今夜、誰にでも傷つけられる君を私が傷つけたい。
エゴという言葉で片づけたくなる話かもしれない。
あまりに不甲斐なくて、家を飛び出した。愛の巣であったそこに耐えられなくなるなんて気分を抱くことになるなんて、思っていなかった。
誰でもいいのかもしれない。彼は誰でもいいのかもしれない。私が一番ではないから、私だけではないから、そんなどうでもいい他人に傷つけられた。そうとしか見られなかった。
卑屈な私は、彼に自分だけに傷ついてほしいという願望を持っている。持っていたから、許せなかった。
心無い言葉で人は傷つく。心の傷は案外、簡単にできてしまう。人は単純だ。
それでもそれなら私の心無い失言で傷ついてほしい。そんなこと言わないけれど。
どうでもいい他人に傷つけられた今日の彼は、どうしても好きになれそうになかった。彼の1番であるはずの私の言葉より、そんなどうでもいい人の言葉が彼の中に残ってしまうこの現状が、彼の認識が、憎くて憎くてたまらない。
私が淹れたただの珈琲よりも、店員が淹れた美味しくない珈琲のほうが彼の中の「今日の味」という出来事の中の割合を占めている。
言い換えればそんなものに変えられてしまいそうなそれを、私はもっともっと重くとらえてしまっている。私の珈琲よりも他人の珈琲を先に飲んだから、なんてことではない。それで納得してしまってたまるものか。
そもそも珈琲はおいしいのが一番だ。
こんなにも君の舌に合うように甘い珈琲を淹れたのに。そのどうでもいい人よりも、私の方が断然、彼を知って彼のことを考えているのに。
後味の悪いものに負けている。
我儘だろうか、独占欲の表れだろうか。単純に欲求不満、だなんていわれるのかもしれない。自分がやりたいように、やるしかないのかもしれない。見え方の違いで苦しんでいる。価値観の押し付け、自分勝手、お節介だなんて思われたくない。
それでも、今はまだ愛の巣に戻れない。あんなにも大事な場所で、落ち着ける場所である君の隣に戻れない。
「あぁ、例えば私が傷つけたらもっと苦しんでくれるのかな。確かめたくなっちゃう」
監禁とまでは行かないんですけど、こういうこと考えてしまいます。
Twitter(https://twitter.com/Rui0123amamiya/media)にUPしたものを持ってきました。
最後まで読んでいただき幸いです。
まだ君が僕を呼んでいる、という現代恋愛に少しだけファンタジーを足したようなお話を書いています。もしよければ。
https://ncode.syosetu.com/n1702ew/




