんの問題もない少女なのだろう。ただ、彼女は貴族の娘としては問題なしとは言い切れない子どもだった。
マリアは年頃の娘たちのようにお茶会に参加をして詩集片手におしゃべりをするようなことはあまり好まず、基本的には木陰に腰をおろして本ばかり読んでいるような少女だった。勉強熱心であるのは良いことなのが、彼女の関心はもっぱら実践的な魔法に向けられている。正直なところ、これは貴族の娘にとってはさして重要なものでもない。
「マリア、魔導書も良いが詩集の一つも覚えていないと社交界で恥をかくぞ。例えば『秋の夜の』……」
「『菫の乱れる、泉の瀬。星の落ちる水面に浮かぶは一夜の逢瀬、滴が描くは明日の涙』ですわね。それが載っている本はもう覚えてしまっていますわ。それと『フルーゲルの歌』や『アドリューのこどもたち』。コアなところですと『日の落ちる荒野』もすきですわ」
「……」
「ですのでお父様。わたしはもう詩集は十分です。だからこちらの『魔法薬学大辞典』を買ってくださいませ」
しかしながらこんな調子で、マリアは全くと言って良いほど隙を見せない。
正直、好きにしろ以上の何を言えるのだろう。頻度が少ないとは言え、貴族の娘としての働きも十分にしてくれている。むしろ『深窓の令嬢』と呼ばれて、その価値は十二分に釣り上がっているようにすら思えた。
マリアは社交性がないわけでもない。それならばもっと社交界に足を運んでも良いのではないかと当人に言ったところ「同じ話を三度も四度もする趣味はありませんわ」と返された。
親からしてみれば難癖は付けられないものの少々難ありではあるものの、彼女は名家ロージィ家の名に恥じない純粋培養の淑女として彼女は成長していた。
……もっとも、表向きには。の、話なのだけれど。
「お姉さま!」
その日もマリアはバラ園の隅に植えられた木陰で一人魔導書を読み耽っていた。自分を呼ぶ声に気が付いて、紙面から顔を上げ、白魚のような指先で色素の薄い髪を耳にかける。
「あら、サディアス。あんまり走ると転んでしまうわ」
こちらに走り寄ってくるのは、弟のサディアスだ。走る度にピョコピョコと金色の髪が揺れ、陽光を反射してキラキラ光っている。
「ボク、転んだりなんかしないです!」
きっと廊下の窓からここにいるマリアを見つけてここまで走ってきたのだろう。ほんのりピンク色に赤らんだ頬を膨らませる姿がなんとも可愛らしい。
「あら、この間転んで泣いていたのは誰だったかしら」
「ボクじゃないです!」
ムッとしてみせても可愛いだけでしかない。
「お姉さまはまた魔導書を読まれていたんですか?」
「ええ、そうよ。この間お父様に買っていただいたの」
「……」
「……どうしたの、サディ」
唇を尖らせるサディアスの顔を覗き込むマリア。愛らしい弟君はどうやらご立腹らしい。
「お姉さま、ボクと一緒にピアノを弾いてくださるって約束だったじゃないですか。ボクずっと楽しみにしていたのに、お姉様ったらいつも本を読んでばかりなんですもん」
「あらあら。あらあらあら」
「わ、笑わないでくださいよお姉さま!」
「ふふ、ごめんなさい。可愛らしいなって思って」
「ボクは男の子なんですから。可愛いって言われても嬉しくないです」
「ごめんなさい、ごめんなさい。それでは、これから埋め合わせをさせてちょうだいな」
マリアが言うと、パッと彼の表情が明るくなる。花が咲いたようなかんばせに思わず頬が緩んだ。
「本当ですか? 嘘じゃないですよね?」
「ええ、わたくしは嘘はつきません」
「じゃあ今からですよ。今からすぐに向かいますよ!」
「行くわ。行くったら。もう、引っ張らないでちょうだいサディ」
「早く、早く行きますよ、お姉さま」
「ふふふ、だから引っ張らないでったら」
小さな弟に手を引かれながらマリアは庭を駆けて行く。弟の我儘にはついつい、本を読む手が止まってしまう。可愛い弟の存在はマリアにとって、勉強時間短縮につながる恐ろしい刺客だった。
それから数刻後、サディアスとの約束を終えたマリアは一人で自室に戻っていた。もうすぐ夕食の時間になってしまうため、これ以上野外で読書をするのは厳しいだろう。今日はもうバラ園での勉強会は諦めるしかなかった。
少々令嬢としては毛色の変わった少女ではあるものの、先筆の通り、マリア・ロージィは彼女は絵に描いたような淑女として立派な成長を遂げていた。
だがそれはあくまで表向きには、という話であるのだが。
マリアは、ぼふんと思い切りベッドの上に身を投げる。ふわふわのドレスがシワになってしまうだとか、そんなことはお構いなし。そして手身近なところにある枕をギュッと抱きしめると。
「はぁぁぁぁぁぁぁッ! 弟が天使すぎるんじゃぁぁぁぁ!」
貴族の御令嬢あるまじき奇声を思い切り張り上げた。
「はわわ、かわいいよぉ、かわいいよぉサディ! なんなのあのぷにぷにほっぺ。怒ってても可愛いお口がむにゃむにゃ動いてるってことしか頭に入ってこないんですけど! はあ、かわいい! ショタコンじゃなかったけど目覚めてしまいそうだわ。あと五年もしたらインスタでめっちゃ人気の海外のジェンダーレスモデルみたいに成長するんだろうな……あああ、ありがとうDNA! エルマーパパもステイシーママもハリウッドスターかってくらい綺麗な顔してるもんね。そりゃあ綺麗な子に育ちましょうよ。そうでしょうよ! ……ああ、もう。モブおじさんに狙われないか今からおねーちゃん心配! あんなに可愛いんだもん、世のモブおじさんが放って置かないわ!」
そう、これが。わたくしマリアの本性なのである。
枕を抱き潰しながらゴロンゴロンとベッドの上を転げ回る。もちろん、防音魔法はしっかりかけてある。深窓の令嬢の中身は絶対に社外秘だ。これがバレたら腹切って死ぬしかない。マリアなんてキャラは原作にいないからキャラ崩壊も何もないんだろうけど。
「サディのお姉ちゃんがオタク女とか解釈違いもいいところだわ!」
ということで、全力で両親が望む淑女街道を突き進んでいる。
やれやれと肩を竦めながら、わたしはふと天井を見上げた。
「あれからもう七年が経つんだよね……」
前世の記憶を取り戻り、ここがロベ剣の世界かもしれないことに気がついたわたしは急いで情報を集めまくった。そして記憶の中の情報と、図書館みたいに広い書斎にあった本で調べた情報を照らし合わせてみた結果、やっぱりこの世界は『ロベルトの剣』の舞台で間違いないという結論に達した。
物語のモブになる道を捨てて、原作改変を目指すことにしたわたしはすぐに、来るべき日に備えて準備を行うことにした。早い話が魔法の訓練である。この物語はあくまで少年漫画。バトル要素は必須であるため、戦えないことには何も始まらない。だからまず家にある魔導書を片っ端から読んで、可能な限り魔法を発言できるのかどうかを試してきた。『いずれ嫁に行く貴族の娘に魔法は不要だ』って言われたけど、そんなことは知ったこっちゃない。貴族の娘には不要でも、わたしには必須なのだ。
「そのおかげで今や立派な『深窓の令嬢』ってね……」
社交界に出たがらないのは単に時間の無駄になることが多すぎるから。同じようなメンツで集まって同じようなことをぺちゃくちゃとずっと話しているくらいだったら、一つでも多くためになる魔法を覚える方がずっと有意義なんだもの。わたしには時間の制約もあるしね。年単位だけど。それでも貴族同士のコネクションはいずれ何かしらの武器になるかもしれないからって最低限、参加はするようにしている。お父様の顔も立てないと、いけないし。
「それに社交性に関してもね……前世はただのコミュ障女だけど、さすがにあれだけ実年齢が年下の子たち相手に緊張もなにもないのよね。やだ、これってオバチャン化してるんじゃないの……? 今世まだ九つなのに」
あらやだ。
「とは言ってもそろそろ独学で学ぶのも限界なんだよね……」
前世OLのわたしが独学で魔法を学ぶのはなかなか大変なことだった。他人に指示を仰ぐことが簡単にできたらいいんだけど、わたしがつまずいているところは、ちょっと解決がしにくいものだった。
「お父様に頼んだら誰か先生つけてくれるかな……でもそう簡単に『同じ』人が見つかるかも分かんないし……」
どうしたものかなぁ。聞けるのだとしたらお母様なんだけど……あの人ギルドにも入らずにそのままお嫁に入った典型的な魔法貴族のお嬢様みたいだから、多分聞いても分かんないよね。屋敷の人たちも……うーん。そもそも魔法がある程度使えるんならわざわざ屋敷仕えなんてしてないか……。
その時、コンコンとドアをノックする音がした。
シュバッ!
反射的にベッドから飛び上がる。ずっとここで本を読んでいましたよみたいな顔を作りながらソファに腰掛けて、本を片手に紅茶を啜りながら「どうぞ」と小さく呟いた。パチンと指をひと鳴らしして、防音呪文は解除しておく。
「失礼いたします、マリアお嬢様」
「どうしたの、セキ」
「旦那様がお呼びです」
「……お父様が?」
なにかしら。また社交界? お茶会の招待状? もう、本当に貴族の娘さんたちってほかにやることないのかね。
「ありがとう、すぐに向かうわ」
愚痴を自分付きのハウスメイドにこぼしたところで相手を困らせるだけだから、言葉を飲み込んで笑顔を向ける。
「ねえ、セキ。お父様、何かお怒りのようだったかしら」
「そんなことはありませんでしたよ。それに坊ちゃんならともかく、お嬢様はいたずらなんてなさらないじゃないですか」
「まあ、そうなのですけれど」
天使のような顔をしておきながら、サディは結構おてんばだったりする。そこがまた可愛いんだけど。いたずらをしては良く執事長に怒られてるっけ。ああ見えて普通の男の子なんだな。
でもお怒りでもないのなら何かしら。良く考えたらもうすぐお夕食の時間なんだから、お茶会の話ならその時にすればいいはず。わざわざ呼びつけてするほどのことでもないよね。
は……まさかもう婚約の話? それとも『黒の霧』への勧誘だったりしないよね!? 中身はどうあれあたしまだ九つだよ!
うちのお父様、エルマー・ロージィは、原作通りならば表向きにはギルドを取り仕切る魔法族の最大機関『魔導協会』の役員をしているけど、その裏でラスボスが設立した闇のギルド『黒の霧』に所属している。我がパパながら、完全に悪役サイドの人間なのだ。話の終盤には息子のサディアスを闇ギルドに引き入れていたことを考えると……わたしが勧誘されてもおかしくないのでは?
さてどうしたものかな。あっという間にお父様の書斎の前にまでついてしまったではないか。
ええい、しょうがない。いったれ。
「お父様、マリアです」
「入りたまえ」
「失礼いたします」
書斎ではお父様が一人でお仕事をされていた。闇のギルドと魔導協会の二足の草鞋をしているからか、お父様は大変多忙でいらっしゃる。
「座りなさい」
言われるがまま、ソファに腰を下ろした。さあ、どう出ますかエルマーパパ。
「マリア、君に家庭教師をつけようと思うのだけれど。どうだろう?」
「え……?」
完全に予想していなかった話の流れに思わず面食らってしまった。
え、家庭教師?
「家庭教師ですか、お父様……」
目をパチパチさせていると、お父様は緩やかに口角を持ち上げた。
「改めて確認をするけど、マリア。君は成人をしたらギルドへの加入を希望しているんだよね」
「はい。そのために今から魔法を学んでいます」
「貴族の娘に不要なものだと言っても?」
「一般論は知りません。わたしには必要なものですわ、お父様。わたしはギルドに入りたいのです」
ハッキリと伝えると、お父様はクスリと肩を揺らして見せた。
「まったく……マリアならそう言うだろうと思っていたよ。サディアスのように私が教えられれば良いのだが、私の魔力の属性はマリアのそれとは異なっているからね。ステイシーに聞こうにも彼女はほとんど魔法が使えないからね」
「そうですわね……」
「私の友人にちょうど君と同じ属性の魔力を持っているものがいるんだ。彼をこの家に招くことにしたから、魔法については彼から学ぶといい」
「ありがとうございます、お父様!」
「その代わりに、これからはもう少しその出不精を治してもらうよ。いいね?」
そう言って彼は戯けたようにウインクをして見せた。
「は、はい。分かりましたわ」
うぐぅ……我が父ながら何という破壊力。実子でなければ籠絡必須の眩しさですわよ、お父様。その笑顔でこれまでにどれだけの女性を虜にしてきたのですか……!
眩しいエルマーパパスマイルにあやうく落とされかけていると、こんこんと控えめに背後のドアがノックされた。
「ちょうどいいところに来た。入りたまえ。……マリア、お前の先生だよ」
そういえば今更だけど、わたしの家庭教師って誰なんだろう。原作に出てきてる人かな。お父様の友人ってことは『黒の霧』関連の人? その中でわたしと同じ属性の魔力を持っている人って……。
あれ……。
自分と同じ属性の魔力を持った人間と言われて、パッと浮かんだのは最推しの顔だった。
「失礼いたします」
低い声が鼓膜を揺らした。その瞬間にどきりとオーバーなくらいに心臓が跳ねる。
うそ……この声……。
ゆっくりと開かれるドア。その様子をあたしは食い入るように見つめることしか出来なかった。
揺れる深い青色の髪。墨で塗り潰したかのような全身真っ黒な衣装。
その人は書斎に入って来ると、伏せていた顔を緩慢な動作で持ち上げた。その際に前髪の隙間からエメラルドグリーンの大きな瞳が垣間見える。それは、強い意志を持った、とてもとても強い瞳だった。
目の前の光景が信じられずに、呼吸すらも忘れて目を見張る。
「お初お目にかかります、マリア様。ニコラス・ウェインライトです」
そんな……。
まさかこんな早い段階で彼に会うことになるなんて思ってもみなかった。
わたしの前に突然現れたのは、ずっとずっと会いたかった人。その人が生きて、動いて、目の前にいる。
ああ……本当に、ニコラスがいるんだ……。
「ニコラス、よく来てくれたね。これがうちの娘のマリアだ。ほら、マリア。挨拶を……マリア?」
「えっと、お嬢様……?」
「……あれ?」
頬を伝う熱い滴。指で目元に触れた時初めて滴が自分の双眸からこぼれ落ちていることに気がついた。ああ、わたし泣いているんだ。それが分かっても、次から次へと溢れてくるそれを自分の意思で止めることはどうしてもできなかった。
「やだ、わたしったら……なんで……」
笑って誤魔化そうにも涙は止まってくれない。止まれ、止まれ。そう思うのに涙腺はいう事をきかない。
ちらりとニコラスのことを盗み見た。彼はどうしたらいいのかわからないと言った表情で目の前の少女に視線を送っている。
ああ、どうしよう。本当にニコラスがいる。
彼はまだ、生きているんだ。この世界ではまだ、ニコラスは死んでいない。
そう実感してしまうと、涙腺はさらに緩んでしまった。
「……ご、ごめんなさい!」
いたたまれず、どうしたら良いのかも分からずに、踵を返すと。わたしはその場から逃げるように走り出した。




