○○○○の場合5
一日目。
娘は埋葬されたての死体を持ってきた。
二日目。
死体はそうそう手に入らないらしい。
娘は帰ってこなかった。
三日目。
娘はまた、死体を持ってくる。
少々日は経っているが、充分に許容範囲だ。
彼はありがたく受け取り、空腹を満たした。
四日目。
五日目。
六日目。
七日目。
娘は。
帰らない。
そうそう死体が出るわけでもないのだ。
街というコミュニティに住んでいる以上、ある程度の安全は確保されている。
また、まだ幼さ残る少女が、死体をかついで森に入るのは重労働だ。
当然人目を忍んでもいるだろう。
チャンスを待つしかない。
彼は、空腹に耐えることが得意となっていた。
娘の帰りを楽しみに待っていた。
八日目。
九日目。
十日目。
十一日目。
……コレットは、まだ帰ってこない。
ひどく胸騒ぎがする。
十二日目。
森に踏み入る人の気配を感知した。
普通ならば襲って食料にするところだが、彼は娘との約束を守って、手を出さない。
……それでも。
気が狂うほどの空腹というものは、ある。
このまま続けば、いつかは我慢できなくなる日も来るのだろう。
空腹のあまり、我を失って。
そして――
十三日目。
心配のあまり発狂しそうだ。
頭のいい子だから、きっとうまくやっているとは思う。
でも。
あの、頭のいい子が、なんの連絡もなしに、今日まで帰ってこないなどと、ありうるのか。
いてもたってもいられない。
彼は、森から街をながめる。
街には大きな中央広場があった。
そこは催事などが行なわれている。
よく、昔、コレットとここから二人で楽しそうに騒ぐ街の人たちを見た。
コレットは参加したがったけれど、彼は、コレットを連れて行くことができなかった。
人間ではないから。
聞き分けのいい娘だけれど、一度、黙って街に降りていったこともあった。
そんな時も、彼は探しには行けず、こうして街をながめながら、娘の帰りを待っていた。
今日も、同じことをしている。
でも。
今日は、あの日と違って、すぐに娘は見つかった。
彼は優れた視力で、街の中央広場を見る。
そこには、娘がいた。
十字に組まれた木に、はりつけにされて。
衛兵に槍を突きつけられる、コレットの姿を見た。
彼は駆け出す。
どうしてこんなことになっているのか考えて。
死体をこっそり持ち出すなどという重労働が、見つからない確率の低さに気付いた。
娘は、賢いから。
きっとうまくやれているだろうと、思っていた。
でも、娘は、まだまだ子供でしかなかった。
普通に生きていくぶんには、うまくやれただろうけれど。
死体を森まで運び出すというのは、彼女の才覚をもってしても、難しかったのだろう。
優しい子だ。
父親が空腹だと思い、慌てたのかもしれない。
彼は木々をなぎ倒しながら走る。
街の入口には衛兵が立っていた。
止められそうになるが、なぎ倒す。
街の中央広場に来た。
化け物の襲来にざわつく人波をかきわけ、彼は娘に近付いていく。
衛兵たちの槍がこちらへ向いた。
すんでのところで間に合ったのだと、彼は思った。
丈夫な皮膚。
すさまじい腕力。
鎧姿の武装した衛兵にだって、彼は止められない。
だからきっと。
発見がもう少し早ければ。
本当に間に合っていたことだろう。
彼は、コレットのはりつけられた台に近付く。
したたる、甘い香りの液体を見た。
赤く、濃く、粘性のあるそれは。
彼の目からは上質な葡萄酒のように映るそれは。
娘からしたたり落ちる、致死量の血液で。
「……どうして、こんなことになってしまったんだ」
はりつけられた娘にすがりつく。
彼女はただ。
お腹を空かせた父親に、ご飯をとどけようとしただけだった。
彼が人間でさえあれば。
いや、人食いの化け物でさえなければ。
きっとそれは、美談で終わった話だろう。
はりつけにされて、槍で突き刺されるなんていう罰は、受けないことだったのだろう。
「……パパ」
かすかな声。
彼は、娘にすがりつく。
「コレット!」
「……パパ、お願いが、あるの」
か細い声で。
彼には絶対に断れない頼み方で、コレットは。
「……わたしを、食べて」
そう言った。
彼は反射的に断る。
「イヤだ! ……治療を、誰か、この子を治療してくれ! 頼む!」
群衆に呼びかける。
けれど、誰も、化け物の声には反応しなかった。
死体を盗む奇妙な娘と。
人の言葉を話すおそろしい化け物。
客観的に、彼らはそのような存在でしかないのだ。
会話をするなどということはありえず、ましてや頼み事を聞き入れるというのは、選択肢にものぼらない。
群衆は無責任に騒ぎ立てる。
彼は吼えた。
「おかしいだろ!? この子はただ、俺に食べ物を持ってきてくれただけだ! それだけでなぜ罪に問われる!? しかも、埋葬された死体を持ってきただけだろう!? それのなにが、彼女を殺すほどの罪なんだ!」
群衆は、異口同音に答えた。
気味が悪いから。
一般的でないから。
普通じゃないから。
それは。
彼が、人里に近づけなかった理由と、同じだった。
彼は絶望する。
……全部、自分が悪いのだ。
育てなければよかった。
そうすれば彼女は不幸にならなかったのに。
街に出さなければよかった。
そうすれば、いつまでも、二人きりで生きていけたのに。
自分が、生きていなければよかった。
そうすれば、この子は、自分のために、死体を運ぼうとは、しなかったのに。
娘の幸せだけを願っていた。
第二の人生。
人を喰うことでしか満腹感を得られない化け物として始まった。
人里には入れなかった。
だから。
自分の幸福はあきらめて。
彼女が幸せになればそれだけでいいと、思って、生きてきた。
なのに。
最初からこの人生は、それだけが叶わないものだった。
事切れた娘を見る。
彼女の願いを思い出す。
――嫌だってば。わたしの幸せはね、パパと一緒に生きていくことなのよ。
――今はまだ難しいでしょうけど、きっと、街の人にだって、パパはいい人なんだって、認めさせてやるわ。
――だから、待っててね。すごい料理人になって、まずはパパを幸せにするから。
なんて、青い夢だったのだろう。
叶うはずのない理想。
甘く美しい幻想を思い出す。
だから。
最期の願いだけは、叶えてあげたいと、思った。
彼はコレットをひきずりおろす。
もう息がない。
その彼女に――むしゃぶりついた。
脚を食べる。
腕を食べる。
胴を食べる。
はらわたをすする。
固い背骨をかみ砕く。
最後に残った顔を、見る。
「ごめんな、パパが、人間じゃなくて」
遅すぎる謝罪。
ついに報われなかった、彼と彼女の人生。
彼はその場にへたりこむ。
気力はとうに萎えていた。
このまま捕まり、殺されるだろう。
それもいいと、思った。
思った、のに。
「……ああ、そうか。パパは、死んじゃ、駄目なんだよな」
一緒に生きていく。
体の一分となった娘と、ともに、生存しなければならない。
それが彼女の願いなのだから。
彼は娘の願いを叶えるために、立ち上がる。
都市人口は、数万人はいるだろうか。
もう空腹をこらえる必要はない。
この世界はこんなにも食べ物であふれていて。
傷つけてはいけないものなんて、もうありはしないのだから。




