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可哀想な少女

作者: 鈴蘭

ここは裏野ハイツの102号室。カーテンは常に閉まっており、蛍光灯が消えかかっているのか部屋は薄暗く、ゴミが溜まっているため異臭もする。

そんな部屋の住人である40代の無職の男は、無言で俯く小学生の少女を眺めながら食事をとっていた。

むちゃ…くちゃ…はぐ…もぎゅ…

お世辞にも綺麗とは言えない食べ方で、男はどんどんと食事を進めていく。少女は、それを羨ましそうに、恨めしそうに見つめていた。

男は少女の視線に気が付くと、手を止め、ガタッと音を立てて立ち上がった。

すると、少女は怯え、慌てて目をそらした。男は少女に近づいて言った。

「食いたいか?」

少女はパッと顔を上げ、無言で頷く。男は無愛想な顔で食事をしていたテーブルに戻ると、皿に乗っていた食べかけのチキンを1つ摘み上げ、少女の目の前に落とす。

少女は迷わずチキンに手を伸ばし、なりふり構わず大慌てでそれを平らげた。

男は少女を見下ろしながら、食事が終わるのを待った。少女が食べ終わると、まだしゃぶりついている骨を取り上げ、ごみ箱に捨てた。

「あ…」

思わず少女の声が漏れる。男が少女の方をちらと向くと、少女は慌てて口を押え、最初と同じように俯いた。

「…気をつけろよ。」

男は少女にそれだけ言うと、テーブルに戻り、自分の食事を再開した。

少女は再び男の食事を眺めるだけの体勢に戻った。


少女は”あの日”が来るのを今か今かと心待ちにしていた。

”あの日”とは、今の少女にとって1年間で唯一心休まる日であった。

少女がこの部屋に来てから、すでに6年が経とうとしている。少女と住人の男は、何の関係も無い赤の他人。

少女は小学校の入学式の日の帰り、急に車が真横に停まり、降りてきた覆面の男に攫われた。口を押えられ、目隠しをされたまま連れてこられたのがこの部屋だ。

この部屋に連れてこられてからというもの、少女の食事は2日に1回程度、お風呂は1週間に1回、絨毯も引いていない床の上で寝かされ、勝手に喋ったり動こうとすれば殴られることが当たり前になっていた。特に、何か言葉を発しようものなら、ものすごく殴られた。

最初は少女も男の理不尽な振る舞いに反発していた。

しかし、男性の力で思い切り殴られると動けなくなり、それでも言葉を発しようとするとさらに殴られたため、このままでは殺されてしまう、そう思った。

いつからか少女の反発心は男への恐怖心に負け、少女は男に逆らわなくなった。


そんな少女に訪れた唯一の休息日が”あの日”だ。

男は”あの日”の1週間前からはきちんと3食少女に食べさせ、毎日風呂に入れ、殴ることも無くなった。

それでも勝手に喋ったり動いたりすれば怒られるが、手で口をぐーっと押されるくらいで、痕が残るような殴り方はしなくなった。

”あの日”をまだ知らなかった頃の少女は戸惑いながらもそれを受け入れた。”あの日”が近づくと男は妙にそわそわし出す。

そして、当日になると、男は少女を大きめのトランクに詰め込み、どこかへ出かける。

真っ暗で息苦しいトランクの中で、少女は不安を覚え、このまま殺されるのではないかと怯えていた。

30分位経ったころ、男はトランクを床に降ろす。

トランクを開け、少女を外に出してやると、そこは何となく見知ったような、でも全く知らない家の玄関だった。

男は小声で「妙な事喋ったらこの部屋に火をつけて、この場にいる人間全員を殺す。」と少女に言った。

少女が男の言葉に震え上がっていると、奥から見知らぬ男性がにっこりと笑って出てきた。

「やあ、久しぶり。元気かい?ん?そちらのお嬢さんは?」

見知らぬ男性がそう言うと、男は答えた。

「ああ、姪っ子なんだ。」


初めて会った男性は、男より年上でおそらく50代。成人病一歩手前のメタボリックな男に比べてかなりスマートで、綺麗めなスーツをビシッと着こなし、それが少女には格好良く見えた。

そして、少女は思った。この人なら、私を助けてくれるのではないだろうか。

何とかして少女はそれを伝えようとするのだが、男性の隣には常に男がいた。

何かに書いて渡そうか、そう思ってみてもこの部屋には筆記用具が無い。なぜかとても殺風景なこの部屋では、木のテーブルとソファ、幾何学模様が描かれた絨毯くらいしか見当たらなかった。

少女は、押入れに仕舞ってあるのだろうかと思い、近づこうとすると、男性から叱られた。

「そこには仕事道具が仕舞ってあるから、勝手に触っちゃだめだよ。」

優しく笑う男性の横で、男が般若のような顔をして少女を見ている。

少女は男に怯え、押入れから離れた。

押入れはだめだけどその代わり、と言って男性が洗面台の下の扉から1冊の絵本を取り出した。

「ほら、こっちにおいで。僕が本を読んであげよう。」

その時から少女は、この男性を”本のおじさん”と呼んでいる。


少女は、本のおじさんといる時だけ、喋っても男から怒られなかった。その代わり、男のことは”叔父さん”と呼ばなければならなかった。

少女はこの部屋にいる時だけは、本のおじさんに遊んでもらい、一緒に鍋をつつき、夜には洋室で布団で寝かせてもらえる。

少女は本のおじさんのことが大好きになった。ただ、少女が布団に横になった後、隣の部屋で男と本のおじさんがおしゃべりをしているのが何となく聞こえてきたため、あの2人はきっととても仲良しなのだろうなあと少女は思っていた。


少女の本のおじさんと一緒に過ごす時間は長くない。

1泊したら、もう次の日の夜には男にトランクに積み込まれ、元の部屋に連れて行かれる。

少女はあの部屋に帰りたくなくて、泣いて本のおじさんに縋るが、本のおじさんはにこにこと笑ったままそっとそれを制す。

「わがまま言っちゃだめだよ。ほら、おうちに帰りなさい。」

本のおじさんは知らないのだ。少女が普段どういう扱いを受けているのか。そもそも男とは何の関係も無い赤の他人だということも。

泣きながら思わずそれを口にしようとすると、男は少女の口を押え、玄関まで歩く。

「じゃあ、またな。」

本のおじさんはにっこりと笑い、2人に手を振る。

「ああ、またね。じゃあ、鍵を閉めておいてね。」

そう言って本のおじさんは奥の部屋に戻っていく。それを見届けると、男は少女をトランクに詰め込み、また30分くらいかけて元の部屋に戻り、また元の生活を繰り返す。


本のおじさんの家から元の部屋に戻った直後は、少女は生活の落差で以前よりも辛く感じた。しかも、本のおじさんの家でやってしまった”いけないこと”を男に責められ、少女への扱いがさらに雑になる。

・押入れに近づこうとしたこと

・男を叔父さんと呼ぶのをためらったこと

・助けてと縋ろうとしたこと

これらのことで少女は男に辛く叱責された。

しかし、少女が本のおじさんの家から帰りたがらなかったことについて怒られることはなかった。


そんな生活を続けてもう6年目。少女は”あの日”が近づいていることに気が付き、うきうきしていた。

少女とは裏腹に、男は昨年よりも辛そうな顔で少女を見つめるが、少女にとってそれはどうでもいいことだった。

本のおじさんに会えることだけが、今の少女の唯一の楽しみであり、この日があるから少女は今の辛い生活に耐えられている。

珍しくため息を吐く男に目もくれず、少女は今回は何をして”あの日”を過ごすかを考えていた。

すると、珍しいことが起こった。男が少女にいつもより優しく話しかけたのだ。

「…なあ、お前ももう、大きくなったよなあ。」

男はしげしげと少女を眺める。

少女の体は、栄養不足であまり脂肪はついていないが、最初のころに比べて随分背が伸びていた。

女性的とは言えないが、少なくとももう幼稚園児の服を着れば似合わないくらいにはなっている。

返事ができない少女は目をぱちくりさせながら男を見ていた。

「なあ、このままさあ…」

男は何かを言いかけたが、ポケットに入れていた携帯の着信音に気が付き、ハッとした顔をした後、その続きを言うのをやめた。

そして、今までと同じ無愛想な態度に戻ると、「寝ろ」と言って少女に毛布を投げた。そんなことは初めてだった。

「え…」

思わず声が漏れた少女に何の反応も見せず、男は無言で隣の部屋に籠った。


次の日、男は少女をトランクに詰め込み、本のおじさんの家に向かった。

久しぶりに会った本のおじさんは、にっこりと少女に微笑む。

「これからちょっとお出かけしようか。」

そう言うと、今来たばかりの少女の手を引き、男と一緒に玄関の外へ出た。そして、表に停めてあった車の後部座席に少女を乗せると、自分も後部座席に乗り込み、男は運転席に座った。

エンジン音がかかり、車が出発する。

少女は久しぶりに外に出たため、何もかもが新鮮に見えた。

後ろを振り返り、本のおじさんの家を眺める。家というよりアパートの1室だったようだ。

小学1年生の時からずっと閉じ込められてきた少女に漢字は読めなかったが、アパートには○○ハイツと書かれていた。


しばらく車を走らせると、目的地に着いたらしい。車が止まった。どこかの地下駐車場のようで、周りはコンクリートの天井や壁に囲まれていた。

「さあ、こっちだよ。」

本のおじさんは少女の手を引くと、エレベータに乗り、6と書かれた番号を押す。男も慌ててエレベータに乗り込む。

エレベータが閉まり、再び開くと、ドアがたくさん並んだ廊下に出た。

「ここはね、ホテルなんだ。」

本のおじさんはにっこり笑うと、少女を連れて603号室の前に立った。

男は、その向かいの604号室の前に立った。

少女が驚いた表情を見せると、本のおじさんはふふ、と笑った。

「今日はね、僕と、僕のお友達が君と遊ぶんだ。だから、叔父さんはお留守番。僕のお友達もね、君の話をしたらぜひ会いたいって。」

少女は振り返ると、男の表情を見た。男は、悲しそうな顔で少女を見つめる。

「はは、あいつ、のけ者にされて寂しいんだね。まあ、今日は僕たちが君を独占させてもらうよ。」

少女は何が何だか分からないまま、本のおじさんに連れられ、603号室のドアの中へと消えて行った。


604号室に入った男は、すぐにヘッドホンをして大音量で音楽を流した。

しばらくすると、大音量の音楽でも消せないくらいの少女の悲鳴が耳に流れ込んできた。

男は泣きながらヘッドホンを両手で押え、それに耐えた。

これで一体何人目だろうか。

男があの”本のおじさん”に弱みを握られてからというもの、”本のおじさん”が連れてきた子供を育てては、こうして中学生になる前に殺されるのを見殺しにしている。

男だって、したくてしているわけではない。助けられるなら助けたいと思う。

しかし、男にはそれができなかった。

だから、せめて少女に情が移らないように、少女の言葉は聞かないようにしたし、ほとんど話しかけないようにした。

それでもやはり殺される前には、助けようと思わず考えてしまっては飲み込んできた。そんなことをしたら、自分だって殺されてしまう。

だが、それにしても悪趣味だ。

小学生の”可哀想な少女”に優しくして好かれたいだなんて。そして絶望した顔が見たいだなんて。

ああ、次の入学式にはまた新しい”可哀想な少女”を連れてくるんだろう。

ああ、俺はいつまで罪を重ねればいいのだろうか。

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― 新着の感想 ―
[一言]  葵枝燕と申します。  「可哀想な少女」、読ませていただきました。  「“本のおじさん”」、悪趣味すぎますよ。信頼させて裏切るのが好きなんですかね……。  情が移らないように自制しつつ、それ…
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