1です!
はっと目が覚めた瞬間、もう一度気を失いたくなった。自室に普通に寝ていたはずなのに、真っ暗な空も、どこかの屋上らしい場所も、屋上は屋上でもフェンスを越えた外側で足は宙ぶらりん、支えるのは男の腕一本、こちらの首を高く締め上げている。何一つ納得できるものはない。全てが理不尽すぎる。
「何、何何何何!!」
首をしめられながらも、紫は疑問を叫んでいた。そう叫ぶしか選択肢がなかった。暴れたら確実に地面にまっさかさまだ。助けを呼ぶこともしたかったが、どう贔屓目に見ても周りに誰もいない。夜の、ここは学校だろうか。屋上に自分と男以外誰もいないし、目をこらして見た地上にも誰もいない。相手をにらみつけようにも、男にどこに目があるかもわからない。
男―目の前にいるのは本当に男なんだろうか。自分を持ち上げてる力から、男だと勝手に思っていたが、そもそも人間なんだろうか、なんて馬鹿な考えがよぎるほど、目の前の相手は得体が知れなかった。
身の丈は紫の腰までしかないにもかかわらず、痩せているとはいえ成人男性の紫を軽々と首を絞めながら高く持ち上げている。全身黒い布を巻いたような服装で、小柄なマネキンの頭上から大きなバスタオルをかけたような風体だ。顔も手も足も見えない。唯一布から出てる細い、自分を締め上げている腕らしきものは、枯れ枝のような色と形をしている。目も口も見えない。何もしゃべらないから、ますます不気味だ。いっそゲームに出てくるゾンビのように吠えてくれれば、現実離れしやすかったのに。
紫の喉の奥からひえっと叫び声が落ちる。もう、本当に今にも落ちそうだ。
「なあ、あんた…あんた!何が目的だ!金か、金ならないぞ!誰かからの恨みか?そんなに人間関係潤ってない!誰でもいいから殺したいってやつか、ゲームでもやってろ!今、結構リアルなのがあっ」
死にたくない一心で叫び続けていた紫の言葉がとまる。男が哂った気がした。言葉が通じるとか、そんなこと最初から関係なかった。この相手は、こちらの話など一切聞くつもりがない。
「 」
あ、何言ってるか全然分かんない。俺、死んだと割とあっさり受け入れたその瞬間だった。
「こらーーー!!やめるですーーー!!!」
月明かりに高く明るい声が響き渡った瞬間、紫の落下は一時停止を押されたように止まった。何だろうと視線をやると、そのまま目を閉じてしまいたくなった。
顔は遠くだからよく見えないが、おそらく少女だろう。というか少女でないと、こちらが泣きそうになる。小さな頭にふわふわな巨大な帽子をかぶり、全身頭痛くなりそうなピンクと白を基調としたふわふわふりふりのミニスカートワンピース、極めつけは、手に持っている天使が象られたような杖。日曜朝あたりにいそうな魔法少女がそこにいた。向かいの建物の屋上から、こちらを見つめて仁王立ちしている。
「…知り合い?」
紫が思わずそう聞く、無反応ではあるが男は確実に彼女を見ている。微動だにしない男と、浮いたままどうしようもない紫、固まる二人の向かいで少女は杖を抱いて、向かいの建物からの上から「とおっ」と飛び降りた。おおすげえ飛べるんだと軽く感動したのもつかの間、少女は顔から落ちた。向かいの建物は学校ほど高さはなかったが、それでも十分痛そうだ。少女は傷だらけの顔で、よろよろこちらへやってきた。浮いている紫を、鼻血を垂らした顔で見上げる。
「助けに来ましたよ!」
「いや、あんたが大丈夫?」
ハンカチハンカチ、ティッシュあったかな、紫がポケットをあさっていると、いつの間にやら男が消えていた。どうも助かったようだ。力が抜けたのか、何かの力が弱まったのか、浮いていたはずの紫が尻から地面に落下した。結構痛かったが、まともに屋上から落ちるよりよほど良かっただろう。尻を押さえながら、立ち上がる。向かい合うと、思っていたよりずっと小さく、そして、まあ予想はしていたが可愛い。
「助かったよ、俺は紫。しがないサラリーマンです。えーと君は…」
「私の名前ですか!?聞いちゃいますか!?私の名前はですね…とお!」
少女が杖を天高く放り投げる。格好よく回転させてキャッチさせたかったように思うが、杖はそのまんま少女の額目掛けて落ちていった。すごく痛そうだ。
それでも負けるもんかと言った感じで、顔を抑えながら杖を拾い、ポーズを決めて満面な笑みを浮かべる。メンタル強い。
「魔法使い、モモウ=モッチャレラです!」
「ありがとう、よく伸びそうな名前だな」
目を何度も開けて閉じて、呼吸をして、人と話して、ようやく落ち着いてきたように思えるが、紫の心臓はずっと五月蝿く高鳴り続けている。心も体も限界だ。早く帰って寝たい。
「本当にありがとう、お礼は必ず。ええと連絡先―」
携帯電話を取り出し、自身の連絡先を出そうとした紫の指が固まった。先日、会社の同僚が、迷子の女児に声をかけたところ、不審者扱いされ警察沙汰になりかけたのを思い出した。
初夏とはいえもう夜だ、そう暑くもないのにだらだらと紫が汗をかいていると、モモウは大きい目を何度もまばたきして、あわてて羽が生えたポーチから、ストラップが異常についた携帯電話を取り出した。
「こ、こちらです」
「あ、どうも」
便利になったものだ、直接入力しなくても連絡交換できる世の中になった。えーとじゃあ、後日連絡しますから、と、紫が営業先への挨拶のようなことを言っていると、モモウは首まで赤くなっていた。
「おおおお父さん以外の男の人が、電話帳に」
「え?」
「-っ、お、おやすみなさいです!」
「おやすみなさい…」
モモウは更に赤くなりながら、兎のように夜の街へ跳びながら消えていった。その姿をなんとなく目線だけで見送ると、紫も家へと帰った。うっかり照れてしまったのは、疲れのせいにした。
ものすごく良く寝た、大きくあくびしながら紫が頭をかきながら、体を起こす。長く変な夢だったな、と思い、思いたかったが、髭を剃ろうと鏡を見ると、首に思い切り跡がある。尻にも痣がある。携帯電話を開くと、モモウの連絡先がある。うん、夢じゃなかった。とりあえずは現実の会社だ、紫は冷蔵庫を開け、30%OFFのシールがついた惣菜パンを牛乳で流し込んだ。
会社へは電車通勤、都心までは一時間かかるが、出勤時間が一般的な会社と比べると遅いため、通勤ラッシュには遭わないことがありがたい。運が良ければ座れる。その代わり帰りは遅いが、紫にはこの時間帯の方が合っているようだ。最も、大学卒業して以来ずっと今の会社だが。
最寄り駅に着き、なぜかエスカレーターがない階段を死にそうになりながら登り、十数分歩くと会社に着く。割と年季が入ったビルの6階、紫が働く出版社がある。
「うえーい」
「うえーい」
朝の挨拶終了。人数が少なく男ばかりのため、仲はいい。というか喧嘩する体力がない。敬語なしタメ口が当たり前、上もしたもない。以前別の会社から営業が来たときに、『ぬるま湯』といやみを言われた程だ。
「うわ、首どうした」
「知らない男に首しめられたら、魔法少女に助けられた」
「はは、それ、今度の新作に頂き」
仕事は適度に忙しく、適度に暇、夕方まで閑古鳥が鳴いてるときもあれば、終電ぎりぎりまで残業が続くときもある。要らない三連休が続いたと思えば、休日に呼び出されたりもする。辞めた元同僚の気持ちも分かるが、紫には得に辞める理由がなかった。友人は少ないし、彼女は三年前に喧嘩別れした。
入稿のチェックがようやく終わると、一時前になっていた。今のうちの食べておかないと、食べっぱぐれる。飯行ってきます、と宣言して紫が休憩室に消える。昼飯は、味噌汁ご飯おかわりし放題の日替わり定食だ。もう何度もおかわりするような年ではないが、いまさら、新規をあたるのも面倒だし、何より安いし回転が速い。
「いただきまーす」
「やった、今日、マーボー」
同僚の太田と並んで定食をもりもり食べていると、ふと、モモウのことを思い出した。携帯電話を開き、味噌汁をすすりながらメールを打つ。内容は迷ったが、シンプルに、『昨日はありがとうございました。お礼がしたいので、食事でもいかがでしょうか。お友達が一緒でも大丈夫です(ただし一人まで)(笑)』と固いのかふざけてるのかよく分からないメールを送った。すると、すぐに返ってきた。休み時間だろうか、返信早い。
>行きます!行きたいです!
>いつがいいですか?仕事不規則なので、日曜日だと助かります。確実に休みです。
>明日です?
紫が、え、とつぶやきカレンダーを見た。ぽっと休んだり、ぽっと仕事に出たりするから、曜日感覚なんて全くなかった。本当だ、日曜日は明日だ。
>都合が悪ければ、来週にしますか?
>いえ、私はガラ空きです!
いかにも早く会いたいみたいだな、と、紫はちょっと考えたが、相手は子供だ、そこまで深く考えることもないだろう。日を空けるとまた無駄に緊張しそうだ、じゃあ明日で、と返信した。
>何か食べたいものありますか?
>何でも食べます!
何でもが一番困るってお母さんいつも言ってるでしょうが、なんつって、さすがにこの流れは止めた。場所決まったら連絡します、と返事をして携帯電話を閉じると、太田がものすごいにやにやしながらこっちを見ていた。
「何」
「彼女―?」
「友達だよ」
「ふーん」
にやにやしがって、いやもしかしてこちらもにやにやしてたんだろうか。ロリコンだめ絶対、紫は自分の顔を叩き、残りのご飯をかきこんだ。
その日に限って、仕事は速く終わり、飲みにも誘われなかった。これじゃ明日ものすごく楽しみにしてるみたいじゃないか。家に帰り、半額になっていた惣菜をビールで流し込む。場所は、彼女に住んでいる場所を大まかに聞いて、そこから近い普通に女子が好きそうなカフェにした。早めに行けば座れるだろう。場所と地図を送ったんだが、返信が来ない。そわそわする自分が嫌で、風呂に入り、出ると、返信が着ていた。
>あの、私、ものすごい方向音痴なので、駅で待ち合わせても大丈夫でしょうか?
>大丈夫です。じゃあ、11時に○○駅改札口で。
>はい!楽しみです!
うっかり可愛いと思ってしまった、いかんいかんいかん、頭を大げさにふりながら万年床に飛び込む。眠れない自分に引く。ビールを二本目、開けた。
15分も早く着いてしまった、何やってんだ俺、携帯電話を一応手に持ちながら、鏡とか見てしまう。清潔感のある社会人の私服―を目指したつもりだが、不審者感が増したといえば増した。休日だ、おまけにカフェ近くは人通りが多い。通報されませんようにされませんように、祈りながら携帯電話をにぎりしめながら、五分、十分、待っていると、向こうから可愛らしい足音が聞こえてきた。
「お、お、お待たせしました!」
「あ、いや、俺も今来たとこ…っ」
漫画みたいに携帯電話を落としてしまうところだった。真っ赤な顔して走ってきたモモウは、制服姿だったのだ。少し前、紫の同僚に制服マニアがいた。特に興味はなかったが(否、少しあった)この制服は特に可愛かったから覚えてる、間違いない、これは、高校の制服だ。
紫の凝視に気づいたのか、モモウは真っ赤な顔をうつむかせ、小さな声で話し始めた。
「ご、ごめんなさいです、何着ていいか分からなくて…結局いつも着てる制服で着ちゃったです…」
「…あ、い、いや、ていうか………高校生だったんだ」
素直に思っていることをそのまま口に出してしまうと、うおっと紫が叫んだ。モモウが今にも泣きそうに、大きい瞳を潤ませながらぷるぷる震えていた。
「やっぱり私、幼く見えちゃいますよね!?胸ないし、小さいし、あと胸ないし!」
「ご、ごめんごめんごめんなさい!泣かないで!泣かないでお願い!!」
高校生か、別の意味でハードルが上がった。紫が挙動不審になりながらカフェに到着する、入店した途端に通報されるんじゃないかと思ったが、周りの目は普通だった。世の中そんなもんだと思ったら、急に気持ちが楽になってきた。部活帰りだろうか、普通に制服姿も見かける。
「わー、わー、こんなところ、初めて入りました」
モモウは珍しそうにきょろきょろした後、今度はメニューを穴が開くくらい見つめている。店員が所在なさげに立ち尽くしているのを見て、紫が後で呼びます、と声をかけた。するとようやく店員がずずっと待っていることに気づいたのか、顔を上げた。
「この、ハンバーグセットで!」
「俺は、パスタセットで」
「かしこまりました。こちら、セットご注文のお客様は、デザートが半額でお付けできますが」
「はうっ」
きらきら大きい瞳が揺れる、分かりやすいなあ、頼んでいいよと紫が笑いながら言うと、モモウが大きく頭を下げ、デザートを指差した。これは決まるのが早かった。
「それで、それですねっ、古文の先生が」
「うん、うん」
よく食べ、よくしゃべる。この小さな体に良く入るなと関心しながらも、紫はもうしっかり落ち着いていた。こんなことを言ってまたなかれても困るので言わないが、親戚の小さな女子といるようですごく気が楽だ。いまどきの女子高生みたいじゃなくて、本当に良かった。
ふ、と、モモウが真っ赤になって食べている手も、たくさんしゃべっていた口も止める。
「ご、ごめんなさいです。私ばっかりしゃべってる」
「いや、大丈夫だよ」
「紫のお兄さんは!モモウに何かしゃべりたいことありませんか!お仕事の愚痴でも何でも聞いちゃいますよ!モモウ、聞けますよ!」
「ええ?」
紫は普通に困った。会社の愚痴など当然のようにたくさんあるが、年下の、おまけに女の子に聞かせるとなると急につまらない話に思えた。かっこつけの、かっこよくない社会人になったなと嫌々自覚した。
「うーん…じゃあ、モモウさんは、本名は?」
「本名ですよ!?」
「えっ!?」
普通にびっくりした。
「食べる桃に兎さんです」
あ、なるほど。それならアリだ。というか、紫も人のこと言えない。自分が幼いころは、そこまで珍しい名前が多くなくて、同級生によくからかわれていた。
「ええと、桃兎さんは魔法使いですか?」
「そうですよ!」
肯定された、確かに一昨日、謎の男(多分)から屋上から落とされた途中で浮いたのは確かだ。魔法、超能力、そんなことを信じるほど頭の中は柔軟ではないが、他に説明がつかない。
「ええと、それじゃあ-…」
ふ、と、顔を上げると、目の前が一新した。上手く言えないが、桃兎以外、全ての景色が真っ黒になってしまった。痛い言い方をすれば桃兎以外見えない、といった感じだが、そんな浮かれたものではなかった。さっきまで楽しそうにくるくる表情を変えていた桃兎は、泣きそうなのを必死に耐えて小さく震えていた。
「ごめんなさいです…紫のお兄さん…やっぱりこんなこと…こんなことに…巻き込んだら駄目だったのに…」
「え?」
-だあああああああああん!!!
「「「 」」」
悲鳴、爆発音が聞こえたのは一瞬で、紫は何があったか確認する間もないまま意識を手放した。




