帰省/育った環境
ふたりが長崎を発ち羽田空港に到着し、赤い電車に揺られて品川駅に到着したのは十七時を過ぎた頃だった。
ふたりは別々の電車に乗るため、この街でいったんお別れである。
かおりが乗る路線のホームまで龍之介はついてきた。もちろん、かおりはそれは丁重に断ったのだが、龍之介のことである、彼女の拒否など意に反さない様子でついてきたのだった。
見送ってくれる龍之介が他の降乗車客に邪魔にならないよう、かおりは電車を待つ人の列には並ばず、ふたりでベンチに腰掛けていた。
「あーあさみしいな~」
「だから、あさってにはまた会えるんだしっ!」
「それはそうだけどー」
龍之介がわざとではあるが、口を尖らせて言う。
ここ数日間、耳にタコができるくらい聞かされていたかおりはそのつどうんざりしながらも丁寧に毎回同じような言葉を返してあげるのだった。もちろんそれは、うんざりする反面、そこまで言ってくれる彼のことを愛しく想えているのも事実だったからだ。
電車が滑り込んできた。
「あ、来た」
かおりは立ち上がったと同時にガクンと後ろに引っ張られるかおり。
もちろん、原因は龍之介。自身に引き寄せると、彼女の頬に口づけを落とす。
そして、彼にひっぱられたかおりはバランスを崩し、そのまま彼の膝の上に腰を下ろす形になってしまった。
「ちょっと!」
かおりが離れようとするものの、彼は離そうとしない。
「もうっ、バカ!」
公衆の面前。ましてや、人口密度の高い大都会の駅のホーム。当然、すさまじい数の視線を受けるふたり。
かおりは恥ずかしさからジタバタするが、それを楽しむかのように彼女をますます離さない龍之介。
仕方なくかおりは抵抗するのを一瞬あきらめた。
しかし、さすがに電車の出発を知らせるアナウンスが流れては別だ。
「もう出るからっ」
「もう一本遅らせてよ」
龍之介が耳元で囁き、かおりがためらった瞬間、電車のドアは閉まったのだった。
「もうっ!」
「だって~ぇ、もう少しかおりといたかったんだもん」
実はこういうやりとりを繰り返してとうとう一時間が経過していた。
「もう! 次! 次ホントーに乗せなかったら、向こうに帰っても龍之介とは会わないからねっ!」
「え~……。はぁ~い」
さすがにかおりも少々苛立ちを募らせて言うと、龍之介は口を尖らせつつもまったくもって反省はしていない状態で返事をした。
そして電車はやってきた。
「またね」
「うん」
龍之介もさすがにあきらめがついたのか、すっきりとしたカオで彼女を見ている。
そうして、ふたりは分かれた。
電車やバスを乗り継いで、かおりは市営住宅に辿り着いた。
日本の高度経済成長期(ここでは昭和四十年代を指す)に急速に郊外が発展し、ファミリー向けマンションやアパート、団地が続々と建った頃、田園風景からベッドタウンへと町並みを一変させた地域に、かおりの生まれ育った団地はあった。
五階建の最上階の一角が実家である。
市営のそれは彼女が物心ついた頃から既にボロく、毎年のように建て替えの話が出ているらしい。しかし、老朽化の進んだ今も大規模工事の目処はたっていないらしく、昨年やっと、外壁の補修工事が終わった程度である。
カンカンと音をさせながら、階段を上っていく。
この音が耳につくたび、一気に五階まで駆け上がって息が上がるたび、(ああ、帰ってきたんだ)と懐かしい気持ちが湧いてくる。
ようやく自宅の前に立った。玄関ドアの感触を確かめながら、思いきりドアを開ける。
「ただいま~」
「おかえり! おかえり! かおりちゃんおかえり!」
足音から到着が分かっていたのだろう、既にそこには甥っ子の一樹が子供らしい笑顔を携えて、彼の弟を抱いた義姉・佳代とともに待ち構えていた。
一樹はピョンピョンとその場で跳ねていたが、やがてかおりに飛びついた。
「おかえり」
「ただいま」
かおりは今度は佳代と挨拶を交わし、抱かれた甥っ子の顔を覗き込む。
「ふぇ~っ」
今年の春に生まれ、ゴールデンウィークにほんの少し会っただけの彼女のことなど記憶にないらしく、赤子はひどく驚き泣き出した。
「あ~、ごめんごめん。やっぱそうだよね」
しょうがないなという情けない顔でかおりは、佳代と目配せしながら敷居を跨ぐ。
「かおりちゃん、持つ~」
「うわ、重いっ」
一樹は両方にいっぱい抱えた彼女の荷物の一部を持とうとする。
かおりにとってはたいしたことのない重さだったが、やはり幼児にとってはずっしりとくる重さだ。持った瞬間、彼はふらついた。
それを見て笑う彼の叔母と母親。
「おかえり」
母親が顔を出し、そのうち父と兄も出てきた。
「ただいま」
三人の顔を見て我が家に帰ってきたと改めて実感するかおり。自然と笑みがこぼれる。
皆でゾロゾロと料理が並べられている居間に入った。
「保志は?」
「知らんっ」
弟の不在を不思議に思ったかおりの問いに対し、怒ったように間髪入れずに答える長男・正樹。
「かおりが帰ってくるから今日はウチにいなさいって言てったのに、知らないうちにいなくなったのよ」
苦笑いをしながら母親が溜め息をついた。
中三の弟・保志はヤンチャ盛りで、家族も手を焼いていた。ついこないだも、高校に進学しないと言って困っていると母親が電話口で愚痴をこぼしていたのだ。
「アイツの名前が悪い」
正樹の言葉に家族全員が笑う。
保志の名は正樹の親友・木戸靖史にあやかってつけた。
そして、彼はかおりが中学時代に付き合っていた彼氏“ヤスくん”でもある。確かに、彼も学生時代、特に中学時代はかなりやんちゃだった。
もっともその当時は、今でこそ良き家庭人である正樹も同類だったが。
テーブルを囲む。大人五人が一堂に会すると、狭苦しい印象だった。
かおりは龍之介と暮らし始め、家が広いことがいかに素晴らしいことかしみじみと感じているが、それでも、こんな風に狭い我が家で賑やかに過ごすことは決して嫌いではなかった。
「そういや、慎吾がさっき来てたぞ」
からあげを頬張りながら、斜め隣のかおりを見る兄・正樹。
慎吾は靖史の弟でかおりの同級生だ。
いわゆる幼馴染という間柄で、特に幼い頃はお互いの兄を交えていつも一緒にいたりした。思春期の頃は少し距離があいた時期もあったし、ましてやかおりと彼の兄・靖史は交際していた過去がある。
しかし、いまだにつかず離れずの良好な関係を築いている。
「あ、そうなんだ」
「みやげ持って来たぞ」
台所のほうを顎で指し示す正樹。
かおりがキッチンのテーブルの上を見上げると、そこには東京名物・人形焼があった。人形焼はかおりの好物。
慎吾は現在、都内の大学に通っており、それをわかっている彼は毎回帰省時にはそれをみやげにしている。
「お! 人形焼嬉しい~」
「帰ったら、電話ほしいみたいだったぞ」
「わかった。私も慎吾んちにおみやげあるし。ご飯食べたら直接行ってみる」
慎吾の家は同じ棟の対角線上に位置する一階だった。
食後、宣言通り慎吾の家を訪れた。
「なんなの、その頭!」
玄関を開けてびっくりしたかおりが、挨拶の代わりに吐き出した言葉はそれだった。
というのも金に近い髪色をした慎吾が出てきたからだ。
もともと幼い頃からお洒落に関心があった男だったが、大学生になってから芸術系の学部に進学し、ますます気合いが入っているのか。
ちなみに、ゴールデンウィークに会った時はアフロヘアーだった。
慎吾は特に答えることはなく、笑っている。
「絶対、髪の毛傷むよー」
「あー、そう。もうすでにヤバい。将来、オレ絶対ハゲんなるワ。じいさんもハゲだったし」
「だよねー。……はい、これ」
笑いながら、かおりは長崎みやげ・角煮まんじゅうを渡した。
「お、サンキュ。うまそう!」
「まー、誰が来たかと思ったら。かおりちゃんだったのね~! 久しぶり! 元気してた~?」
中から木戸母が顔を出した。
「あ、こんばんわ! はい、元気にしてました」
「ますますお母さんに似てきたね~。ベッピンさんになって。カレシいるの? お父さん心配するでしょ、きれいになったら~。大学、長崎だったっけ? いいねー、おばちゃんも長崎好きよ~。また行きた~い。慎吾連れてって……」
機関銃のように放たれる言葉たちに、慎吾とかおりは顔を見合わせて苦笑する。
「で、なに?」
子どもの頃から慎吾母を相手してきたかおりは際限なく繰り出される言葉をさりげなく遮るのは得意である。彼女の会話が止んだ一瞬の隙を狙って慎吾が電話がほしいといっていた理由を問う。
「おお。オレ免許とったし、ちょい出ねぇ?」
「マジで!? これ? これ?」
「おお、これこれ」
かおりは嬉しそうにハンドルを動かすジェスチャーをする。
慎吾も笑いながら、同様のジェスチャーをした。
「オカン、車借りていいだろ?」
「ミヨちゃんは機嫌屋さんだけど、大丈夫かな~」
そう言いながら、壁にかかっていた車の鍵を慎吾に渡す。
ミヨちゃんというのは慎吾母自身の名前で、愛車にも同様の名前をつけているらしい。
五年近く前に中古で購入したそれはとっくにガタがきているらしく、最近はエンジンがかかりにくかったりすることがあるようだ。
「大丈夫だろ、本人と一緒で少々じゃ壊れんわ」
慎吾は笑いながらキーを受け取った。
かおりは親に了解をとって夜のドライブに出かけた。
「大丈夫?」
「あー。多分……」
運転が非常にぎこちない慎吾を助手席からかおりは訝しげに見る。
免許をとって一ヶ月。まともに運転するのは今日が初めてである。
運転に集中させたほうが無難だと判断したかおりと運転に必死になっている慎吾。
当然のことながら、車内はシンとしていた。
なんとか無事に車を走らせ、二人は近くの河川敷へやってきた。
ほとんど明かりはなかったが、月が出ていて別世界のように明るく、お互いの顔が充分に見えた。
たわいのない話などをしばらくした後。
「あ、そういや、佐々木と別れたって?」
慎吾は今思い出したような口調で訊く。
彼から元彼・巧と別れたことを訊かれると思わなかったかおり。一瞬、なんで慎吾が知っているのか、不思議に思う。
慎吾はかおりの元彼・靖史の弟である前に幼馴染である。仲の良さならば、靖史よりも元から勝っているかもしれない。
同い年でお互いの兄がこれまた同い年の親友同士。小中高と同じ環境下で育った二人。
お互いにお互いのことを理解していることは自覚している。
自覚しているが故か、意外とお互いの近況報告などはしないもので、こんなふうに相手のことを他の人間からきくことが間々ある。
今回も同様にかおりの口から話したことではない。
何故彼が知っているのか不思議に思っていたが、やがてわかった。
「美奈子からきいた?」
吉行美奈子は都内の服飾系の大学に通っていて、かおりも慎吾も同じクラスにこそなったことはないが、共通の友人を通じ、高校時代自然と仲良くなった。
そのため、おそらくはそこから伝わったのだとかおりは察した。
「うん」
返事をきき、かおりは自身の予想は合っていると確信した。
「じゃあ、きいた? 今、別の人と付き合ってること」
「は!? なにそれ」
慎吾は驚いてかおりの顔を見る。
「あ、きいてない?」
「おお。っつうことは別れたのってお前が原因?」
「いや、違うっ。そこはきっちり否定させてもらうっ」
冗談っぽくだけれども強い態度できっぱりと伝えるかおり。
「巧に好きな人が出来たから別れてって言われて。その後に今付き合ってる人と知り合ったし」
「ほぉ~。つか、お前、アニキん時もそうだけど、他に逃げられるってお前が悪いんじゃない?」
「うっさいわ。ハゲろ」
意地悪い顔をして言い返すかおり。さっきの“ハゲる”ネタを引用し、ご丁寧にチラリと慎吾の頭部まで見てやった。
「おまっ。マジ、すっげぇイジわりぃ~」
苦笑い。
そう、かおりは慎吾の兄であり中学時代付き合った靖史の時もそのように別れている。しかし、その時は結局かおりと別れる間際には新しい彼女と二股状態だった。
そのため、巧から好きな人が出来たから別れたいと告げられた時はまずはその線を疑ったのだ。
巧の件はいまだその線は明らかになっていないし本人は否定していたが、かおり自身はいまだにそうであると思っている。
また仮にそうであったところで、自分には龍之介がいるのだから、今は巧にはその好きな人と幸せになってほしいと思っている。
「慎吾はどうなの?」
「なにが」
「カノジョは? 今いるの?」
「いやー。特定は決まってないねー」
ヘラッと笑う慎吾。
「うわー。また病気もらうなよ~」
「それは言うなよー」
中学時代、彼女以外の女性と性的な関係にあり、その人から性病を伝染された経験の持ち主・慎吾である。
イタイ思い出を突かれ、慎吾は顔をしかめる。かおりはヒヒッと笑った。
「お前、そんなことばっかり言うから男が離れるんだよ。気をつけたほうがいいじゃね? 今度の男は大丈夫か?」
「あったりまえでしょ~。今度はね、大丈夫。な~んか自信がある」
言いながら、(龍之介に”根拠のない自信ばっかり言って”って言いながら自分も変わんないな)とかおりはニヤついた。
「ケッ」
慎吾はウザそうに言った後、嬉しそうに笑った。
「そういえば。ヤスくん、結婚どうなった?」
ゴールデンウィーク中に会った時に、結婚したい相手がいるけれど、相手の親から反対されていると言っていた。
「あぁ、なんとか決まったっぽい。だから今日、そっちの家で親戚の集まりがあるらしくて、アニキ行ってる」
「そうなんだ。よかったね~」
「……そんなモン?」
「なにが?」
慎吾が不思議そうにしてかおりを見ている。そんな彼の態度を不思議に思い、かおりは見返す。
「昔付き合った相手が結婚するって嬉しいもの?」
「……う~ん、イヤではない。うん、嬉しい。かな?」
かおりは言葉を吐きながら自身の胸に訊いてみるが、やはり答えは変わらない。
「それに、ヤスくんは元カレっていうより家族みたいなもんだしね。もしかしたら、また他の人なら違う、かもしんないけど」
そう言いながら巧のことが浮かぶが、やはり巧に対しても同様のような気がした。
「うん。やっぱり、他の人でも嬉しいと思う。自分と付き合った人が幸せになるのは」
自分自身の言葉に納得するように、かおりは二、三度頷いた。
「そんなもんか~」
慎吾はあまり理解できないふうだったが、彼女の意見を受け入れようとしていた。
その後はたわいない近況報告や昔話に華を咲かせ、零時も回ったので、二人は自宅へ戻ることにした。
行きと変わらず、慎吾の運転は危なっかしかったが、無事にふたりは団地へと戻ってきた。
「なぁ」
かおりが車から降り、ドアを閉めようとした時、慎吾が真顔で問いかけた。
「ん?」
「今のカレシのこと好きなの?」
「は? なに突然」
「いや、なんとなく」
「……恥ずかしいこときかないでよ」
「いいから答えろや」
照れてはいるけれど真剣な表情の慎吾を見て、かおりはそれまでのやりとりの中、半笑いだった表情を引き締める。
「……うん、好きだよね」
恥ずかしさを押し隠し、かおりは答えたあと、横を向く。
「そっか」
「……なんで?」
「好きってなんなんだろうなって思って」
「は!? どうした、いきなり」
「いや、オレもいつかはそういう相手ができるのかなと思ってさ」
目をまんまるくし、慎吾を見ると彼はいたって大まじめな様子でいる。
かおりは一瞬でも吹き出しそうになった自分を悔いた様子で彼を見返した。彼もそんな彼女の態度に胸襟を開く。
「今まで慎吾ってカノジョけっこういたよね? 好きじゃなかった?」
「う~ん。その時々でいいなとは思ってたけど、よくわかんないっていうか」
「そうなんだ。……ま、そのうち、慎吾にも“コイツだ!”って思える人が絶対に現れると思うよ」
「……そうだよな」
慎吾は曖昧に笑った。
慎吾と分かれ、できるだけ音をさせないよう、玄関を開けた。
しかし、彼女の気遣いは杞憂に終わり、居間のほうからは陽気な酔っ払いの話し声がきこえてくる。
そこには、原口親子――酔顔で気持ち良さそうに眠る父親、赤ら顔で焼酎をかっくらう兄・正樹――。そして、元彼であり、慎吾の兄である靖史の姿があった。
かおりが現れたのに気づき、靖史は「おぉ!」と手を挙げる。
目の前の親友の姿を見て正樹が振り返り、見上げるようにしてかおりを見た。
「ただいま」
「慎吾は? 帰ったのか?」
酒で締まりのない顔をした男が妹に訊く。
「うん」
「呼べ。アイツも呼べ。一緒に酒呑むぞっ」
これだからお兄ちゃんが酔っ払うのは嫌いなんだよなー。
酔うとくだを巻くタイプの正樹の言動に小さく溜め息をつきながら、居間の電話で慎吾を呼んだ。
帰ったばかりということもあり、すぐさま慎吾はやってきた。
正樹の頬は一層しまりがなくなり、「おー、慎吾! よく来たよく来た」と手招きをする。
「お兄ちゃんが呼べって言ったんじゃん」
「相変わらずつえぇよな。マサくんにそんなこと言えるの、アニキとお前くらいだよな」
かおりがボソッと呟いたのを兄・正樹は聞こえていない様子だった。
一方、慎吾にはしっかり聞こえており、小さく笑いながらつっこむとかおりを見る。二人は笑い合った。
そんな二人を見て、正樹はなにがおかしいのかわからないまま、笑い、さらにそんな正樹を見て靖史も笑った。
かおりも強制的に参加させられ、四人での酒宴が始まった。
話すのは幼い頃の思い出話が中心。
一時も少し回った頃、かおりのスマートフォンが鳴り出した。
会話がやみ、それに皆の意識が集中する。
あ……。
かおりは彼のことが思い浮かぶ。案の定、液晶ディスプレイに浮かんでいる名前は龍之介だった。
思わず笑みがこぼれていたようで、慎吾から「ニヤけんな」と冷やかされ、暴力女は彼のみぞおちに一発パンチを食らわせ、そそくさと自身の部屋に逃げ込んだ。
普段は居間で寝起きをしている両親。当然のことながら、今晩の寝床が酔いどれに占領されているため、母親がそこで寝ていた。
「もしもし」
『おー!』
かおりは母親の寝顔を見ながら電話に出た。
電話の向こうがやけに騒がしい。龍之介も声を張っている様子。
『もう寝てた?』
「ううん、起きてたよ。龍之介は?」
『ドライブ中』
龍之介も自身の喋り声が聞き取りにくいのか、さっきからやたらと大きなボリュームだ。かおりも右耳に人差し指を突っ込み、懸命に龍之介の声を拾っている。
「なんかうるさくない?」
『オレがカノジョに電話かけるって言ったら、嫌がらせでオーディオのボリューム上げられた~』
「嫌がらせ? あぁ、浮気してるんだ」
『なワケなくない? ひっでぇ~』
龍之介のしかめっ面が想像できてフッと口元を緩める。
『ヤローばっか四人でドライブ中っすよ』
「あぁ、ナンパ?」
『マジで違うしっ! そんなことばっか言ってたら、ホントに浮気すんぞっ』
「うん、すれば?」
『うっわ、マジ、オレなめられすぎっ! オレのこと、信じてるんじゃなくて、なめてるだけでしょ、ホントは』
「さぁ~」
『もういい。マジで浮気するしっ』
「ハハッ! ごめんって」
「フハハ」
ふたりはお互いの笑い声が心地良く、じんわりとあたたかいキモチになるのだった。
『また明日電話する』
「うんっ」
『浮気すんなよー』
「さぁ~」
『あー、マジかわいくないっ』
「そんな女と付き合ってるのは誰ですか~?」
『はい、オレっす』
「正解」
かおりと龍之介は声を合わせて笑った。
電話を切り、再び宴会場へ。
「カレシか?」
元カレ・靖史の問いかけに、かおりは照れくさそうに頷いた。
「どんなヤツだよ」
眉間に皺を寄せ、兄・正樹は保護者よろしく、会話に首を突っ込んでくる。
「いーでしょ、別にっ!」
かおりはムキになって答えると靖史の隣にドカンと腰を下ろした。
「マサにそんな口きけるの、かおりくらいだもんなー」
靖史はそう言うとニヤニヤと笑いながらグラスに少量残っていたビールを飲み干した。
「マサはかおりがかわいくて仕方がないもんなー」
それを聞き、正樹は居心地悪そうにそっぽを向く。
「今だから言うけど。オレ、かおりと別れた時、死ぬかと思ったもん。マサ、殴るわ蹴るわで。まぁ、マジ、あの後しばらく病院通ったけど」
靖史は苦笑い。当然ながら、初耳のかおりはきょとんとして兄のほうを見た。
「あれはお前が悪かっただろ。二股かけてただろうがっ」
正樹はボソボソと呟き、バツが悪そうに横を向いたまま焼酎をあおった。
「まぁそらそうだけどもっ!」
靖史は靖史で、やはりこちらもバツが悪そうに誰とも目線を合わせず、さきいかを口に放り込んだ。そして、「かおりと将来結婚する男は大変だろうな」と軽口を叩くことは忘れずに。
そっか……。
兄が家族思いであることも自分のことを不器用ながらも大切にしてくれていることもよくわかっていたが、改めてかおりは感じることが出来、ほっこりとした気持ちになる。
また、兄を交えて恋愛話などしたことがなく――靖史とのことでさえも、かおりと正樹がお互いにそのことにふれたことはなかった――、こんな風に話すような年齢になったのかと、なんだか不思議な気持ちになっていた。
しばらくした後。
兄・正樹は潰れ、イビキをかいて寝ている。素面のかおり、ザルの靖史、マイペース呑みの慎吾で、ゆったりとした時間を過ごしている。
あ……。
ふと、数時間前の慎吾との会話を思い出したかおり。
「ヤスくん、結婚おめでとう」
「おぅ、サンキュ」
自然と彼の目尻が下がっているのを見て、かおりも嬉しくなった。
「よかったね」
「おお、けっこう大変だったけど。なんとかなったわ」
「なんで反対されてたの?」
「相手んとこ、すっげぇ堅い家だから、ウチみたいに親が離婚した家庭とかダメらしい」
自嘲気味に鼻で笑う靖史。
「はぁ!? イマドキそんな話あるの!?」
かおりは目をまんまるくして、靖史の顔を見た。
「あるある。フツーッッにあるぞ」
「そうなんだ……。やっぱ結婚って大変なんだね」
かおりは正樹が結婚する時のことを思い返していた。
両親が矢面にたたされひどく大変そうだったことをよく覚えている。というのも、兄の場合はできちゃった結婚という点と、兄夫婦は当時高校生だったという点があったからで、それは仕方がないことだと思う。
しかしながら、親が離婚しているからという理由ぐらいで結婚を反対されるなんてことがいまだにあることにひどく驚いた。
そして、龍之介のことが思い出される。彼の母親も未婚の母だったので、きっとなにかあったのだろうという結論に至った。
――いつか――
今度はおとといの浦上天主堂での出来事を思い出し、ハッと我に返る。
べ、別に、いますぐどうこうってワケじゃないし! それに、別に、龍之介に正式にプロポーズされたとかじゃないし! あれは流れで、そんな雰囲気になっただけだし!
自身の頭に浮かんだ事柄を一生懸命消していた。
玄関先で慎吾と靖史を見送るかおり。
「じゃあな、かおり。九州まで気をつけて戻れよ」
「うん、ありがと」
団地の階段を下り始める靖史。
「次ヤスくんと会うのは結婚式の時かな?」
かおりの質問に立ち止まる靖史。
「かもな」
「うん、楽しみにしてるね」
「おお、サンキュ」
そうして、靖史は階段を下りていく。
「じゃあ、慎吾はまた明日。っつうかもう今日か」
「うん、そうだな。また数時間後な」
二人は高校時代の友人たちと今夜会う予定になっていた。
そうして、木戸兄弟が原口家を後にした時には、外はうっすらと明るかった。
登場人物がヅラヅラっと出てきて混乱しますよね!
すみません!
ちなみに今章からはじまった、かおりの帰省編に出てくる人物は「この感情に名前をつけるならば」に出てきます。
そちらを読んでると割合スムーズに話がわかるかなと。
ホントすみません!