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悪役令嬢はダークヒーローを救いたい  作者: 橘田ぽんず
第1章 転生しまして、ごきげんよう
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1 転生しましたわ




 北部ウィンテル地方のシュリッシェンにも、春がやってきた。

花の匂いが空気を満たし、この季節特有のちょっとムズムズするようなこの季節特有の風が、悪戯に少女の髪を弄ぶ。


「はあ……」


 窓の外を眺めながら、幼い少女が憂いた表情で空を見上げる。


「おとうとなんて、ちっともすきじゃないわ」


 緑が多いその街の、人里離れた森の中にその屋敷はあった。貴族ロージィ家のマナーハウスは、生茂る木々のその向こう側に、人目を避けるように建てられている。真っ白な煉瓦造りのお屋敷に、広大な美しい庭。自慢のバラ園は、まるでお伽話に出てきそうな美しさと気品ある佇まいをしていた。

 そんな美しいお屋敷で、今日は新しい命が誕生した。屋敷は朝から大わらわ。メイドたちはバタバタとあっちへこっちへ走り回り、旦那様は青ざめた表情で書斎と奥方の部屋の前を行ったり来たり。三十分おきに「産まれたか?」と確認をしていたところをメイド長に捕獲され「産んだら教えますから部屋にいてください」と閉め出されてしまった。どんな時でも女性は強し。

 太陽が一番高いところに上り詰める頃になってようやく聞こえてきた新生児の元気な産声は屋敷いっぱいに広がって彼らの心をホッと撫で下させた。


「旦那様、産まれました! 産まれましたよ。元気な男の子です!」


 ロージィ夫妻にとっては大望の男児の誕生だった。貴族家の世継ぎが生まれたことを、誰もが喜び合っていた。屋敷はすっかりお祭り騒ぎ。奥方の努力をみんなで祝って、使用人たちは肩を組んで笑い合う。

 しかしたった一人だけ屋敷中の盛り上がりについていくことができずにいる人物がいた。この家、ロージィ家の長女であるマリアだ。もうすぐ三つになる彼女は朝から母親に合わせてもらえない理由や、だれも自分の相手をしてくれずにそわそわと浮き足立っている理由も理解出来ずに一人で窓の外を眺めながら頬を膨らませていた。この屋敷を包み込んでいる騒ぎの原因が、正体不明の『おとうと』というものにあることだけは何となく理解しているらしく、迎えに来た父に対して彼女は「おとうとなんてすきじゃないわ」と言ってのけた。

 しかし世継ぎの誕生に浮かれた父親は、娘のご機嫌が斜めであることも今ひとつ理解できていないらしい。彼はぐずる娘の手を引きながら、妻の寝室へと再度足を運んだ。


「ほら、マリア。お前の弟だよ」


(おとうとなんて、しらないわ。わたしはいま、とてもおこっているんだもの。だからそんなもの、しらなくていいの)


 そんなことを考えていたマリアだったが、その小さないのちを見た途端に仏頂面が吹き飛んだ。


(これはなんでしょう?)


 マリアは母の腕の中でモゾモゾと動いている小さな生き物に、マリアは興味深そうに視線を向ける。顔がくちゃくちゃで、なんだか赤っぽくて、自分とは全然違うのに、人のような形をしているのだ。


「おかあさま。このこが、わたくしのおとうと?」

「ええ、そうよ。マリアの弟よ」

「……なんだかおさるさんみたいな、おかおをしてるわ」

「産まれたばかりだからね。マリアも、お母様のお腹から出たばかりの時にはこんな顔をしていたんだよ」

「もう、おとうさま! わたくし、あかちゃんのときだって、こんなおかおしてませんでしたわ!」


 ぷんと頬を膨らませるマリアの頭を撫でながら彼女の父はくつくつと肩を揺らす。


(このへんなこが、おとうと? おとうさまも、おかあさまも。みんなこんなこに、おおさわぎしていたの?)


「……へんなの」


 大人たちが何をそんなに嬉しそうにしているのかも、目の前の小さな生き物にそれほどの価値があることも理解することができずに、彼女はしげしげとおとうとの観察を続けていた。小さな生き物はやっぱり顔がくちゃくちゃで、大人たちの関心を一身に集めるようなものには思えなかった。


「お疲れ様、ステイシー」

「ええ、この子も頑張ってくれました。あなた、お名前はもう決まっていて?」

「決めておいたよ」


 妻の肩を抱きながら、彼は産まれたばかりの息子に慈愛の目を向ける。


「この子はサディアス。サディアス・ロージィだ」

「さでぃあす?」


 おとうとの観察をしながらも両親の会話に聞き耳を立てていたマリアは、初めて聞くはずのその名前に目を丸くする。


(サディアス……サディある・ロージィ……? わたくしのおとうとのなまえ、いえ……そうじゃなくて……)


「そうだよマリア。君の弟の名前だ。これからたくさん、名前を呼んであげるんだぞ」

「マリア、サディアスをよろしくね」


 両親は姉になった実感の一つも持てないでいるマリアの頭を撫でながらそう言った。しかしそんなことより

も、マリアは自分の中にできた突っかかりの方が気になってしまって仕方がなかった。


(サディアス……サディアス……なにかしら、この響きどこかで聞いたことがあるような……)


「マリア?」


 突如反応を見せなくなった娘の顔を覗き込む両親の反応をよそに、マリアは年甲斐もなく顎に手を当てて考え込んだ。


(サディアス、サディアス・ロージィ……おかしいな。絶対に何処かで聞いたことがあるはずなのに。喉の辺りまで出てきてるんだよな……もうちょっとで出てくる。ええっと、ええっと……)


 ちくちくちくちく、ぽーん。


「あ、サディアスって『ロベ剣』のライバルキャラじゃん」

「……マリア?」


 それまでの舌ったらずな言葉遣いはどこへやら。急に流暢な話からでボソッと訳の分からない言葉を呟いた娘に、両親は不安そうな視線を向ける。しかしそれに気がついていないマリアは何ともスッとした表情でうんうんと一人頷いていた。


(あー、思い出した。すっきりすっきり。いやぁ、懐かしいなロベ剣。だいすきだったんだよねぇ。あれ、でもあの漫画って最後どうなったんだっけ。あれ、ていうかあたし、完結まで読めてなくない? なんでって……あ、そうだ。事故にあってあたし死んじゃったんだ。完結前に)


 いやぁ、惜しいことをしたなと彼女を腕を組む。大好きだった作品を完結まで追うことができなかったのは、オタクとして一生の不覚だった。


 当たり前のように悔しがっていた彼女だったが不意に違和感に気がついた。

 何かがおかしい。いや、何かなんて話ではない。全てがおかしい。


(オタクってなんですの……わたしはマリア・ロージィ。ロージィ家の長女ですわ……。いや、違う。わたし、ただのOLだよ。貴族でもなんでもない、普通のOL)


 自分は貴族家の令嬢であって、それでいてなんでもないただOLでもある。その事実はどちらも、マリアにとって相違ない事実だった。しかし正しい事実二つは大きく矛盾したものでもある。

 しばらくして、彼女はようやく己の置かれた状況に気がついた。

 今の自分はマリアで、OLである自分というものは『前世』の自分のことなのだと。

 そして今し方生まれたばかりのくちゃくちゃの赤ん坊は、自分の弟なのである。


(この状況はなに……あたしの弟が、主人公のライバルキャラのサディアス・ロージィってどういうこと……?)


 ちくちくちくちく、ぽーん。



「……あたし、ロベ剣の世界に転生してんじゃんッ!」



「マリア!?」

「ちょっと、流石に情報量が多すぎ……」

「ま、マリアーッ!?」


 すっかり春の陽気に包まれた麗かな日の午後のこと。

 嫡男の誕生を迎えたこのおめでたい日に、長女が奇怪な言葉を口走りながら気を失った珍事件は、ロージィ家の珍事としてまことしやかに使用人たちの間で語られていくのであった。




 悪役令嬢はダークヒーローを救いたい

第一章 転生しまして、ごきげんよう




 マリア・ロージィ令嬢の前世は、日本のどこにでもいそうなごくごく普通のOLだった。

 趣味は漫画を読んだり、アニメを見たり、同人誌を買ったりと言う典型的ななオタク趣味。顔面偏差値も一般人への擬態能力もそこそこレベルの普通のオタク。

『ロベルトの剣』、通称ロベ剣。主人公のロベルトと、彼が所属する魔法ギルド【紫の夜明け[パープル・オルトゥス]】を中心に物語は展開されていく。the王道少年漫画らしい友情努力勝利に基づいた、笑いあり涙ありの冒険浪漫譚だ。アニメ化も舞台化もされている人気作品である。

 マリアの前世は、このロベ剣の大ファンだった。中学生の時に友人に勧められてからずっと、この作品は彼女を夢中にさせており、大学生になって自由に使えるお金が増えてからは、毎週ペガサスの本誌を購読して展開を追いかけ続けていた。マリア(前世)にとって、ロベ剣を超える作品は存在していない。ストーリーの緻密さもさることながら、彼女を魅了したのはその魅力的なキャラクターたち。中でもギルドの上層組織にあたる魔導協会に所属する魔導医師のニコラス・ウェインライトは、マリア(前世)の歴代の推しの中でも最上位に君臨する、もはや殿堂入り済みの推しキャラだった。


「今週号のニコラス最高じゃなかった? はぁーわたしの推しが最強……」


 なんてセリフは彼女の口癖と化していた。


「あれ、今週号ってニコラス出てきてたっけ?」

「出てきてたよ! コマの端っこに写ってたじゃん!」

「出たー、オタクそういうところある」

「アニメもそろそろ魔導協会崩壊編に入るよねー。はぁ……ニコラスの出番が増えるぞ」

「ああ、そうだよね。あの話で実は裏切り者だったってことが分かるからねぇ」

「やめてー! 現実突きつけないでー! うう、闇落ちしても推しは推しだから……」

「泣くなよ。あたしの推しなんてその章で死ぬんだ……うっ」

「すまねぇ。生きろ……!」


 マリア(前世)の推しのニコラス・ウェインライトは元々主人公たちの協力者として話の序盤から登場する。しかし物語の中盤にラスボス側の敵陣営のスパイであったことが発覚。裏切り者の汚名を着せられながら主人公たちの前から姿を消してしまうのだった。現在本誌で連載されている最終決戦編においても、敵側の人間として主人公たちの前に立ちはだかっている。


「推しはファーエバー推しだから……」


 彼女は元々、無愛想ながら主人公たちに手を貸してくれるニコラスを好きになったため、裏切りにはかなりのショックを受けた。しかしそれくらいのことで嫌いになれるほど短い年月推していたわけでもなく、今でも砂を噛みながら本誌を追いかけていたのだった。

 もっとも、その後の展開を考えると、裏切った裏切らないで一喜一憂していられた時の方がよほど幸せだったと言えるだろう。


 その日は突然やって来た。

「は……?」


 掌から滑り落ちたスマートフォン。その画面に表示されているのは、先ほど日付が変わると同時に配信された電子版のペガサス今週号だ。落とした拍子にスマホの画面が割れてしまったけれど、そんなことなんて今の彼女にとってはどうでも良かったし、正直なところそれどころではなかった。彼女が見ていたのは当然のことながら、最終決戦編の展開が熱い『ロベルトの剣』の最新話。

 ワクワクしながらアプリを開いた彼女を待ち受けていたのは、オタクであれば誰もが一度は経験したことがあるであろう、『最悪の事態』だった。


「…………は?」

 オタクにとっての最悪の事態。それは人によって色々あるのかもしれないけれど、これは間違いなく最悪の事態の一つに名を連ねるものであろう。

そう、最推しの死である。

 配信されたばかりのペガサス最新号で、ニコラス・ウェインライトが、死んだのである。


「嘘じゃん……は?」


 最推し。しかも十年近く推してきたジャンルの、その中でも初期から推してきた最推しキャラ。読者も主人公も裏切って敵側についたと分かっても、それでも推すことをやめられなかった推しが、唐突に死んだのである。

 一般人からしてみたら、漫画のキャラクターが死んだという出来事は『漫画のキャラクターが死んだ』以上の意味を持たないのだろうが、彼女は年季の入ったオタクだった。今彼女の眼前に突きつけられている事実は、単なる紙の中での出来事には留まらない。彼女の思考を停止させて、その心を折るには十二分の効力があるものだった。


「いや、白昼夢……」


 そう言いながら彼女は画面の割れたスマートフォンを拾い上げ、再度画面を確認した。一ページ目から順を追って今週号の話の流れを再度確認していく。

 満足げな顔をして、満ち足りたような表情で。かつて仲間と呼ばれた人間の攻撃をその心臓に受けて。

『リチャードさん、私はあなたの役に立てましたでしょうか』

『貴方の、願いを叶えることができたでしょうか』

 そんなモノローグと共に、ニコラスは倒れていってしまった。

 その週の話は、ニコラスが倒れたところで終了した。少年漫画でありがちな死んだように見せかけて実は生きていたパターンかもしれない。そう思ってなんとか気持ちを保ちながら、彼女は翌週号を待った。

待ちに待った一週間後の発売日、その週発売の号からはニコラスの過去編が始まっていた。それまで明かされることのなかった過去と、彼が背負ってきたものの重みが日の目を見ることになったのだ。

 ニコラス・ウェインライトは、とても優しい人だった。仲間たちを裏切ったように見えたのは全部、主人公であるロベルトを守るための行動で、それは彼の確固たる決心に基づいてのことだった。背中いっぱいに背負ってきた、押し潰されてしまいそうなほどたくさんの重みを全部引き連れて。それまでにしたことを全部全部、心の底から誇りに思いながら。誰に理解されることもなく、裏切り者の汚名を着せられたまま、たった一人で戦って、ひとりぼっちのままに死んでいった。

 読者は彼の胸の内を読むことができたけれど、あの世界にいる人たちは誰も彼の本心に気が付かないから、ニコラスは最後まで汚い裏切り者としてこの世を去ってしまう。それでも彼は笑っていたのだ。自分のしたことに間違いはなかったと、これでよかったんだと。誰からも称賛されることなく、世界を救うための小さな小さな柱の一本になって死んでいってしまった。


「こんな、こんなの……あんまりだよ……!」


 ニコラスの過去編を読んで、彼女はそれまで以上に彼のことが好きになったけれど、それでもそニコラスがたどった結末に納得することはできなかった。とてもじゃないけれど、受け入れることができなかった。紙の上の登場人物の生き様を思うと後から後から涙が溢れて、涙腺が壊れてしまったのではないかと思うくらい、後から後から熱いものが溢れてどうにも止まらなくなってしまった。作者のこれまでの演出の仕方から考えて、この方法で過去が明らかになったキャラの実は生きていました展開はあり得ない。

 本当に本当に、ニコラスは強いでしまったのである。

人嫌いで不器用で、誰よりも優しかった魔導医師。

 出会うこともできないその人のことを思って、彼女は泣き続けた。

 泣いて泣いて、それでも彼女には逃れることができない日常があって。休んでばかりもいられないため、当然のように出社をしなくてはならない。ニコラスの死からひと月ほどが経過したある日のこと。ロベルトの剣の完結を見届けることなく、飲酒運転の暴走車に突っ込まれてあえなく彼女は呆気なく命を落としてしまったのだった。



 ……というのが、マリア・ロージィの前世の全てである。

 なんの因果か、彼女はその最推し作品の世界に転生してしまっていた。

本来ならば存在しないはずの、主人公ロベルトのライバル。サディアス・ロージィの姉、マリアとして。

 原作にマリアというキャラは存在していない。これは確かなことだった。前世の彼女はファンブックから映像作品に至るまで『ロベ剣』に関するものは揃えることができる範囲で全て揃えている。本編に描かれていないだけで実は姉が存在していた、なんてことはあり得ないだろう。本来なら公式ひとりっ子だったはずのサディアスに姉がいるというイレギュラー。彼女は自分がこの世界に生まれてきた意味をこう解釈した。


「わたしの使命はつまり、原作における死亡ルートの回避!」


『ロベ剣』は序盤の和気藹々とした冒険浪漫譚から一変して、後半からはわりと容赦なく登場人物たちが死んでいく。初期から登場していたキャラクターが死ぬのは何もニコラスが初めてではなかった。


「最優先はそれはもちろん最推しニコラスだけど、他キャラも基本的に箱推しの身としては、物語終盤のバッサバッサ死んでく展開は耐えられないものね……やってやろうじゃない」


 死ぬのなら

 生かしてみせよう

 ホトトギス!


 こうして前世OLの2歳児ご令嬢は、脱原作展開をその胸に誓い、己の使命を全うするために命を燃やすことを胸に誓ったのであった。




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