第十八話 俺と彼女の共通点。
俺の部屋に誰かを入れるのは、考えてみれば今回が初めてだった。
寮に来る前と大して変わらない、俺にとって馴染み深いこの部屋は、いわば俺の安息の地。
日々の疲れを癒し、英気を蓄え、明日もまた続く非日常を過ごす上で必要不可欠なものだ。
しかし、まぁ、それが他人にとっても快適な空間かと問われるとそうではないわけでして……。
「ちょ、ごめん! もう少しだけ待って! あとこの机の上のモノ全部片付けて終わりにするから……!」
部屋の扉ごしに話しかけると、廊下側からやや恐縮しているような口調でアリスが返答した。
「え、あ、うん……えと、そんな気を遣わなくてもいいよ……? アリスは別に平気だし」
「アリスは平気でも俺は良くないの!」
清楚で可憐な女の子をこんな魔境に入れられるか。
ある程度は片付けたものの、ロクに掃除すらしない男の部屋に例外はない。
ベッドメイキングなんて言葉を知らぬ、朝起き上がったときのままの寝所には、脱いだパジャマがそのまんま放置されている。
学習机がない代わりに置いてある折りたたみ式テーブルは、本来の目的を忘れ、漫画やゲームやCDが山積みに盛られていた。
本来それらが収納されるべきである棚も、元あった場所に戻さない俺の悪い癖のせいでところどころ穴空き状態のままだ。
とにかく物が散乱しているのである。独り身の男は、皆こんなもんであろう。俺未成年だけど。
「フー。さて、どうしたもんかな……」
「んっと……大和くんの場合はもう少し物を減らした方がいいかも……あとせっかく収納があるんだから、ちゃんと有効に使わなきゃだめだよッ?」
「やっぱり? 分かってはいるんだけど――ってうわああぁ!」
いつの間にか部屋の中側に現れたアリスは、俺の部屋をざっと見渡しながら的確なアドバイスをくれた。
「――ってそうじゃなくって! 俺ちょっと待ってと言ったはずだよね!?」
「待ってとは言ったけど、部屋に入っちゃ駄目とは言ってないねッ?」
にこ、と意地悪な笑み。
「そういうの、人のあげ足を取るって言うんじゃ」
「いいからいいから。これくらい散らかってる内に入らないよッ」
「ちなみに基準は?」
「雷華ちゃん達や怯助さんの部屋、かなぁ?」
「……それ、基準とは言えない」
悪い例よりはマシって。
結局それ『やや悪い』になっただけじゃん。
ちょい辛コメントに俺が軽くないショックを受けていると、先程からきょろきょろ視線を移動させていたアリスが、感慨にふけるように呟いた。
「ここが、大和くんの部屋かぁ…………」
その時、俺は思わず彼女の顔を凝視してしまった。
何気なく顔をそちらに向けただけだった。たったそれだけなのに。
そこに浮かぶ表情が、感情が、本当に何とも言えないような複雑なモノで。
どこかを懐かしむような笑みを浮かべたと思ったら、一瞬憂いを帯びたような色になり。
また(俺の勘違いかもしれないが)憧れの人の部屋に初めて入った、というような高揚感に浸っていると思えば、ふと哀愁を漂わせるような表情をする。
それらがちょっとずつ、少女の顔に染み込むように混ぜ合わさっていて――だめだ、上手く表現出来ない。
そこで俺は、彼女が“何のため”ここに来たのかを思い出した。
「えっとさ、とにかくまぁ、その辺座ってくれよ。散らかってるけどね」
「大丈夫。では、お言葉に甘えて」
俺が地べたに腰を下ろし、その隣にアリスが体育座りで座り込む。
……アリスは、俺に何を話したいんだろう。
「なあアリス、話って?」
「………………」
返事はない。話がしたいんじゃなかったのか?
そのまましばらく時間が経っても、彼女は一向に口を開こうとしない。
「……えっと、さ。何かあった?」
「………………」
話しかけてもこちらを見ようとすらしない。
表情はさっきと変わらず、微笑んでいるのか、哀愁に浸っているのか曖昧な顔を浮かべているだけだった。
ただ、少し違ったのは、そこに戸惑いの色が垣間見えたこと。
……いや、何かを躊躇してる?
「あのさ、いったい何の話を――」
「大和くん、疲れてる?」
「――え?」
やっと口を開いたと思ったら、予想外の一言が飛び出したため、俺は一瞬答えるのに遅れてしまった。
「え、なんだよいきなり……まぁ確かに疲れたけど」
「疲れてるでしょ」
問いかけだった言葉が今度は言いきられていた。
しかもそれは、今度は俺の返答を繰り返したわけではなく、最初からそれしか認めないような語気を孕んでいた。
「な、なんでそんなことが分かるんだよ」
図星を突かれたことに焦ったのか、口調が強くなる俺。
アリス相手だということも忘れて。
「なんで分かるのか、ね……ふふ。なんでだろ?」
「はぐらかすなよ! 正直に話してくれ!」
頼むから、心を見透かすようなことを言わないでくれ!
「……だって、わたしもそうだったから」
わたしもそうだった。
一瞬、彼女の言葉の意味が俺には分からなかった。
その意を汲み取ったのか、アリスは一度俺の顔を見た後、話を続けた。
「わたしだって、最初は信じられないことばかりで驚いた。目を疑ったし、何かのドッキリ企画なんじゃないかとも思った。毎日毎日ほっぺたをつねって、寝るときも『これは夢。目が覚めたら、きっと元に戻る』って、ずっと思ってた。でも……」
「夢は、覚めなかった?」
こくり、とアリスが小さく頷く。
「寮のみんなは良い人達だよ? まだ来たばかりのアリスに話しかけてくれたし、親切にしてくれた」
それは否定しない。
ちょっと……ちょっとどころではないが、変わってるというだけで根は良いヤツらなんだと思う。
月日は経っていないし、まだ出会ったばっかで確信を持って言えるわけではないが。
「――そうだな」
俺のときは、最初にアリスが会いに来てくれたんだよな。
「わたしは、ゆっくりだけど少しずつ、寮での暮らしに慣れていった。でも……」
「……でも?」
また、あの表情だ。
彼女は体育座りのまま、自分の足をぎゅっと抱え直して、呟く。
「……元の生活を、忘れたわけではないんだよ、ね」
俺はハッとした。
そうだ、そうだよ。
ひょっとして、最近俺の調子が悪いのも――
「ホームシック、なのかなぁ。とにかく、生活がすっかり変わっちゃって、いろいろと理解しきれないことが多すぎて、いつの間にか……疲れちゃったんだと思う」
言わんとすることを先に彼女に言われてしまった。
『だって、わたしもそうだったから』
彼女の言葉が脳裏を掠めた。
あぁ、確かに。
彼女は、俺は――アリスと俺は、とても似ている。
「ね、そうだよね。大和くんも……アリスと同じなんでしょう?」
「…………悔しいが、全くもってその通りだな」
言葉ではそうは言ったものの、なんだかホッとして思わず笑みが溢れる。
するとアリスも、同じように微笑み返してくれた。
「なら、元気を出して? 大和くんが元気ないとアリスも元気なくなっちゃう」
「はは、ごめんごめん」
「ごめんじゃないよ〜……まったく、アリスに心配させないよう早く元気になって下さいねッ」
「それじゃまるで病人じゃんか、俺が」
「そッ、ちょっとした心の病気だよッ」
アハハハ……と二人でしばらく笑い合う。
「ホントに、よく似てるね。わたし達」
ふと、アリスが笑うのを止めて呟いた。
顔はまだ微笑を浮かべたまま。
「……境遇も、連れてこられた経緯も、価値観も」
けれど、その目はもう、笑ってなんかいなかった。
「……能力不明なところも」
「え…………」
今、アリスは何を、何を言った?
「い、今なんて?」
「へ? ど、どうしたの……?」
「俺とアリスは、なんだって? 最後の――」
能力不明。
「あぁ、それかぁ。何って、文字通りだよ? 知らなかったっけ。アリスと大和くんに関しては、まだどんな能力なのか分からないんだよ。ひょっとしたらそんな能力、無いのかもしれないけど」
なんで、気付かなかったんだろう。
そう、客観的に考えれば――他者の視点から見れば、俺の能力はまだ無い。
“無い”のだから“分かる”なんてこともあり得ない。
失念していた? いや、そうじゃない。
――百合亞の言うことを、鵜呑みにし過ぎたというのか?
じゃあ勇者とか……呪いがどうとかは……
「嘘だってのかよ……!」
途端に怒りが込み上げてくる。
今まで俺はあの馬鹿げた話を信じて、それが俺の“普通”ではない由縁だと思い込んでしまったが、そうだよ普通おかしいと思うはずだ。
ここには他の奴らのように『普通じゃない奴』が集められる場所なんだろう?
だったら俺達は? 俺達は“普通”じゃないってのか?
「や、大和くん……?」
ふと我に返ると、戸惑った様子のアリスが俺を見つめているのに気付く。
この少女が、普通じゃないだって?
どこからどう見ても“普通”の女の子なのに。
「あー……ごめん。ちょっと取り乱したかな。変なところ見せて悪かったよ」
まったくだ。口に出した言葉に改めて同意する。
あぁもう我ながら何を考えているのか分からなくなってきたし……。
「え、ううんそんなことないよ。アリスは大丈夫」
「そうか。で、自分から話を遮っておきながら失礼だけど……さっきの話詳しく話してくれないか?」
「う、うん……それはいいんだけどね」
恐る恐る、俺の顔色を伺うように彼女は質問する。
「大和くんは……不安じゃないの?」
「……不安?」
何を心配すると言うのだろう。
「だって、アリス達がどんな能力なのか、分からないんだよ?」
「でも、でもさアリス。何を心配するんだ? 俺達はまだ能力があるかなんて分からない。間違って連れてこられたってことも……」
「そうやって逃げてちゃだめなんだよッ!」
突如アリスが声を振り立てて叫んだ。
「確かにアリスだってそう思ってた、思ってたよ。アリスに能力なんか無くて、何かの間違いで連れてこられちゃったんだとか考えたよ? でも、でもね。それじゃあいけない、ダメだって気付いたの。能力がある人がここに来るなら、わたし達は確かに何かあるはずなんだ。寮長さんがアリスや大和を寮に入れる理由があるんだよ。それをアリスは知りたいの! 手遅れになる前に!」
「ま、待てってアリス! もうちょい落ち着いて話してくれ! 何がダメで何が手遅れなんだ?」
俺も声を張り上げて問いかける。
その言葉を聞いてか、アリスも深呼吸を一回した後、落ち着きを取り戻した。
「だって、分からないんだよ? 自分が、どれほど恐ろしい存在なのか、アリスは知らない。潜んでいるだけ、明かされてない分、それはよっぽど危険なのかもしれないじゃない。誰かを傷付けてからじゃ遅いの。手遅れなの……」
そのとき、胸に何かが突き刺さるような痛みを覚えた。
それと同時に、自分の浅はかさを痛感する。
彼女は自分のことだけではなく、他人のことも思いやっている。
自分の持っている未知の能力が、人を傷付けるかもしれない、と危惧している。
それなのに、俺は……。
「…………わたし達がここにいる理由は……何?」
アリスはそう弱々しく呟くと、今度は力強く立ち上がってこう言った。
「わたしは、それが知りたい」
決意に満ちた顔立ち。
俺には、それがとても気高きもののように、感じた。
「だから、大和くんに……ええっと……その……」
が、途端にアリスの言葉の歯切れが悪くなった。
「う、あー……あのね、えと、大和くんにね、お願いが、ありまして……」
「?」
先刻とは打って変わって態度が違う。
さっきまでのシリアスな様子ではなく……いやこれはこれで真剣なお願いなのだろうが。
アリスは頬を薄く紅潮させながら、ずっともじもじといった様子で人差し指同士を合わせている。
「あ、あの……お願いがありましてですね……」
「うんそれは聞いたから、その頼みって何?」
「あ、うー…………」
俺が先を促しても、彼女は一層顔を赤らめ、うつ向きがちに口元をもごもご動かすだけだった。
「え、えっと――」
そして、覚悟を決めたのか、アリスは勢いに乗って一息で言った。
「――アリスと付き合って下さいッ!」
数秒の沈黙。硬直。フリーズ。思考停止。
しばらくして、
「えええええええええええええええ!?」
こう叫ぶのがやっとだった。
「え、ちょ、それって、あの……」
ちょっと、どういうことだいコレ。
なんであの流れからいきなりこ、告白になるッ!?
いくらなんでも唐突――
――そうか、俺達は何かしら普通とは違う部分が日常の中で発見されたから、そういう日常的な雰囲気をかもし出すお付き合いの中でそれを突き詰めていくってことか?
それともまだ眠る未知の能力の片鱗が、恋という刺激によって徐々に現れるんじゃないかと考えたのか!?
とにかく俺たちが普通にデート、例えばオープンカフェで優雅にお茶を飲むとか、街でショーウインドウの中の服を見ながら気に入ったお店があったら入って試着したり俺が買ってやったりとか、遊園地でコーヒーカップやらジェットコースターやらメリーゴーランドに乗ったり最後に観覧車の中で二人っきりでお互いに意識しちゃってドキドキしたり初々しい初恋を過ごしていく中で何が自分達に足りないのか、それを見つめていきながら少しずつ大人になっていく――
「――あ、ちち違ッ、あの、ああアリスの言い方がおかしかったねッ! ごめんねッ! えと、えっとね、だからアリスと一緒に二人で……お互いの秘密を探してくれないかなぁって……」
お、お互いの、秘密――ッ!
それ反則――くぉぉおおオオオ!!
「ややや大和くんッ!? 突然なに――ってそんな顔で見ちゃだめぇえッ!!」
ドゴッ!! という衝撃を感じた後。
俺はようやく我に返り、腹の辺りが痛むこと、アリスの容赦ないぐーぱんちを喰らったことをやっと認識した。
「ぅぐ……こいつはいいぐーぱんち……」
「はッ! ややや大和くんごめんねッ! 大和くんがあまりにもアブナイ人みたいな顔だったから、だったからつい……」
へこへことかなり本気で謝るアリス。
まぁ、女の子のパンチなら、本来なんてことはないのはずなのだが……
…………雷華、お前が脅えた所以は、コレか。
「いッ、痛かったでしょ? 大丈夫?」
「い、いや……それは気にするな……俺がいろいろとどうかしてた……」
「でも痛かったでしょ?」
「それは気にするな……気にしないでくれ、しないでください」
俺の要求を渋々(?)受け入れたアリスは、再度訂正してお願いを述べた。
「ですから、つまりは能力を知るための『能力探し』に付き合ってくれッ、てことがアリスは言いたかったの」
「なんだぁ、最初からそう言ってくれよ……」
「だ、だって恥ずかしかったから思わず言葉を濁しちゃって、そういうのってよくあるでしょッ?」
よくある。が、そういうニュアンスがないのなら、何も顔を真っ赤しながら言うことでもないような。
「協力、してくれるかな」
ぽつり、と不安そうに呟くアリス。
「……馬鹿だなぁ」
「へ? わ、わわっ」
何気なくアリスの頭に手を伸ばし、くしゃくしゃと撫でてやる。
「協力するよ。それでいいんだよな?」
協力する理由は、ただアリスの力になりたいから。
断る理由は、ないだろ?
「ありがとう……ッ!」
この満面の笑みを見られただけでも、十分引き受けた価値はあるのだから。
こうして、俺はアリスと協力関係を結んだのであった。
更新が遅れてしまい大変申し訳ありませんでした。
やっとヒロインと二人きりで話せた……けどぐだぐだなのはご愛敬。
もう書き進めることを第一にしなきゃ続きません。ギャグもシリアスも出来る限り頑張りたいです。
ちなみに、雷華がアリスに脅えたのは三話でのこと。