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第十九章 喚星軌跡

続いて門をくぐり現れたのは、久方ぶりに目にするオリシだった。

 桃色の衣を纏い、長い黒髪を背に流した彼女の顔には、生気にあふれた笑みが浮かんでいる。

「……お前もグルだったのか」

「当然でしょう。阿和あわにお願いして、内緒で通してもらったのよ」

 普通なら牛家の屋敷に部外者が易々と入れるはずもないが、オリシは阿和の手引きによって、厨房の裏道から牛彦うしひこの書斎まで辿り着いたのだ。

「帰ってくれ。今は誰とも会いたくないんだ」

 牛彦は再び俯き、目の前の書簡に没頭しようとした。すると、オリシは歩み寄り、身を屈めて彼を覗き込んだ。

「なら、こうしましょう。もし私が五本の矢のうちに、前回の二倍の距離から壺に投げ入れることができたら、私の願いを聞いてもらうわ」

 前回の二倍の距離……牛彦の記憶が確かならば、それは以前、彼女が何度も失敗した末にようやく成功させた「投壺とうこ」の遊びのことだ。

 自信に満ちたオリシの表情から察するに、万全の準備をしてきたのだろう。

 牛彦としては、外に出るのが億劫な反面、彼女が失敗して恥をかく姿を見てみたいという意地悪な気持ちも湧き、無理難題を突きつけた。

「いいだろう。だが条件を変える。三本の矢のうちに、三倍の距離から投げ入れてみろ。そうすれば何でも言うことを聞いてやる」

「男に二言はないわね。阿和、準備をお願い」

「承知いたしました、オリお嬢様!」

(……お前は『仮面将軍』を演じているんじゃなかったのか?)

 牛彦は内心で毒づいたが、従者の晴れやかな声を聞いては、これ以上水を差すこともできなかった。


準備が整い、牛彦とオリシは牛家屋敷の裏庭へと出た。

 標的となる壺は、およそ十二歩ほど離れた場所に置かれている。牛彦でさえ、入れる自信があるとは言いきれない距離だ。

 ふと思い立ち、牛彦はオリシに近寄って囁いた。

「おいオリシ、変な術を使ってイカサマなんてするなよ」

 娘の耳元に寄せると、少女特有の清らかな香りが鼻をくすぐる。牛彦は胸の鼓動を抑えながら釘を刺した。

「わ、分かってるわよ!」

 オリシは頬を赤らめて答えた。魂胆を見透かされたせいか、少し狼狽しているようだ。

「オリお嬢様、どうぞ」

 阿和が三本の矢が入った矢筒を差し出した。

 オリシは礼を言うと、すぐに始めることはせず、何かを探すように周囲を見渡した。

「どうした、怖気づいたか? さっさと始めろよ」

「急かさないで。今、精神を集中させているの」

 そう言ってオリシは何度か深呼吸をし、肩の力を抜いた。そして矢筒から一本の矢を引き抜く。

 かつて牛彦に教わった通り、羽に近い部分を軽く握り、壺の口へと吸い込まれる軌跡を脳裏に描く。

 そして――。

 彼女は力強く矢を放った。

 矢は弧を描き、壺の方へと飛んでいく。大きく方向を外さなかっただけでも、彼女の凄まじい上達が見て取れた。

 惜しむらくは、その矢は壺の手前、一歩ほどの場所に落ちた。

 つまり、失敗だ。

 オリシは僅かに唇を噛み、気を引き締め直して二本目の矢を取った。

 じっくりと狙いを定め、放たれた二本目。

 今度は一本目よりも距離が伸びたが、やはり壺に触れることはなく、その向こう側へと落ちてしまった。

 後がなくなったオリシだが、落胆した様子はない。最後の一本を引き抜いた。

 傍らで見守る阿和は思わず息を呑み、心の中で祈りを捧げている。

 牛彦は腕を組んで黙っていたが、その無表情の裏で何を考えているかは誰にも分からなかった。

 オリシが三度目の挑戦に臨む。

 狙いを定め……。

「……いけっ!」

 三本目の矢が放たれた。

 風に乗った矢は真っ直ぐに壺へと向かい、絶妙な加減で宙に優美な軌跡を描き出す――。

 カンッ。

 矢の先端が壺を叩いた。

 だが運悪く、矢は壺の縁に当たって弾き飛ばされてしまった。これでは壺の中に入るはずもない……。

 誰もがそう思った瞬間、近くの茂みから黒い影が飛び出した。

 それは、小さな生き物だった。

 羽ばたきながら、宙に跳ね上がった矢をそのくちばしで見事に捉えたのだ。

 よく見れば、背が黒く腹が白い、羽に青い紋様のある一羽の「カササギ」だった。

 カササギは力強く羽ばたき、壺の縁に降り立つと、羽を畳んだ。

 そして、嘴を緩めた。咥えられていた矢は、コロンという音を立てて壺の中に収まった。

「……私の勝ちね、牛彦」

 オリシは笑みを浮かべ、勝ち誇ったように言った。

 牛彦は鳩が豆鉄砲を食ったような顔をし、やがて呆れ果てた表情を向けた。

「……そんなの、アリかよ?」

「当然よ。変な術は使っていないもの。万物には魂が宿ると言うわ、どうやら天も私の味方をしてくれたみたいね」

 オリシは肩をすくめて自説を曲げない。

 確かに矢を投げたのは彼女自身であり、約束通り星界の術も使っていない。何より二人の決めたルールに「第三者の助けを禁じる」とはなく、ましてや助けたのが動物とあっては、文句の付けようがなかった。

「……条件は何だ?」

 不本意ながらも、牛彦は約束を守ることにした。

 すると、オリシは笑みを収めた。その顔には、慈しみと、吹っ切れたような清々しさ、そして僅かな闘志が混ざり合っていた。

「……すべてに決着をつけましょう。これが最後よ。約束したはずだわ、この方法で白黒つけるって。出し惜しみなし、全力を尽くした対局をしましょう」

 牛彦の表情が険しくなる。一度視線を落としたが、再びオリシを見据えて言った。

「……『星盤対決』なんて、あんなことはもう御免だぞ」

 それを聞き、オリシはふっと微笑んだ。

「安心して。あんなものは、私が全部返させておいたわ。それに、あなたとの勝負に『星』の介入なんて、私が許さないもの」

 言い終えると、オリシは自ら屋敷の中へと歩き出した。先ほどのカササギも彼女の肩に止まっている。

 牛彦には、彼女の言葉の真意が分からなかった。

 だが唯一確かなのは、自分が避けては通れない、最後の戦いに臨もうとしていることだった。



広間の卓には、碁盤と碁石、そして時間を計るための線香が用意された。

 牛彦とオリシが向かい合って座り、阿和ともう一人の従者が傍らで控え、線香の番を任された。

「……おい、こいつはどうにかならないのか?」

 準備が整ったところで、阿和が困惑と不満の混じった声を上げた。

 彼が目を向けると、自分の頭の上に。

 先ほどのカササギがどっしりと居座り、何やら得意げなポーズを決めていたのだ。阿和としてはあまり気分が良くない。何より、正直に言って、こいつは頭に乗せるには少し重すぎる――。

「あだだっ! ちょっと! おい! 悪戯するなよ!」

 そう思った途端、カササギに頭を数回突かれた。阿和は必死に首を振るが、そいつはどうしても頭から離れようとしなかった。

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