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悪役令嬢はダークヒーローを救いたい  作者: 橘田ぽんず
第二章 魔導師ギルド【白の黄昏】
17/18

17 脱走劇ですわ




「はぁ……ッ、は……っ」


小窓からこっそりと外に抜け出すと、わたしはそのまま小屋の裏手にある川辺を沿って走り出した。川に沿って進んでいけばエメラレルダにたどり着ける。太陽の位置からおおよその方角も特定出来るため、反対方向に進んでいってしまうということもないだろう。

 確かに馬車で相当な距離を進んでしまっているから、ここからエメラレルダまで人の足で向かおうとするのは無謀かもしれない。だけどエメラレルダまでたどり着かなくても、ある程度の距離にまで近付けば、ギルドまでの帰り用にマスターから渡された魔法石が使えるようになるはずだ。今はまだ街まで離れすぎていることと、わたしの魔力が抑えられてしまっている関係で飛んでいくことが出来ない。移動用の魔法石は、現地と目的地との距離が離れていればいるだけ大きな魔力を消費するのだ。だけど逆に言えばある程度近いところからならば、少量の魔力でもギルドまで飛ぶことができる。移動魔法を使ってしまえば、もうセリアンであるポラリスたちがわたしを追うことはできないだろう。

 移動用の魔法石のことまでは知らないにしろ、目印として川沿いを逃げることは向こうも想定しているはずである。わたしが逃げ出したことに向こうが気が付くまでどれだけの時間があるのかは分からないけれど、川沿いを走っていれば当然、見つかるリスクが増えるだろう。だが、それでも何もない場所で見つかってしまうよりは、水辺で敵に見つかる方が遥かに好都合なのだ。


「探せ!!」

「あの怪我なら、そう遠くまで逃げられねぇはずだ!」


来た……ッ!!

思っていたよりもお早い到着だ。足音から察するに相手は馬に乗っているようだ。

 水の魔力を持っている魔導師は魔力によって水を放出させることが出来る。それがわたしたちの属性魔法。だが水の魔法はそれだけではない。その場にある水を自在に操ることもできるのだ。水のない場所に水を発生させるには一定以上の魔力が必要だけれど、水を操るだけならばさした魔力は必要ない。もっともその程度の魔法じゃ水遊び程度にしかならないけれど、セリアンを数人足止めするには十分だ。

 馬に乗っていたのなら好都合だ。


「いたぞ!」

「く……ッ!」


 発見されたその声を合図に魔法を発動させる。大丈夫だ。傷口は痛むけれど、ほんの少しの水くらいならば操れる。馬は臆病な生き物だ。水と目の前で弾けさせてちょっとでも驚かせてやれば、落馬を招くことも簡単だ。落馬に巻き込まれて相手に隙が出来たその間に足を進めていった。少しでも遠くに進むんだ。ギルドに繋がる魔法石に魔力を込めるが、まだ視界は変化しない。まだダメだ、ダメだ。もう少しだけ遠くに進まなくては、ギルドには帰れない。


「商品がいたぞー!!」


 誰が商品だ、誰が。足音が背後から聞こえてくるけれど、わたしは出来る限り平静を保っていられるように心がけた。落ち着け、大丈夫、何も問題はない。そう自身に言い聞かせ続ける。だって思考が鈍れば、この程度の魔法すら使えなくなってしまうから。相手はセリアンだけれど、こちらが完全に魔法が使えなくなってしまったら絶対に太刀打ちできない。先生が言っていただろう。思考が鈍れば術式を組むことはできなくなってしまうから、魔導師にとって一番大切なものは思考が鈍ることだ。

 馬を捨てて己れの足で追いかけてきたのだろう。今度はもう先ほどみたいに落馬で足止めをすることは出来なさそうだ。でも人を溺れさせるためにはコップ一杯の水があればいい。追いつかれそうになったら、水を使って相手を溺れさせる。その隙に距離を稼ぐ。

 すこしでも、一歩でも先に進んでいけばきっとギルドに届くから。


「はぁ……ッ!」


 セリアンは魔法を使うことが出来ないのがせめてもの救いだった。幸いなことに製造方法が破棄されている銀の弾丸は今の時代、貴重なものとなっている。ポラリスも弾は一発分しかないと言っていたから、これ以上魔力を抑えられてしまう心配もない。

 二度、三度。同じことを繰り返しながら走り続ける。


 どれだけ走らせるつもりなの……ッ、いい加減、呼吸が辛くなってきたわよ……!


「わ……ッ!?」


 突然、足がもつれて視界が傾いた。濡れた岩に足が滑ったのだと理解をするまでに時間はかからなかった。前のめりに体が傾いて、その場に転がってしまう。


「うう……ッ」


 早く、早く。立ち上がって逃げなくちゃ、ここまでせっかく稼いできた追手との距離を詰められてしまう。そう思うのに、走り続けてきた疲労が足に来てしまったのだろうか、立ち上がることが出来なくない。膝がガクガクと震える。気道が絡まって上手く呼吸をすることが出来ない。


「は……ッ、はァっ」


 それででも、這ってでもその先に進もうとする。少しでも前に進んでいけば、ギルドに移動するための魔法石が使えるかもしれない。しかしその矢先、背後から歓喜に満ちた男の声が聞こえた。


「いたぞ!」

「……ッ!!」


 どうしよう。追いつかれてしまった。また水を浮かせて……ッ。


 そう思うのに、実行に起こす前に髪の毛を掴み上げられる。


「イ……っ!」

「つーかまえたっ」


 どうしよう。追いつかれてしまった。どうしよう、どうしよう。どうしよう……! このままじゃあ、わたし本当に捕まって……!


「へぇ、こうやって見るとなかなか上物じゃねぇか」

「は……ッ、は……っ!」

「あーあー可哀想に。怯えちまってよう。ギルドの魔導師って言ったって良いとこのお嬢ちゃまじゃ、無理もねぇか」

「ひ……ッ」


 嫌よ。嫌。原作なんて微塵も関係ないところで、こんな形で。奪われたくない。わたしは、わたしが、なんのためにこの世界にいると思っているの。


「せっかくだから、ちょっと遊んじまっても問題ないか」

「!?」


 何を……。

 理解をする前にシャツを引きちぎられる。


「いやッ!」


 貴族に道具をして売られていく前にこんなところで純潔すらも奪われなくちゃならないのか。

 こんなところで、まだ何もしていないのに。ニコラスのことも救っていないのに。ギルドに入ったばかりだっていうのに。


「いやだぁ!」

「暴れんなよ。恨むんだったら、あのポラリスに目ぇつけられた己れの悲運を恨むんだな」

「やだ! いや、離して!」


 咄嗟に川の水をコップ一杯程度浮かせて相手の顔に貼り付ける。


「ごぼ……ッ」

「……ッ!」


 相手が動揺しているその間に逃げ出さなくちゃ……!


「ンの……!!」

「が……ッ!」


 身を翻して逃げようとしたその時、背後から首を締め上げられた。


 この人……溺れながら……!!


 首を締め上げられる。どうせなら道連れにということなのだろうか、それとも、わたしを締め上げれば魔法が解除されると思ったのだろうか。ダメだ、このままじゃ本当に落とされる。意識が弱まれば、相手の顔に貼り付けた水を動かす魔力も切れてしまう。持久戦はこちらの方が圧倒的に不利だ。

 どうしよう。本当に、本当に殺されてしまう。


 死ぬ……死ぬの……?

 わたし、また、死ぬの?


 死の恐怖に直面したこの時、わたしの脳裏にある光景が浮かんできた。


 わたしは一度死んでいる。

 前世の記憶を持って転生したということは、つまり、一度死を経験しているということに他ならない。しかしわたし自身はそのことにあまり疑問を抱かずに生きていきた。そういうものだと、自分の死を当たり前のように受け入れて生きていきた。前世のわたしの死因は事故死だった。飲酒運転をしていた暴走車に巻き込まれて死んだのだ。

 知識としては己れの死の原因を知っていたけれど、それはわたしにとって死の実感を伴う記憶ではなかった。わたしの中にあったのは、『わたしは暴走車に轢かれて死にました』という事実だけだったのである。その意味を、深く理解しないまま きょうまでをいきていた。


 しかしここに来て、首を締め上げられて本当に殺されるかもしれないという本物の死への恐怖に直面したその時、わたしは当時のことを全て鮮明に思い出したのである。

 どうやって自分が死んだのか。

 一度経験をしている死というものはどういったものであったのか。本来ならば生者は知ることのないその現象がなんであったのか。

 あの時わたしが何を感じたのか。

 二度目の死を前にして、わたしはそれらを克明に思い出してしまった。走馬灯というものはそれまでの経験からしを回避する情報を探すために見るものだと聞いたことがあるけれど、走馬灯で己れの死を思い出す人間なんてわたしくらいしかいないものだろう。


 とにもかくにも、わたしは己れの死について思い出したのである。

 勤め先はブラック企業と言うほどではないけれど、さすがに忙しい時期は夜遅くまで残業をすることもあって、その日は九時まで会社に残って仕事をしていた。炊いておいたお米は食べ切ってしまったけれど、今から炊くのもめんどうだから今日くらいはコンビニ弁当で済ませてしまってもいいかななんて思いながら歩いていたのを覚えている。突然視界が真っ白に染まったと思ったら、次の瞬間には背後のブロック塀に体を打ち付けられていた。

 体の前には車があって、フロントガラスの向こう側に目を見張った運転手の顔があったのを覚えている。高齢者ドライバーというやつだった。男は気が動転しているのか、アクセルを踏み続けていたようだった。痛い痛いと泣き喚いても男はアクセルと踏み続けていて、塀と車に挟まれていながらもなかなか死ぬことが出来なかった。それまでに感じたことがないくらい痛くて、苦しくて、怖くて、どうしようもなくてただ叫び続けていた。ボンネットが真っ赤に染まっていく。駆けつけた人たちが窓ガラスを叩き泣きながら運転手の男にバックしろって言っていたけれど、今更車を引かれてもわたしの体がぐちゃぐちゃになってしまっているのにと思って泣きたくなった。

 真新しい靴に泥が跳ねてしまったときの残念な気持ちを持った大きくしたような感情が、胸の中を満たして行った。

 アクセルを踏まれ続けて、体がぐちゃぐちゃになっていくのを感じながらわたしは意識を飛ばした。

 それがわたしにとっての『事故死』の記憶だった。


 死とは怖いものなのだ。

 だって死んでしまったら全てがなくなってしまうから。

 知らなかった。死ぬことがあんなに怖いなんて思ってなかった。


「あ、あぁ、ぁが……ッ」


 呼吸がつまり、意識が遠のきそうになる中で、わたしを満たして行ったのは『死への恐怖』だった。

 死にたくない。それはこの世界で何がしたいからだとか、そういったかんじょうをすべてはいせきしたただのイチ生物して感じた恐怖心だった。あんな思いをもう二度としたくない。その思いだけがわたしの思考回路を満たして埋めて行った。

 いやだ。死にたくない。

 死にたくない。

 死にたくなんかない……!!


「ああ、あぁぁぁああぁぁぁぁッ!!」


 カッと頭の中が真っ白になった。

 それからのことはもうよく覚えていなかった。




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