おまけのおまけ
活動報告に載せていたものを移しました。
デビュタントの一幕
「兄上、姉上と会いましたか」
うるさい音楽と話声であふれた広間に紛れると、すぐに弟に見つかった。これだけの人のなかで、早すぎやしないか。弟の目ざとさにルパートは呆れの表情を惜しげもなく浮かべる。
「会って言うことがそれかよ。おまえ、いい加減に姉離れしないとヤベェんじゃないか?」
「……兄上にだけは言われたくありません」
冷たくばっさりと切り捨てるのに、ちらちらと女からの視線が向けられていて、ルパートはにやりとほくそ笑む。どうやら、妹と弟のダンスの出来は上々だったようだ。
その姿を見ることができなかったのは残念だが、まあ、気にすることでもないか。そう一人ごつルパートを、ユーグが嫌そうに顔をしかめて見つめる。
たぶん、今の彼の心境を正確に読み取ったのだろう。ルパートは弟のこういう顔が嫌いではない。察しがよいことは歓迎すべきだし、彼がこうして感情を素直に出すのは家族の前だけだからだ。
にやりと笑ったルパートに、ユーグがため息をこぼしたあと、ぐっと声を落として口を開いた。
「クレスフォード・ロッシュ様が、姉上をダンスに誘いました」
ルパートはくるくると踊る人たちに視線を向けながら、ちいさく息を吐く。
「ふーん……それで、こんな落ち着かないのか」
「収まってこの状況です。そのときの騒ぎを見逃したのは惜しかったですね」
グラスをかたむけ、ユーグも同じようにフロアへと視線を向けている。会話が聞こえていない人たちには、兄弟がなかよく話しているように見えるだろう。
注目株であるクレスフォード・ロッシュの話題が、そこかしこでささやかれている。これでも落ち着いたほうなのか。ユーグの言葉にルパートが眉をあげた。
「いーよ別に。うるさいだけだろ。……さっき、追ってきてたぞ。庭園の前で会った」
「それで、姉上を置いてきたのですか」
「……フィーが行くって言ったんだから、しょうがないだろ」
わずかに驚きに目を見張ったユーグに、ルパートは唇をとがらせる。つんとそっぽを向くと、横でため息がこぼれたのが聞こえた。本当に生意気に育ったものだ。
「滅多なことはないとは思いますが、兄上相手にひるまなかったのは評価できるのでは」
「まだどうなるかわからないだろ。フィーだって馬鹿じゃない。相手の様子を見るくらいのことはするさ」
相手がどういうつもりなのか、はっきりしていない段階では、下手に動くことでこじらせてしまう可能性もある。ため息がふたつこぼれた。互いにちらりと目が合う。もう一度、ため息。
「改めて情報収集します」
「おう。じゃ、あとでな」
むっつりとしか顔のまま、それぞれ違う方向へと踵を返すこととなった。
夜は長くなりそうだ。
***
婚約者ですので
「レディ・フィオーラ」
にっこりとうれしそうに笑うクレス様に、わたしも負けじとほほえむ。
けれども、ちょっと納得がいかないので内心で唇をとがらせながら、今日は面倒くさい女子なことをやってみることにしました。
「クレスフォード様、いらしてくださって、どうもありがとうございます」
うやうやしくお辞儀をして出迎える。
ぱちりとまたたいたクレス様は、ほんの少しだけ首をかしげたけれど、わたしへ手を差し伸べてくれた。
「今日のドレスも、よくお似合いですね。素敵です。よろしければ、これを」
「まあ、ありがとうございます!」
照れくさそうにほめてくれたあとで、手にしていた花束をくださった。
本当にこの人、教科書に載っるような貴族である。よい貴族のお手本、みたいな。狙ってやっているわけじゃないから、よけいにたちが悪いけれど。
淡いピンクの花束を、さっそく部屋に活けてほしいと執事にお願いした。それを見送ってから、わたしはクレス様をお庭に案内する。今日は我が家の庭でゆっくりおしゃべりする約束をしていたのだ。
「クレスフォード様、よろしければお庭へご案内いたします」
玄関の方をうかがいながら見上げると、クレス様は笑みをひっこめてまじまじとわたしを見つめていた。
「クレスフォード様? どうか、なさいましたか?」
驚いてたずねると、クレス様はひどく悲しげに肩を落とし、上目に、この人の方がずいぶん背が高いのに! 上目にわたしを見つめる。えっえっ!
「レディ・フィオーラ、私はなにかしてしまいましたか?」
しょんぼり、道に迷ったみたいな顔。
ちょ、ちょっと、それ反則ですよ!
「クレスと、呼んでくださいと言って、今までずっとあなたはそうしてくださっていたのに」
あえて呼んでいないことに、気付いてはくださったんですね。でも、今回ばかりはわたしも譲りません。か、悲しそうな顔はずるいですけど! それを見ないようにぷいっと顔をそらす。
「いつまでも他人行事な方を、そんなふうにお呼びできません」
はっと息をのむ音。
ぎゅっと手を取られた。引き寄せるように引かれて、思わずクレス様を見上げてしまったわたし。
真っ青な瞳が、まっすぐとそそがれる。わたしの目をとらえて離さないまま、彼は形のかたちのよい唇をそっと動かす。
「……フィオーラ」
目元を赤らめて、大事に大事に、呼ぶものだから。
つられてわたしの顔まで赤くなってしまう。もう、本当、この人反則!!
「クレス様。早くお庭にいきましょう」
耐えきれなくて、はしたなく手をぐいぐい引くわたしに、うれしそうなクレス様の返事が聞こえて、わたしの足が早まっていく。こんなはずじゃなかったのにっ!
そんなわたしたちを、執事たちが生暖かい視線で見守っていたのにも気づかなかった。不覚である。
***
結婚式までもう少し
貴族の婚約というものは、滅多に解消できないほど力のある契約らしい。
日本でいうところの結婚とほとんど同じくらいの印象だ。そのため、婚約を結ぶにいたるまでの準備も大変であった。
まず、基本的な話だけれど、両家の承諾を得なくてはならない。
しかも全員の。誰かが反対していたら、そこの説得からしなければならず、ようやく了承を得られたところで、婚約式の支度にとりかかる。教会で誓いをかわし、署名をし、祝福をうける。ほとんど結婚式だ。
婚約式がすめば、今度は結婚式があるわけだが、これがまた面倒くさい。
結婚すると相手の家に入ることになるが、家柄や家族構成によって同じ建物で暮らすのか、新居を用意するのかの違いも出てくる。家の準備も含め、すべてそろったところで晴れて結婚式を挙げ、ようやくの新婚生活……となるのが一般的な流れだ。
こんな気が遠くなる話を聞くだけで面倒くさいったらない。
わたしの場合は、現在婚約式をすませたところだ。
王妃様の奉納祭が開催されたのは秋が深まったころ。クレス様はそのあとすぐにわたしの家にあいさつに来て、婚約へ話をすすめるべく動き始めていた。おっとりしているのに、そういうところは抜かりなくて驚いた。
思いのほか、あっさりとクレス様の家からは承諾を得られ、意外なことにわたしの家のほうがごたごたしてしまった。デビューしたばかりなのに、いきなり大物を釣り上げてしまったため、なにか裏があるのではと父をはじめとする家族が水面下で動き回ったらしい。
そして、これまた面倒くさいことに、兄が無駄に渋ったので式まで時間を有した。
クレス様のことを不満に思っているわけではないはずなのに、あれこれ難題をふっかけてからんでいた。弟はそれを見て呆れた顔をしていたけれど、父も含めてクレス様の手腕を試していたように思う。
結局、婚約式を挙げるのは春。
話し合った結果、結婚後はクレス様と新居に住むことになったので、その建設が終わるころにあわせて結婚式を挙げる予定だ。
まだまだ先は長いなあと、わたしはため息をついてしまうのだけれど。
楽しみですね、なんてうれしそうに笑う顔を見てしまうと、どうでもよくなってしまうから困ったものだ。