バックグラウンド3
龍之介のマンションの寝室。
しばしの別れを惜しむように、さっきまでいつも以上にお互いを求めたふたりはなにも身にまとっていなかった。ぴったりと寄り添っている。
「あ~あ、明日の今頃はかおりはいないのか」
「なんかその言い方、別れるみたいじゃない?」
かおりのからかうような口調に龍之介は笑った。
「明日は? 地元の友達と遊ぶの?」
「ううん、」
龍之介の問いに首を振る。
「多分明日は家族と過ごすと思う」
「かおりは兄弟いるんだっけ?」
「お兄ちゃんと弟がいるよ。お兄ちゃん、子供もいるんだよね、私もうおばさんだよ」
龍之介は?
そう訊き返したい気持ちを抑えて口を閉じる。
龍之介の家族構成をかおりは知らないし、そのことに触れたかったが、やはり今までのことがよぎり、自分からきいていいものかわからなかった。
「オレのことは?」
瞬時に龍之介を見るかおり。
「きかないの?」
目を細めて見つめ返す龍之介。
間接照明の灯りでかおりの瞳に彼の顔が妖しく映る。今しがた交わったばかりにも関わらず、彼のちょっとした表情で色情が溢れてくるかおり。
あ~、もうっ。私、ヘンタイみたい!
それとなく顔をそらし、「教えてくれるんだったら」とぼそぼそと答えた。
そんな彼女の心境を知ってか知らずか(おそらく彼のことわかっているだろうが、そのことには触れず)、柔らかく笑うと、「弟がいるよ、年の離れた。母親は違うけどね」と答えた。
「……そか」
なんと返していいのかわからず、そう答えるのがやっとだった。
「か~っおり、ちゃんっ」
龍之介は空気を和ませる軽い口調で彼女の名を呼ぶと抱きついた。
「暑いっ」
「明日オレたち離れ離れになるのに冷たいな~」
わざとうっとおしそうに龍之介を押し返そうとするかおり。一方、半笑いで彼女の顔を覗き込む龍之介に、かおりは至極難しそうなカオをする。
龍之介と出逢って早一ヶ月。彼の容貌の良さは見慣れたものの、やはりこんなふうに至近距離で見つめられると完敗させられてしまう。そのため顔を赤らめてうつむいた。
「好き~」
龍之介はまるでぬいぐるみのようにしてそんなかおりをぎゅっと強く抱きしめる。
「ハイハイ」
「浮気したらダメだからね」
龍之介は上目遣いで見る。
かおりは(私たちって男女の関係性が逆かも)などと思い、苦笑しながら「分かっとります」と答えた。
「っていうか、浮気するほど私モテないし。だいたいフツー今までのことから考えても、龍之介のが浮気するんじゃないの?」
龍之介はニカッと笑う。
「もしかしてヤキモチ焼いてくれてる?」
「違うしっ。……っっ!」
かおりが言い終わるとほぼ同時に、龍之介は彼女の唇を塞いだ。
「へへ。かおりが素直になるのってさ、」
かおりの耳元に唇を寄せる龍之介。
「シてる時くらいだよね」
その言葉にかぁ~っとなるかおり。
再びかおりが否定しようとした瞬間、龍之介が絶妙なタイミングで左耳を甘噛みする。
そうして彼女は流されるままになってしまった。
「そういえばさー」
再び事を終えたふたり。
龍之介は腕枕をした彼女の短い髪を手ですきながらポツリと呟く。
「ん~?」
時刻は暁。
まどろんでいたため、かおりにしてはスローな口調で返す。
「かおりはどうして長崎の大学に進学しようと思った?」
かおりはほとんど眠りについていた脳に彼の言葉を反芻させると、徐々に目が覚めてくる。
「あー……」
背でずって頭の位置を上げるかおりは龍之介に視線をやると、まるで合図のように彼は彼女に軽く口付けをした。
「修学旅行で長崎に住みたいって思ったのがやっぱりきっかけかな」
「あーやっぱそうなんだね」
かおりは頷く。そして、当然思っていた、龍之介はどうなのだろうかと。
ぼんやりしていたかおりの顔を覗き込むと、龍之介は「オレのもききたいって思ってくれてる?」と訊いた。
「うん、当たり前」
かおりは首肯しながら笑顔を向ける。
「ありがとう。じゃあ、松山龍之介クンは自分語りに走ります!」
龍之介はおちゃらけた口調で言ってニッと笑った後、真剣な表情に変わった。
「子供の頃にね、家族で旅行に来たんだよね。……それが最初で最後の家族旅行」
最初で最後の家族旅行……。
かおりは息をのんだ。
「その時はもう、母親は余命宣告されててね、旅行から帰ったら思い残すことはないって感じで宣告期間より早く逝っちゃった」
龍之介はまるで他人事のように軽い口調で言った。しかし、かすかに彼の体は震えていて、それはそういう言動にしてしまわないと尚更つらいのだろうことが彼に触れているかおりには充分すぎるほどに伝わった。
「……そっか」
「だから、母親と父親と三人で来た、最後の地が長崎なんだ」
「………」
かおりは改めて龍之介の口からきかされると、どうしようもなく苦しくなってしまう。自分が泣くのは違うと思ったかおりは懸命に我慢していたがこらえきれず、涙がこぼれるから、それを見られないように彼の胸に顔を伏せた。
龍之介は彼女の言動に対し優しく笑う。
「母さんがさ、その時すっごいはしゃいでて、」
龍之介はその当時のことに思い馳せ、小さく笑った。
「……ねぇ」
かおりはおそるおそる呟く。
きいてみたいことはたくさんある。仮に、そのうちのひとつでもきいてしまえば、とめどなく追究してしまいそうだ。
だけれども、今までのことや自身の口から話すと語った龍之介のことを考えると、それは果たして正しい行為なのか。
かおりは、自問自答しながらもこれから先も彼と付き合いたいのなら、きくのは今かもしれないと思い切った。
「ん?」
「その時にお父さんと初めて会ったの?」
その質問に彼は柔く微笑み、小さく首を振る。
もっとも彼の胸に顔を埋めているため見えないが、気配で彼がマイナスに捉えていないことを感じ、かおりは安堵の息を小さく吐いた。
「小さい頃、オレと母さんが井の頭公園に遊びに来てたんだ。そしたら、ばったり出くわしたみたいで。母さんも父さんもすっごい驚いてた。それからかな、たまに父さんに会うようになった」
「そっか」
「でも、母さんはいつもオレを父さんと二人で会わせてた」
「じゃあ、お父さんとお母さん会ったりしてないの?」
「多分……。会ってるふうじゃなかった」
「そっか…」
訊いてみたいことはたくさんあったはずだった。少しでも紐解けばするすると出てくるかと、かおりは思っていた。しかし、いざ踏み込んでも、結局その場で足踏みしてしまう。
ふたりは黙り込んだ。
しばらくすると、沈黙を破るように龍之介が思い出し笑いをする。
「どうした?」
「オレ、マジでそうとうマザコンだなって思って」
「なにいきなり」
龍之介の顔を見ると本当にニコニコしているからかおりも自然と笑みをこぼす。
「オレ、かおりを初めて見た時、母さんのこと思い出したんだよね」
「お母さんを?」
え、老けてるってこと?
かおりは顔をしかめる。
「そ。なんとなくだけどね、似てる気がしたんだ。だからかな、”あぁ、このコを逃したくない”って思ったんだ」
お母さんの代わり……?
かおりは複雑そうな表情を浮かべる。龍之介はそんな彼女をぎゅっと強く抱きしめた。
「でも、最初のきっかけはどうであれ、今はそんなこと、オレ自身も忘れてたくらい、かおりがすべてになってる」
「ハイハイ」
龍之介の真剣な声色にゾクッとさせられたかおりだったが、その空気を払拭させるようにわざと茶化す。
「母さんがかおりを引き合わせてくれたんだと思う」
一層強く抱きしめる龍之介に、かおりはもう茶化す言葉すら出ない。
彼に腕を回し、強く抱きしめ返す。そして、それが合図のように、龍之介はかおりのうなじにキスを落とすと、彼女の上に覆い被さった。




