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この街で君と出逢った  作者: 二条 光
10/20

出逢い/報告


 リビングのドアを開けると、食欲を掻き立てるような美味しそうな匂いがほんわか漂っていた。

 空腹のかおりの鼻腔は刺激を受け、ぐぅっとお腹が鳴る。その音をきいて、ふたりは笑い合った。


「食べる準備するから。着がえてきたら?」

「ん、ありがとう」


 キッチンスペースに入る龍之介。かおりはその姿を見ながらリビングを後にした。

 

 かおりは、出かけた時の格好も充分ラフだったけれど、それでも部屋着はもっとラフで。

 思わず、(これって着替える意味、あんまないよな)と自身に突っ込みを入れてから着替えを始める。


 そして、自然と彼のことを考える。

 なにをさせても器用にこなしそうだけれど、どこか誰よりも不器用な印象の龍之介。

 他人に対してはまだよくわからないけれど、少なくとも自分には心の扉をひらいていてくれているような気はした。しかし、まだほんの少ししかひらかれておらず、中にどんなものがしまいこまれているのか、それを考えるとこわかった。

 他の人間ならばそれを知りたいと思うのかもしれないけれど、かおりには何故だかひどく知りたくないと感じた。

 いや、知りたくないのではなく、知るのがこわかった。

 知ってそれは受け止められるような事柄ではないような気がして。こわかった。


 でも、まいっか。

 彼女は普段、あまり人間関係や他者について深く考えるタイプではなかった。

 決して悩まない訳ではない。

 すごく悩むのだけれど悩んでいるうちに、「悩んだってしょうがないじゃないか。なんとかなるさ、今は目の前のことを一生懸命やろう」と開き直ることでこれまでの人生を生きてきて、実際にそれがすべてプラスに作用してきた。

 そして、今も。

 色々悩めばキリがないけれど、今は彼といることは楽しく。だから、彼とともに過ごす時間を満喫しようと思った。


 リビングへ戻ると、ビーフシチューが用意されていた。

 中央に置かれたボウルサイズのガラス容器には、いっぱいのサラダにそれを取り分ける用のトング。

 ビーフシチューの皿の隣には、サラダを取り分けるんであろう小皿がそれぞれ置かれている。

 そして、数種のドレッシングが並べられ、コースターに置かれた2つの透明なグラスには冷たいお茶が注がれていて、早くも汗が表面をなぞっている。


 かおりの家族は大雑把。

 サラダをよそうのにトングも使わなければ、コースターなんてものは敷かれたことがなく、そんなことでも、かおりは彼との育った環境の違いを感じてしまった。

 だけどまた、(ま、いっか。これから合わせていこう)と思った。


「どうした?」


 少しだけ難しい顔をしていた彼女を見て心配そうにする。

 かおりは慌てて笑顔を作ると「なんでもない」と応えた。


「そう?」


 微笑む龍之介に、かおりは笑い返した。


「はい、食べましょう~!」


 ふたりは手を合わせる。


「いただきます!」

「いただきますっ」


 ふたりともまずはお茶に手を伸ばす。それにどちらともなく気づき、顔を見合わせて笑った。


 かおりは自分のサラダをよそおうとした時に彼の分までサラダを取り分けた。

 今までそんなことを先日別れた元カレにしたことなんてなかったし、彼に対しては自分のできることは自分でするのが当たり前だと思っていた。

 一方、龍之介にはそれをするのが至極自然だった。

 龍之介のことだから、「女だから」などということは言いそうにないと思ったし、かおり自身も「女だからしたい」と思った訳ではなく、「この人だからしてあげたい」と自然に思った。

 それは男だから女だからということではなく。

「愛しい人だからしたい」、ただそれだけのことだった。


 元々、友達だった頃から対等であることを元カレに求めていた経緯もあるが、それは付き合ってからもなんら変わることはなかった。

 そういえば……。

 友達だった頃と変わらないかおりに対し、不満のようなものを抱えていた彼のことがちらつく。

 こんなこと、ささいなことだけど、肩ひじ張らずに私にしてほしかったのかもしれないなぁ。

 元カレのことをふと思い出し、苦い表情を浮かべた。

 彼女の表情の変化に気づいていながらも今度はそれには触れず、彼は優しく見つめていた。


「ん?」

「ん~ん、なんでもな~い」


 視線に気づいた彼女に対しおどけたカオで首を振る。


「え~、気になるし」

「いや、こうやって普通に家でカノジョと食事するってこんなに幸せなんだな~って思ってさ」

「なんなのそれ」


 あっけらかんと告げる龍之介に、顔を赤らめ視線をそらすかおり。そんな彼女を愛しく思え、彼が小さく笑うとつられてかおりも照れくさそうに笑った。


 ほのぼのとした夕食も中盤にさしかかった時、キッチンのほうからスマホが鳴り出した。龍之介のだ。


「オンナからだ~」

「ほとんど拒否ったりしたから、それはない」


 冗談を軽く流しながら龍之介は立ち上がり、キッチンへ向かう。


「拒否った?」

「うん。着拒~」

「はぁ? 着信拒否?」

「うん。あ、西田ニシダだ」


 信じられないといった表情で見つめるかおりをよそにスマホの画面を操作しながら応えると、彼は電話に出た。

 西田? 昨日もいた人かな?

 今度は電話の向こうの相手が気になるかおり。空を仰ぎ見て合コンメンバー思い出そうとする。


「うぃーっ」


 口角をクィっと上げて電話の相手に挨拶をする彼の様子から親しい友人だとかおりにも容易に予測できたため、女性の影を疑ったものの、それは違ったことがわかり、ホッと胸を撫で下ろした。


「……あー、さっきのメールだろ、見た。きーてみようか。うん、今一緒だから」


 はい? 私?

 かおりは目をぱちくりさせて彼を見ていると、彼が電話を耳元から離す。


「昨日の合コンのメンバーで今度の花火大会の日集まらないかって。他の女のコにはほとんど訊いてるみたいだけど、みんな来るって」


 かおりが目を丸くして見ているが、相変わらず飄々とした様子で戻ってきた彼はやはり飄々として説明。


「あ……、うん。私はいいよ。バイトあるから遅れると思うけど」


 彼の言動があまりにもナチュラルなものだから、かおりも普通に答える。

 龍之介は頷いてから西田にその旨を伝えた。

 みんな行くのか~。

 かおりは昨日のメンバーに確認しようと思ったが手元に携帯電話がないことを思い出し、全ての荷物を置いている寝室に向かった。


 スマホを見ると三人のほうから着信やメールが入っており、昨日のことを思い返す。

 っていうか、まだ昨日なんだよなー。

 龍之介との時間の密度があまりにも濃いため、彼と出逢ってからかなりの時間が経っているように感じていたかおりはまだわずか一日の出来事だったことを実感して改めて驚くのだった。

 とりあえず一番多く連絡をくれている十和子に電話をかけると、すぐさま彼女は出た。


『おっそーい』


 そう言った後でクスクスと笑うクールビューティー。


「ごめんごめん」

『彼と一緒?』

「あー、……うん」


 かおりは顔を真っ赤にして頷いた。


『……近くにいる?』

「ううん、別の部屋にいるけど。なんで?」

『あの人、龍之介くんだっけ?』

「うん、そう。龍之介」

『彼ね、特定のカノジョはいつもいなかったらしいんだけど、』

「うん」


 近くにいないと答えたにも関わらず、ましてや電話にも関わらず、十和子が小声で話し始めるので、よほどの内容なのだと悟り、かおりは唾を飲み込んだ。


『自称カノジョはたくさんいるらしいから、気をつけたほうがいいかもよ。けっこうヤバめなコもいるらしいし』

「うん、みたいだね」


 かおりは夕べきいたこと――ワイパーに“あのオンナ、誰?”メモ事件だとか待ち伏せ事件だとか――を思い出し、苦笑いを浮かべる。


『あれ? なんかきいたの?』

「うん、まぁね。ボチボチね」

『そうなんだ。じゃあよかった。ん? よかったのか? うん、まぁ知らないよりはね、いいよね』


 拍子抜けした様子で徐々に十和子の声のトーンが戻ってくる。


「うん、ありがと」

『っていうか。まさか、あのままずっと一緒にいるの!?』

「いやっ、それはないけど。私もバイトあったしっ」

『なるほどね~』


 かおりの反応に十和子はなんとなく察し笑う。


『そういえば、さっき西田くんから電話あったんだけど。今度の花火大会、かおりも行くでしょ?』

「うん。バイトあるから遅くなるけど」

『わかった~』


 そうして、十和子との電話は切れた。


 っていうか、マジで西田くんって誰なんだろ。

 そんなことを思いながらリビングへ戻ると龍之介が電話を終えており、テーブルの上を片づけていた。


「あっ」

「あ、ごめん。まだ食べるつもりだった?」

「ううん、もうおなかいっぱいかも」

「ならよかった」


 龍之介はふんわりと笑う。

 かおりは一緒に片づけ始めた。


「ねー、西田って誰?」


 テーブルを台ふきんで拭きながら、キッチンで洗い物をしている龍之介の背中に向かって訊く。


「ああ、西田ね。えっと、昨日来てたメンバーは覚えてる?」


 龍之介は一瞬手を休めたものの、すぐに洗い物を再開。

 洗う音で消されまいと若干大きめの声で訊き返す。


「うん、うっすら」

「ラガーマンみたいな男いたの覚えてない?」

「あ、なんとなく」


 かおりは自分の前に座っていた彼のことを思い浮かべた。


「あいつだよ」

「そうなんだね」


 なるほどね~、あの人が西田くんか。



 片づけを終え、ふたり仲良く歯磨きをすませてからリビングに戻った。

 ソファに並んで座ると、すぐさま龍之介は彼女の左頬にキスをする。


「もうっ」


 かおりは慌てて口づけられたほうを手で押さえた。


「え? なんで? ダメ?」


 ニヤニヤしながら訊く。


「いや、ダメじゃあないけど~」

「じゃあ、口は?」


 今度は子供みたいにニコニコしながら訊く。


「龍之介がしたいんでしょ? 私がダメって言ってもするんでしょ?」

「うん、したい。ダメって言われてもする」

「……」

「いただきま~す」


 そう言うと、彼は彼女の頭を抱え込むようにしてキスをしてきた。

 ……しょうがないなぁ。

 すっかり龍之介のペースに巻き込まれるかおりだった。

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