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本編
2/8

deux

 わたしのデビュー戦として両親が考えたのは、年に一度奉納祭と称して王妃様が主催する舞踏会だった。

 半年前から準備に追われて、まだ始まってもいないのにわたしはうんざりしていた。だって、ドレスを仕立てるから採寸がどうとか、色がどうとか、ここのドレープはもっとこうして、デザインが……とか延々とやられるんだよ? 初めは楽しかったけど、それが頻繁だと嫌気がさしてくる。

 普段の淑女教育ではダンスレッスンが大きく幅をしめてきて、弟を相手にくるくる踊る日が続いた。悲しいことに週末なんていう概念がないから、今日はお休みにしましょうっていう素敵な言葉が母から発せられることはなく、毎日毎日アン・ドゥ・トロワだ。

 代々貴族として教育を受けてきた人たちの遺伝子を引き継いでいるため、どれもこれもそう苦労はしなかったけれど、そればかりになると飽きる。

 弟はもうすっかりわたしの背を追い越して、少年から青年にむかっていく途中のしっかりした体つきになっていた。彼もまたダンスのセンスが悪いわけではないので、ふたりしてそこそこの出来栄えである。


 そうして迎えた舞踏会当日。

 両親につれられて、わたしと弟も馬車に乗ってお城へ向かった。

 デビューをする人は、国花を胸元に飾る暗黙の了解があり、わたしは白い花のコサージュを珊瑚色のドレスにつけた。弟も新しく仕立てたジャケットに同じものを嫌そうな顔で飾っている。お父様のデビューしたときとそっくり、なんて母がうれしそうに笑うもので、彼はますます眉を寄せてしまう。

 わたしはそれをにやにや見ていたけれど、おまえも母さんのデビューしたときとそっくりだな、と父が言い出し、ここぞとばかりに弟がにやっとした。母はうつくしい人なので悪い気はしないけれど、改めて言われるとものすごくむずむずする。一応、わたしも弟も思春期というものである。そんなわたしたちに母がころころと笑った。今日は楽しみなさいな、と軽く言うけれど、今から向かう舞踏会は王妃様が主催なのである。

 ちいさなパーティーには何度か行ったことがあるが、ここまで大きなものは初めてだった。緊張もするけれど、笑顔を貼りつけてひと晩すごさなければならないことを考えると気が重い。そんな実に少女らしい思考からかけ離れたことを思いながら、停まった馬車からおりる。

 ああ、着いてしまった。腕を組んでゆったりと歩く親に、弟と連なってついていく。弟も落ち着かない様子を見せたけれど、その表情は面倒くさいと語っていて、おまえは純粋に少年なのだからその反応はだめだろうと思う。


 きらびやかな世界。

 王宮はとても華やかだった。精神年齢が高いわたしでも、はっと息をのんで周りを見渡してしまうくらいに。

 父の評判はまあまあいいらしく、広間に入ってすぐにあいさつしてくる人が多かった。父はわたしと弟を紹介しながら、長くなりそうな人は会釈でかわして奥へと進む。これから国王陛下と主催者である王妃様へ、ごあいさつをするわけである。これは、さすがのわたしも緊張した。まとう雰囲気が他の貴族とまったく違うおふたりに、ドレスの裾を持って、腰を折る。


「本日は、お招きいただきまして、誠にありがとうございます。フィオーラ・ウェンズウッドと申します」


 ゆっくり、はっきりと申してお辞儀をする。すると、にこやかに笑んだ王妃様が、今宵は楽しみなさいとお答えくださった。

 一歩下がって弟へとその場を譲ると、彼もまたそつなくあいさつをして、歓迎の言葉をいただいていた。両親がまたひと言ふた言足してから、その場を辞すごあいさつ。ほっとして肩の力が抜けた。


「姉上でも緊張なさるのですね」


 ぽつりとこぼした弟に、わたしは唇をとがらせる。この子はわたしのことをいったいどういうふうに思っているのだろう。


「あたりまえでしょう。誰でも初めてのことは怖いものです」

「では、ここで踊ることも怖いのですか」


 初めての社交の場。もちろん、人前で踊ることも初めてだ。涼やかな瞳に見下ろされて、わたしはため息をこぼす。


「ええ、あなたに目を付けた女性の視線が」

「……なにを言っているんです」


 嫌そうに顔をしかめた弟は、身内贔屓を差し引いてもまあ整った顔立ちである。目立つわけではないが、そういえば彼かっこいいよね、と女子のなかで言われる感じだ。父親譲りのピンクブロンドが、冷たい彼の雰囲気をほんのりとやわらかくしてくれている。

 一曲目は、本当は兄がここにいるはずで、一緒に踊る予定だったけれど。弟もわたしも、兄が予定通りに現れるとは思っていない。大方、城のなかで迷ってたどり着けていないのだろう。

 無事に騎士になった兄は、剣の才能はあったらしく騎士団第二番隊の副隊長までのし上がってしまった。第二番隊とはこの城の警備をする隊のひとつで、副がつくにしても、その隊を束ねる立場にあの兄がなっているのだ。あの兄が。マイペースで方向音痴な兄が。よくなれたな、騎士団って大丈夫か? とわたしはこっそり思っている。

 あらかたの招待客がそろったのだろう。時間も定刻をすぎた。国王陛下と王妃様がそれぞれ今宵のあいさつをなさったのを合図に、オーケストラが曲を奏で始めると弟が手袋に包まれた手をのべる。

 流れるような動作でホールドの体勢をとり、一瞬、お互いに微妙な顔をした。思春期だと、姉弟で手を取り合うというのもむずむずするのである。




 弟とのダンスはなれたもので、とくに失敗もなく一曲を終えることができた。

 ああ、これで今日の最低ノルマは終わった。わたしはますます肩の力が抜ける。足を止め、弟の手を離したところで、会場にいた友人のところにでも行こうかと思っていたわたしは、目の前に差し出された白い手に目を丸くした。


「踊っていただけませんか」


 背の高い、美丈夫がほほえんでわたしを見下ろしている。

 周りから女性たちの悲鳴や息をのむ音が聞こえて、わたしはますます目が丸くなる。え、なにこれ。横にいた弟さえも驚きの表情だ。

 目の前の男性は、わたしの記憶にはない方だけれど、周りの様子からして彼の人気をおしはかることができた。さらさらな金髪。澄んだ青い瞳。背は高く、ほどよく引き締まった体つきで、品のある男性。これは当然、女子が放っておくはずがない。もう、大人気。本日の目玉商品、みたいな。

 きょとんとしたわたしは、二度ほどまばたきをしてから首をかしげる。そんな目立つ人に、声をかけてもらういわれはないのだけれど。


「わたくし、でしょうか」


 人違いではありませんか、と言外に述べたわたしに、王子様みたいなその人は真っ青な瞳をやわらかに細める。


「ええ。フィオーラ・ウェンズウッド嬢、あなたです。――私は、クレスフォード・ロッシュと申します。お見知りおきください」

「はあ」


 わたしで間違いないようだ。困った。クレスフォード・ロッシュ様だって? 困った。そりゃあこの騒ぎになるはずだ。彼は、この国の宰相様の息子で、そのあとを継ぐと言われている方じゃないか。

 驚きで固まったわたしに、彼はほほえみを絶やさない。踊るために伸べた手を、わたしのまえに差し出したまま、ただただ答えを待っている。

 姉上。弟の声にうながされ、わたしはこっそり心のなかでため息をこぼしながらその手を取った。よろしくお願いいたします。お辞儀をすると、そっと、けれどもゆるぎない強さでフロアへと導かれたのだった。

 弟のときとは比べものにならないほど多く、鋭い視線を周りからお見舞いされ、ダンスを楽しむどころではない。


 完璧なリードでステップを踏むと、弟よりも踊りやすくて驚いたが、きらきらした笑みを上からそそがれてしまうので、わたしは無心になって踊ることにだけ集中する。どうしてこうなった。ものすごく心臓に悪い。

 わたしはひっそりと貴族令嬢を務めて、この先もまあ、行おくれという年齢になったあたりで、無難な家柄で生理的に無理じゃない人のところに嫁ぐことになると思っていた。どう転んでも、こんな目立つ人と、社交界デビューでかかわる予定なんてない。

 クレスフォード・ロッシュ様は、優雅にわたしが踊るのを手伝いながら、うれしそうに、そう、実にうれしそうにわたしを見つめる。まるで、好意を向けられていると錯覚してしまうくらい、あまやかで熱のこもった視線だ。

 一曲をなんとか終えると、わたしはお礼と別れのあいさつをして足早にその場を辞した。引き留めるような声が聞こえた気もしなくはないが、聞き間違いだろうと思うことにする。


「フィー! どうして会場にいないんだ」


 さささっと広間を抜け出したわたしに声をかけたのは、大遅刻をしているはずの兄だった。

 落ち着きのないわたしに目を見開いた彼は、短く切ったピンクブロンドを後ろになでつけ、式典用の騎士服姿で大股に歩く。ここは、中庭に続く回廊で広間から少しだけ離れているはずだ。

 わたしは先ほど会場へ向かうときにとおったから、間違えることなくここまでやってきた。それなのに。どうして兄がここにいて、そしてその兄にどうして咎めの声をかけられているんだ。


「お兄様」

「今日が初めての舞踏会だっただろ? 楽しくなかったのか?」


 頭ひとつ以上背の高い兄は、不思議そうに首をかしげた。遅刻していて約束もすっぽかしているのに、相変わらずのほほんとしている。


「初めのダンスはお兄様とって約束していたのに。どうしてこんなところにいるの」

「いなくてもユーグがちゃんと踊っただろ? いいんだよ、あいつも目立っておいたほうがいいんだから」

「もう」


 ということは、兄の遅刻は確信犯なのか。意外とこの兄、考えなしに見えてそうでもないから困ってしまう。だからって、約束を破っていいことにはならないのだと、眉を寄せて小突いてやる。ちっとも痛くないくせに、いてて! なんて悲鳴をあげた。


「まだ、始まっていくらも経っていないじゃないか。なんでこんなところにいるんだ? 誰かにいじめられたのか?」

「そういうわけじゃ、ないけど」


 言葉をにごすわたしに、兄は不思議そうだ。微妙な顔のわたしと、回廊の先とを見比べてからますます首をかしげる。


「じゃあ、戻るか? こんなとこ、なんにもないからおもしろくないぞ。フィーがいるなら俺も会場にいけそうだし」

「レディ・フィオーラ」


 ご満悦に笑う兄に、やっぱり迷っていたのかと呆れたわたし。

 するとそこへ、落ち着いたテノールが響いた。振り返ると、クレスフォード・ロッシュ様がわたしをまっすぐと見つめている。わー、なんか追ってきてるー。なんでだよ、本当に。


「クレスフォード様」


 居住まいを整えたのは、わたしよりもその隣にいた兄の方が早かった。わたしが見慣れた間抜け顔をきりっとさせて、踵を合わせた礼をする。


「ルパート殿、来ていたのですね。姿が見えないから今宵は来ないのかと」

「いえ、妹と弟のデビューですので。警備の見直しを終えて、ただいま向かっていたところです」


 すごい、あの兄が仕事をしている! 驚きで目を丸くするわたし。クレスフォード・ロッシュ様は兄にそうですかとうなずくと、わたしへと視線を移してやわらかな笑みを浮かべた。


「突然、お誘いをして申し訳ありませんでした。すぐに出ていかれたようですが、なにか失礼をしてしまいましたか?」

「い、いえ。決して、そのようなことは」

「そうですか。ですが、もうダンスはよろしいのですね? それでしたら、よろしければ庭園でもご案内いたしましょうか」


 なんで。なんで彼がわたしを追ってきて、わたしを庭に誘うんだろう。最優良物件が。

 戸惑い、彼の笑みを見上げたわたしが言葉を探し出すまえに、すっと目の前を大きな影がさえぎった。騎士団の正装の背中。黙ってわたしとクレスフォード・ロッシュ様のやりとりを聞いていた兄が、間に立ってわたしの姿を隠す。


「女性に人気のあなたが、なぜ私の妹を?」


 あっけらかんとした兄の姿からかけ離れた、真剣なその様子にわたしはぽかんとしてしまった。

 そんなわたしが見えていない兄は、クレスフォード・ロッシュ様相手に断固とした態度をくずさない。


「この子は、あなたにまとわりつくような女とは違います。からかうつもりなら、ウェンズウッドの名を継ぐ男が黙っておりません」

「お兄様」


 位はクレスフォード・ロッシュ様が上だ。兄の言い方は丁寧ではあるけれど、わたしに手を出すなら兄も、弟も、父も、見過ごすことはないと脅しをいれてしまっている。言い過ぎでは、と咎めると兄は気にせず振り返り、わたしの背を押す。


「フィー、いくぞ」

「ルパート殿、待ってくれ。私は、ずっとレディ・フィオーラにお会いしたかった。生半可な気持ちで、こうしているわけではない」


 わたしに会いたかったと、ためらいなく言うその人は至極真面目で、なんで? とついていけないわたし。兄はそんなクレスフォード・ロッシュ様をじっと見つめると、かすかにため息を落としてわたしを振り返った。


「フィー、おまえクレスフォード様とお知り合いだったのか?」

「いいえ、お会いするのは、今日が初めてです」


 友人の誕生パーティーにだって、さすがにこの人がいたことはない。父も宰相様と個人的なお付き合いがあるようには見えなかったし、父経由でも会ったことはない。こんなイケメンに会ったら忘れないだろう普通。

 ふーん。ちらりと、夜の庭園へ視線を動かした兄は、なんだか不機嫌だった。がしがしと頭をかいて唇をとがらせる。きまりが悪いときの兄の癖だ。


「……フィーが行きたいなら、行きなさい」


 低い声で言う兄に、わたしはこっそりとため息をこぼした。うなずいてから、クレスフォード・ロッシュ様を見上げる。


「もし、よろしければ。ご一緒させてください」


 さすがに、この状況で目上の方のお誘いを断れない。断ったら、あの広間に戻らなければならないし、戻るってことはクレスフォード・ロッシュ様の誘いを無碍にしたと知らしめるわけで。デビューしたてで周りに敵を作りたくない。この優良物件とダンスしたことで、すでに危ういけど。断っても、快く引き受けても角が立つなんて、ものすごく面倒くさいなあ。

 戸惑いを引っ込めて、ひとまず笑みを浮かべて首をかしげた。十六年培った淑女のしぐさである。

 すると、クレスフォード・ロッシュ様はほっとしたように表情をゆるめ、流れるようなしぐさで自分の腕にわたしの手を絡めた。


「会場までかならず送り届ける」


 兄にそう言うと、クレスフォード・ロッシュ様はやんわりとわたしを夜の庭園へと導いた。


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