フリートの場合3
平穏な日々は彼が十六歳になるまで続いた。
十六歳になって。
ようやく、日々に変化が訪れたのだ。
とは言うが、別に不幸な事件が起こったわけではない。
単に、適齢期を迎えた同世代の仲間たちが、集落の経済を助けるため、出稼ぎに行く年齢になったというだけの話である。
予定通りの変化。
ある意味での、卒業式。
もちろん今生の別れではないものの、それでも長い別れにはなるだろう。
出稼ぎ先で新たな人生始める者だっているかもしれない。
だから、その夜。
離ればなれになる前に、全員で、別れを惜しんだ。
あまりにささやかな酒宴だった。
今年『卒業』を迎える十三人の……『先生』を含めれば十四人の……若者だけで集まり、安い葡萄酒を酌み交わす。
狩人を続ける者がいた。
商売人の家に奉公に行く者がいた。
医者を志す者がいた。
家庭教師として貴族の家に泊まり込むことになる者だっていたし。
兵士見習いとして王宮に仕える者もいた。
傭兵、酒場の店員、家政婦。
その他様々な職業が並ぶ。
この世界では、亜人の立場は高くない。
亜人というだけで職に就けない者だって多い。
だけれど――今年の『卒業生』は、みな、何らかの職を手に入れていた。
王都近くに集落があったことも、多少は幸いしただろう。
亜人は差別されがちではあるが――
それでも、現在の国王は亜人の権利を最大限に尊重してくれている。
『誰かに乱暴なことをされそうになったら王都に逃げ込め』とは、この集落で暮らす獣人たちが幼いころからずっと言われていることであった。
もっとも、多くの獣人は何かあっても自分たちで解決しようとする。
それは法律への理解が乏しいからだった。
人間族への警戒心だけが先立ち、人間族の多く集う街で働こうとは絶対しないどころか、一度でも立ち入れば負けだと思っているかのような獣人族も多くいる。
だが、彼の教育した者たちは、辛抱強く人間族と向き合った。
差別を越えて、理解を得ることに成功した。
――言うまでもなく。
法律と感情は別物であると。
差別とは誤解から生まれるものであると。
そのように集落の仲間を教導したのは、先生と呼ばれているフリートであった。
「出稼ぎってさあ、単なる『追い出し』だと思ってたんだよな」
一人の獣人がつぶやいた。
それは、狩人としてもっと大きな獲物を求めに行く予定の少年だ。
「ほら、うちの集落もけっこうキツかっただろ? だから、無駄飯食わせる余裕ないから、無理にでも働かなきゃいけないように追い出すつもりなのかなって」
実際、ありえそうな話だった。
口減らし。
姥捨て山。
彼は、元の世界で貧窮した限界集落が、多くの人を生かすために力のない者を切り捨てる話を、いくつか聞いた憶えがあった。
そして、この集落は貧乏だ。
数年前までは。
本当に、一つでも何かを失敗すれば口減らしをしていたような困窮ぶりでは、あった。
それでも、少年は言う。
「つーか、働き口って言っても、このへんじゃ人間族のでっかい街にしかないだろ? よくオヤジから聞かされてたんだよ。人間族は亜人をゴミみたいに見てて、すぐ奴隷にするとんでもないヤツらだって。そんなのの街に働きに行くとかごめんだってずっと思ってたよ」
少年は笑う。
大きな体。
太い腕。
大人顔負けの腕力を誇る、集落で一番の狩人である彼は。
少年のままの笑顔を浮かべ、鼻を掻いた。
「でもさ、差別は誤解から生まれるんだって、先生が何度も言ってくれたよな。そのお陰だよ。みんなこうして仕事見つけて……人間族の街に行ってみようって思えるようになったのは。……ま、オレは人間族より鹿のが好きだから、鹿を追っかけるけどな!」
周囲から笑いが起こる。
彼の職業は狩人だった。
もっとも、それだって、人とかかわることはあるだろうけれど。
「……先生、ありがとうな。いや、今までだって感謝してたけど。改めて思うよ。他の種族とかかわるのもいいもんだ。先生がいなかったら自分の才能にも気付けずに、活かす場所にも飛び込めずに、ずっとくすぶってたかもしれない」
少年は周囲を見回す。
それから、粗末な木製の坏を掲げた。
「だから先生、また戻ってきた時には、みんなの土産話を聞いてくれよ。そんで、また戻ってこれるように、この酒に誓おう。……先生、頼む」
坏を差し出す。
先生と呼ばれた彼は笑う。
……どうやら音頭をとれということらしい。
彼は、教育者である自覚はあるが、リーダーであるつもりはなかった。
むしろ実質的なリーダーは、弓使いの少年の方だろう。
しかしこうまで立ててくれるのだ。
応えないわけにもいくまい。
「乾杯」
やや照れた顔でつぶやく。
周囲から、少年少女の声が重なる。
彼は。
たぶん、この光景が自分の目指していたゴールだろうと感じていた。
今まで生きてきた十五年は、自分に与えられた能力を使わないための日々だった気がする。
元の世界の記憶を引き継いでの転生。
それだけで充分で、これこそが十二分だった。
もっと違う人生にもできたはずだけれど。
『卒業』していく仲間たちを見て、自分の選択や生き様は間違っていなかったと確信できる。
親友とはちょっと違うのかもしれないが、代えがたい大切な人々はできた。
だから彼は笑って仲間との別れを惜しむ。
――ああ、よかった。
――今度の人生は成功だ。
そんな風に安堵した彼を。
神の意思が嘲笑した。




