1:午前七時の静寂
西暦2075年8月6日、午前7時00分00秒。
カイの意識は、設定された時刻に寸分違わず浮上した。アラーム音はない。体内ナノマシンが、脳の覚醒を司る領域に直接働きかけた結果だ。急激な覚醒による不快感はなく、まるでスイッチを入れたかのように、思考はクリアだった。
室内は静寂に包まれている。防音壁に吸収され、外の音は一切届かない。彼が住む高機能アパートメントは、全ての住人に等しく、完璧な静けさを提供する。
壁面の一部が滑るように開き、自動調理器が朝食を差し出す。銀色のトレイの上には、栄養ペーストが充填されたチューブと、一本の合成プロテインバー。今日のタンパク質配合率が、最適値から0.01%だけズレていることにカイは気づいたが、特に気にはしなかった。彼はそれを無言で受け取り、テーブルに着く。味はない。ただ、身体というシステムを維持するための燃料として、黙々と摂取するだけだ。
食事中、彼の視線の先にある壁面ディスプレイが、自動で起動した。柔らかな光と共に、精巧なホログラムのアナウンサーが映し出される。
「おはようございます。8月6日、水曜日のニュースです。昨夜23時14分頃、首都高速7号線、第4セクター分岐点にて、自動運転車輌を含む多重衝突事象が発生しました。この事故による負傷者1名は救助され、治療を受けています。なお、生命活動停止者は4名でした」
その口調は、昨日の株価の終値や、明日の天気予報を伝えるのと、全く同じ温度だった。カイは、その映像を一瞥したが、何の反応も示さない。生命活動停止者、4名。その数字は、彼にとって昨日の最高気温と同じ、ただの情報だった。
食事を終え、身支度を整え、クローゼットから機能性を最優先した公社の制服を取り出す。ダークグレーの、主張のないデザイン。それに袖を通すと、彼は完全に「公社の職員カイ」という記号になった。彼は襟元を指で軽く弾いた。思考を仕事用のモードに切り替える、無意識の合図だった。
公社に到着し、自身のデスクに着くと、すぐに上司がやってきた。
「カイ」
「はい」
「昨夜の7号線の件、担当は君とBチームだ。現場の処理を頼む」
「了解しました」
カイは短く答えると、タブレットを起動し、現場の初期データを転送し始めた。彼の心は、石を投げ込んでも波紋一つ立たない、静まり返った水面のようだった。これから向かう先に、4つの「死」が転がっている。しかし、その事実は、彼の心に何のさざなみも立てなかった。