第12話 王都大博覧会と、わがまま皇女の襲来 ~そのハンバーガーは国境を越える~
王都のメインストリートは、かつてない熱気に包まれていた。
王家主催の「建国記念大博覧会」。
国内外の商会や貴族が、自慢の品を展示する一大イベントだ。
だが、民衆の注目は一つのパビリオンに集中していた。
ローゼンバーグ公爵家の展示ブースではない。
その会場に向かって、優雅に歩を進める「巨大な銀色の毛玉」にである。
「ひぃぃッ! 魔物だ!」
「で、でかい! あれは伝説のフェンリルじゃないか!?」
「上に誰か乗ってるぞ!?」
悲鳴と歓声が交差する中、私はポチ(フェンリル)の背中で優雅に足を組んでいた。
「……快適だ」
私は思わず呟いた。
ポチの背中は最高だ。
フカフカの毛皮が天然のクッションとなり、強靭な足腰が生み出す振動は、高級セダンのエアサスペンションすら凌駕する。
王都の石畳の凹凸など、存在しないも同然だ。
「グルルゥ……」
「よしよし、ポチ。人混みでも暴れないで偉いな」
私はポチの首元を撫でてやった。
ポチは嬉しそうに目を細め、尻尾を振る。その風圧で、沿道の屋台のテントが飛びそうになるのはご愛敬だ。
会場に到着すると、そこには既に長蛇の列ができていた。
看板にはこう書かれている。
【ローゼンバーグ家特設展示場 ~未来の暮らし、ここにあり~】
目玉は三つ。
一つ目は、体験コーナー「黄金のトイレ」。
一度座れば二度と立ち上がりたくなくなる魔性の椅子として、既に予約は三ヶ月待ちだ。
二つ目は、実演販売「揚げたて唐揚げのマヨネーズ添え」。
あの独特の匂いが会場中に充満し、人々をゾンビのように引き寄せている。
そして三つ目は、私がポチに乗って登場するパレードだ。
「アレクセイ様ー! こっち向いてー!」
「きゃー! 水の賢者様よ!」
「若様! マヨネーズ増量してください!」
黄色い声援が飛ぶ。
いつの間にか、私はアイドル扱いされていた。
やれやれ、私はただ、引きこもってゲームがしたいだけなのだが。
博覧会は順調だった。
国王陛下も「余の尻の守護者よ!」と満面の笑みで視察に来てくれたし、父上は唐揚げの売り上げを見て「これで城がもう一つ建つぞ!」と笑いが止まらない様子だ。
だが、平穏な時間は長くは続かなかった。
昼過ぎのことだ。
会場の空気が一変した。
「どけ! 道を空けよ! ガルディア帝国、第二皇女セシリア殿下のお通りだ!」
威圧的な怒号と共に、重装歩兵の一団が強引に人混みを割って入ってきた。
ガルディア帝国。
我が国の北に位置する軍事大国だ。
その中心を歩くのは、真紅のドレスを身に纏った、燃えるような赤髪の少女だった。
年齢は私と同じくらいか。
美少女だが、その瞳には「この世の全ては私のもの」と言わんばかりの傲慢さが宿っている。
彼女は私のブースの前で足を止め、扇子で鼻を覆った。
「……何かしら、この下品な匂いは」
彼女は唐揚げの匂いに顔をしかめた。
そして、ポチの背中にいる私を見上げ、ビシッと指を差した。
「そこの男! 降りなさい!」
「……私ですか?」
「そうよ! 貴方、名を何と言うの?」
「アレクセイ・フォン・ローゼンバーグですが」
「そう。覚えたわ」
セシリア皇女は不敵に笑った。
「アレクセイ。貴方のその魔獣、気に入ったわ。わらわに献上しなさい」
「は?」
「それと、あの『水が出る椅子』と『冷たい箱』。あれも全て帝国のものにするわ。技術者ごと連れて帰りなさい」
周囲が凍りついた。
それは事実上の拉致予告だ。
護衛のギュンターが剣に手をかける。帝国の兵士たちも槍を構える。
一触即発の空気だ。
「お断りします」
私は即答した。
「ポチは家族ですし、私の発明品は私が快適に過ごすためのものです。他国へ行くつもりはありません」
「……ふうん。わらわに逆らうの?」
セシリア皇女の目が据わった。
「帝国に逆らえばどうなるか、分かっていて? この場を灰にすることもできるのよ?」
彼女の背後で、宮廷魔導師たちが杖を構える。
脅しではない。彼女は本気だ。
ワガママで有名な皇女とは聞いていたが、ここまでとは。
「グルルルル……ッ!」
ポチが低く唸り声を上げた。
主である私への敵意を感知し、戦闘モードに入ろうとしている。
マズい。ここでポチが暴れれば、皇女どころか王都が消し飛ぶ。
(……武力衝突は避けたい。私の平和な引きこもりライフが遠のく)
ならば、やることは一つだ。
私はポチの背中から飛び降り、皇女の前に立った。
「殿下。殺伐とした話はやめましょう」
「命乞い? 遅いわよ」
「いいえ。お腹が空いているのではありませんか?」
「は?」
皇女が呆気にとられる。
私は懐から、あるものを取り出した。
先ほど工房で焼き上がったばかりの「生食パン」で作った、特製メニューだ。
二枚のふわふわパンの間に、肉汁たっぷりのハンバーグ、とろけるチーズ、シャキシャキのレタス、そして特製マヨネーズソースを挟み込んだもの。
「ローゼンバーグ流、携帯用宮廷料理。『ハンバーガー』です」
「ハンバーガー……? 何よ、その汚らしいパンは」
「毒見は私が済ませています。一度、召し上がってみてください。もしお気に召さなければ、私の首でもポチでも好きになさるといい」
私はハンバーガーを差し出した。
皇女は疑わしげにそれを見つめたが、漂ってくる暴力的なまでの「良い匂い」に、喉をゴクリと鳴らした。
「……いいわ。食べてあげる。その代わり、不味かったら即刻処刑よ」
彼女はハンバーガーを手に取り、小さな口で端を齧った。
ガブッ。
パンが沈み込む。
歯がパテに到達した瞬間、肉汁が噴水のように溢れ出した。
「んぐっ!?」
皇女の目が大きく見開かれた。
咀嚼する。
パンの甘み。肉の旨味。チーズの塩気。
そして、それらをまとめ上げる酸味の効いたマヨネーズ。
口の中でオーケストラが演奏を始めたような衝撃。
「な……な……っ!?」
彼女の手が震え始めた。
二口目。三口目。
止まらない。
扇子を放り出し、両手でハンバーガーを掴んで貪り食う。
口の周りにソースがつくのも構わず、一心不乱に。
「う、うまい! 何これ! 美味しい! パンが消える! 肉が溶ける!」
「殿下!? はしたのうございます!」
帝国の兵士たちが慌てるが、彼女の耳には届いていない。
あっという間に完食し、彼女は私の服を掴んだ。
「……もう一個」
「はい?」
「もう一個よこせと言っているの! あと、喉が渇いたわ! あのシュワシュワする水も持ってきて!」
完全に堕ちた。
チョロい。ポチと同じくらいチョロい。
私はニッコリと微笑み、追加のバーガーとコーラ(試作品)を渡した。
彼女はそれを幸せそうに平らげ、最後に「プハァーッ!」と親父のようなゲップをした。
そして、満足げな顔で私を見た。
「……アレクセイ」
「はい」
「貴方の処刑は取り消すわ」
「それは重畳」
「その代わり」
彼女は私の腕に抱きついた。
「わらわは、この国に『留学』することにするわ」
「……はい?」
「貴方の屋敷に住み込んで、この料理と、あのフカフカの狼と、トイレの研究をしてあげる。光栄に思いなさい」
周囲が再び凍りついた。
帝国の皇女が、人質……ではなく、居候宣言をしたのだ。
「殿下!? 本気ですか!? 皇帝陛下になんと報告すれば!」
「うるさい! 父上には『重要な外交機密を発見したため、潜入調査を行う』とでも言っておきなさい! わらわはもう、あの帝国の堅苦しい食事には戻れないのよ!」
彼女はポチの腹にダイブし、「あーん、極楽じゃー」と叫んだ。
ポチも満更でもなさそうに尻尾を振っている。
私は天を仰いだ。
国王、フェンリルに続き、今度は帝国の皇女まで。
私の屋敷は、いつから「問題児収容施設」になったのだ。
「……まあ、いいか」
私は溜息をついた。
彼女の持つ帝国の「魔導技術」は魅力的だ。
それに、金払いは良さそうだ。
エアコン開発の資金源として、精々利用させてもらおう。
「歓迎しますよ、セシリア殿下。ただし、我が家では『働かざる者食うべからず』です。マヨネーズの撹拌作業くらいは手伝ってもらいますからね」
「なっ、無礼者! ……で、でも、それを手伝えば、またハンバーガーが食べられるの?」
「ええ、ポテト付きで」
「……やるわ。撹拌でもなんでもやってやるわ!」
こうして、王都大博覧会は、「ローゼンバーグ家のハンバーガーが、帝国の侵略を食い止めた」という伝説と共に幕を閉じた。
私の周りには、また一人、カロリーの虜となった権力者が増えたのだった。




