観光/ハートストーン
翌日、昼食をすませてガイド本片手に向かったのは大浦天主堂。
大浦天主堂(天主堂の「天主」とはキリスト教の神の意味)はカトリックの教会堂で日本最古の現存するキリスト教建築物だ。正式名は日本二十六聖殉教者聖堂(天主堂)、その名のとおり日本二十六聖人に捧げられた教会堂である。
大浦天主堂は南山手と呼ばれる地区にある。
南山手は、長崎市内の重要伝統的建造物群保存地区として選定されている地域の名称。かおりの通うK女子大学がある東山手と合わせて景観形成地区として指定されている。
大浦天主堂へと続くゆるやかな坂道の両脇には土産屋がズラリと並ぶ。おみやげは後でゆっくりと見て回ることにして、ふたりは教会内に入った。
天主堂内外に観光客が溢れているためか、昨日観た浦上天主堂とは趣が違うようでざわついた雰囲気さえある。
「教会もいいけど、」
ん?
かおりは隣をチラリと見て龍之介の言葉に耳を傾ける。
「かおりは和装のが似合いそうだね」
かおりはそれが昨日浦上天主堂での会話を引き続いたものであることがわかり、頬を赤らめた。
「どっちでもいいけどっ」
つっけんどんな口調。龍之介はそんな彼女の態度を不快に思うどころか、クスッと笑うと「どっちもしたいってこと?」といけしゃあしゃあと返すので呆れ顔で彼を見返す。
しかし、変わらずニコニコとしている龍之介に、かおりもついつい笑いがこぼれた。
龍之介を見ていると、この人とだったら苦しい時も乗り越えたいし、きっと乗り越えられるだろうと思った。
こんな何気ない些細なやりとりから感じられることであり、他の人間にとってはそんなふうに思えないかもしれない。だけれども、かおりにはそんな気持ちが湧いてくる、そんな彼の言動だった。
「ここからグラバー園ってすぐなんだね」
建物を出てから。そう言いながら、龍之介はガイドブックに書かれたグラバー園のページを見ている。
「そうだよね」
グラバー園は、グラバー(幕末日本の近代化に尽力したスコットランド出身の商人、トーマス・グラバー氏)、リンガー(幕末から明治時代にかけて活動したイギリスの貿易商、フレデリック・リンガー氏)、オルト(製茶業・貿易商として来崎した英国人ウィリアム・オルト氏)の旧邸があった敷地に、長崎市内に残っていた歴史的建造物を移築した施設である。
「あ、今の時期、夜間営業してるみたいだね」
「へぇ」
確かに龍之介が言うように、イベント情報欄にライトアップされた旧グラバー邸の写真が載っており、その隣に夜間営業について書かれていた。
かおりは興味ひかれ、ガイドブッグをのぞき込む。
「見たいね」
「うん、見たいね」
龍之介の意見に賛同するかおりの表情には笑みがあふれていた。
稲佐山の夜景もそうだったが、彼女は意外といかにも女性が好みそうなことに弱い一面があった。しかし、彼女自身キャラに似合わないと思っているらしく、あまりそれを口外することはしない。
「かおりはさ、意外と女性らしいよね」
「は?」
かおりが眉間に皺を寄せて彼を見るとニッと笑い返す。生活をともにすれば見えてくる彼女の素というものに、当然ながら龍之介は気づいていた。
「はいはい、どうせ意外ですよ、似合いませんよ」
心なしか顔を赤くしているかおりはそっぽを向く。
「えー、そう? まぁね、クチ悪いけど~?」
「はいはい、どうせクチも悪いし態度もデカいですよ、ガサツですよ、外見も気を使うほうじゃないですよ、かわいくないですよ」
「でも、そのギャップがいいよね。他の人がほとんど知らないであろうことを知ってるっていうのがさ、うれしいよね~」
龍之介には彼女の言動などお見通しのようだ。クックッと本当におかしそうに言うため、かおりは気恥ずかしく、それでも「はいはい」と小声で悪態をついていた。
ふたりは夜の営業に合わせてグラバー園に向かうことにして、とりあえずおみやげ屋さんを巡ることにした。
土産選びをすませた後ふたりは彼女のアパートへ。
明日からまたしばらく部屋を空けるため、住人であるかおりが今日のうちに換気や掃除、帰省するために必要な荷物をまとめておきたかったからだ。
掃除を終え一息ついたところできれいになった部屋に寝転がっているふたり。
「やっぱ、リュウは几帳面だよね」
部屋を見回しながらかおりは彼の丁寧な仕事っぷりに感心していた。
「ん~、まぁね」
「うん、ホントすごい」
龍之介って最初に本人が言ってた通りだなぁ。
彼は几帳面でありながら、彼女の大雑把な部分を一向に気にしない大らかな面を持ち合わせており、それがまたかおりには尊敬に値するところだった。
「マザコン発言してもい?」
「うん、いいよ」
ニヤッと笑って訊く龍之介。
かおりもなんだかそれがおかしくて笑って返す。また、彼の母親のことがきけるとあって、とても嬉しく思った。
「母さんが大雑把だったんだよね、どっちかいうと。だから、自分がしっかりしなきゃって思ってきちんとしてたらそうなったような気がする」
「なるほどね~。でも、それわかるわ」
確かに、親子だから似る部分もあれば正反対の部分もある。かおりは自身の両親や兄弟について思い馳せ、納得したように何度も大きく頷いた。
「でも、結果としてよかったね」
「ん? なにが?」
「だからかもしれないけど、オレは几帳面な女性ってちょっと苦手だったりするんだよね」
「あー、う~ん」
それははたして褒められているのか。複雑な気持ちがし、曖昧に返事をするかおり。
「かおりはオレが大雑把のほうがよかった?」
嫌味でも不安げでもなく、単に疑問として訊く龍之介。
「う~んどうだろ。だけど、龍之介は几帳面なことを私に押しつけてこないから、……今のまんまでいいや」
「今のまんまが! いんでしょ?」
ニヤリと笑う龍之介にかおりは一度だけゆっくりと瞬きをし、柔和な笑みを浮かべている。
その表情を艶めかしく感じた龍之介は「あー、今すっげぇかわいかった! あーヤリたーい! あーでも、汗かいてて気持ち悪~い」と煩悩のままに声を上げる。
「いったん戻ろっか?」
フフフとまんざらでもないかおりに、龍之介も嬉しそうに笑う。
「うん、とりあえずシャワー浴びて着替えたい」
「うん、そだね~」
そうしてふたりは龍之介のマンションに戻った。
車内にて。
「だけど、かおりの部屋で過ごすのも新鮮でよかったね」
「あ、ホント? じゃあ、これからたまにはあっちに来る?」
「う~ん。そうしようって言いたいけど、あそこさ、声聞こえそうじゃない?」
「ハイハイ」
その“声”がなにを指すのかわかったかおりは苦い表情を示した。
十九時を過ぎていた頃、ふたりは出島にいた。
出島は江戸幕府の鎖国政策の一環として長崎に築造された人工島である。
鎖国というとどこの国とも国交を絶っていたと勘違いしている方もいるだろうが、実際には限られた国とは交流をしており、ここ出島はその海外との交流の玄関だった。
現在は当時の建物などを復元した作業が出島の一部の地域で何年にもわたりすすめられている。
出島に面した海は夕焼け色に染まっている。
夕食を摂る店は特に決まっておらず、トルコライスを食べてみたいというかおりの希望により、とりあえず龍之介の運転で出島に来たのだった。
長崎市内の喫茶店や洋食屋に当たり前のようにあるトルコライスは長崎を代表するメニューである。
ピラフ、ナポリタンを一枚の皿に盛りつけ、その上にトンカツをのせるのがオーソドックスなスタイル。お店によってピラフの味が違ったり、トンカツがハンバーグだったりチキンカツだったりと様々なバリエーションがある。
トルコライスの発祥は1950年頃には長崎市内の洋食店で出されていたとされているが、定かではない。
また名前の由来についても、三つの料理を三色旗「トリコロール」に見立て、それがなまって「トルコ」となった説や、ピラフ(炒飯)が中国、スパゲティがイタリアを表し、その二つの国をトンカツで架け渡して、両国の中間点となるトルコを名前にしたという説など諸説あるものの、真相は不明。
とはいえ、ここにも和食に中華、西洋を混ぜ合わせた長崎独特の“ちゃんぽん”文化を垣間見ることができる。
出島ワーフ近くの駐車場に車をとめる。
出島ワーフは海辺にある木造二階建の商業施設であり、食べ物屋さんが充実している。
そこの洋食屋さんに入り、念願のトルコライスを注文したかおり。運ばれてきたトルコライスに喜色満面の様子だ。
「いただきますっ」
「おいしい?」
うれしそうに頬張るかおりに嬉しそうに訊く龍之介。口に入ったままだったので、笑顔で何度も大きく頷いた。
斜陽の時刻も下り蒼い色が街を染め始めた頃、夕食を終え港に出たふたりは夕涼みをしながら海を眺める。
まだまだ夏のじっとりとした空気は漂っているものの、海の空気を含んだ風が心地よく吹いていた。
そしてグラバー園へ。
園内は見事にライトアップされていて観光客の目をひいており、それはもちろん、ふたりも同様だ。煌々と闇を照らす輝きに瞳を輝かせている。
「きれい……」
「昼間オレが言ったこと気にしてトーンおさえてるの?」
昼間、意外と女性っぽいと言われたことが頭をかすめ、かおりは小さく感嘆の声を上げた。
そんなかおりに気づいた龍之介。ニヤニヤしながら訊く。
(わかってるならいちいち言うなよ)
かおりは口を尖らせて「べっつに~」とそっぽを向いた。
「ごめん~」
龍之介は繋いでいた右手をぎゅっと握って彼女の顔を覗き込んだかと思うと、チュッと軽く口づけた。
かおりはほんの一瞬のことに固まってしまうが、すぐに彼の突拍子のない言動に目をまんまるくする。
「バ、バ、バカじゃないの! こ~んな公衆の面前でっ!」
「ん~? うん、でもさ、みんなオレたちのことなんて見てないって」
しかし、それは龍之介の勝手な推測であり、警戒してかおりはあたりをキョロキョロとすると、明らかにこちらを見ている人々をいくつか認めた。
「もうっ! 絶対に見られたって!」
「あーそう? でもいいじゃん、別に。減るもんじゃないし~」
龍之介はあまりにも気にしていない様子でいるため、かおりも(まぁそりゃそうだけど……)と気恥ずかしく思いつつも、(ま、しちゃったもんはもうしょうがないか)と開き直るのだった。
グラバー邸の前に来たふたり。
龍之介は足元をキョロキョロとして見ている。
「どした?」
かおりは不思議そうに龍之介の視線を追うようにして地面を見た後、彼の顔を覗き込む。
「なんか落とした?」
「いや、ハートストーン探してる」
「ハートストーン?」
「あ、知らない?」
「うん」
「あのね、ハートのカタチした石が二つか三つくらいあるらしいんだよね。そのうちの一つがこのへんにあるみたいで。それに触れると恋が叶うとか、カップルでその石の上に手を重ねると幸せになれるとか、色々あるみたいだよ」
龍之介の説明を聞いたかおりは顔をわざと引き締めて「そうなんだ」と言い、それとなく地面の石の形を見始める。
「あ、あったかも。これよね?」
半信半疑の様子で呟くかおり。指差す先は確かにハートの形をした石盤だった。
「おお~、すげぇ!」
龍之介絶賛感動中。
ハートストーンの前に中腰で見ている龍之介が視線を彼女にやる。
彼女はとても嬉しそうに「見つかったね」と呟き、そのまましゃがみ込んだ。龍之介もかおりの隣にしゃがむと頬杖をついてにんまりと眺める。
「重ねよう?」
「あぁ、うん」
彼はハートストーンに手をかざしてかおりを見、彼女は彼の右手にそっと自身の左手を重ね合わせた。
「幸せになろうね」
「そう言うってことは、今は幸せじゃないの?」
ニヤリと笑ってかおりは皮肉る。
「かおりはすぐそういうことを言うよね」
彼女の言葉の裏の意味などお見通しの龍之介。堪えるどころか、クックッと笑っているため、かおりは顔を赤くしてそっぽを向くのだった。