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召喚勇者の結末  作者: 稲荷竜
召喚勇者の末路
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トラサカキツトの場合4

「わたくしどもの子供が生まれるころ、世界はどのようになっているのでしょうね」



 王宮の庭園。

 小さなテラスでそんな会話をしたことを、彼は思い出す。


 喧噪から離れた静かな場所だった。

 緑に囲まれ、近場には湖がある。

 静かな風が吹くたび、湖面にはさざ波が立った。


 昼の高い日差しに照らされた黄金の湖を遠目に、白いテラスでお茶をする。

 長いソファには、ディーネと彼がいた。

 彼はディーネの膝に頭を乗せて、横になっている。


 ディーネは編み物をしていた。

 彼女の立場であれば、そのような作業を代わってくれる侍女もたくさんいる。

 けれど、彼女はその作業をやりたがった。

 なぜならば――編んでいる代物とは、彼女の赤子に着せる、産着なのだから。


 ディーネは先日、懐妊していた。

 もちろん彼との子供だ。

 今はまだお腹は大きくないけれど、そのうち、大きくなっていくだろう。


 彼は、我が子がそこに宿っているのだという事実に、戸惑っていた。

 ……思い返せば。

 我が子を身ごもる妻とか。

 平和な世界とか。

 世界中から浴びせられる賞賛とか。

 そういった、あらゆる幸福に対し、彼は戸惑っていたのだろう。



 彼にはうまく幸福を思い描けなかった。



 一方で、我が子の生きる世界には、幸福があふれていてほしいという願いも、もちろんある。

 だから、思い描けない未来を、彼はこう語るしかなかった。



「わからないな」



 困ったような顔で言えば。

 ディーネが、くすりと楽しげに笑う。


「あなたはいつもそうですね。困りますよ、次期国王として、お父様から期待をされているのですから」

「……商業の発展、他国との連携、技術の進歩、そういった具体的なことなら示せるけれどな。お前が言っているのはそういう話じゃないだろう?」

「そうですね」

「だったら、俺にはお手上げだ。だが……『わからない』が嫌であれば、『努力する』と言っておこうか。俺の尽力で世界が善くなるならば、ある意味で未来は俺の意思一つとも言えるわけだからな」

「……気負いすぎないでくださいね。あなたは、魔王退治の時から、ずっと一人で背負い込みすぎているように、思いますから」

「俺を召喚したお前が言うのか」

「あなたを呼び出したからこそ、あなた一人にすべてを押しつけたくはないのです。……冒険ではお力になれませんでしたけれども、政治であれば、お力添えはできますから。わたくしにも頼ってください」

「それこそ、お前に押しつけたくはないな。身重なのだから。体は大事にしてくれ。それが俺のためでもある」


 彼は笑う。

 ディーネは照れたように頬を赤らめた。


「あなたは、時々、ずるいです」

「……そうか?」

「はい。ですけれど、きっと、わたくしは、あなたのそういうところが――」


 風が吹く。

 ……この時、ディーネの言った言葉が何であったのか、彼は聞き取れなかったけれど、予測することは容易だった。


 たぶん、ありふれた幸福な言葉を口にしたのだろう。

 予測できる。

 けれど――はっきりと思い描くことは、できなかった。

 彼は幸福をうまく思い描けない。

 特に、自分の幸福を。




 だから。






「ご報告いたします! ディーネ様が――」






 昼下がり。

 テラスここで、いつか彼女とした会話を思い出す。

 自分たちの子供が産まれる未来を思い描く、男女の会話。

 彼にはよく思い描けない、幸福の記憶。






「何者かの手により、母子ともに殺害――」






 それよりも、彼にはもっと強く思い描くことのできる未来があった。

 魔王を倒し。

 世界を救い。

 愛した女と結ばれ。

 子供を成して。

 そこから普通に続いていくはずだった幸福よりもなお、彼には容易に思い描ける未来。





「情報が錯綜しておりますが、大臣一派が――」





 彼は笑う。

 よかった。

 平和な世界には、違和感を覚えていたところだったんだ。

 だって『あいつら』はつぶしてもつぶしてもキリがないものだから。

 魔獣を根絶した程度ではまだ甘い。

 魔王を倒した程度でもまだ甘い。




「国王陛下を人質にとり、国の実権を寄越せと――」




 彼は泣く。

 こんなはずじゃなかった、と。

 迂闊にも、幸せな夢を見てしまった、と。

 もしあのまま、幸福が続いたならば――

 自分でも幸福な未来を思い描ける日が来るのではないかと。

 ……昼下がりのテラス。

 妻と子供と穏やかに過ごす、そんな景色が、一瞬だけ脳裏に浮かび、消えた。



 彼は立ち上がる。



 報告に来た兵士の腰にあった剣を奪った。

 彼は泣きながら笑う。

 歪んだ視界。

 歪んだ口元。

 それから――彼自身はそう思ってはいないが、歪んだ精神で言葉を発した。



「ああ、よかった」



 安堵の言葉だった。

 幸福という違和感がようやく氷解した気分で、解放された彼はつぶやく。



「まだ殺していい『悪』は、この世から消えてなかった」



 ただ、一つ。

 歪んだ心でも思う。


 失敗した。


 悪を根絶できてからと思っていたプロポーズは、少々早まってしまったなと。

 それだけは心底後悔して、彼は正義の味方に戻った。

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