第7話 黄金の玉座と、忍び寄る影 ~産業スパイは水に流して~
「……強すぎる」
工房の作業台の前で、私は腕組みをして唸った。
目の前では、試作型の「洗浄ノズル」が水を噴射している。
その勢いは凄まじく、実験台として置いた木の板を見事に貫通していた。
「これじゃあ、国王陛下の尻が吹き飛ぶ。ウォーターカッターを作ってるんじゃないんだぞ」
「……調整ミス。水圧魔石の出力が高すぎた」
隣でシルフィがメモを取る。彼女は徹夜続きで目が据わっているが、その手は止まらない。
我々が目指しているのは、対・国王陛下用決戦兵器……もとい、『ロイヤル・ウォシュレット・マークⅠ』だ。
陛下の患部はデリケートだ。
求められるのは、赤子の肌を撫でるような優しさと、確実に汚れを落とす洗浄力。そして何より、患部を癒やす「マッサージ機能」の実装である。
「水流にパルス(波)を持たせるんだ。強、弱、強、弱……というリズムで、血行を促進する。あと温風乾燥の温度設定も重要だ。熱すぎれば火傷するし、ぬるすぎれば風邪をひく」
「了解。風魔法の回路にサーモスタット(温度感知)を組み込む。……それと、便座の素材。金箔塗りにしたけど、熱伝導率が変わったから再計算が必要」
「ああ、頼む。見た目は派手じゃないと王族は喜ばないからな」
私たちは狂っていた。
傍から見れば、便器に向かって真剣に議論する変態集団だ。
だが、この研究に国の命運がかかっているのだ。
「……あー、疲れた。今日はもう寝るか」
深夜二時。
限界を迎えた私は、あくびを噛み殺しながら立ち上がった。
「シルフィも休めよ。根を詰めすぎると良い仕事ができない」
「……ん。あと少し、配線のチェックだけしたら寝る」
「あまり無理はするなよ。……ああ、そうだ」
私は帰り際、工房の入り口にあるスイッチ(魔石)を操作した。
「『夜間警備モード』をオンにしておく。最近、ネズミが多いからな」
「了解。おやすみ、マスター」
私は屋敷の寝室へと戻り、泥のように眠りについた。
その数時間後。
工房で「悲劇」が起こることなど、露知らずに。
***
時刻は丑三つ時。
ローゼンバーグ家の広大な敷地に、黒い影が数名、忍び込んでいた。
彼らは隣国から雇われた産業スパイ……ではなく、王都の悪徳商会「ゴロンド商会」が差し向けた傭兵部隊「闇の牙」であった。
ゴロンド商会は、高級香水や粗悪な羊皮紙を独占的に販売し、巨万の富を得ていた。しかし最近、ローゼンバーグ領から流れてくる「臭わないトイレ」や「極上の紙」の噂を聞き、危機感を抱いたのだ。
「いいか、野郎ども」
リーダーの男が、手信号で部下たちに伝える。
彼らは歴戦のプロだ。音もなく塀を越え、見回りの騎士の死角を完璧についている。
「狙いは工房だ。中にある『白い陶器』と『設計図』を奪え。邪魔な職人がいたら殺しても構わん」
彼らの目的は技術の奪取、あるいは破壊。
この新技術が広まれば、自分たちの商売があがったりになるからだ。
工房の裏口にたどり着いた彼らは、ピッキングで鍵を開けようとした。
だが、鍵穴が見当たらない。
代わりに、平らな金属板があるだけだ。
「なんだこれは? 魔法鍵か?」
リーダーが金属板に触れた、その瞬間だった。
『ピピッ。認証エラー。未登録の生体反応を検知しました』
無機質な合成音声(私の声を加工したもの)が響いた。
「なっ!?」
『警告。ただちに退去してください。繰り返します、ただちに退去してください。退去しない場合、排除モードに移行します』
「チッ、罠か! 構わん、扉を破れ!」
リーダーが剣を抜き、扉を斬りつけようとした。
しかし、それより早く、工房の軒下に設置されていた「それ」が作動した。
カッ!!!!
「うぐあぁぁぁっ!?」
強烈な閃光が炸裂した。
私が開発した『自動感応式照明(人感センサーライト)』だ。
ただし、防犯効果を高めるために光量を「直視したら目が焼けるレベル」に設定してある。いわゆるフラッシュバンだ。
「目が! 目があぁぁ!」
傭兵たちが目を押さえてのたうち回る。
だが、私のセキュリティ(おもてなし)はこれで終わりではない。
『侵入者を検知。衛生管理プロトコル始動。対象を「汚れ」と認識。洗浄を開始します』
工房の周囲の地面から、スプリンクラーのようなノズルがせり上がってきた。
本来は、庭の芝生に水を撒くための装置だ。
だが、私が「水圧が弱いと雑草が抜けない」という理由で、高圧洗浄機レベルに改造してしまったものである。
プシュッ……ドババババババババッ!!!
「ぐ、ぎゃああああああ!?」
超高圧の水流が、傭兵たちを襲った。
それはただの水ではない。岩をも削る水圧カッターの嵐だ。
革鎧が裂け、服が弾け飛び、彼らは物理的に「洗浄」されていく。
「退却! 退却だぁぁ!」
リーダーが叫ぶが、遅い。
逃げようとした彼らの足元には、私が「自動掃除機」のつもりで作った、自走式のタワシ型ゴーレムたちが群がっていた。
『ゴミを発見。除去します。ゴシゴシゴシゴシ!』
「痛い! やめろ! 皮が剥ける! 俺たちはゴミじゃない!」
高速回転するミスリル製のタワシに足を擦られ、上からは高圧洗浄機で撃たれ、目は閃光で焼かれる。
歴戦の傭兵部隊「闇の牙」は、わずか数分で「清潔な裸体」となって気絶した。
***
翌朝。
私が工房に行くと、そこにはパンツ一丁で白目を剥いて倒れている男たちの山と、それを囲む騎士たちの姿があった。
「……なんだこれ」
私は呆然と呟いた。
「若様! ご無事ですか!」
ギュンターが飛んできた。
「未明に賊が侵入したようです! しかし、若様が仕掛けておいた『自動迎撃魔法陣』のおかげで、一網打尽にできました!」
ギュンターは、綺麗に洗濯(?)されてツルツルになった賊たちを見下ろし、戦慄の表情を浮かべた。
「なんと恐ろしい……。外傷は少ないのに、精神が完全に破壊されている。しかも、彼らの体からは汚れが一切消え失せ、生まれたてのように清潔になっている……。これが若様の慈悲、いえ、『浄化』の力ですか……」
「いや、ただの防犯ブザーとスプリンクラーなんだが」
私は首を傾げた。
ちょっと出力設定を間違えたかもしれない。「強」になっていたかな。
そこへ、工房からシルフィが出てきた。
彼女は眠そうな目をこすりながら、倒れている男たちを一瞥した。
「……うるさかった。作業の邪魔」
「すまん。ネズミが出たようだ」
「ネズミにしては大きい。……でも、良いデータが取れた」
シルフィは私の袖を引いた。
「あの『回転タワシ』の動き、マッサージ機能に応用できるかも」
「えっ」
「優しくすれば、極上の揉み心地になる。採用」
「……採用!」
転んでもただでは起きない。それが技術屋だ。
こうして、襲撃者たちの尊い犠牲(?)により、ロイヤル・ウォシュレットのマッサージ機能は完成したのである。
捕縛された賊たちは、騎士団の尋問に対し、「水が……水が来るぅぅ!」「もう綺麗です! 許してください!」と泣き叫び、雇い主であるゴロンド商会の名をあっさり吐いた。
結果、商会は取り潰しとなり、その財産はすべて我が家の開発費として没収された。
王の行幸を前に、邪魔者は消え、資金も潤沢になった。
もはや敵なしだ。
「よし、完成だ」
数日後。
工房の中央に、神々しく輝く黄金の便器が鎮座していた。
あらゆる贅を尽くし、最高の技術を詰め込んだ、至高の玉座。
あとは、主の到着を待つのみだ。




