第三話
ビビと騎士は、王子とロゼを見守りながらシャンパンを飲み、たまに口を開いて話をした。思ったよりもさばけていて良いヤツだ、とビビは思った。無駄にしゃべらないし、かといって無下にするわけでもないし、なんだか程よくて居心地が良い。騎士としての仕事があるのだろうけれど、もう少し自分を見てくれてもいいのに。そんな風に思ったことが少し可笑しくて、ビビは微笑んだ。
シャンパンのビンは空になり、時間的にもそろそろ最後のダンスだろうと、ビビはグラスとビンを机に戻しておいた。その様子を見て、騎士がビビの方を向いた。
「……最後くらい踊るか?」
ひょい、と差し出された手を見、ついで騎士の顔を見上げ、ビビは笑って近づいた。
ラストダンスに良く用いられるゆったりとしたワルツに合わせて、ビビと騎士はベランダでくるくると回った。やはり騎士だけに手は剣を持つ人独特の、大きなごつごつしたものだが、ビビにはそれも暖かくて心地の良いものだった。少し酔いが回っているのか、ほわほわした気分だ。
「そういえば、名前を聞いてもいいかしら?」
「あぁ……俺はクロス。クロス・クロフィードだ」
聞いたことのある名前だ、とビビは記憶を探った。
「あっ。あの王都最強の剣士ってあんたのことだったの?!」
行き当たった記憶と目の前にいる騎士が一致して、ビビは驚いた。こんな片田舎にも聞こえてくるその名前は、ここ数年の剣術大会の優勝を欲しいままにしているものだった。
「じゃあ、あたしとクロスが組んだら『最恐』コンビになれるわね」
クスクスと笑うビビに、クロスはどういう意味だと言ったが彼女は笑うだけで答えなかった。
ダンスが終わって会場を見ると、ロゼが慌てて外へ飛び出して行くのが見えた。もちろん、王子も後を追っているようだ。ビビは微笑んでクロスを見上げて言った。
「今日は久々に楽しかったわ」
クロスも柔らかい笑顔で頷いた。その頬に口付けて、ロゼの先回りをするべくベランダから飛び下りた。
すぐ後ろでクロスが引き止めようと焦って声を上げていたが、気にせずに走った。今は、ロゼの方が気にかかる。玄関近くに止めてあった馬車に急ぐと、すぐにロゼがやってきた。どうやらかなり取り乱しているようだった。とにかく馬車に乗せた。
「すぐに帰らせて、お願い!!」
半狂乱でそう頼まれたので、ビビはすぐに馬車を出した。魔法で出したものだから、勝手にビビの家まで連れて行ってくれるはずだ。そして王子がそこへ走ってきた。
「彼女は?!」
王子もかなり慌てているようだ。ビビは色々聞きたかったが、つとめて静かに答えた。
「帰りましたよ」
「名も、住んでいる所も教えてくれなかったんだ……お前は知っているのか?!」
「まぁ、そりゃあ知っていますが。……一体、あの子に何をしたんですか?」
じっとりと見て聞くと、王子は答えにくそうに言った。
「そ、その……私の妃……いや、妻になってくれないかと言ったんだ」
多分、『妃』と言ったのだろう。そして、ロゼのことだから彼が王子だと気付いたはずだ。
「それだけ?」
なおも聞くと、思いもよらない答えが帰ってきた。
「……いや、あとは……キスを」
頬を染めているあたり、思わずしてしまったのだろう。しかし相手はあのロゼだ。ただでさえ外にはあまり出なくて男性と言葉を交わすのも精一杯だったのに、そりゃあ驚いたことだろう。それなら、あの取り乱しようも理解ができる。はぁ、と溜め息を付いたビビの視界の端に、クロスが走ってくるのが見えた。
「本気なら、自分で探しな」
そう言って足下に何かを見つけて手に取った。それを、王子に向かってポンと投げた。
「ヒントだよ。あんたが本気だってこと分からせなきゃ、きっとあの純情娘は折れないよ」
にっこりと笑うビビ。そのからかうような口調に、ちょっとばかり王子はカチンときたようだ。
「この、魔女が……!!」
「はいはい。魔女は魔女らしく去りますよ。でもまぁ何とかなるんじゃない?だてにサーイじぃさんが予見したわけじゃないでしょうからね」
ひらひらと手を振り、ビビはどこから取り出したのか箒を持った。ひょい、と横乗りにするとふわりと箒が浮く。王子はそれ以上聞いても無駄だろうと憮然としていた。追い付いたクロスの表情にビビは何かを見つけたが、すぐに飛び去った。ビビは一度だけ振り返って寂し気に微笑んだ。
あの後はロゼを慰めるのがとても大変だった。とにかくロゼの家の者にばれてはいけないと考えて、魔法で着替えさせ、腫れた頬も元に戻し、貴族達が帰る時間になる前に急いで帰らせたのだった。落ち込む分には、パーティーに行けなかったことに対してだと思うだろうとタカをくくったのだった。
次の日から、ロゼは約束通りビビの家に夕食を作りに来てくれた。少しずつではあるが元気を取り戻してきて、3日目にやっとパーティーの話題が出た。
まさか王子様だったなんて、とロゼは言った。
「とっても素晴らしい夢を見られたわ。これもビビのおかげね。本当にありがとう」
それは、ロゼ自身に言い聞かせるように聞こえて、ビビには何も言えなかった。
あの時の王子の勢いならすぐにでも探し出すかと思っていたのだが、さすがにそこまで暴虐武人に振舞う訳にはいかないらしい。まぁ、あれでも王弟なわけだし、周りを納得させるだけの手腕と情熱がなければ探しには来れないかもしれない。それだけの才が彼にあるのかどうかまでは分からないだけに、黙っているしかなかった。
すでに収穫祭から半月以上が過ぎた。どういうわけか、ビビはロゼの義理姉妹達に腕を気に入られ、いくつかのドレスの手直しを頼まれるようになっていた。あのパーティーに出たことで、何人かの貴族と知り合いになり、内輪のパーティーに来ないかと声をかけてもらったらしい。
ロゼは相変わらずこき使われていたが、たまにビビと話すことが良い気晴らしになっているようで、笑顔も見られるようになっていた。
その頃、ビビは街で噂を耳にした。どうやらあの王子は王城の人達を説得できたらしく、あの時の姫君を探しに、この街を再び訪れているらしい。それも、靴を片方持って。成人女性には少し小さめのものらしいが、とにかく片っ端から探しているようだった。貴族かどうかも分からないのだから、多少泥臭い探し方しかできないのは仕方ないのだろう。王城に魔法使いがいれば一発で見つけられただろうが。
とにかく、これならロゼが見つかるのも時間の問題だろう。
しかしロゼの義母もその噂を耳にしたらしく、娘2人に言い聞かせていた。
「いいですか、とにかくその靴を履きなさい。無理にでもね。そして、もう片方はと聞かれたら、片方を無くしたから捨ててしまったと答えるんですよ!」
そんなことではあの王子は騙されないだろうとビビは思ったのだが、どうやら義母はロゼのことを疑っているようなのだ。遠目とはいえロゼを見て、あまつさえ魔女が一緒にいたのだから怪我くらいどうとでもなるだろうと考えたらしい。今の所ボロは出していないものの、気を付けた方がいいかもしれない。
ビビはロゼにそう言い、頼まれたドレスを受け取って帰った。
しばらくして、義妹2人のドレスを仕上げ、ビビはまたロゼの家へと向かった。これを渡したらまた別のモノを頼まれるのだろう。別に縫うこと自体は良いのだが、毎回彼女達にはあまり似合うとは思えないデザインばかり頼まれて、ビビとしてはちょっと不満だった。
道を歩いて行くと、ロゼの家の前に豪華な馬車が停まっているのが見えた。馬車の横に描いてある紋章はバラ。王族の馬車だ。今日、王子はこの家を訪れているらしい。
タイミングばっちりだ、とビビはにんまりして扉をくぐった。
「では、こちらの娘ではないでしょうか」
奥の応接室から、女主人の声が聞こえた。そっと覗くと、王子の後ろ姿と付き人の後ろ姿が見えた。女主人はなんだか必死な形相で、あとは2人の娘しか部屋にはいなかった。
もしかして、と目を瞑り、魔法で上の階を探してみると、ロゼは屋根裏に閉じ込められているようだった。全く、どこまでも邪魔をしたいらしい。王弟妃の家族ともなれば、かなり贅沢な暮しが約束されるだろうに。
ビビはひょい、と指を動かして魔法を使い、屋根裏の扉の鍵を開けた。ロゼも、誰もいないのに鍵が空いたのには気付いたようだ。よしよし、とビビは頷いて、目を開いた。そして玄関の扉をバタンと音を立てて開き、ぱたぱたと足音を立てて応接室に近づいた。
「こんちはー、奥様。おじょーさま方のドレス、できたから、届けにきたー」
ひょうひょうと入ってきたビビに驚いて、背の高い方の娘は靴を足に引っ掛けたまま固まった。その様子を見て王子は溜め息を付き、ビビに向かって投げやりに言った。
「お前も試してみるがいい」
そう言って、靴を娘から取り上げた。
「へっ?おらが、はけたら、なんか、えーこと、ある?」
ビビがくしゃくしゃの髪を揺らして聞くと、王子はぞんざいに答えた。
「履けたのなら、お前は私の花嫁候補だ」
ビビはこれでもかという程驚いて見せた。
「うへーっ?!そりゃー、すげー。うん、おら、試す!」
ぽん、とドレスを横に置いて楽しそうに言うビビに、さすがの女主人もうんざりとして言うべき言葉が見当たらないようだった。そして、ビビは椅子に腰掛け、靴を持って履いてみようとした。
「んー?おらには、ちょっと、小さい」
口を尖らせて言うと、王子は少しほっとしたように言った。
「ここには、他に娘はいないのか……?」
女主人はそれに慌てて答えようとしたが、ビビの方が早かったし声も大きく、「はいおりません」という言葉は王子には届かなかった。
「あ!いるよー。ロゼなら、入りそー、だなー」
靴をまじまじと見て言うビビに、王子はふむ、と頷いた。しかし女主人は顔を引きつらせ、ビビを睨んで言った。
「申し訳ありません、あの子は今少し……」
しかしその後の言葉はまたしてもビビの声に掻き消された。今度こそ、女主人はあまりの怒りで卒倒せんばかりに真っ青になっていた。
「あー!ロゼだ!こっち、来なー!」
ビビに突然呼ばれて、ロゼは驚いて部屋に近づいてきた。そして、王子がそこにいることに気付き、はたと立ち止まった。ビビはそれを見て、当然のように靴を持ってロゼに近づいた。
「これ、はいてみろって、あの人が」
「で、でも……」
「いーから、いーから」
ロゼは、ボロを纏っている姿を見られたくないのか、王子を直接見ないように俯いていたのだが、ビビに引っ張られて応接室の王子の目の前までやってきた。その様子を見て、王子も何やら勘付いたらしい。が、とにかくビビはロゼの前に靴を置いた。
「ほら、これ!!」
笑顔のビビに促され靴に足を差し入れると、それはもちろんぴったりで。王子は、ロゼの頬にそっと手を添え、上を向かせた。
「やはり、君があの時の……ぜひ、私の妻になってください」
今回は礼儀正しく、正式に申し込む王子に、それでもロゼは躊躇した。
「で、でも、……靴が入っただけですし……」
もう一押しだ、とビビは持ってきていた包みの中から、一つをロゼに渡した。
「ほら、これ。あんたの。自分で、もってな」
それは、見覚えのある白いドレス。王子もすぐにそれと気付き、ロゼの手を逃がすものかと握った。
「私は本気です。どうか、……どうか私の妻に」
おろおろとするロゼが救いを求めるように見たビビは、にかっと笑っただけだった。それでやっと覚悟を決めたのか、ロゼはこくりと頷いた。
「……はい、私で良ければ」
王子は嬉しそうに微笑み、ロゼの手を引いて颯爽と部屋を出た。
後に残ったのは、良いことをした、と御機嫌なビビと、唖然とする親子だけだった。