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第九章 星辰流転

その後、阿和あわが戻り、若者たちも休憩を終えて作業場に復帰した。全員で再び作業に取り掛かる。

 削り出した輪と軸を組み立て、支柱となる土台に接続していく。続いて、糸を掛ける横筬よこおさを上部に取り付け、足元の踏木ふみきを設置するのも忘れなかった。

 牛彦うしひこは設計図を凝視し、各部位の部品が揃っているかを厳密にチェックする。オリシはハンドルを軽く回し、軸が滑らかに回転するかを確認した。戻ってきた雀児じゃくじはといえば、万が一機械が倒れて主人が怪我をしないよう、いつでも支えられるよう両腕を広げて身構えていた。

「そんなことしても、意味ないだろ……」

 阿和が思わずツッコミを入れる。

「そ、そんなことありませんわ!」

 雀児は少し大きな声で言い返した。

「うちのお嬢様は花瓶のように脆いんですの。あなたのような頑丈な男の人とは、わけが違います!」

「だったら直接機械を支えりゃいいだろ。その方が早い」

「お嬢様の邪魔になったら困るでしょう!」

 茶色の瞳を大きく見開き、牛家の従者を睨みつける。対する阿和も腕を組み、顎を突き出して挑発に応じる構えを見せた。

 その時。

「雀児」「阿和」

 二人の主人が同時にその名を呼んだ。

「「静かに(しなさい)!」」

 声が重なった。

 すでに夜は更け、街も静まり返っている。作業場での夜なべ仕事は禁じられていないが、近所迷惑にならぬよう音には気を配らねばならない。

「はい……」「はい……」

 叱られた従者たちは肩を落としたが、お互いの動きが重なったことに気づくと、また鼻を「ふんっ」と鳴らし合った。

 どうやら二人が仲良くなるには、まだ時間がかかりそうだった。


それからさらに二刻(約四時間)が過ぎた。

 窓の外の星の位置から察するに、すでにの刻(深夜零時前後)である。

 駆り出された若者たちは、もう手伝う作業がなくなったため、休憩室で眠りについていた。様子を見に来た老婦人が、彼らに布団を掛けてやり、自分もその隣で横になっている。

 阿和と雀児は椅子に座ってうたた寝をしていた。背中合わせで眠る二人は、起きた時にまた一悶着起こすに違いない。

 牛彦は精密な調整が必要な部品を研磨し、仕上がるとそれをオリシに渡した。オリシは部品を組み込み、ガタガタとハンドルを回して軸を動かし、掛けた糸が外れないかを確認する。織女しょくじょにとって、織機の各部位が滑らかに連動するかどうかは、布の品質と操作感に直結する。この工程だけは、寸分の妥協も許されなかった。

「結局、君の言った通りになったな。この作業場が『忘れられない場所』になってしまった」

「当然だ。男に二言はないからな」

 牛彦は眠気に耐えながら目を細めて言った。しかし、その頭はすでにカクカクと揺れ、今にも意識を失いそうだった。

「感謝するわ、こんなに遅くまで付き合ってくれて。私一人だったら、到底無理だったもの」

 本音をぶつけ合い、再戦を誓い合ったせいだろうか。二人の間の壁が、少しずつ崩れていくのをオリシは感じていた。

「……いや、これはお婆さんのためだ。お前のためにやったわけじゃない」

「ええ、分かっているわ」

 オリシは微笑を浮かべた。会話を楽しんでいるのか、あるいは織機が順調に動くのが嬉しいのか。

――織機が完成した。

「これで大丈夫。この機械なら、きっと素晴らしい布が織れるわ」

(よかったですね、お婆さま)

 オリシは心の中で呟き、調整がすべて終わったことを伝えようと牛彦に顔を向け――。

 そして、ふっと小さく溜息をついた。それは労いと苦笑の混じった、温かな溜息だった。

 牛彦は机に突っ伏し、腕を枕にして眠っていた。規則正しい寝息が聞こえてくる。

 無理もない。この若旦那は、責任者として職人の差配に奔走し、自らも棟梁として作業を続け、最後の瞬間までオリシの微調整に付き合ったのだ。夜なべ仕事に慣れた織女とは違い、普段は規則正しい生活を送っているはずの彼にとって、ここまで持ち堪えただけでも大したものだった。

「お疲れ様、牛彦。ゆっくり休んで」

 オリシは上着を持ってきて、彼にそっと掛けてやった。

 その時、作業場の外から気配がした。

 オリシは扉を見つめ、静かに声を掛けた。

「待たせたわね、アンドロ」



牛彦は夢を見ていた。しかしその夢は、あまりに現実味を帯びていた。顔を打つ冷たい夜風、耳元でざわめく木の葉の音。

 彼は今、町外れの草地に立っていた。アニキ(黄牛)を連れてよく休んでいる、あの大きな樹の傍らだ。目の前には、不可解な光景が広がっていた。

(あれは……オリシか? もう一人は誰だ、彼女の友人か?)

 二人の女性が対峙していた。一人はしなやかな黒髪をなびかせ、白を基調とした衣を纏ったオリシ。もう一人は、銀色の長髪をなびかせ、数輪の白い花が刺繍された薄青色の衣を着た女性だった。

「オリシ様、天帝てんてい陛下の御命により、お迎えに上がりました。直ちに星の宮闕せいのきゅうけつへお戻りください。これ以上下界に留まると仰るなら、それは刑罰を重くするだけにございます」

 銀髪の女性が、磁器を触れ合わせたような清らかな声で告げた。オリシは彼女をわずかに睨みつけた。

「それはできないわ、アンドロ。私はある人と約束をしたの。近いうちに必ず再戦すると。だから今は帰れない」

 オリシの瞳には固い決意が宿っていた。しかし、銀髪の美女の美しい顔は眉一つ動かさず、まるで人形のように冷徹だった。

(一体どういうことだ? 天帝陛下とは誰だ? 下界とは……)

 牛彦は困惑し、一歩踏み出そうとしたが、体が金縛りにあったように動かない。ただ目の前の光景を見守るしかなかった。

「聞き入れてはいただけないようですね。では、どうなさるおつもりで? 今のあなたには、法力ほうりきなどほとんど残っていない。不本意ながら、力ずくで眠らせて連れ戻すという選択肢もございますが」

「アンドロ、星盤せばんで勝負しましょう。もし私が勝てば、猶予をちょうだい。私が負ければ、あなたの言う通り帰るわ」

「ほう。天帝陛下に唯一勝利し得る星の宮闕の主とはいえ、陛下を補佐し、古今東西の棋譜を読み解く守衛官たる私に、本当に勝てるとお思いですか?」

 アンドロは「冗談を」と言わんばかりに冷ややかに笑った。彼女は表面上は冷静だが、内心では少しばかり憤っているようだった。

「ましてや、今のその肉身からだで星盤を打てば、寿命を削り、多大な気力を費やすことになりますが」

「それがどうしたというの? それで、受けるの受けないの、守衛官殿? 怖気づいて逃げ口上を並べているわけじゃないでしょうね」

「……言葉を重ねても無駄なようですね。分かりました、その提案、受けましょう」

 銀髪の女性――アンドロが天を仰いだ。オリシもまた、夜空を注視する。

 その時、奇跡が起きた。

 満天の星々が眩い光を放ち、それぞれの星から真っ直ぐな光の線が伸び、隣り合う星と結びついた。

 星の位置は不規則なため、光は入り乱れ、いくつもの線が重なり合っている。

 だが次の瞬間、信じがたい光景が現れた。

「――星が……動いている」

 牛彦のその声に応えるかのように、無数の星々がゆっくりと移動を始め、整然とした格子状に並び変わったのだ。

 草地には銀青色の光が投影され、盤が浮かび上がった。その盤は宙に浮いているようだったが、高さも大きさも、使い慣れた碁盤と寸分違わなかった。

 そして。

 夜空に輝く「夏の大三角」をはじめとする星々が、次々と流れ星となって降り注ぐ――。

 天空を滑った流星が消えると、青い光で構築された碁笥ごけの中に、石が次々と吸い込まれていった。

 パチリ、パチリ。

 澄んだ着手音が耳を打つ。

 その碁笥は典雅で精緻を極め、まるで水色の水晶で設えられた逸品のようだった。商人たちが見れば、感嘆の声を漏らして奪い合うだろう。

 碁笥だけでなく、石もまた同じ輝きを放っていた。

 瞬く間に、二つの水晶の碁笥は石で満たされた。

 あまりの光景に、牛彦は言葉を失った。

 オリシとアンドロは盤の前に座り、互いの瞳を射抜くように見つめ合っている。

 いよいよ、盤上の争いが始まろうとしていた。

 二人は石を掴み、握り(にぎり)を始めた。それぞれが碁笥から石を取り出し……。

 そして――。

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