第一話
リフィベルという名のつくその街は、グレイスローズ王国の中心にある王都からは少し離れた山手にある、美しい街であった。
季節は秋。特産として有名な葡萄の収穫が終わった頃のことである。
4年に一度、少なくない全領民の成人した男女を集めて盛大な収穫祭が行われる。着飾った男女が領主の館に集まり、ダンスをしたりしゃべりあったり。収穫祭という名の、お見合いパーティーと化していると言って良いだろう。今年は、それが行われる年であった。
その余波は、店の立ち並ぶ街の真ん中は言うに及ばず、すこし外れにある洋品店にも降りかかっていた。
ビビは、その店ではかなり人気の針子であった。少し頭が弱いらしいのだが、ある意味で名前が知れてもいた。ビビはいつも、真っ黒なくせのある髪をろくにとかさないまま一つにくくっているだけで、さらに横髪が落ちていて、ちゃんと前を向いても半分顔が隠れていた。また自分で縫った服を着ているのだが、店で出た余り布をはぎ合わせて作ったキテレツな色合わせのものなのである。しかし、ほつれは1ケ所もない上に、形は今風の綺麗な服なのだ。
その技術はかなり有名で、名のある貴族の娘からもお忍びでドレスの注文が入る程。もちろん、今年に入ってから予約は詰まりに詰まっている。そのほかにも、人が良いのか近所の娘さん達のドレスの手直しなども引き受けていて、店の主人が心配した程だ。
しかしビビは笑って答えるのだ。
「だって、おらが縫わなきゃ。やっぱり、ドレスは、綺麗がええだろ?」
そう言われて、ビビの腕前を知っている主人は苦笑いするしかなかったのだ。
さて、そんなビビだが、店じまいが終わった夕刻に家路を少し逸れ、古いが綺麗にされている貴族の家へと向かっていた。あまりに人出が足りなくて、家の方向にある客の元へドレスを届けることになっているのだ。今日縫い上がったドレス2着を包んだ布を腕に抱え、ビビはドアをノックした。
「はぁい」
大きな扉を開いてくれたのは女中とおぼしき娘だった。ビビより少し下くらいの年頃だろうか。マダム・シェルの洋品店からドレスを届けに、と言うと、女中は奥へ通してくれた。
トルソーにドレスを飾りながら、ビビは女中に声をかけた。
「これ、どっちか、あんたの?」
「いいえ、私のではないんです」
眩しそうにドレスを見ながら、さらに呟くように続けた。
「私は、行けないですから……」
ビビはそれを聞いて目を丸くした。
「へぇっ?だって、おらも、行ける。なんで、あんたが行けない?」
不思議そうに言うビビに、女中は寂し気に笑って言った。
「でも、私には、……ドレスもないですので」
良く見ると、古い服を縫い直した色褪せたワンピースを着ているが、綺麗な娘である。
「ふぅん……?ま、もし、いるんなら、うちに来な。川向こうの、ビビん家、って言ったら、みぃんな知ってる」
そうしてドレスを飾り終えた頃、ぱたぱたと足音が近づいてきた。そして、ビビ達のいる部屋のドアが大きな音を立てて開け放たれた。
「ドレスが来たんですって?」
「お姉さま、青い方はわたしのですよね!!」
2人の娘が駆け込んできたのだった。その態度だけをみると、女中の方が余程お嬢様らしいと言えるだろう。しかしビビはにっこりと笑い、2人に言った。
「あぁ、おじょーさまがた。ビビのドレス、持ってきた」
すると2人は喜んで駆け込んできて、ドレスの側に立っていた女中を押しやった。しかしいつものことなのか、ビビとはいえ客の前だからか、顔色を変えることなく少し離れた所で立っていた。
それを見届けた背の高い方の娘が女中に向かってすごい形相で言った。
「ちょっとラグ、あなたはまだ仕事があるでしょ?」
「さっさとお行きなさい!ドレスなんかいくら見ても、あなたの物にはならないわよ!!」
お姉さまとよばれていた娘も同じように罵声を浴びせる。ラグ、とはクズとかボロという意味である。本当の名前なのだろうか。さすがのビビもそれには驚いて、親の顔が見てみたいと思った所へ女主人とおぼしき女性が現れた。
「あらあら、ドレスがきたのね」
娘2人に優し気に見える笑顔を見せて口を開いた。女中はほぼ無視である。
「えぇ、お母さま」
「とっても素敵だわ!」
どんな客とはいえ褒められれば嬉しいものだ。ビビはにっこにっこと笑顔になった。それを見て女主人は分かりやすく眉をひそめた。
「お前がここに届けに来たの?」
しかしビビは気付いていないかのように笑顔を崩さず、こっくりと頷いた。
「そー。おら、川向こうに住んでっから、帰りに、届けに来た。あと、ちょっと裾直すと、いーだろうから、おらが、キレーにする」
ビビの言葉を聞いて、いまいち信じがたい表情だったが、ビビであると言うと態度がコロリと変わった。そして、その部屋でそのまま裾直しをすることになった。
「ラグ!」
「はい、お義母さま」
女主人に呼ばれて、女中が部屋を出ていった。どうやら女中ではなく娘だったらしい。娘2人のドレスを直しながら何気なく聞くと、あの娘は義理の娘ということだ。2人の娘が女主人の連れ子で、貴族の義父と再婚した。3年程で主人が亡くなってからは、ラグと呼ばれた娘を女中代わりにこき使って、家の経費を浮かせていると。だからだろうか、ラグは女中の格好をしていてもどこか品がある。
さらに、今度のパーティーには自分の娘達にだけドレスを新調し、金持ちの息子達と会わせて嫁ぎ先を見繕うつもりらしいが、ラグだけは留守番を余儀無くされたということだった。そんな内部事情を見ず知らずの他人にぽんぽん言うものではないと思ったが、ドレスを着せて、適当にお世辞を言いながら聞くと2人の娘は口々に教えてくれたのだった。
どうせなら綺麗な顔をしているラグを着飾らせて金持ちのボンボンを引っ掛けた方が確率がいいだろうに、とビビは思ったが、美しいとは言いがたい娘2人には言う気にもなれずに黙って針を進めた。
ビビは毎日寝る間も惜しんで働き続けた。おかげで、注文は全て消化できたし急なお客の分まで仕上げられたのだ。
そして、明日は昼から収穫祭と言う名のパーティー。もう日も暮れて、人々は明日の準備を整え、夕飯でも取っているだろう時間になった。ビビもその例に漏れず、いつものようにスープとパンを机に並べた。さぁ食べよう、と椅子に座ったとき、珍しくビビの家の玄関が遠慮がちに叩かれた。
ろくな客じゃなかったらすぐに追い返してやる、とビビは席を立った。
少し不機嫌な表情で扉を開けると、目の前にはあの貴族の屋敷で会った女中……ではなく、ラグが立っていた。
「あの……こんな時間に、ごめんなさい」
ラグはビビの顔を見るなりそう言った。なんだか怒る気が失せて、ビビは扉を大きく開いた。
「その包み、ドレス?」
ラグを家に入れて、ビビは尋ねた。何やら大事そうに抱えて来たのだ。
「ええ、そうなの……やっぱりお願いしたいと思って」
本当はもっと早く来たかったらしいが、何かにつけて仕事を言い付けられて外に出られなかったらしい。多分あの義母がこうなることを予想して邪魔したのだろう。
とにかく見てみよう、とビビはラグにドレスを広げさせた。
「こりゃ、また、りゅーこー遅れもいーとこ、だなー」
20年は昔のモノだろう形だったが、大切に保管されていたのだろう、痛みはほとんど見られない。これなら型通り縫い直せば何とかなりそうだ。ビビがそう言うと、ラグはにこりと嬉しそうに微笑んだ。
「これは、生みの母の物なんです」
「そっか……じゃ、とびっきり、きれーに縫い直すよ」
ビビが言うと、彼女はお願いしますと頭を下げた。
「ところで、さ。あんた、ラグって、名前?」
自宅に置いてあった古いトルソーを引っぱり出しながら、ビビが聞いた。いくら酷い親でも、もう少しマシな名前をつけそうなものだ。
「えぇ、今はそう呼ばれています」
「じゃ、ほんとは?」
今は、ということは違うのだろう。彼女は少し躊躇したが、俯いて答えた。
「……ロゼ、といいます」
ロゼとは、この国では有名なピンクのパラの名前だ。彼女にはそちらの方がしっくりくる。
「そ。じゃおら、ロゼって、呼ぶ」
そう言って、ロゼからドレスを受け取り、トルソーにかけた。それから手際よくロゼのサイズを計ってメモしていった。ドレスの方が少し大きいので、かなり縫い直してもいけそうだ。
「ん~、じゃ、明日、来な。どーせ昼間は、貴族が、劇見たりするだけだし、ロゼが、出るのは、夜のパーティー、だろ?行く前に、ここで、着替えれば?」
「え、でも……迷惑じゃない?」
「だって、ロゼん家に、持ってって、あのくそばばぁに、見つかったら、元も子もない」
言うにことかいてくそばばぁとは。ロゼは苦笑いしただけで訂正はせず、むしろそうかもしれない、と相づちを打った。そして、明日の夕方に訪れると約束して慌ただしく帰って行った。
それを見送って、ビビはにっこりと微笑んだ。
収穫祭の日。昼になると、貴族達の馬車が続々と領主の館へ向かっていた。遠くに祭のざわめきが聞こえる。
ビビは、上機嫌でドレスとは別の繕い物をしていた。ふと顔を見上げると、机の上には綺麗な細工のしてあるカメオがある。バラの蕾が彫り込んであるそれは、昨日ロゼがお礼にと持ってきた包みに入っていた。これも多分、彼女の母の遺品だろう。はっきり言って、高価すぎる。これがあれば、ドレスを5着は新調できるはずだ。縫い直しただけだから、お礼の代わりに明日の夕食でも作ってもらおう。
ふむふむ、と満足げに頷くビビの耳に、またどこかの貴族の馬車が通り過ぎる音が聞こえた。
日の光がオレンジになった頃、ロゼがやってきた。しかしうきうきとした雰囲気は全く感じられず、ずっと俯いたまま静かに入って来たのだ。
「腹でも、痛む?」
ビビが心配になって声をかけると、ロゼはゆっくりと顔を上げた。さっきまで泣いていたようで、目が赤い。それ以上に、頬には目を引くモノがあった。
「私、パーティーには行けない……」
そう言ったロゼの頬は、見事に赤く腫れあがっていたのだ。
昼前に、義母がロゼに聞いたらしい。パーティーに行きたいか、と。もちろん行きたいに決まっている。ロゼが肯定すると、有無を言わさず殴られたらしい。誰がお前を連れて行くもんですか、と。
「こんな顔じゃ……」
そう言って、ロゼは涙ぐんだ。確かに、腫れた顔では行きたくないだろう。ビビは溜め息をついた。
「とにかく、泣いても、しょーがない、かお、洗って」
質素ながらもきちんとした洗面所のドアを開け、ロゼを中へ入らせた。そこにある石鹸を使うと良い、と言いながら、ビビは考え込むように椅子に座った。