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この街で君と出逢った  作者: 二条 光
1/20

出逢い/ナンパ

 君と出逢うために、この街へやってきたのかもしれない。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 七月上旬。

 梅雨明け間もない長崎市だったが、すでに真夏のような日差しが降り注いでいる。


 うっわ! あっつーーー!!


 原口ハラグチかおりは大学の校舎から出た途端、あまりの暑さに顔をしかめた。

 今日は午前中の授業しか選択しておらず、そのあとは図書館で課題をこなしていたが、キリもよくなり切り上げた。

 日陰から日なたに出た途端、もう昼下がりだというのにジリジリと焦がすような日光が肌を刺し、慌てて日傘を差す。


 十八年間生まれ育った地元を発ち、ここ長崎にやってきてから一年以上が過ぎた。

 彼女の通うK女子大学は東山手と呼ばれる地区にある。この地区は、江戸時代開国に伴い最初に許可された外国人居留地である。教会やミッションスクール、中国建築様式を取り入れた洋館などはその当時の長崎を思い起こさせる。

 当時、西洋人全般をみな“オランダさん”と呼んでおり、居留地にある坂はすべてオランダ坂と呼ばれていたようだ。現在は彼女の通う大学に面した坂と他二つを総称してオランダ坂と呼んでいる。

 長崎は大変坂の多い町である。

 かおりは中学校の修学旅行で長崎へやってきて、その時いたくこの町を気に入った。そのため、漠然と「この町にいつか住んでみたい」と思っていた。

 しかし、いざこの町に住んで痛感したのが「住むには不便」という点。それを強く思わせているのが坂の多さ、しかも、かなり急である点だった。

 今朝も大学までの道のりを最寄駅から歩いたのだが、大学前の坂は息が上がって汗もびっしょりとかき、化粧が早くも崩れる始末。

 特にこれからは暑さも増す一方。去年のことを思い出され、大学へ通うたびかおりは少し憂鬱になった。

 だけれども、やはり憧れていた町で憧れていた独り暮らしをできることは嬉しかった。


 かおりは大学から一番近い駅から路面電車に乗り込む。

 路面電車はチンチン電車とも呼ばれ市民の足代わりとなっている。

 乗車口に一番近い場所に座り、そこから外の景色を眺めた。

 路面電車のない暮らしをしてきたかおりにとって、車と共存している風景というのは一年以上住んだ今でも異様な感じが拭えない。長崎市民にとっては、おそらくはバスと同じような感覚なのだろうし、実際線路の上を走るバスのよう。だけれど、よそ者からしてみれば、路面電車はあくまでも電車の感覚なのだ。だから、今でこそ随分と慣れたが、初めの頃は路面電車の走る場所を車が走っている街並みはすごくヒヤリとした。


 かおりは築町ツキマチ駅で下車した。

 築町駅は観光都市・長崎の中でも一、二を争うであろう観光スポットである中華街に近い。その中華街を中心に、少し歩けば市最大のショッピングゾーンが広がる浜町ハママチへのアクセスも便利だ。

 今夜、浜町にある居酒屋で友人と落ち合うことになっているが、まだ時間も早いため、闊歩することにした。

 商店街を練り歩き、目に入ったファーストフード店に入ったかおりの目的は昼食。昼食を摂りそびれていて、今頃になって空腹を感じていた。

 すぐそばに座っている女子高生の会話は当然のことながら長崎の言葉。時折耳に入ってくる長崎の方言は使いこなすことはできないまでもほとんど聞き取れるようになった。

 彼女が高校生だった頃はそう遠くないにも関わらず、女子高生の会話を聞きながら「かわいいなぁ」などと大人ぶった気分になっていた。


「ねーねー」


 店を出て目的もなく歩いているとしばらくして、後ろから誰かが声を掛けているのに気づいた。しかし、まさか自分に声を掛けているとは思わず無視して歩き続ける。仮に自分に声を掛けていたとしても、どうせキャッチセールだろうから無視するに限る。


「ねってば~」


 声の主は彼女の手を取ると強引に振り向かせる。


 はっ!?


 ここまで強引に呼び止められたのは初めてだったので、かおりは険しい顔をして相手を確認する。

 パッと見、かっこいいという形容詞がピッタリの男がニコニコとして目の前に立っていた。手にはビラなどは一切持っておらず、キャッチセールスでもなさそうだ。


 なんなの、この人。チョー軽そうだし……。


 かおりは険しい表情のまま首を傾げた。


「ねー、今ヒマ~?」


 かおりの手を持ってブラブラさせたまま問いかける男。


「はぁ!?」


 これってもしかしてナンパ!?


 十人並みの容姿だということは自覚しているし、男ウケするようなファッションもしていない。しかも、近寄りがたい印象をいつも初対面の人間に抱かせてしまう。キャッチセール以外で声を掛けられたのは初めてだった。

 口をパクパク目をパチパチ。動揺を隠せないまま男を見ていると彼はニカッと笑って握っている手に力を込める。


「さっきモスにいたでしょ?」


 なんで知ってるの? え、まさかついてきた!?


 いぶかしげに見るかおりに対し、ニコニコ笑顔を崩さない彼。それがまた一層彼女の不信感を深めていく。


「その時から君のこと好みだなーって思って~」


 はっ!?


 そのような言葉をどうせ誰にでも言うんだろうと思うものの、なによりもかっこいいし、また彼の魅力なのかもしれないが、それを本気にしてしまいそうな力があった。


「は、ぁ……」


 照れくさくなってかおりはよそを向く。

 自分でも顔が赤くほてっているのを感じ、思わず「あつぅ~」と暑さのせいにして手で顔を仰ぐ。

 きっと彼にはバレているのだろうが。


「立ち話じゃなんだから少し歩かない?」


 ニッコリと笑いながら言われ、まるで操り人形みたいにうっかり頷いてしまいそうになるが、必死で理性を保とうとする。握られた腕のあたりから全身に熱を帯びていくのを感じる。

 どんどんと彼の手の内に嵌ってしまいそうですっかりこわくなった。


 ヤ、ヤッバ!!


「いっ、いいですっ!離して、離してくださいっ!」


 彼の手をなんとか振り払い、かおりは足早に人混みの中に消えていった。


 なんなの!? なんなの、あの人!?


「……はぁ~、はぁ~」


 アーケード街に入り、彼が追ってきていないことを確認したかおりは胸のあたりを抑え必死に息を整えようとする。

 走ったからなのか、さっきのことに動揺しているせいなのか、はたまた両者のせいか。かおりの心臓はものすごいスピードで血液を循環させていた。

 彼が歩けば、きっと行き交う人が振り返るであろう容姿。ナンパなんて縁もないし、そもそも軽い男は好きではないのだけれど、かおりはほんの少しだけもったいないような気すらしていた。


 ブルブルブル。かおりは慌てて頭を振る。

 自分ですらそんな気持ちになるのだから他の女のコがほっておくはずがないし、万が一でもあんな人を好きになったりしたらきっと苦労するだろうから、と自分のとった行動を納得していた。

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