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おまけ
5/8

牛フィレ肉のパイ包み

 兄のここまで憮然とした顔は、初めて見た。

 どっかりとソファーに腰かけた大きな塊を見て、ユーグはひそかに思う。

 ユーグが六歳になった年に、ルパートは騎士団へと入団し、ほとんど家には帰ってこない。騎士の訓練はきびしいと聞いていたし、啖呵を切って出て行った手前、帰りにくさもあっただろう。

 が、あのルパートのことだ。今日家に帰ろう、と思い立てば気おくれなんて言葉は消え去り、毎日ここにいるような顔でただいまと言うのだ。そして、帰ってくるなら報せてくれればいいのに、と唇をとがらせる姉の頭を得意げにぽんぽん叩く。ご機嫌な顔が常である、兄。


 王妃様主催の舞踏会があったのは昨晩だ。

 あまり気乗りしない様子で、なにかおいしい料理は出るかしらなんて言っていたフィオーラ。そんな彼女が、なぜかクレスフォード・ロッシュに声をかけられてしまい、それから我が家の雰囲気がおかしなことになっている。

 兄は姉の横をはなれずにそのまま家に帰ってきて、ひと晩経ってもこんな調子だし、父は父でむっつりしているところを母になだめられていた。当の姉は兄に声をかけながら刺繍をしているけれど、ときどきふと頬を赤らめてからあわてて首を振って変な声を出すので、平常を装っているつもりで、やはり動揺している。

 本を読みながら周りを観察してしまっている自分も、やはりどこかいつもとは違うのだろう。本の内容はこれっぽっちも入ってこない。ユーグはため息をついてルパートを振り返った。時刻は昼を過ぎた。いつまでもこうしていてもしかたがない。


「兄上、遠駆けしませんか」

「やだ。面倒」


 気を利かせて声をかけても、これである。知っていたが。ルパートが家族にはあまえてこういう物言いをすることも、フィオーラのことをとてもかわいく思っていることも、ユーグはよく知っていたが。

 知っていても苛立つことにかわりない。ぴくりと眉が動くのを感じた。


「いつまでへそを曲げている気ですか。そろそろ姉上が面倒になって、相手をしなくなる頃合いですけど」


 あえて棘を含めて言うと、ルパートの唇がとがる。しかし、彼がなにかを言う前にフィオーラが針をとめた。白薔薇の蕾が途中になって膝のうえに置かれる。


「ちょっと、ユーグ。勝手に人の行動を読むのはやめなさい」

「本当のことですが、なにか」


 しれっと答えれば、フィオーラの頬がふくらむ。

 いつの間にこんなに生意気になっちゃったのかしら。子どもっぽく眉をしかめて悪態づいたフィオーラは、たぶんルパートの心境をわかっているつもりだ。それが合っているのかは別だが。

 ぷりぷりするフィオーラをちらりと見てから、ルパートがこれ見よがしにため息をついた。のそりと大きな体を起こす。


「フィー、今日の夕飯、肉のパイ包みがいい」


 ぶすっとした表情のまま、ルパートはフィオーラにからんだ。フィオーラは呆れた顔でこたえる。


「またそうやって、子どもみたいなことを言って」

「いいだろ。せっかく俺が帰って来てるんだし。じゃ、頼むな。――ユーグ、行くぞ」


 ため息をついて、ユーグも席を立つ。すると、とたんにフィオーラが心配そうにふたりを見上げた。


「お兄様、ユーグだけで大丈夫? わたしも行きましょうか?」

「いい。フィーは大人しくいい子にしてろ」


 あっさりとフィオーラの申し出を断り、ルパートがひらひらと手を振る。フィオーラがこうやってあまやかすから、ルパートがいつまでも彼女にこだわるのだというのに。きっと彼女のなかでは、いつまでも兄はまともに歩くことができない兄なのだろう。

 思いながらユーグも席を立つ。陽が暮れる前には戻りますと添えて、ルパートのあとを追った。






「ユーグ、お前どう思う」


 街を抜けたところで馬の速度を落とした。ゆっくりと二騎を平行させ、ようやくルパートが口を開く。

 ユーグは馬が好きでよく遠駆けに出かけるが、ルパートと並んでいくことは久しぶりだ。ルパートも騎士だから馬には乗る。けれども無茶な走りをさせたり、厩で悪戯をしたりと馬丁に怒られることが多かったため、家ではめっきり乗らなくなってしまった。

 男だけとなり人目もない場所になって、ようやく本題に触れることができた。ユーグは、あまやかにほほえんだ次期宰相を思い浮かべる。胸やけがしそうだ。あの人のあんな顔も初めて見た。


「クレスフォード様が動くとは思わなかったですね。でも、あとは姉上の気持ちだけでは? 身分も人柄も申し分ない方ですから」


 ルパートも似たようなことを思ったのだろう。むっつりした顔に、なんとも言えない色をのせてうなずいた。


「んー、まあ。でも、なんか弱そうじゃねえ? どう見ても俺のが強いだろ」

「兄上は、姉上に近づく男が気に入らないだけでしょう」

「るせー」


 おまえだってそうだろ。不機嫌な声がつけ足した言葉をユーグはさらりと無視した。

 すまし顔のユーグにますます唇をとがらせたルパートだったが、ため息をついてから声色をかえた。


「裏は取れたのか?」


 空気が一瞬にして引きしまったと肌で感じたユーグも、背筋を伸ばして浅くうなずく。


「まあ。彼が裏表のある人間でないことは確かですね。現宰相を含めても、不正は見当たりませんでしたし、女性関係も一方的な好意を向けられているだけで、本人はやはり潔白でした。昨晩で集め直した情報も、とくに変わった点は見られません」

「仕事もできるんだよな、あれで。のほほんとしてるのに、いつの間にかいろんなことを片づけてんだよ。あれが不思議だって、結構城で言われてる。――たしかにうちをうかがってる様子ではあったんだけど。まさか本当にフィーに目をつけてるとはな」


 王宮でクレスフォードと接触することは、少なからずあった。どれも仕事の話ではあったが、なにかを話したそうな素振りを見せていたので、様子見と称して距離を測っていたのである。


「姉上は自覚がないだけで結構目立ちますから。……兄上のせいでもありますからね。いつまで駄目な兄を演じる気ですか」

「だって、フィーかわいいんだもん」


 にしし、と笑うルパート。こんな顔は王宮では絶対に見せることはない。これでも、切れ者、食わせ者と囁かれているのだルパートは。

 フィオーラが再三にわたり彼の手を引いていたのだが、もうルパートがあまり道に迷うことはないのだと知ったらどうするだろう。道を覚えることが苦手なのは変わらない。ただ、状況判断が的確にできるから、子どものころほどルパートは苦労していないのだ。

 やんちゃな少年はすっかり大人になって、今では一目置かれる存在である。騎士になったのも王宮で動きやすくするためで、ひいては、ウェンズウッド家のためだ。家業を放って奔放にしていると見せかけて、城での人脈を作り、ほかの貴族たちの動向を探ったり、人柄を直接目で見たりしているのだと、ユーグにはわかっていた。だから、いずれ彼が家督を継ぐときに役立てるよう、ユーグは現在の領地を把握する。父のやり方を見て覚え、兄を助けるために今から備えているのだ。


「くそう。なんで一番初めに非の打ちどころのないやつが来るんだ」

「喜ばしいことですね」


 あっさりうなずくユーグの言葉を、ルパートは聞いているのかいないのか。


「まだ、十六になったばっかりじゃないか」

「ええ、適齢期ですし」

「二十くらいまで、家にいればいいと思ってたんだけどなー。何人かへんな男を蹴散らしてから、ようやく見どころありそうなのが来るくらいでちょうどいいだろ」


 勝手な構想を語り出した兄に、呆れた冷たい視線をお見舞いするも、まったく堪えた様子はない。ユーグは何度目かわからないため息をこぼす。


「兄上の希望で嫁ぎ遅らせるわけにもいかないでしょう。それに、遅かれ早かれ嫁いでしまうのですから、それが早かっただけのことです。これを拒否して、よい相手を逃すわけにもいきませんよ」

「あー、おもしろくない!」


 つまりは、そのひと言につきる。

 正直にこぼす兄に、ユーグは苦笑を浮かべた。それでいて、結局昨日はフィオーラの気持ちを大事にしたし、これからも彼女たちの関係を邪魔するつもりはないのだろう。それほどロッシュ家と近づくことも、クレスフォード・ロッシュという人間も含めて“よい話”なのだ。不貞腐れている父も、フィオーラがうなずきさえすれば渋々と話を進めるはず。あとはフィオーラ次第なのである。

 幼いころからしっかりしていて、周りの状況を把握することがうまかったフィオーラ。大人びていると思うのに、たまにものすごく子どもっぽいこともする。こましゃくれているというよりは愛嬌のある子どもだったし、それを武器にうまく大人たちを動かしているようにも見えた。

 まったくこの子はどうしてこうなのかしら、と呆れと愛情のこもった目で兄のことを見るのはしょっちゅうだったし、そのくせ、兄が兄らしいことをすると頬を真っ赤にして照れる。

 ユーグにはいつだって姉の立場だったけれど、勉学などやりやすいよう環境を整えてくれたり、助言をくれたりと頼りになった。いつの間にかユーグの方がしっかりしてしまった感はあるが、そんなユーグをかわいい弟扱いすることは崩さない。その点はルパートとそっくりだった。

 そのフィオーラが結婚か。

 まだ確定したわけではないけれど、その可能性はひどく高い。彼女なら、クレスフォードが宰相になったとしても、うまく邸を切り盛りしながら支えていくのだろう。が、やはり、なんだかもやもやした。おもしろくない。たしかに、それだ。


「俺、あの人にお義兄様って呼ばれるのか」


 馬の足音に消えそうな声で、ルパートがちいさくこぼした。ユーグも思わず手綱を持つ手に力がこもる。


「……お義兄様」


 自分はそう呼ぶのか。あのクレスフォード・ロッシュを。

 しばらくの間、蹄の音だけが響いた。

 ユーグはなんとも言えない気持ちでちらりと横を見上げる。すると、同じような顔のルパートと目が合った。馬の速度が急激に落ちた。


「……帰るか」

「ええ」


 手綱を引いて馬の向きを変える。陽はずいぶんと傾いているから、ちょうどよい。

 パイ包みでも食わないとやっていけないよなあ。ぼやいた兄の言葉にため息で返事をする。ルパートの言いつけを守って、フィオーラはコックにメニューの要望をしてくれているだろう。それが、ルパートの好物でもあるが、ユーグの好物でもあると知りながら。

 こんがりと焼けたパイ生地を割って、じゅわりと出てくる肉汁のうまみ。ふわりと舞う湯気と野菜のあまい香り。

 そんなものを思い浮かべて気を紛らわせながら、あたたかな家に向かってふたりは馬を走らせた。


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