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第10話 カロリーの悪魔と、喉で弾ける暴力 ~マヨネーズは飲み物ですか?~


「……味がない」

夕食の席で、私は茹でた野菜をフォークで突き刺しながら呟いた。

今日のメインディッシュは、塩茹でしたブロッコリーと、パサパサの白身魚のソテーだ。

健康的かもしれない。だが、私の舌は現代日本の「濃い味」を記憶している。

旨味うまみ、コク、そして脂。それらが圧倒的に不足しているのだ。

「父上、我が家にはもっとこう、パンチの効いたソースはないのですか?」

「パンチ? ソースならあるぞ。酢と塩だ」

父、ガルディス公爵が平然と答える。

違う。そうじゃない。私が求めているのは、脳髄に直接訴えかけてくるような、背徳的な味だ。

「……作ろう」

私は残りのブロッコリーを水で流し込み、決意した。

冷蔵庫のおかげで、生卵の保存ができるようになった今なら、あれが作れる。

人類が生み出した、最も罪深いソース。マヨネーズだ。

***

夜の工房。

私とシルフィは、ボウルに入った黄色い液体と睨めっこしていた。

「材料は揃った。新鮮な卵黄、酢、塩、そしてたっぷりの植物油だ」

「……油、多すぎない? これ全部入れるの?」

シルフィがビーカーに入った大量の油を見て、若干引いている。

「ああ、全部だ。マヨネーズとは、言ってみれば『食べる油』だからな」

「……うわぁ」

彼女は露骨に嫌な顔をした。エルフは自然食志向らしい。だが、すぐにその価値観を破壊してやる。

「問題は『乳化』だ。これらを完全に混ぜ合わせるには、人力では腕が死ぬ。そこでだ」

私は設計図を取り出した。

モーター(風属性の回転魔導具)の先端に、ステンレス製の泡立て器を取り付けたもの。

『魔導ハンドミキサー』だ。

「シルフィ、こいつの回転数を毎分3000回転で安定させろ」

「……了解。高速回転、得意」

シルフィが魔力を流すと、ミキサーがキュイイイイイン!と甲高い音を立てて回転し始めた。

「投入するぞ!」

私は少しずつ油を垂らしながら、ミキサーを撹拌させる。

液体が白濁し、とろみがつき始める。

酢の酸っぱい匂いが、まろやかな香りに変わっていく。

「おお……固まってきた」

「……変な匂いじゃない。いい匂い」

数分後。ボウルの中には、クリーム色のねっとりとした物体が完成していた。

私はスプーンでそれをすくい、シルフィの口元へ差し出した。

「舐めてみろ」

「……毒見?」

「いいから」

シルフィは警戒しながら、ちょろりと舌を出して舐めた。

「……ん」

彼女の動きが止まった。

「……どうだ?」

「……もう一回」

私はもう一度スプーンを差し出す。今度はガブリとスプーンごとくわえた。

「……濃い。酸っぱいけど、甘い。とろとろしてる。……何これ、美味しい」

シルフィの瞳孔が開いた。

どうやら、エルフの味覚もカロリーには勝てないらしい。

「これがマヨネーズだ。どんな不味い野菜も、これをつければ御馳走に変わる魔法のソースだ」

「……野菜スティック持ってくる」

シルフィが厨房へダッシュした。

よし、マヨネーズは成功だ。次は飲み物だ。

「さて、次は『炭酸水』だ」

マヨネーズで脂っこくなった口を、爽やかに洗い流す刺激が欲しい。

原理は簡単だ。水に二酸化炭素を溶かせばいい。

「シルフィ、戻ったら仕事だ。今度は『空気の圧縮』だぞ」

「……野菜食べてから」

彼女はキュウリを齧りながら戻ってきた。口の周りがマヨネーズだらけだ。

本来なら重曹とクエン酸で化学反応を起こすところだが、不純物が混じるのは嫌だ。

私はシルフィに、空気中から二酸化炭素(燃焼後の空気などから分離)を抽出させ、それを高圧の風魔法で水に無理やり押し込む方法をとった。

「水圧結界、展開。ガス注入……3、2、1、注入!」

ボシュッ!

密閉されたガラス瓶の中で、水が激しく泡立った。

「……爆発する?」

「しない。馴染ませるんだ」

数分後。瓶の蓋を開けると、プシュッという軽快な音がした。

グラスに注ぐと、シュワシュワと美しい泡が立ち上る。

私はそれを一気に煽った。

ゴキュッ、ゴキュッ……

「……っくぅぅ~!!」

喉を刺す刺激。弾ける泡。

これだ。この喉越しだ。

まだ砂糖も香料もない、ただの炭酸水だが、ぬるい水ばかり飲んでいた私には聖水に等しい。

「マスター、それ痛そう」

「痛いのが美味いんだ。お前も飲んでみるか?」

「……遠慮しとく」

シルフィは炭酸の刺激は苦手らしい。お子様め。

***

翌日の夕食。

私は厨房をジャックし、ある料理を作らせた。

冷蔵庫で保存しておいた鶏肉に、小麦粉をまぶして油で揚げた「唐揚げ」。

そして、昨夜作った大量のマヨネーズ。

飲み物は、キンキンに冷やした強炭酸水。

「なんだこれは、アレクセイ」

食卓に着いた父、ガルディス公爵が、山盛りの茶色い物体(唐揚げ)を見て眉をひそめた。

「鶏肉の揚げ物です、父上。ですが、ただの揚げ物ではありません」

私は皿の脇に添えられた、クリーム色のソースを指差した。

「この『特製ソース』をつけて召し上がってください」

「ふむ……」

父は半信半疑で、唐揚げにたっぷりとマヨネーズをつけ、口に放り込んだ。

カリッ。ジュワッ。

衣の食感と、鶏肉の肉汁。

そして、それらを包み込むマヨネーズの濃厚なコクと酸味。

油×油。

カロリーの掛け算が、口の中でビッグバンを起こす。

「!!!」

父の目がカッと見開かれた。

「な……なんだこれはァァァッ!?」

父が叫んだ。

「濃厚だ! バターよりも濃く、しかし酢の酸味で後味は爽やか! パサパサしがちな鶏肉が、まるで最上級の霜降り肉のようにジューシーに感じる!」

「そこで、この水をどうぞ」

私はすかさず炭酸水を差し出す。

父はそれを一気に煽った。

「ぐほっ!? ……なんだ!? 舌が痺れる! 口の中で何かが暴れているぞ!?」

「飲み込んでください」

「ぬぐぐ……ぷはぁっ!!」

父はグラスを叩きつけた。

そして、呆然と呟いた。

「……消えた」

「はい?」

「口の中に残っていた油っぽさが、一瞬で消え失せた! 爽快だ! まるで嵐が過ぎ去った後の青空のようだ!」

父の手が止まらない。

唐揚げを食う。マヨネーズをつける。炭酸水で流し込む。

無限ループだ。

「美味い! 美味いぞアレクセイ! これは悪魔の食べ物だ!」

周囲のメイドや執事たちも、ゴクリと喉を鳴らして見ている。

この世界の人間は、慢性的なカロリー不足だ。本能が脂質を求めているのだ。

「……若様」

試食を許されたギュンターが、涙を流しながら唐揚げを貪っていた。

「このソース……『マヨネーズ』と言いましたな。これは革命です」

「またか、ギュンター」

「はい! 卵と油と酢。どれも安価な材料です。それなのに、この爆発的な腹持ちの良さ! これを兵士の携帯食に採用すれば、我が軍の兵士は疲れを知らぬ剛腕を手に入れるでしょう!」

確かに。カロリーだけで言えば最強のレーションだ。

「それに、このシュワシュワする水! 飲むと目が覚め、気力が湧いてきます! これはもしや、疲労回復のポーションの一種では!?」

「ただの水とガスだが……まあ、気分転換にはなるな」

「素晴らしい! 戦場の兵士に『マヨネーズ』と『炭酸水』を与えれば、彼らは興奮状態バーサーカーとなり、敵を粉砕するでしょう!」

やめてくれ。

私のジャンクフードセットを、ドーピングアイテム扱いするのは。

だが、父もそれに乗っかった。

「採用だ! ただちにこのソースを量産せよ! 我が領の特産品として売り出すぞ! 名前は……そうだな、『ローゼンバーグの白き奇跡』だ!」

ダサい。

ネーミングセンスが壊滅的だ。普通にマヨネーズでいい。

「あと、アレクセイ。この炭酸水だが……」

父が真剣な顔で言った。

「これに、果実の汁や、砂糖を混ぜたら、もっと美味くなるのではないか?」

お。

さすが父上。鋭い。

「その通りです。ブドウやレモン、香草などを混ぜれば、極上の嗜好品になります」

「作れ! 今すぐ作れ! 余は甘いのが飲みたい!」

「承知しました。……(よし、これでコーラ開発の予算が降りた)」

私は心の中でガッツポーズをした。

マヨネーズによるカロリー支配と、炭酸飲料による糖分支配。

この領地の民が生活習慣病にならないか少し心配だが、まあ、魔物と戦って運動しているから大丈夫だろう。

こうして、ローゼンバーグ領は「美食の都」としても名を馳せることになる。

だが、それは同時に、新たな火種を生むことにもなった。

「マヨネーズ」のあまりの美味さに、野菜嫌いの子供たちが野菜を食べるようになり、親たちが歓喜する一方、隣国の商人がそのレシピを盗もうと動き出したのだ。

だが、安心してほしい。

うちの工房には、あの「殺人ルンバ」と「失明ライト」がある。

レシピ泥棒など、マヨネーズの原料(油)にしてやる勢いで返り討ちにしてやる。

「さあシルフィ、次は『パン』だ。硬い黒パンはもう飽きた。歯がいらないほど柔らかい『高級生食パン』を作るぞ」

「……ふわふわ。楽しみ」

私の食卓革命は、まだ始まったばかりだ。


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