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マニュアルライフ

 昼食の後の五時間目。クラスの半分以上の人間が眠気と戦闘中かつ敗北者が続出という状況の中、現国の天井先生は朗読劇のように感情を込めて教科書読み上げ授業を進めていく。それが逆に眠気を誘う。生存者がいる内に丁度いい所まで内容を黒板に書くと「今日はここまでにするからちゃんとノート取っておいて下さいね」と言って振り返った。その瞬間に押し寄せていた眠気の大群が一斉にひいていく。高確率で負けてしまう僕は幸か不幸か心地いい敗北者にならずにすんだ。とはいえ昨日から頭の中は会長の事でいっぱいになっていて一時間目からノートは真っ白だった。黒板の上にある時計を見ると授業が終わるまではあと十五分ぐらいあった。

「まだ授業中だから寝てる人は顔あげるー、ほら、目を覚ましてー」と言いながらパンパンと手を叩いた。

「学校に慣れてきて気が緩むのもわかるけど授業中に寝ちゃダメでしょ。少しくらいいいかなっていう甘い気持ちが繰り返されるとそれが習慣化しちゃうのね。みんな楽な方がいいもんね。そうなるとそれが当たり前になるの。なんでもそうでしょ? だから人はそんな甘い自分に平手打ちして前に進むの。進まなきゃ行けないの。止まったら負けなの。負け犬になるの」

 天井先生はマニフェストを掲げる政治家のように身振り手振りを加えながら熱く語る。「先生は自分に平手打ちしなかったからそんな体何ですかー?」と標準とは言えない体型を茶化されると先生の顔がみるみる赤くなっていった。「これは遺伝だから、甘えじゃないから。私の事はいいから」と言って何事もなかったように話しを続ける。

 もっともだと思うけど話始めてからノッてきたのかさらに芝居じみたその話し方と表情にみんな戸惑っているようだった。近くの席の女子達が「なに? 先生怒ってんの?」と小声で話しているのが聞こえてくる。眠っていた人たちも、何事かと徐々に顔を上げ始めた。その後もしばらく自分の言葉に頷き、時に同意を求めながら天井先生は人生論を展開させた。

「最後に、授業に少し絡めて話すね。知ってる人もいるかもしれないけど……花に嵐のたとえもあるさ、さよならだけが人生だっていう詩があります。これはね、井伏鱒二の厄除け詩集にあるんだけど今の君たちにぴったりだと思うの。次の授業までに各自で意味を考えてほしい。当てるからね……私はこの詩のおかげで人生の危機を何度か……」

 次の瞬間、天井先生の話を遮るように携帯電話の着信音が響いた。教室の中の空気が一気に張り詰めていく。最悪のタイミング。何とも間が悪い。みんながポケットやらバックに手を入れて確認するより早く「ストーップ!動かないで」と天井先生が言った。着信音はまだ鳴り止まない。教壇からゆっくりと降り音のする方へ歩き出す天井先生。

 音がなった瞬間、携帯電話の電源くらい授業中は切っておいたらいいのに、なんて思っていた。自分の携帯電話の音だと気付くまでは。学校ではいつもマナーモードにしていたが昼休みの時、広瀬にメールしてみようかと携帯電話を握り締めていたのでマナーモードが解除されたらしい。天井先生がゆっくりと近づいてきて僕の席の前でピタリと止まる。万事休す。

「吉井、君の携帯電話だよね……ってノート何も書いてないけど授業中なにしてた?」

「……いや、すみません……」

 天井先生の眉間には二十八歳の女性には似つかわしくないほどのシワがよっていた。恥ずかしさと情けなさで顔が熱くなっていくのがわかる。平手打ちの一つも覚悟して歯を食いしばったその時、終業のベルが鳴った。助かったと思ったのもつかの間「放課後、職員室まで」の言葉で僕は処刑を待つ囚人の気分を味わう事になる。六時間目の授業は言うまでもなく全く頭の中に入ってこなかった。

 全ての授業が終わり僕はのろのろと帰り支度を始めていた。「マジ疲れた!」とか「部活めんどくせー」とか言いながらも明るい表情の同級生達が次々に席を立っていく中、このまま自分もずらっと帰ってしまおうかなんて考えていた。

「インフルエンザのらくだみたいな顔してるよ? 暗い暗い!」

 少しサイズが大きい紺色のカーディガンの袖を振り回し僕の肩をペシペシ叩きながらみやが僕の前の席にドカっと座る。少しいらっとしながら「どんな顔だよ、インフルエンザのらくだって……」返すと「そんな顔……」と言って笑うみやにつられて僕も笑ってしまう。変に慰められるよりよかったかなと思うと気がまぎれた。

「いつもバイブにしてるんだけど……今日はたまたまマナーモード解除になっててさ。あのタイミングでなると思わないじゃん?」

「いつ鳴るかわかんないんだから授業始まる前に確認すればいいのに。天井先生超キレてたよね。ぐーで殴られんじゃない? 可哀想」と嬉しそうに話すみや。

「ぐーはないでしょ、ぐーは……だってさ、不可抗力みたいなもんじゃない? 緊急性を伴う連絡だったらどうすんのさ? 親が危篤とか家が火事とかさ?」

「はい、言い訳! ちなみにさ、誰からの電話だったの? メール?」

「……中目黒からのメールで学校終わったらみんなでケーキ食べに行かない? って」

「……一発殴られて来い。ウチは用事あるからって言っといて」

「はい……」

 そんなやりとりをしてから僕はいつもより少しだけ短く感じる廊下を抜けて職員室へ向かった。できるだけ早く解放されて、ケーキを食べに行くにはどうしたらいいか考えながら。

 職員室に入ると天井先生がこっちこっちと手を振るのが見えた。

「ここ座っていいから」と促され隣りのイスに座る。

「すみませんでした」

 先手必勝。謝ったもん勝ち。まだ一回目だし反省してますよってところをみせれば天井先生もすぐに許してくれるだろうと踏んで僕は頭を下げた。もちろん次はしないと心に決めて。

「……わかったから、顔上げて。次鳴らしたら没収するからね」と言って天井先生は僕の頭をぺしっと叩いた。作戦が見事に成功した喜びを隠しつつ「それじゃ、失礼します」と席を立つ僕の袖を掴む天井先生。

「はいストーップ。話まだ終わってないから。」

「えっ?」

「なによ、早く帰りたいの?」

「……いえ」

「んじゃあ座って」

 僕はおずおずとまた隣りの席に座る。

「吉井、先生の授業解りづらい?」

「いや……そんな事はないかと……」

「そう? それじゃなんでノートとってなかった?」

「考え事をしていて……」

「授業より大事な事?」

「そんな大事ではないんですけど」

 そんな終りの見えない押し問答が続き、天井先生はなにかしら理由を見つけるまで引く気配がないのでとりあえずこの状況をなんとかするために全部話すことにした。バンドをやっている事。そのバンドのために遅くまで起きている事。次のライブまでそんな生活が続きそうだという事。あと、次からはしっかり授業を受けるって事を話すと「次はないからね」と今度はさっきより少し強めに頭を叩いた。

「先生も昔やってたなー。バンド。気持ちはわかるけど君の本分は勉強だから。以上!」

「はいっ!」と返事をしたあと少し気になったので先生に聞いてみた。

「ちなみに先生ドラムやってました?」

「ギターだけどなんで?」

「いや……なんとなく」

 少し間があいて天井先生のアンパンみたいなほっぺが赤くなった。

「吉井、もう一回座るか?」と眉間にしわをよせる天井先生に「すみません、失礼します」と僕は足早に職員室を後にした。

 職員室の脇に、壁をザックリと切り取ったように造られた自動販売機でミルクティーを買って、横のベンチに座る。携帯電話の時計を見るともうすぐ五時になるところだった。中目黒から再度着信があったらしい。電話をかけると今花ちゃんと一緒に女子高生に人気のケーキ屋にいるからみやと一緒に来いよ、と誘われたけど、まだ学校にいるからまた今度とね断った。みやも用事があるからと伝えると中目黒は残念そうにそれじゃまた今度な、と言って電話を切った。

 ミルクティーの缶を口でくわえながらぼんやり窓の外を見ると濃紺の空が広がっていた。無性に寂しくなってくる。なんとなく人恋しくてみやに電話をかけてみた。

「なぁーにー? ウチ忙しいんだけどー」

 語尾を伸ばす感じであまり機嫌が良くない事を知る。

「ごめん、今大丈夫?」

「大丈夫じゃないですー」

「それじゃあ、また後でかけなおすね」

「冗談だって、どしたの?」

「んーとね、なんとなく誰かと話たくて」

「なんでウチなの?」

 不思議な感じがした。スピーカーから聞こえるみやの声が遅れて聞こえる。

「なんでって……あっ」

「アンタ、なにしてんの?」

 廊下を歩いて来たみやと目が合う。

「みやに電話してんの」

「ばっか」

 そう言ってみやは僕の隣りに腰掛けた。

「天井先生に怒られて僕は傷ついてます。誰か僕を慰めてーって感じ?」

「まぁ、そんなとこ」

 みやはため息をついてから、一口ちょうだい、と言って脇においてあったミルクティーをグイッと飲み干した。

「何かある度にウチに甘えてたらアンタ広瀬に誤解されるよ? まだ好きなんでしょ?」

「なんでわかんの?」

「女の感」

 誰にも話してない事をさらりと言われると嘘もつけなくなる。

「誤解されたらそれが解けるまで話す」

「なんで自信満々? 解けなかったら?」

 みやが真剣な表情でこっちを見ている。

「その時考える」

 そう言って、僕は笑った。なってみないとわからない事に答えは出せないけどこれが今の本心だと思う。

「別にいいけど……帰ろうよ、もう暗いし」と言って立ち上がったみやは、呆れたような疲れたような表情をしていた。

「そう言えばさ、みや用事あるとか言ってなかった?」と聞くと「もう済ませたの」と言って歩き始めたのであまり聞いてほしくないのかなと思ってそれ以上は聞かなかった。

 その後僕らは天気がどうとか、明日の授業がどうとか当たり障りのない、どうでもいい話をしながら僕らはいつもの道を歩いて帰った。

 

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