カウントファイブ
無知だから出来る事がある。それはその中でしか解らない事だと思う。完璧に完結されているそれは過ぎてしまえば完全に恥。やってみなけりゃわかんねぇじゃん、みたいなノリ。
「んじゃ始めるよー。花、適当に叩いてて。それに音合わせるから。」
部長が真ん中に立って合図する。それに合わせて花ちゃんがキック、スネア、ハイハットを混ぜたリズムを刻む。中目黒が四弦開放を八分で被せる。入学祝いで買ったらしいサンダーバードのリバースのベースがブリブリ唸る。中目黒曰く、絶対被らないから目立つらしい。みやがコードを弾いたので僕はそれに適当なアルペジオを合わせた。その間に部長がベースアンプとギターアンプを行ったり来たりししてボリュームの調整をする。最後にテストーテストーと言いながらモニターからの返りを確認してオッケーをだした。
ライブが決まったあの日からあっという間に一週間が過ぎ、僕らは駅から歩いて十五分、大通りから一本となりの通りの楽器屋の三階にある練習スタジオにいた。部長が作ったスケジュールでいくと今日は曲出しにあたる。僕の場合、オリジナル曲と言えば格好はいいがその実、前に作った曲を少し弄ったものをコピー用紙みたいなメモ帳にコード進行と歌詞を書いたお粗末なものだった。それを人数分コピーして皆に渡す。まぁみんなそんな感じのものを用意してきたので手元にあるそれを見ながら曲を作っていく。口頭でバラードっぽく、とかテンポ早めね、とか言いながら一曲一曲大雑把に形にする作業を繰り返す。ドラムとベースがあるだけでそれなりに曲になるもんだなと改めて思う。純粋に楽しい。大きな音をだしていると自分が上手くなったと錯覚してしまう。そんなこんなで半日があっと言う間に過ぎていった。
「んじゃ今日はここまでにしよっか。次までに詰めてくるって事で」
部長は少しかすれた声で言った。
ミキサーで録音した曲を全員分SDカードにコピーしてから皆に手渡す。スタジオの重たいドアを開けるのもやっとの花ちゃんの代わりにみやが開ける。受付で借りたマイクとケーブルを部長が返しに行ってる間、僕らは自販機で飲み物を買って入口近くのベンチに座った。入口はガラス張りで外の景色が見える。日が傾きはじめて西日があたるベンチの上はとても居心地が良かった。まだ耳の奥でグワングワン鳴っている音に疲れて少し目を閉じた。
「この後どうする?何か食べて行く?」
「行く! お腹すいた!」
ミルクティーを飲みながら言う中目黒の提案に花ちゃんが食いぎみに返した。普段の落ち着いた印象とは真逆のテンションに少し驚きつつも中目黒が花ちゃんのテンションに合わせどこ行く? 何食べる? 何て言いながら皆に話を振る。
「私パスタがいいな」
「ウチはカツカレーかな」
「俺はモンブランが食いたい」
いや、モンブランって中目黒……そんな空気も読まずにお前は何食いたい? 何て聞いてくる。
「僕はなんでもいいよ」と返すとみんな呆れた顔をして「だからお前はあれなんだよ」とか「なんでもいいよって主婦が一番言われたくない言葉なんだよ」、「アンタのその人任せなところは直した方がいいと思う」と散々な事を言われたので、それじゃあラーメン食べたいって言ったら皆が声を揃えて言った。
「「却下」」
多分こうなるかな、という経験からくる予感。こういうのはやっぱり当たる。いつもの事と、言ってしまえばその通りなので別にいいし嫌いじゃない。
「いつものファミレスでいい?」
「たまには違う所に行きたいなー」
「この辺のお店とか知ってる?」
「知らないよ」
「えー、んじゃ何処行くの?」
決まらない行き先を探しながら続く会話。そうこうしてる内に部長が戻って来た。
「お待たせー! 次の予約もしてきたから遅くなっちゃった。割と混んでるみたいでさー」とか言いながらベンチにどかっと座る。
「この後何か食べてく? って話になってるんだけど、部長も行くでしょ?」と中目黒が聞く。「もちろん行く行く。あったりまえですよ。で、何処で、何食べるの?」それがまだ決まってない事を伝えると少し考えてから「それじゃあ一階の喫茶店でいいんじゃない? スタジオ入る時から気になってたんだよね、あのレトロ感漂う雰囲気。店の名前が未完成ってところも気になるんだよね? 料理が未完成だったりして。まぁ、何より近いし」と言ってみんなの顔を見る。理由はどうあれ、そこにしようかって事になった。こういう時の部長は頼りになる。だから部長だったのかなと改めて思う。じゃあ行こうかって時にほっとしたらトイレに行きたくなったので、先に行ってていいよと言うと「迷子になるなよ」とベースを担ぎながら中目黒が言った。
「大丈夫だよ」と、返して僕は受付からスタジオの一番奥にあるトイレに向かった。
一人になると頭の中のタスクがグルグル回る。やりたい事やりたくない事、やらなきゃいけない事。それを一つずついつまでにあーしてこーしてと優先順位をつけていく。その中で、自分ではどうにも出来ない事だけが壊れたデータみたいに移動も消去もできないで残ったまま。自分でも嫌になるくらい彼女の事が消せないでいる。ウイルスみたいだな、とため息をついた。狭い個室の中で、用を足して洗面所で手を洗っている時みやに「ちゃんと手洗ってきた?」って言われるだろうなと思ったら少し笑えてきた。
トイレを出て足早にスタジオを出る。エレベーターの降りるボタンを押して少し待っているとエレベーターのドアが開いた。その瞬間僕は固まってしまった。エレベーターから降りてきたのは黒いデニムに白いダウンジャケット、赤いブロックチェックのマフラーを巻いた生徒会長で向こうもこっちに気付いた様子だった。
「ひ、久しぶり。元気?」
我ながらセンスのかけらも無い声の掛け方だなと思った。高校も同じで話しはしないけどたまにすれ違ったりしているのに久しぶりはないだろう。
「元気だよ。久しぶりって学校でもあってるよね? どうしたの?」と何事もなかったように笑った。その瞬間にああ、彼女の中では告白されたとかどうとかって事が自分が思う程の出来事でもなく日常生活の中で蚊に刺された程度の出来事だったんだと思うと意識し過ぎてた自分が恥ずかしくなってくる。そう思うと気持ちが落ち着いてきた。
「いや、こんなところで会うと思ってなかったから。会長もバンドやってるの?」
「うん、一緒にやらない? って友達に誘われて。ってもう生徒会長じゃないから」
「そうだね、ゴメン」
「吉井君は軽音部の人達と?」
「うん、今度ライブに出る事になって、それの練習。みんな下の喫茶店にいるよ」
「そっかー。ライブの日が決まったらさ、教えて。見に行くから」
「うん、わかった」
そうだ、これ入学祝いなんだーと言って真新しい携帯電話を取り出した広瀬と連絡先の交換をした。
「でも良かった、高校入ってから全然話しかけてくれなかったから嫌われたのかと思ってた。前は結構話してたのにね」そう言ってニコッと笑いかけるその顔を見たらやっぱり嫌いになれなかった。「そうだね」としか返せずにいるとエレベーターのドアが開いた。
「アンタトイレ長いってば!」と言いながらみやが降りてきたが僕と生徒会長が話しているのを見て固まった。生徒会長はそんなみやを見て「やっぱり仲いいね」とクスクス笑っていた。「別に仲いいわけじゃないし」と半ばキレぎみみやが返すと「邪魔するのも悪いから、そろそろ行くね。それじゃあまた」と言って生徒会長はスタジオの奥に入っていった。
「……何話してたの?」
「何って、世間話を」
「世間話って何よ」
「近況報告的な……」
「へぇー……別にいいけど」
どんどん目が細くなっていくみや。目の細さと機嫌が比例していくのでとても不機嫌だと言う事はわかった。その後僕が何を話しても返ってくるのは「はぁ?」と「何が?」だけだった。怒っている理由を聞いても教えてくれないけど思い当たるのはみやが生徒会長が嫌いで、その生徒会長と話しをしていたからってことだろう。その後僕はただでさえか細い神経をすり減らす事になった。