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第十四章 星界の主

牛彦うしひこはひた走りに走り、ついに星の宮闕せいのきゅうけつの門前へと辿り着いた。

「何奴だ! 宮門重地に何ゆえ立ち入る!」

 門衛の兵たちが大声を張り上げ、長槍を突き出して立ち塞がる。その刃先は、門の前で立ち止まった牛彦へと向けられた。

「門番の旦那、私は牛彦という者だ。人探しに来た。ここにオリシという名の娘はいないか?」

 牛彦が拱手きょうしゅして礼を執ると、二人の門衛は顔を見合わせ、不快げな口調で言い放った。

「俗人が、我らが第七王女殿下の御名を呼び捨てにするとは。言語道断、不敬千万なり。者共、これ以上語るに及ばん。こやつを天牢てんろうへ連行せよ。沙汰を待つ身として繋いでおけ」

 兵たちがじりじりと牛彦に詰め寄る。

「待て、実は折り入って申し上げたい要件があるのだ」

「要件だと?」

「下界の情勢に関わる火急の知らせだ。上の方へ取り次いではもらえまいか」

「……ならば、一度こちらへ来い。下界に関することなれば、我らの一存では決められぬ」

 先頭の門衛がそう告げると、他の兵たちもようやく武器を収めた。

 牛彦は胸を撫でおろした。

 とっさの機転が利かなければ、今頃は牢の中だっただろう。

 しかし、門衛たちも警戒を解いたわけではなかった。彼らは牛彦を囲むようにして、ある広間へと連れて行き、一時待機を命じた。

 数分と経たぬうちに、一人の侍従が慌ただしく駆け寄ってきた。

「どうした、何事だ?」

 門衛が問うと、伝令の侍従が息を切らして答えた。

「て、天帝てんてい陛下より御嘉納ごかのうあり! 陛下が自ら、この者を召し出されるとのことだ」

 あの方、天帝陛下が直々にまみえるとは。牛彦というこの若者は、一体何者なのだ。

 門衛の長は顎に手を当て、怪訝そうに考え込んだ。

「……お連れしろ」

 だが、陛下の命は絶対である。彼は部下たちに命じ、牛彦を先導させた。

 それを受け、牛彦もまた、気を引き締め直した。



朝堂ちょうどうの上座には、一人の男が端座し、圧倒的な威厳を放っていた。

 黒の中に青みを帯びた夜色の星衣を纏い、その模様は本物の星々のように瞬いている。頭上に戴いた王冠は、彼の至高の地位を象徴していた。

 天帝。

 星の宮闕の主であり、星界すべての支配者。彼が放つ覇気は四方を圧していた。

 その眼光だけで常人ならば腰を抜かすほどであり、側近として仕えるアンドロでさえ、数千年の月日を経てもなお、その威圧感に背筋が凍る思いをすることがある。

 だが、彼女はそうした感情を面に出さないことに慣れていた。そうでなければ、己の職務を全うすることなどできない。

 半炷香(はんしゅこう/約一刻)前、何者かが星の宮闕に侵入したとの報を受け、天帝は急遽、重臣たちを集めて謁見の場を設けたのだ。

 通常、銀河を越えてやってくる者は近隣の城からの急報を携えているのが常であり、よほどの事態でない限り天帝が直々に召し出すことはない。

 数千年の歴史の中でも、そのような例は片手で数えるほどしかないのだ。

 しかし、今回は異例だった。相手が「下界の情勢を握っている」と称したことも一因だが、それ以上に重要なことは――。

「……そなたが牛彦と名乗る、下界から来た小童こわっぱか。ちんが問う。それはまことか?」

 その通りだ。アンドロは、つい先日までオリシと関わっていたあの平凡な青年が、天を隔てる壁を越え、星の上に足を踏み入れたことが信じられなかった。

「天帝陛下。私、牛彦、確かに下界より参りました」

 星界の主の問いに対し、青年は平伏しながらも、朗々とした声で答えた。

 漆黒の衣を纏ったその容姿は端正で、風雅な貴公子のおもむきを湛えている。

 下界の礼法は星の宮闕とは異なるはずだが、事前に侍従たちが軽く注意を与えただけで、彼はまるで最初からこの世界の住人であったかのように、完璧な所作で礼を尽くしていた。

「まずは、そなたが携えてきた知らせを聞こう」

「はっ。私がここへ辿り着けたのは、土中より『星碁せいき』を掘り起こしたため。それによって天へと続く光の橋が架かりました。なぜ星碁がそこにあったのかは存じ上げませんが、両界を繋ぐ道が現れたことは、陛下にとっても看過できぬ問題かと存じます」

 天空を国境に例えるならば、星碁による橋は国境を自由に越えられる道も同然。支配者としては、確かに捨て置けぬ懸念材料であった。

 もっとも、アンドロはこれが偶然ではないと直感していた。あの星碁は、誰かが意図的に残した「道標」に違いない。

 御座にある天帝もそれを察したのか、深く頷いた。

「……相分かった。その件については、朕がしかるべく処置しよう。では本題だ。そなたは、何ゆえここへ来た?」

 そうだ。先の報告が謁見のための口実であるならば、彼が本当に語りたいことは別にあるはずだ。

 天帝の許しを受け、牛彦は顔を上げて言った。

「私は、第七王女殿下と棋盤の上での約束を交わしました。しかし、約定の当日、殿下は現れませんでした。……僭越ながら、殿下がいま何処におられ、無事であるのか、お教え願いたい」

 その言葉は確固たる意志に満ち、眼差しは揺るぎなかった。

 しかし、その振る舞いが天帝の逆鱗げきりんに触れた。

「そなたのような凡夫が関わったゆえに、あの子はあのような難儀に遭うたのだ。どの面を下げてここへ来た!」

 天帝が机を叩き、凄まじい音が響き渡る。居並ぶ重臣たちは、何事かと一様に驚愕した。

(知らぬ間に、それほど重大な事態が起きていたのか……)

 誰もがそう疑念を抱いたその時、アンドロが一歩前に出て、恭しく告げた。

「陛下、その件につきまして、私アンドロより申し上げたきことがございます」

「……申せ」

 守衛官の介入を受け、天帝は辛うじて怒りを抑えて答えた。アンドロは言葉を紡ぐ。

「恐れながら陛下。第七王女殿下の下界行きは、陛下の命により、密かに情勢を探るためのものでございました。任務を果たし戻られました今、この者との約束があったとはいえ、御身の平癒のため、しばしの休息が必要にございます。陛下の愛娘を想う御心は察するに余りありますが、朝堂の諸臣を騒ぎ立てるまでもありますまい」

 アンドロのこの言葉は、重臣たちに事の経緯をつくろって説明すると同時に、王女が未だ目覚めぬことを公にすべきではないと天帝に釘を刺し、同時に牛彦へ状況を伝えるためでもあった。

「……」

 天帝はしばし沈黙し、やがて重々しく口を開いた。

「……けいの申す通りだ。牛彦よ、王女は今、数日の静養を必要としている。朕も無慈悲な主ではない。遠路はるばる訪れた客人を、主として持て成そうではないか。どうだ、朕と一局打たぬか」

「陛下の仰せ、謹んでお受けいたします。過分なるお心遣い、痛み入ります」

 牛彦は深く頭を下げて答えた。この申し出を断るという選択肢は、彼にはなかった。


その後、天帝は群臣を退がらせ、アンドロに対局の準備を命じた。

 彼らが移動したのは、天帝殿の前にある「星のせいのみゅう」。通常は貴客をもてなすための場所だが、アンドロは知っていた。ここが今、残酷な試練の場と化そうとしていることを。

 彼らが行うのは、単なる囲碁ではない。

星盤せばん対決」。

 星碁を用い、星盤の上で火花を散らすそれは、知略、肉体、そして精神のすべてを削る過酷な試練だ。

 星碁の打ち方に通じたオリシやアンドロ、そして天帝陛下はともかく、牛彦にとっては、己の命を葬り去りかねない危険な勝負となる。

 星の宮は、広大な庭園の中に建つ吹き抜けの建築物だった。

 壁には星の宝石が埋め込まれ、幽玄な輝きを放っている。

 柱と柱の間からは、庭園の奇花異草と共に、遠くでうねる橙色の星雲を望むことができた。

 しかし、対座した二人に、その絶景を愛でる余裕はなかった。

 星石せいせきで造られた深い紺色の卓上には、すでに星盤が据えられ、白黒の星碁が収められた薄青色の水晶の碁笥ごけが置かれている。その傍らには、対局時間を計る二つの砂時計。自分の番になると星の砂が零れ落ち、相手の番になれば自動的に止まる仕組みだ。

 準備は、すべて整った。

「……それでは、お始めください」

 アンドロの澄んだ声が星の宮に響き渡る。

 パチリ――!

 刹那、星界の主が、最初の一石を盤上に打ち下ろした。

 運命の対決が、ここに幕を開けた。

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