第一の質問
気付けばあの世と現世の境に立っていて、しかも現世の僕は危険な状態らしい。
そう僕に説明した目の前の婆は、フードから唯一見える口の端を吊り上げ僕に囁いてきた。
「あんたが今この世界にいるということは、生と死の狭間にいるってことさ。素直に婆に従うことだね」
異様な雰囲気の中での婆のしゃがれた声は、恐ろしく僕の頭の中に響く。
「従えって、一体なにをするつもりなんですか。それにあなた一体何者ですか」
手に汗を握り思わず力が入る。椅子に座っているが落ち着かず、逃げようにも腰を上げられない。
「さっき言っただろ、5つの質問に答えるんだよ。婆が何者かと聞くまえに、質問に答えてもらうよ」
そういうと婆は再び水晶に手をかざし念じ始めた。
「まず、質問に答えやすくしてやろう。この水晶の上に手をのせな」
婆は僕が手を乗せるのを待つかのように、手の動きを止めている。婆が何者なのか気になったが、状況を理解できない今素直に従うべきだろう。
それに、もし婆が襲ってきても体格的に僕のほうが有利だ。一呼吸をして、水晶の上に手を置いた。
「あんたが今記憶を思い出せないのは、生きているとも死んでいるとも言えないからさ。……婆が手助けして記憶だけをこちらに呼び寄せてやろう」
婆は再び水晶の上で手を念じるかのように動かし始めた。
すると、手を乗せている水晶が熱を帯び始めた。熱を感じると同時に、様々な風景が僕の頭の中に流れ込んできた。
それぞれの風景がつながっていき、僕の記憶として蘇ってくる。
電車の中。憂鬱な朝。大学三年になった今でもその気持ちは変わらない。
僕を拒んでいるこの世界から抜け出したい。早く楽になりたい。
はっと我に返ると、目の前にいた婆はひじをテーブルにつき手を組んでいる。
水晶によって僕の記憶と、僕の感情も流れ込んできた。その感情によって、自然と顔がうつむく。
「……さっきより顔色が悪そうだ。でも、それがあんただったのさ。ま、質問をしていくよ」
僕はうなづいて答えた。婆の言うとおり、胸が苦しい。僕という存在が嫌になっている。
「第一の質問」
婆の声が先ほどよりも大きくはっきりと聞こえる。先ほどとは雰囲気の違う声に僕は顔を上げた。
婆は背筋を伸ばし、手はテーブルの上から見えなくなっているのでひざの上に置いているのだろう。
口しか見えないためどこを見ているのかわからないはずだが、なぜか威圧を感じる。僕も姿勢を直した。
「もし、あんたが死んだら、何人の人が泣いてくれると思う?」
「え……?」
なにを聞かれるのかと思いきや、おかしな質問だった。だが、婆の口は緩むことなく真一文字に口を閉ざしている。
「あ、いや……そんな、僕のために泣くなんて一人もいないと思いますけど。僕が死んだって誰も気にしませんよ」
「なぜだい?」
「なぜって……。僕はそういう存在だったんです。さっきの水晶玉で思い出したんです。
僕は……いるかいないかわからないような、そんな存在だった。だから僕を気にするような人いません」
そう言い切ったとき、なぜか悲しくなった。だが事実だった。
ゼミでも目立たず、講義が終われば寄り道することもなく家に帰る。家に帰っても友達を呼ぶこともなく、一人家事をする。
一人暮らし三年目に入ったせいか料理の腕が上がってきたと思うが、それを自慢する友達もいない。僕は孤独だった。
「ふん、そんなことだろうと思ったよ」
と婆がしゃがれた声で素っ気無く言った。
「別にあんたが死んで誰が泣こうが何人泣こうが、それは関係ないことさ。
婆が知りたかったのは、あんた自身であんたに対する他人からの評価をどう思っているかさ。
……初めに言っておくが婆は、死ねば自分が変われる、やら、死んで楽になりたいと、思ってここに来るやつらが嫌いなんだ。
どこに行こうがそいつはそいつなのに気づいていないんだ」
怒っているのか婆の声が少しだけ大きくなっていた。質問に答えただけなのにどうして怒られなければいけないのか、僕は少しむっとした。
「ぼ、僕は婆の質問に答えただけです。この質問が一体なんだっていうんですか」
少しだけ強く言ったのだが、婆は口を閉ざしたままだった。顔が見えないと一体なにを考えているのかわからない。
婆は黙ったままテーブルの隅においていた本を細い手で引き寄せ、指でなぞるように何かを確認し始めた。
「……ふん、文字が出始めたね。さっさと次の質問に移ろうか」
理解できず首をかしげた僕だったが、婆は気にする様子もない。
婆はまたどこか威圧されるような雰囲気になり、僕もそれ以上問うことができなくなった。