3です!
成人男性とメイド女子という謎の組み合わせはタクシーに乗るには資金不足で、バスに乗るには勇気が足りなかった。というか、待っても待っても来なかったため街に向けて歩き出した。大通り沿いの道を黙々と歩いていると、桃兎が頭をしょぼんと下げた。
「ごめんなさいです、歩かせて」
「いや、歩くのは結構平気」
落ち込んでるなあ、何か、気を紛らわせたり、面白い話をしてあげたいのだが、そんな芸当はない。だからせめて、手を繋いでいた。改めて繋いでいたのではない、ずっと繋いでいたのだ。それを離さないでいるだけ。さすがにちょっとあんまりかと思って紫がちらっと桃兎を見ると、彼女は恥ずかしそうにしていたから、そのままでいることにした。離すことの方が恥ずかしいことを言い訳に、紫も安心したかったかもしれない。
そのまま歩いていくと、ふ、と足を止めた。止めざるをえなかった。街なんて何処にもなかった。酷い火事だ。一面火の海、救急車と消防車とパトカーと人の悲鳴が、鼓膜から脳へ非常事態を訴え続ける。目の前の光景があまりにも現実離れし過ぎていて、受け止めるまでずいぶん時間がかかった。
「何で」
そう疑問を問いかけるしかなくて、聞く相手は桃兎しかいなくて、振り返ると、彼女は泣きながら何度も首を横に振っていた。
「私にも詳しいことはわからないんです…でも、紫のお兄さんを襲った『あれ』はたくさにて…とても人を憎んでいて…みんないなくなればいいと思ってるそうです…そうならないために、私たちがいるんです」
「私たち…?」
「天使い、と呼ばれています。私も全員には会ったことありませんが…そもそも何人いるかも分かりませんが…私たちは、あれと戦うことが出来ます。でも、それは、主人がいて、初めて完全に力が発せられるものなんです。私にはずっと主人がいませんでした」
「主人…」
言って、脳内で整理して、嫌な予感がした。桃兎の呼び方が急に、紫のお兄さんから紫様に変わったこと。聞きたくない、認めたくないが、桃兎の言葉が続く。
「ごめんなさいです。桃兎があなたを選んだから」
「そっ…そのことは落ち着いてから、いくらでも話そう。そんなことより、こんなこと、こんな状況、一体どうしたらいいんだ。桃兎と俺でどうにかなりそうなのか?」
「分かりません…今までずっと大丈夫だったんです…ずっとずっと大丈夫だったんです…桃兎がえいやってやつけるくらいで毎日毎日、平和だったんです…なのに…少し前から、どんどん酷くなって…どうしてこんなことになってるのか…」
「君を選んだ相手とは、連絡取れないの?」
桃兎が首を横に振り、紫はそのまま膝をつきそうになった。負け惜しみのように言うが、なんとなく展開は読めていた。けど、それでも、改めて言われると落ち込むものがある。
「きゃああああああ!!」
近くから、女性の悲鳴が聞こえた。飛び出しかけた桃兎が躊躇したのが分かった。彼女の考えていることは大体分かる。桃兎の主人は紫だ、紫の命令でなければ彼女は力を出しきれない。それを無視してでも一人で飛び出したところで、敵が一体何体いるのか、勝ち目があるのかも分からない。紫は大きく息を吸い、言いたいことを一気に吐き出した。
「桃兎。俺は正義の味方じゃない。見ず知らずの誰かを助ける義務なんてない」
「…っ、はい」
「俺は、自分とその生活を守るのにいっぱいいっぱいだ。そしてその生活に、もう君が組み込まれてる」
俯きながら、泣くのをじっと耐えて聞いていた桃兎が、ゆっくりと顔を上げて紫を見た。
「ここで彼女を見捨てたら、君の心がずたずたになる。それを守るのは、僕の義務だ、だから…~っ、あああ、くそっ!行け!桃兎!!」
「はいですぅ!!」
桃兎がステッキを抱いて火の中へ消えていく。紫もその後を急いで追った。
「はあ、はあ、はあ…っ」
まだ建物が原型を残している路地裏、若い女性が細い足で懸命に走っている。後ろから追いかけてくる黒い影は、まるで彼女をからかうかのように、ゆっくりゆっくり追いかけていた。
「あっ」
そのうち女性が転んでしまい、いよいよ黒い影が近づいてくる。恐怖のあまり、目に涙を浮かべた女性は言葉も出ない。震えながら、ただ影を見つめていると、遠くからかん高い声が響き渡る。
「こらーーー!止めるですーーー!!」
桃兎の声に影が止まる。そのまま桃兎はメイド服のまま走りぬけ、天高く跳び上がり、そのまま影を一刀両断した。無事倒した桃兎は着地して決めポーズをしている後ろから、拍手しながら紫が近づいてくる。
「どうでしたか!今の何点満点ですか!?」
「可愛い、100点。必殺技名があれば、120点かな」
「おお、必殺技のお名前!なるほど、勉強になりますです!」
「な、な、ななな…」
尻餅をついたままの女性が、震えながらこちらを見ている。美人の気配がしたが、外れそうなほど顎を開き、タイトスカートから伸びる足の間からパンツが見えそうだ。
助けられた感動より、目の前の異物に驚いている彼女に紫はいくらか同情した。今考えたら、桃兎と初めて会ったときに、驚きよりも疲労を優先した自分が特殊だったのだろう。
「ああ、すいません、怪しい者じゃないんで。いや、どう見ても怪しい者ですけど。嫌でなければ、安全なところまで送っていきますが」
「…え、あ、え…って、いうか…紫さん!?」
「ん??」
名前を呼ばれた、おまけに先輩、紫が眼鏡をかけなおしながら、女性を凝視する。数少ない人間関係から検索をかける。該当が少ないから早かった。
「もしかして、朱音ちゃん?」
「ええ、同窓会以来」
「綺麗になったね」
「ありがとう、よく言われる。紫さんは………法に触れてるの?」
「は?」
何の話かと自分の身の回りを見渡した紫がぎょっとなった。なぜか目に涙を浮かべた桃兎が真っ赤な顔で紫の腕をこれ見よがしに抱きながら、恨めしげに朱音を睨んでいる。いうまでもないが、まったく迫力がない。
「ご、誤解。彼女とは、えーと、なんていうか、えー、なんだろう、とにかくそういうのじゃない。桃兎、離れなさい。目つき悪いけど怖い人じゃない」
「紫さんは、ぜんっぜん変わってないね、腹立つわぁ。はじめまして、お嬢さん。私は、朱音っていうの。紫さんとは大学のサークルが一緒だっただけよ。私の方が年下なんだけど、上も下もないサークルだったから、敬語じゃないけど」
「わ…私はモモウ=モッチャレラ!紫様の天使いですぅ!」
「ばっ」
それを言うやつがあるか、慌てた紫が、ごめんねこの子ちょっと夢と現実の区別がついてない子で、とヘラヘラ弁解しようとした表情がすっと引いていった。目の前にいる朱音の表情は、少なくても、桃兎の発言に引いているようには見えなかった。
「紫さん、まさか契約して、天使いのマスターになったわけ?」
「そう、だけど…ん、契約?てか、朱音ちゃん、どうして知ってるんだ」
「どうしてもも何も」
苛立ち気味に髪をかきあげた朱音が、腕時計を見ると、顔を上げた。もう時間は夜遅くだ。
「とりあえず、いったん、私の部屋に来て。この近くだし」
「や、それは」
「疲れてるでしょ」
ゆっくりはっきりそう言われ、紫は返す言葉もなく、はい、と頷いた。その通り、もういろんなものが限界点越えていた。
朱音の部屋は大学時代はもちろん、今までも来たことがない。本当に現場の近くだった。女性が一人暮らしするには十二分の広さのアパート、お邪魔します、と入る紫の前で、朱音はスリッパで床に落ちているものを蹴りながら中に入っていった。
「ごめん、散らかってる」
「いやいや」
一人暮らしの女性の部屋に夢を抱くような年ではない。足の踏み場もないくらい散らかっていても特に不快に思わないし、隠しきれてない女性の匂いに、それなりに照れる。
通された中央のテーブルに座る。桃兎はあいかわらずべったりと紫の腕にしがみつき、離れない。紫はただただ、気まずかった。
「す、すまん人見知りで」
「ふーん」
ていうか俺も会ってまだ日が経ってないんだけどな-思いながら、それは口に出さないで、にやにや笑って台所へ消えていく朱音を何気なく見送った。
「はい、お待たせ。簡単なものだけど」
「おおっ」
出てきたものを生唾飲み込みながら、紫が身を乗り出して迎えた。野菜炒めが乗ったラーメンと、冷凍チャーハン。空腹と疲労には十分過ぎる、いただきます、と朱音と供に手を合わせて夢中で食べ始める。と、今にもよだれを垂らしそうな顔で、じっと食器を見ている桃兎に気づいた。まさかと思って、食べていいよ、と告げると、いただきます、と叫びすごい勢いで食べ始めた。
犬みたい、なんだかずいぶん久しぶりに声を出して笑った気がした。
「はー、食った食った、ごちそうさまでした」
「いえいえ、おそまつさまでした。はい、乾杯」
「うえーい」
「うえーい」
缶発泡酒で乾杯し、ぷはっと飲み干す。美味い。桃兎はといえば、空腹が満たされ疲労が限界点を超えて、倒れるように紫の膝で眠っていた。自然とその頭をなでると、また朱音がにやにやと見ていたので、慌てて手をどかした。
「紫さんさぁ」
「何」
「その子とやっちゃった?」
お約束のように第三のビールを吹きそうになったが、もったいないと何とか飲み込んだ。咳き込みながらも全力で首を横に振ると、朱音がつまらなさそうに二本目を開けた。
「つまんないけど、まあ良かったかな。主人と天使いがやっちゃうと厄介だから」
「それは契約とやらと関係あるのか」
「お、鋭いねえ…さて、どっから話したものかな」
開けたばかりの2本目を、一気に半分くらい飲み干し、朱音がくらくら頭を泳がせながら、やがて真剣な面持ちでこちらを見てくる。なんとなく、紫にはわかってしまった。これは、辛い話をするときだ。
「まあ、よくある話よ。私たちが生まれるずっとずっと前に、神様が人間と、あの影たちを作った。お互いがお互いの世界を行き交えなかったから、もめることも、仲良くなることもなく、ずっとずっとなんともなかったのよ。けど、どんな物事にも、絶対に完璧なんてないのよね。ある日、その壁が壊れて、影が一部、こちらの世界に飛び出したの。ある影は、まるで遊ぶようにたくさんの人を殺した。そしてある影は、影から人を助けて-その人と恋に落ちた」
遠くでサイレンや、救急車や、若者の笑い声が聞こえる。犬の遠吠えも聞こえる。何気ない生活音が、全部、朱音の話に吸い込まれていくようだ。
「やがて子供が生まれたけど、当然、影も人も怒ってね。影は人が壁を壊したって思い込んで、人は影が人を犯したって思い込んで、そしてやがて-影が少しずつ、人を殺してしまうようになった。そうしていく中、当然のように天使いが生まれて-でもその未熟な力は影には敵わないところがあってーほどなくして、主人も産まれた。天使いと主人が選ばれる基準はよくわからないけど、私は少なくても、願いがあったわ」
「…え、じゃあ、朱音ちゃんも」
「主人だった。まあ私は、出来損ないだったし、天使いも死なせてしまって…結局、願いも叶わなかった」
紫は短く、そうか、とだけ答えた。人のことを詮索するのはあまりよくないことだとわかりきってはいるが、脳が勝手に始めた。朱音は早くに母を失い、父親が男手一つで育てあげてくれたそうだが、その父が朱音が大学に入ると同時に大病に煩ったことも、在学中に闘病の末亡くなってしまったことも、全て風の噂で聞いていた。
「影は、人を、天使いを、主人を憎んでる。どうやって壁から進入しているのか未だに定かじゃないし、国も突き止める気がない。この戦いは、終わらない。死ぬまで続くわ。契約を解除するなら、今のうちよ」
「解除って、言われても」
自分の膝で眠る桃兎を見て、次に、自分の手を見る。カフェで桃兎が泣きながら自分を見ていたことを思い出した。きっとあのときに、自分は桃兎の主人になってしまっていたのだ。主人になるということの重みを、桃兎は知っていた。そしてそのとき願いが生じたとすれば、桃兎を助けることしか考えてなかった。
「念のため。解除ってどうするんだ」
「特定の天使いの主人になるには条件がいろいろあるんだけど、まあ、一番は恋心かな」
「は」
「だからやっちゃったりなんかしちゃったりしたら、もう絆濃くなる濃くなる。影からの攻撃大フィーバー」
「はー!?」
年甲斐もなく真っ赤な顔で驚き、赤くなる紫の膝で眠る桃兎がうるさそうにうめき、慌てて自分の口を押さえた。朱音がにやにや笑っている。からかってはいるが、嘘はついてないようだ。
「おっ、俺はロリコンじゃない!」
「やだあ紫さん、逆よ、逆。天使いが主人に好きになっちゃうのよ」
「ほっ」
危ない、また叫ぶところだった。紫が叫ぶ前に自身の口を急いでふさぐと、朱音がおばちゃんみたいに床を何度も叩きながら大笑いした。




